1979_10_勇気があれば_西城秀樹







今日の1曲セレクトは、「勇気があれば」西城秀樹です。

まずは、いつものようにデータから

・タイトル       勇気があれば
・アーティスト     西城秀樹
・作詞         山川啓介
・作曲         筒美京平
・編曲         萩田光雄
・リリース日      1979年9月5日
・発売元        RVC
・オリコン最高位    3位
・売上げ枚数      30.8万枚
・ザ ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1979年9月26日〜12月6日

 ソングフェスティバル。なんて、かっつけた形で書かなくても良いけど、いわいる「歌謡音楽祭」ですね。
いまじゃ、すっかり、その影も形も薄れてしまった「歌謡音楽祭」ですが、70年代〜80年代中盤頃までの、歌謡曲、ヒット曲の「全盛期」、各テレビ局主催、そのたもろもろの音楽祭が、いまごろから年末にかけて開催されてましたね。
 その、最高峰といわけたのが、いまや、その権威も地に落ちてしまった、「レコード大賞」と、すでに影も形もない「日本歌謡大賞」なわけです。
 それにあわせて・・なのかどうかよくわかんないですけど、夏場がすぎた今頃の季節から、「聴かせる」曲が増え始めるんだよね。
 まぁ、客観的に考えると、「レコード大賞」と「紅白」っていうことを見据えての戦略なんだろうけどね。

 ヒデキの場合が一番、わかりやすかったなぁ・・・っていう印象があるのね。76年は「若き獅子たち」、78年は、このあいだ紹介した「ブルースカイブルー」・・・と、きまって、このじきリリースの曲は、「派手な」・・・というより、「聴かせる」曲中心だったんだよね。

 で、79年は・・・ご多分にもれずというか期待通り、この「勇気があれば」という「聴かせる」曲を持ってきたわけです。
 たしかに、この年はヒデキにとっては、特別な年だったということもありますけどね。なにせ、あの「YOUNGMAN(Y.M.C.A)」の大ヒット。 ヒデキ自身、「歌謡大賞」「レコード大賞」が最も手に届く位置にいたっていえましたしね。
 BUT、レコード大賞は、作曲が「外国人」の曲は、エントリーできんのですよ。ということは、カバー曲の「YOUNG MAN」は、はなから「レコード大賞」の「対象外」にならざるを得ない・・・。
 ということで、是が非でも、この時期にソングフェスティバルに相応しい「聴かせる」曲が必要だったところもあり、この曲ほど、このじきに絶対に必要だった年も無かったわけです。

 そういった事象もあったからか、確かに無難と言ってしまえば、それまでだけど、ソングフェスティバルに相応しい、切々とこちら側に訴えかけるという、山川氏の詞、カンツォーネを意識した当たり前のように完成度が高い筒美氏の曲、ポイントを抑えた萩田氏のアレンジ。
 すべてが、音楽祭に向けてるな・・・と今となっては感じるけど、当時は、そういうことは考えないからね、
素直に感動してましたねぇ。
 まず持って、イントロに含まれる「鐘の音」からして、厳かな印象を受けさせてくれます。

 でも、これで味をしめたわけではないでしょうが、次の年の同じ時期には、「サンタマリアの祈り」っう、やっぱりカンツォーネをモチーフにした曲を、このじきにリリースしましたよね。
 ただ、こっちは、ちょっと曲が重すぎたよね。あんまり売れなかったんだよね。

 あ、個人的には、「サンタマリアの祈り」も好きなんだ。大げさでいいよね。 80年のヒデキって、どうも、いまいちパッとしない曲が多かったなかで、唯一、この曲だけは分かりやすかったな。

 
ちなみに、結果的にこの曲の効果といいますと・・・、歌謡大賞は外国曲カバーの制限は無かったので、予想通り、「YOUNG MAN」で大賞受賞。
 レコード大賞は、多分にもれずこの曲で「エントリー」し、最終的に候補の3曲に残ったものの、ジュディオングの「魅せられて」に大賞をもってかれた・・・という感じでした。
 レコード大賞という具合だから、本来は、より売れた曲に照準を当てるべきで、そういう意味では「魅せられて」を大賞にしたのは、妥当だったんじゃないかなとは思いますけどね。

ちなみに、ちなみに、同じようなケースが、これから3年後にも起こるわけです。
 岩崎宏美「聖母たちのララバイ」。 このときも全く同じような結果となりましたよね





※2005年10月に書いたものの再掲載です。