今回の1曲セレクトは、「雨の慕情」八代亜紀です。
まずはデータです。
・タイトル 雨の慕情
・アーティスト 八代亜紀
・作詞 阿久悠
・作曲 浜圭介
・編曲 竜崎孝路
・リリース日 1980年4月25日
・発売元 テイチク
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 56.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位
・ベストテンランクイン期間:1980年6月9日〜7月14日 8月11日〜9月1日付
やっぱり、梅雨ですから、「雨の曲」が季節的には似合ってくるもんですわな。
このあいだ、FACE BOOKで参加している「昭和時代」っていうグループで「雨の唄というば?」って言うトピックスが立ってまして、そこでもこの曲を上げられてましたけどね。
八代亜紀 「雨の慕情」
しかし、以前、ネット上のアンケートでも、同じようなアンケートがやってた事があって、並み居る「ポップス系」アーティストを抑えて、この曲が1位を取ってた事があったなぁ。この曲の印象っていうのが、かなり強いんだねぇ・・・なんて思ったな。
・・・・というワタシも、「雨」とつく曲は? なんて聞かれたら、やっぱ、八代亜紀のこの曲を投じちゃいそうだな。。
いや、なんか、それだけ、結構、強烈な印象があるのよ、この曲。
オリコンでは9位までしか上がらなかったこの曲だけど、うーん、やっぱ、ベストテンでのきれいな「雨のセット」の印象と、それよりなにより、この年1980年の年末の賞レースでの、会場が一体になっての
♪ あめあめ ふれふれ もっとふれ〜 ♪
の大合唱が印象に残ってるんですかねぇ。
うむ、もちろん、大合唱といっても、あの年はさあ、いわいる「80年代アイドル」の最初の当たり年だったわけで、会場のお客の大半が、各アイドルの「親衛隊」だったわけじゃん。
そんな各親衛隊連中がひしめく中で、各親衛隊の「垣根」を越えての大合唱だったわけだからさあ。一種、「異様」の光景っちゃ失礼だけど、かなり壮観な光景でしたよね。ま、それだけ、「世代」を超えて支持された曲だったんだよね。
特に、この年の「日本歌謡大賞」での、「雨 雨 降れ 降れ もっと降れ」コールは凄かったからなぁ。
まず、今じゃ信じられないもんね。演歌にワカモノが応援コール送るのって。
AKB とか EXILE とか、嵐 のファンが水森かおりに向かって、応援コールを送ってるようなもんだから。
そんなの考えられないじゃん、今では。
だからこそ、この年の賞レースは、「五八戦争」なんていわれた、五木ひろしと八代亜紀の熾烈な大賞争いを演じたわけだけど、レコード大賞も歌謡大賞も、最終的にはこの曲が受賞したんでしょう。
五木ひろしが、この年「大賞」取れなかったのは、「若者」の支持があったかなかったかの差・・・だよね、きっと。
特に歌謡大賞は、如何に幅広く「大衆支持」されているかってところが強かったから、あの頃は。
あの「雨 雨〜」の大コールがあって、この曲、大賞とらなかったら、それこそ、ブーイングの嵐だったろうしなぁ。。。
そう言う意味では、あの頃は、大方のヒトが見ても、まだ「納得」がいく、賞レースだったんだよね。
で、もって、この曲が当時の若者に支持があったっていうのは、あの頃の歌番組の影響が絶大だったよね。
「夜ヒット」しかり、「ザ・ベストテン」しかり。
特にベストテンでの、綺麗なセットをバックにした演出効果は大きかったと思うなぁ。
あのころ演歌で、セットをつけた演出なんてベストテンくらいしかありませんでしたからねぇ。しかも、唄を引き出すをライティング効果も考えた、綺麗な演出効果とかさぁ。
それに加えて、サビの「雨 雨〜」のところの振りでしょ。
ま、今見たら、なんてことない振りなんだけど、それらの演出が当時の若者の心を取られるには充分だったんだよね。
そんな「若者」側にいたワタシとかさあ、、当時は、演歌とか普通に聴いたもんね、当時は。
今みたいに特定のジャンルとかアーティストの曲しか聴かないではなくて、「ベストテン」なら「ベストテン」っていう番組自体を楽しみにしてたからさあ。
だから、当時は演歌だから、イヤ・・とかいう発想はなかったし、同世代でも、みんな普通に知ってましたよね、この頃のヒット演歌は。
当たり前だけど、賞レースだけで、あれだけのコールをもらえたわけではないわけで、それまでに若者の心をとらえるサムシングがあったわけなんだよね。
よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村