1989_09_ドリーム・ラッシュ_宮沢りえ






今回の1曲セレクトは、「ドリームラッシュ」宮沢りえです。

 まずはデータです。

・タイトル     ドリームラッシュ
・アーティスト   宮沢りえ
・作詞       川村真澄
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1989年9月15日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    34.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1989年9月25日〜11月6日付

さて、今回の1曲セレクトは、宮沢りえの「ドリームラッシュ」じゃ。

じゃじゃーんexclamation 

この曲ってさぁ、なんか、いきなりリリースされた感じがしたりするんだけど・・・、そうでもなかったのかなぁ。。
イメージとしてね。 なので、いきなり書き始めますぞ。
 

ま、なに分、この年は、ワタシャ、まだ、ロウニンしてたもので、情報に疎かったのもあるんだけどさぁ。
なんか、あれれれ、と思っている間に、オリコンで2位とってたような気がする。

 だけど、なんで、このタイミングだったんだろう? CDリリースしたの。
たしか、随分言われてたよねぇ、いつCD出すんだ、いつ出すんだ・・・ってさぁ。

 タイミング的には、前年に主演した、映画「ぼくらの7日間戦争」あたりでも、全然不思議ではなかったんだけど。。
 
当時ライバルだった、後藤久美子なんて、すでに、この2年半前にレコードデビューしてたりしたしなぁ。
仮に、もう少し、早くデビューしてたら、アイドルとしては、もう1段階も、2段階も、確実にステップアップしてたろうし、89年は宮沢りえの年になっていてもおかしくはなかったと思うんですよ。

実際のところ、ずっとボイスレッスンはしてたようなんだけどね。

例の「りえママ」がうんと言わなかったのか、本人が渋ってたのか、よくわかんないんだけどさぁ。
結局のところ、当時は、あんまり好きじゃなかったのかもな、ウタ、歌うのは。

ま、実際的なところは、戦略的な部分が多いんだろうけどね。時代的にはちょうど、80年代アイドルも実質的には終わってたし、アイドル冬の時代に向かって、オタクむきへ潜行し始めていたしな。


ところで、曲のほうなんだけど・・・。実際どうなんだろ? たしかに、ツマンナイ曲じゃないと思ったな。当時も。
ただ、渡辺美里の2番煎じ路線狙いっていうのが、あんまりにもハッキリしすぎててさ。
うぬ、作詞 川村真澄、 作曲 小室哲哉 なんていう、とっても「My Revolution」な布陣だっりして。
ちょっと、アイドルらしからぬ曲だったよな、当時としては。

 まあ、そこも狙いだったんだろうけど、個人的には、なんか、もうひとつ拍子抜けだったも、事実かなぁ。
うーん、いまひとつ、つかみ所がない・・・というか。
サウンド的に、この頃のTM NETWORKっぽい「音」だよね・・っていうところだけかなぁ。。。 
 
というところもあって、当時は、あんまり積極的には聴いてなかったなぁ、この曲。
いや、今でも、あんまり聴いてないんだけど。。。あせあせ  うん、音源は持ってるんだけどね。


ところで、この曲、「ザ・ベストテン」のレギューラーの最終回にランクインしてたんだけど、出演しなかったんだよね。
なんで、テレビでは歌ってないのかなぁ・・・と、思ってたら、「夜のヒットスタジオ」には、出演してたんじゃん・・・
やっぱり、終わっていく番組に出ても(プロモーション的に)しょうがない・・・ってことなのか、それともテレビバージョンしか歌えない「ベストテン」に対して、フルバージョンで歌わせてくれる「夜ヒット」なのか。。。





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