今回の1曲セレクトは、「聖母たちのララバイ」岩崎宏美です。
まずはデータでーす。
・タイトル 聖母たちのララバイ
・アーティスト 岩崎宏美
・作詞 山川啓介
・作曲 木森敏之,John Scot
・編曲 木森敏之
・リリース日 1982年5月21日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 80.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年5月31日〜9月6日付
・タイアップ:日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」エンディングテーマ
うーん、できれば、この曲は避けたい気持ちが強いんだけど、ヒット曲史上、この時期のヒット曲としては代表曲と言えるし、さらに1982年でも重要な曲と言えるので、どうしても外す訳には行かないんだよね。
なので、後ろ髪がひかれる思いで引っ張ってきました。
いや、別にこの曲がキライというわけではないんだけど、スキキライの前に、この曲がヒットしている頃、当時、住んでた福島の「いわき」から千葉に引っ越してくることになったんだけど、これが結構大変な思いの末の引越しだったんですよ。
まあ、ヒトに説明することでもないので、詳しくは書かないけど、当時、家庭内不和がありまして、一家離散の危機の末での引越しだったんですよ。
そんなこともあったんで、この曲は、ワタシにとっては、一種の「トラウマ」なんですよねぇ。
この曲は、メロディラインはややメランコリックなというか、ちょっと怪しげな不思議なイメージを持った感じじゃないですか。この感覚が「トラウマ」に感じるにはうってつけだった・・・とも言えるんだけどねぇ。
誰でも知ってることだけど、この曲は、今は無き、日テレ「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマだったんですよね。
「火サス」は、この曲が発売される前年の1981年10月から放送開始された、2時間ドラマだったわけだけど、最初から、この曲が「エンディング」だったんですよ。
で、もともとは、レコード化される予定は無かったんだよね。ただ、当初から視聴者の反応がよかったことから、視聴者抽選で何百人かにプレゼントという企画でレコード化したところ、数万通にもおよぶ応募があったことから、風向きが変わる。
その頃には、有線で早くもベストテン入りしていたし、日テレにレコード化を要望するリクエストが殺到するわで、急遽、レコード発売されたという、かなり曰くつきの曲でもあるんだよね。
そんな大変な反応から、当初はミリオンセラーは硬いって言われてたんだけど、最終的には80万枚で止まってしまう。 ま、80万枚でも大ヒットは間違いないんだけど、当初の反応からしてみれば、意外だったんだよね。
これは、当時、広まりつつあったレンタルレコードのせいだ〜! って騒がれたなぁ。
現に、前年まで、年に3枚ほどあったミリオンセラーが、この年は1枚(あみん「待つわ」)のみ。レコードの売り上げが右肩下がりになってきてたんだよね。
今でこそ、レンタルにも著作隣接権がかけられて「合法」になったけど、この当時はレンタルには、著作隣接権が確立されておらず、著作権使用料が徴収できなかったんだよね。そんなこともあって、レコード業界からは目の敵にされていて、騒がれてたんですよねぇ。
しかし、どうして、この曲にあれだけの反応があったんだろう?
まあ、単純に曲がいいからなんだけど、どこがというと、正直、ワタシとしては答えにつまっちゃうんだよね。何分、「トラウマ」の曲だから。。。
ひとついえることは、優しくもあり情熱的でもある1曲中での変化っていうのかなぁ。
まさに喜怒哀楽を表しているような曲だとおもうんですよ。
そこに岩崎宏美のソフィケートされた伸びやかなボーカルがからまって・・そういういろんな表情が見えるこの曲に、魅かれるんだろうなぁ。
そんな1982年を代表するこの曲だけど、当時を知っている方には、知られすぎた事実だけど、この曲はレコード大賞はとってない。
作曲者が外人だから、レコード大賞ノミネート条件の規定にふれて、ノミネートさえされなかったからなんだよね。
結果的に、この年は、細川たかしの「北酒場」が大賞をとるんだけども、たださ、変化球が好きなレコ大のこと、仮にこの曲がノミネートされてても、大賞をとったかどうか・・・・。個人的には疑問だとおもうなぁ。
ちなみに、レコード大賞とならぶ、当時の日本の2大音楽祭のもう片方の「日本歌謡大賞」は、この曲がグランプリを受賞しておりまする。
個人的にいろいろあった、1982年なんだけど、唄は世につれ、世は唄につれ・・・いろいろあったからこそ、今でも色褪せない思い出となっているんだけどさぁ。。。
よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村