1979_10_September_ 竹内まりや






今回の1曲セレクトは、「September」竹内まりやです。

 まずはデータです。

・タイトル    September
・アーティスト  竹内まりや
・作詞      松本隆
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1979年8月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 39位
・売上げ枚数   10.4万枚

 いや、まいった。。実は、今日の1曲セレクトは、最初別の曲だったの・・・。もう完全にその曲を書く頭になってたのに、今、調べてみたら、11月1日リリースだった。。。うわ、まだ、先じゃん・・・。

 うーん、意外と覚えていないもんだね。30年以上も前の曲だと・・。リリース日を。イメージ的には、今ごろヒットしてたような気がしてたんだけどなぁ。。。。

 こういう時、困るんだよね。

・・・で、ない頭、ひねって、搾り出してきました。。。

 竹内まりや「September」

未だに9月になると、ラジオからは、必ずこの曲がかかるよなぁ。今年も先月、何回も聴いたもの。

じゃ、なんで、今頃セレクトしてきたの? って感じなんだけど、タイトルは「September」だけど、実際ヒットのピークは「10月」だったんだよね。
10月なのに、「September」とは、これ如何に。。。 なんだけど、September=9月 がつくタイトル曲って、実際は10月にヒットしてたパターンって多かったりするんだよね。
 同じパターンで、一風堂の「すみれSeptember Love」があるんだけど、この曲は、また近々書くことになると思います。


 この「September」は、竹内まりやにとって、実質、デビュー3曲目の曲。この前の曲「ドリーム オブ ユー」がキリンレモンのCMに使われて、一躍、竹内まりやの名前が、広まってきてた時期ですね。

 うん、♪レモンライムの青い風、伝えて愛のドリーム オブ ユー♪ってやつですね。


・・・まあ、そういうタイミングでリリースされたんだけど、当時の扱いとしては、「アイドル」的な扱いだったんだよね。

 今の「シンガーソングライター」竹内まりやとしては、考えられないけどさ。
 「当時は、聖子ちゃんに近い扱いだった」と、後日、本人からの証言もあったように、実際、そんな存在だったんだよね。

 1979年は、ニューミュージック全盛期で、逆にアイドルが「不作」の年。 すでに、70年代型アイドルは陳腐化してたわけで、新しいアイドルの形を業界では、模索してた時期。
 
 そういう、タイミングの悪さも災いしてたんだろうね。慶応のライトミュージックソサエティで、後のシンガーソングライター杉真理と活動を共にしてたっていうのに、まんまとゲーノー界の「落とし穴」に捕まってしまう。

 でも、この曲の作曲者、林哲司は、見抜いていたようですね。このヒトが「アイドル?」っていう疑問符なところを・・・。

 絶対、このヒトの低音の魅力はアイドルではなく、もっとアメリカナイズされたポップスで勝負すべきだ・・・。

 ってことで、試行錯誤して書かれたのが、この「September」ですね。

 それでも扱いは「アイドル」。 うん、ジャケ写みれば、大体わかるわな、このころの扱いが・・。

そんでもって、この曲で日本歌謡大賞、日本レコード大賞の「新人賞」を獲得してたりする。

 いまおもうと、違和感たっぷりですわなぁ。 レコード大賞も歌謡大賞も、ザッツゲーノー界的な存在なわけで、ロック、ニューミュージック系にはそれほど縁がある場じゃないもんね。

 たださ、このころ既に、歌謡大賞もレコード大賞も、見てたんだけど、竹内まりや ・・・って一番印象にないんだよね。新人賞のなかでも。

 79年っていったら、新人賞では桑江知子の「私のハートはストップモーション」がダントツに強くて、そのイメージしか残ってなかったりするんだよね。

 でも、まちがいなく、この曲で新人賞に「出演」して歌ってたりする。

 結局、「アイドル」竹内まりや は、81年に本人の「出奔」により頓挫。82年に山下達郎と結婚して、3年間も活動休止となるわけだけど・・・。

 で、84年にアルバム「ヴァラエティ」で「シンガー」竹内まりやとして再出発するわけなんだよね。


 そんな「September」だけど、個人的にちゃんと「意識」して聴いたのは、ずっと後のことですわ。

 いつだろう? 多分、大人になってからだね。

 やけにイントロから引っかかる曲が流れてきたのが、この曲。どっかで聴いたことあるんだけど、思い出せなかったりして・・・。
この曲、なんかのCMで使われてなかったかな?

 しかも、竹内まりやだったりして・・・。 で、調べたら、79年リリースのこの曲「September」だったんだよね。

 多分、林哲司氏も、低音の魅力からカーペンターズのカレンをある程度意識した曲作りになってたんじゃないかなぁ。
 どことなく、カーペンターズの香りがするんだよね、この曲。

 ただ、79年っていう、ニューミュージック全盛のころの空気にはあってたよ。

 そういうこともあり、ワタシは、この曲、ニューミュージックとして見てるもの。

 林哲司氏は、この曲と平行して、松原みきの「真夜中のドア」も、同時期ヒットさせてるんだけど、こっちの方が、よりアメリカナイズされてる・・・っていう本人の弁。

 でも、個人的には、どっちかというと、竹内まりやの「September」の方がアメリカナイズされているような気がするけどなぁ。

 うん、やっぱし歌い方の差だよね。松原みきは、独特の声質してるじゃん。どこか日本的に聴こえるんだよね、声質が。
 対して、竹内まりやって本場仕込みの「English」でしょ。

 その差がダイレクトで出てるような気がするなぁ。


 あ、この辺は、「今」ならカバーするにもいいかもね。未だに、あんまり手垢付いてないし。。。今、どっちかといえばAOR的な曲が「イマイ」くなってる方向だとおもうしさ。

それにしても、未だに、よくかかるこの曲だけど、リリース当時は、オリコンで最高39位までしか行ってなかったっていうのは、今にして思えば意外かもなぁ。もっとヒットしてた感じもするしね。





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