1973_04_危険なふたり_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「危険なふたり」沢田研二です。


まずはデータです。


・タイトル   危険なふたり
・アーティスト 沢田研二
・作詞     安井かずみ
・作曲     加瀬邦彦
・編曲     東海林修
・リリース日  1973年4月21日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 65.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年5月7日〜8月6日付

 ワイドショーやネットニュースで連日話題になっていましたが、作曲家で元ワイルド・ワンズのリーダーだった加瀬邦彦氏が自らの命を絶ったそうで。。
 74歳。昔だったらいざ知らず。今、70代と言ったら、特にアーティストの世界では、まだまだ現役バリバリという方も多いわけで、また一人、日本のポップス史を作ってこられた作曲家が居なくなってしまったことは、本当に残念なことですよね。

 15年前、井上大輔氏がやはり自ら命を絶った時も、それなりのショックだったけど、今回の突然の訃報は、個人的にもそれなりのショックだったなぁ。
 
 それにしても、井上大輔氏にしても、加瀬邦彦氏にしても、G.Sで一時代を築き、その後、作曲家としてJ-POPの「基礎」を築いてこられた方が、自ら命を絶ってしまうケースが最近は多いよな。
 G.Sとは、やや方向性は違うけども、「アングラ」の騎手だった加藤和彦氏も若くして自ら命を絶ってしまったし。。。
 どうして、こうも続くんでしょうねぇ。ワタシのような鈍感力の方が勝っている凡人には分からない「苦悩」がやはりあったんでしょうかね。

 いずれにしろ、ご冥福をお祈りいたします。



・・・ということで、今回の1曲セレクトし、加瀬邦彦氏の代名詞ともいえる、ワイルドワンズの「想い出の渚」を・・・・

・・・と行きたいのはやまやまなんですが、「想い出の渚」のリリースは、1966年の「11月」。ヒット時期がずれちゃっているんですよね。
あくまで、これ書いてる時季とリンクしているっていうのをコンセプトにやっているもんで、今回は、ちょこっと保留。まあ、いずれ書こうと思います。


・・ということで、今回は、沢田研二の「危険なふたり」をセレクト。


この曲は、1973年4月21日リリース。ジャスト、「今頃」のヒットなんだよね。
そして、加瀬邦彦氏にしても数あるヒット曲の中でも、代表曲といえるでしょうね。


 沢田研二氏の曲は、今まで何曲も書いてきたけど、この曲書いてなかったんだよなぁ。こんな大ヒットをねぇ〜・・・。こうして見ると、当然書いてて然るべきって曲がまだまだ抜けているよなぁ。


10年以上という長期、ヒット戦線の第一線で活躍してきたジュリーだけど、ヒット傾向をみると、第1期全盛期、第2期全盛期、第3期全盛期の3つのグループに分けられるんだよね。

 第2期の全盛期は、言うまでもなく、77年の「勝手にしやがれ」から79年の「OH!ギャル」までの阿久悠−大野克夫コンビで一世を風靡した時代。
第3期は80年の「TOKIO」から82年の「6番目のユウウツ」あたりまでの、いわいるニューウェイブ系の時代。

で、今回セレクトしてきた、「危険なふたり」は、第1期ジュリー全盛期の代表と言えるべき曲ですねぇ。
 
 第1期全盛期のジュリーは、72年の「許されない恋」から75年の「巴里にひとり」あたりまでの、「ヨーロッパ系」の独特の濡れた匂いがする時代ですね。この時代、コンポーザーとしてジュリーの一連のヒット曲を書いていたのが、加瀬邦彦氏。
 第2期以降のジュリーがリアルタイムなワタシの世代としては、今一つ実感はないんだけど、今聴くと、第2期のジュリーとは別人のようなしっとり感がある曲が多いんだよね。

ただ、その中で、今回の「危険なふたり」は、唯一、メジャー展開のアップテンポな「ポップス」に仕上がってますねぇ。
 こんなポップなジュリーは、この時点では無かったような曲であったことと、めちゃくちゃ親しみやすいメロディライン、当時としても派手なアクションだったことが幸いしてか、第1期全盛期のジュリーの中で、一番「売れた」曲になりましたね。


 オリコン的に見ると、73年4月30日付38位初登場から、翌週、一気に4位に急上昇。
こんなチャートアクション。初登場1位が珍しくも何とも無くなった今では、「へーそうなの?」で終わってしまうけど、曲に負けないくらい、当時としてはかなり派手なチャートアクションだったんだよね。
 当時、こんなチャートアクションをしていたのは、ジュリーか天地真理くらいなもんでしたよ。(・・・とか、あたかも実際に経験したかのような書き方だけど。。

 その後、登場3週目で2位までランクアップ後、5週間2位をキープ。
・・・っか、5週も2位をキープっていのうも、今からしてみれば、どんな動きなんだよ・・って感じだけど、当時としてはさほど珍しい現象では無かったんですよ。そして、登場8週目で1位獲得というチャートアクション。
 ベストテン内14週。うちベスト3内9週、1位3週。という文字通り73年を代表するような大ヒット曲と相成ったわけです。
 
 この年1973年の第4回日本歌謡大賞を受賞したこの曲ですが、チャートアクションから見ても、それに全く恥じない、1973年の代表曲と言っても過言では無かったですよねぇ。




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