1982_09_待つわ_あみん






今回の1曲セレクトは、「待つわ」あみんです。

まずはデータでーす。

・タイトル   待つわ
・アーティスト    あみん
・作詞        岡村孝子
・作曲        岡村孝子
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年7月21日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     109.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年8月16日〜11月15日付

 この時期になると、忘れられない曲があったりします。
その中でも、あみん「待つわ」は、一番忘れられないかなぁ。

 「あみん」ってそろそろ知らない人もいるのかなぁ。
後年ソロで大活躍した岡村孝子さんと、すでに引退してしまった加藤晴子さんのデュオですね。

 この「待つわ」は、82年5月に行われた、第23回「ポプコン」のグランプリ曲なんだよね。

 しかしさ、考えてみたらこの当時ポプコンってやたらと「中部地区」選出の人達が強かったんだよなぁ。
 一つ前第22回グランプリのアラジン「完全無欠のロックンローラー」、そのまた一つ前第21回伊藤敏博「サヨナラ模様」と3回連続でグランプリは中部地区から出てる。

 ちなみに、第23回では、あみんの他に明日香「花ぬすびと」も最優秀曲賞に中部地区から選出されてたりする。
 しかし、そう考えたら、この頃はヒットは名古屋から・・・っていうことも多かったんんですよねぇ。
 それ以前は、西の福岡、東の仙台って言う感じのヒットが多かったんですけどね。
 
 
 話は変わって・・・この「待つわ」は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃、出て来たんですよね。
 もちろん、そのころは、まだ、周りの誰も知らないから、ラジオばっか聴いてまして、この曲、発売前から、やたらかかってたんだよねぇ。 まあ、いまになって思えば、それだけ「期待」をかけてたんだろうけどね。

そして、ワタシもすぐ、気になったなぁ。当時まだ中1だったけど、この曲は売れる、売れて欲しい・・・とおもって、リリース日当日にレコード買った第1号なんですよね、実は。

なにが、気になったのか? っていうのは、今になってはすっかり忘れちゃったんだけど、兎に角新鮮だったのかなぁ。
 もちろん、萩田氏独特のインパクトがあるイントロ・・・例のアコギによる3連譜・・・もそうだったんだけど、今までに感じたことない透明な肌触り(?)っていうのかなぁ。

それと、結構、絶妙なハーモニーってのにも耳が行ったな。

 それよりも、この年の天候不順にぴったりな、「静寂感」・・うんにゃ「静かな不気味さ」がついつい、聞き耳を立てたのかもしれん。
 ・・っていうか、単純に、引っ越してきたばかりからの精神的な「寂しさ」が表に立ってたんだろうね、当時のワタシとしては。


 たださ、まだ発売前に聴いて「あ、これは売れる」と思った曲が、実際に「大ヒット」になってうれしかったなぁ。

 それまでは、ベストテンに入ってきて初めて「あ、いいなあ」っていう感じで曲を聴いてたから。

 この時の、この感覚、手ごたえっていうのがたまらなく快感でさ、もしかするといまの仕事に繋がっている・・っていうのは、正直過言ではなく、リアルなところなんですよね。
 だから、この曲あってこその「いまのワタシ」って言えるかもなぁ。

 
 BUT、当時は↑で書いたように「透明な新鮮さ」を感じたこの曲だけど、いまになって考え見れば「不気味」なウタだよね。

TVでの二人の「ぜんまい仕掛け」みたいなぎこちない動きと無表情な歌い方もそうなんだけど、内容がさ。


♪待つわ いつまでも 待つわ たとえ あなたがふりむいてくれなくても 待つわ 〜 ♪

なんともストーカーな曲だよね。いまの感覚だと・・。よく、マスコミでも書かれたりしてるけどさ、その通りだと思うわ。

でも、今と33年前と感覚の差っていのうももちろんあったしね。だから、当時は「新鮮さ」の方が勝って、ミリオンセラーなんかになったんだろうけどね。

 ちなみに1982年のミリオンセラーは、この曲1枚のみ。当時は、昨今のCD不況と同じように、レコードのセールスが全体的に落ち込んできた時期なんだよね。
 この主な要因は「レンタル」の普及によるものっていうのが、一般通説なんだけど、まあ、曲事態が変わってきたって言うのも確かにありますよね。
 それと、主流が「アイドル」になったってのも大きいし・・。やっぱり、アイドルでは続けざまヒットはしても、なかなかミリオンセラーまで届くっていうのは、難しいですからねぇ。

 もちろん、アルバムはニューミュージック系の天下だったけど、当時はアルバムでミリオンセラーっていうのは、夢のまた夢って言う時代・・・シングル主流な時代だったし・・。

 ま、それを考えても今とは、随分、趨勢が異なる時代だったんだけど、それらを考えても、この曲の支持はでかかったんだよねぇ。


だけど、最初に出てきたヒトは後が続かない・・・っていう当時のジンクスもあったわけで、この人たちも結果的にはそんな感じになってしまいましたよね。

 やっぱ、どうしても、この曲のインパクトにはかなわないもんなぁ。普通。
 
 逆に考えるとそれだけ、まだ、ちゃんと曲を聴いてた人も多かった・・・楽曲の時代・・・ともいえるんですけどね。




そうそう、思いだした。 この曲、1982年の7月21日リリースだけど、ヒット最高潮時、9月のレコード週間売り上げは凄まじかったんだよね。
 いま、当時のオリコンをひも解くと、1982年9月各週のこの曲の週間セールスは

1982/9/6付   66,560枚
1982/9/13付  127,340枚
1982/9/20付  173,910枚
1982/9/27付  137,470枚

・・・と9月、1カ月だけで50万枚上のセールスを記録してたりする。
1週間でミリオンセラーなんていう、某アイドルグループな今の時代からしてみれば、なんてことない・・なんて思えるかもしれないけど、週間セールスで平均7万枚も売れば1位が取れた時代。週間17万枚なんて言うセールスはとんでもない数字だったのよ。
 ちなみに、88年3月21日付で光GENJI「パラダイス銀河」が、週間338,690枚って言う記録を出すまで、この「待つわ」の173,910枚っていう週間セールスが、80年代では最高の週間セールスだったんだよね。

それだけ、多くの人に刺さったんだろうな、この曲。

リリース1か月前に、この曲は売れる・・・って直感的に感じた、ワタシ目は、「してやったり」って言う気分だったけどねぇ。 でも、まさかここまで売れるとは思わなかったんだけどね。


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