1979_11_ひとり咲き_チャゲ&飛鳥






今日の1曲セレクトは、「ひとり咲き」チャゲ&飛鳥です。

まずは、データから

・タイトル    ひとり咲き
・アーティスト  チャゲ&飛鳥
・作詞      飛鳥涼
・作曲      飛鳥涼
・リリース日   1979年8月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 24位
・売上げ枚数   17.9万枚

 昨日は、ヒット曲聴き始めて27周年っつうことを書きましたが、当時はあくまで、「ベストテン」内の曲しか、聴いてなかったわけで、レパートリー幅は、かなり狭かったんですよね。ベストテン外の曲も聴き始めたのは、千葉に引っ越してくる直前の1982年ごろからかなぁ。ラジオを聴くようになってからですね。
 だから、その間の曲では、随分後になってから、初めて知ったって曲がかなりあるんだよね。
 いや、リアルタイムで聴いてた曲よりは、そっちの方が多いかもしんない。 少なくとも1977年以前の曲は、ほぼ100%後になって知った曲ですね〜。

 特に1980年代終末〜1990年初頭にかけては、リバイバルブームというか、昔の「なつかし系」の番組がかなり頻繁に放送してましたからねぇ。
 特に、フジテレビで1990年元旦の1:00〜5:45に放送された「僕たちの想い出のメロディ'66〜'84」、のちの「19××」には、かなり触発された部分があるなぁ。20年分の曲を4時間45分、CM以外はノンストップで紹介されたでしょ。かなりの曲数がかかりましたよね。 
 あれで、初めて知って、その後レコード買いあさった曲ってかなりあるんだよね。

 じつは、このチャゲアスのデビュー曲、「ひとり咲き」もその時、初めて聴いたんですよ。
 
 単純に、「あ、これ、いい曲」って最初から思ったなぁ。
それまでの私にとっては、チャゲアスの最古の曲は、例の「万里の河」だったんだよね。
 あの曲は、ヒット当時から大好きで、実は、自分で意識して買った一番最初のレコードなんですよね。
 
 当時、チャゲアスって大好きでさぁ。一生懸命歌うでしょ。ほとんど、力任せに歌ってましたよね。2人とも。
 それが、なんか、初々しくてねぇ。 曲も、後のロックテイストではなく、正統派の叙情派フォーク、うーん。というかフォークロックで、シンプルな曲でしたもんね。

 でも、こちらにヒシヒシと伝わるものがあって、一発で好きになっちゃいましたもん。

 で、「ひとり咲き」ですが、これも、「万里の河」に負けず劣らずの名曲なのよ。
 「万里の河」が背景的に中国的な雄大さとしたら、「ひとり咲き」は、ジャパニーズアジッドですね。ほんと、日本的な叙情派なんですよ。
 あー、へたすると、今だったら、「演歌」になっちゃうかもしれない。 よく、演歌フォークとかとも言われてましたもんね。この曲。
 これは、曲調的なところもそうだったけど、チャートアクション的にも、演歌っぽい動きを見せてましたからねぇ。
 最高は24位ながら、100位内になんと、31週もランクインされていたんですよ。
 上がったり下がったり、実に息の長いヒットだったんだよね。 そのおかけで、最高位はそれほど、行かなかったけど、最終的には18万枚あまりのスマッシュヒットになったわけです。

 この曲も、思い入れたっぷりに歌ってましたよねぇ。あの力任せの歌い方が、初期のチャゲアスの特徴だよね。
 いつも、あんな感じだったので、飛鳥は、当時ステージで、よく、痙攣起こして倒れてたらしいですね。酸素不足で。

 この曲は、1979年5月の第17回ポプコンの入賞曲なんですよね。当時は、優勝間違いなし・・という前評判だったらしく、本人たちもその気だったようですが、本番で歌をとちって、優勝できず、入賞どまりというエピソードがあったようです。
 まあ、そのような前評判が立っていた曲ですから、曲としては、すでに出来上がった曲だったわけですね。

 で、この曲、初めて聴いた時から、私、すっかり気に入っちゃいまして、いまでは、カラオケの十八番っすよ。
 もちろん、当時を知ってる同年代以上の方と出ないと歌わないけど・・。



 ちなみに、チャゲアスって、その後も秋から冬にかけて、結構いい曲書いてるんだよね。
 
 1980年 万里の河
 1981年 男と女
 1982年 北風物語
 1986年 指環が泣いた
 1987年 ロマンシングヤード

 などなど

 それらにかんしては、また、後日。

 しかし、今日は、自分のサイトでも、長文かいたし、いったい、何文字書いてんだろ・・・?

 やばい、メガネの度が合わなくなってきた。PCの画面がゆがむ・・・・。





※2005年11月に書いたものの再掲載です。