1992_06_部屋とYシャツと私_平松愛理






今回の1曲セレクトは、「部屋とYシャツと私」平松愛理です。

 まずはデータでーす。

・タイトル     部屋とYシャツと私
・アーティスト   平松愛理
・作詞       平松愛理
・作曲       平松愛理
・編曲       清水信之
・リリース日    1992年3月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    93.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1992年4月13日〜7月13日付

 6月ですねぇ。6月というと、ジューンブライドっつうくらいで、あちこちで結婚式の話題が。。。
 まあ、ワタシにゃ当分関係のない話なんだけどさ〜。

 で、この季節になると決まって、結婚式に繋がるような曲がクローズアップされるわけです。
 ま、そんなことで、ワタクシもあやかって、そんな曲を引っ張ってまいりました。

 部屋とYシャツと私   平松愛理

 ウワー、もろ、ストレート。23年前の今頃、ヒットのピークを迎えてたこの曲は、当時、結婚式で歌われた歌NO.1ぢゃないの?

 女版「関白宣言」なんて、よく言われてましたよね。

 でもさ、よくよく考えてみたら、「関白宣言」? 
そんなにきつくないよね。。。。

ま、たしかに女の子から、男へ結婚後の「お願い」をしているところは、似てるかも知れないけど、決して、上から見下した言い方ではない。

・・・ってか、これは、平松さんの可愛らしい声と、穏やかな曲調でそう感じるのかなぁ。
 歌詞を今改めてみると、意外と、ブラックなんだよね、内容が。 やっぱり女は恐ろしい (爆)


 この曲、「シングル」のリリース日は、1992年3月21日になっているけど、もともとは、1990年12月リリースのアルバム「MY DEAR」の1曲に過ぎなかったんですよ。

 でも、切り口が面白いってことで、口コミと「有線」でジワジワと人気が広がって、ついにシングルリリースっていう経緯があったんだよね。
 シングルがリリースされた頃は、既に有線ではベストテン入りしてたし、だから、シングルもあっという間に売れたんだよねぇ。

 90年代の初頭の頃って、こういう「有線」発のヒットって言うのは、結構多いのよ。
 まあ、追々紹介して行きますけどね、同時期では、J-WALKの「何も言えなくて・・・夏」とかね。
 この曲も有線でジワジワ広がって、ベストテン入りしたのは、リリース後1年以上だってからだもんね。

 こういう曲に共通なのは、もちろん、口コミよるヒットだから、一気に売れたわけではなく、すこーしずつジワジワと売れていったわけで、ヒットのピークの期間も長い。超ロングヒットになることが100%なんだよね。

 この曲もベストテン内に3ヶ月居座り続け、ベスト100には43週ランクイン・・という、平松愛理随一のロングセラーとなったわけだね。

 このヒトというと、イコール、この曲って言うくらい、この曲の知名度は高いけど、個人的には、意外とこのヒトの他の曲も好きな曲が結構あるのね。
 
 なんていうのかなぁ、いつぞや、近藤名奈を紹介したことがあったけど、浮かんでくる絵面が、似てるんだよね。
 遠いむかし、いつかどこかで体験したような青春の1ページを切り抜いたようないまとなってはセピア色の風景・・・っていうのかな。

 この年になると、妙に懐かしい風景なんですよ。

 特に、あんまり売れなかったけど、デビューシングルの「青春のアルバム」(もろストレートなタイトルだよね)とか「駅のない遮断機」なんてのは、モロそんな感じの曲でいいんだよねぇ。

 個人的に「下世話」な曲も好きだけど、このテの青春ウルウルソングも弱いんだよね(⇒すきって意味です)
 
 このヒトは、ゲーノー界では、ほとんど絶滅しているような、「真っ白」なイメージのアーティストだよね。その清楚な感じはやっぱりいい。
 一時、病気でリタイヤしていたようですが、いつまでも、このまま変わらないでいて欲しいものですよ。






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