かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2018年06月

マンピーのG★スポット / サザンオールスターズ

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今回の1曲セレクトは、「マンピーのG★スポット」サザンオールスターズどぇっす

まずはデータどぇっす

・タイトル     マンピーのG★スポット
・アーティスト   サザンオールスターズ
・作詞       桑田佳佑
・作曲       桑田佳佑
・編曲       サザンオールスターズ
・リリース日    1995年5月22日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   51.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1995年6月5日付
・タイアップ:日本テレビ系「TVおじゃマンモス」エンディング曲

えー、明日6月25日でサザンオールスターズデビュー40周年。 んな、ことは言われなくても分かっとるわい なんてクレームが来そうだけど、サザンファンと名乗って40年のワタシとしては、このタイミングで「サザン」の曲を持って来ない訳にゃいかん・・

・・・っちゅうことで、今回の1曲セレクトはサザンの曲で決定〜

と、意気込んでみたものの、6月中旬にベストテン入り(ヒット)させていたサザンのシングルって意外と少ないんだよね。

サザンっつたら「日本の夏」の代名詞だったじゃん、長年。 だからさ、7月に入るとヒット曲が「どっと」増えるんだけどねぇ。。。
そんな数少ない、この時期にヒットしていたサザンの曲も、アーカイブを調べてみたら既に大体書いてるわな。

そりゃそーだよな、これまで1600曲くらい書いてきて、超メジャーなサザンの曲を書いて無い訳が無い・・・

・・・・うーんっにゃ  まだ書いて無い曲があっぞ  とおもむろに引っ張って来ましたぞ。


「マンピーのG★スポット」   ザザーン♪



この曲、これまでなんで引っ張ってこなかったのか

エロエロッ だから。。。(爆)

・・・なわけが無い。。。

単純にさ、いつもトピックスの一番最後につけてる動画が落ちてないから・・・なんだよな。

まあ、兎に角サザンの曲は動画サイトから悉く消されてるからなぁ・・・・。 サザンの曲を書くときはいつも苦労するのよ。 まあ、「歌ってみた」系とかカバー系はあるけど、そんな自己満足系の動画、見たいヒトいね―だろうしさあ。


おーっと、マクラが長くなってしまった・・・。「マンピーのG★スポット」ね。

はっきり言って、この曲がリリースされた時は、個人的にはウレシかった。

なぜかって  

久々に「エロエロッ」系のサザンだったから。。。


うーん、まあ、間違ってはいない・・・・・。 

うんにゃ、ストレートなロックだったから。


バラード系のサザンは、もちろん良い。 ポップス系のサザンも良い。 歌謡曲なサザンも良い。

だけど、サザンの真骨頂って、やっぱストレートで、アッパーなロックチューンだと思うんだよね。

90年代前半のサザンって、92年のアルバム「世に万葉の花が咲くなり」で見られたように60年代の「サイケ」調に偏ってきてたんだよね。ストレートとは言い難い、少しクセがある曲調。 

その他、ミディアム系の曲も目立ってきていたし。

ま、個人的に「世に万葉の花が咲くなり」はサザンの中でもフェイバリッド・アルバムだし、だから、それはそれで良かった。

・・・だけども・・・・、やっぱ、心のどこかで物足りなさを感じちゃったりね。

初期の頃のような、「はちゃめちゃ」サザン。

これなんですよ、求めていたものは。

90年代の前半のサザンは、品行方正とはお世辞にも言えないけど、どこか形になってましたよねアーティストとして。 

でもデビューの時、ベストテンのスポットライトで言い放った「お祭り好きの芸人でーす」なサザンの姿はすでに無かった訳で。。。

そんな時に、この「エロエロッ」でロックチューンの「マンピーのG★スポット」でしょ。

いやー、手放しで喜んじゃいましたね。 

キタ━(゚∀゚)━! キタ━━━(゚∀゚)━━━!! キタ━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━!!! キタ ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━ !!! キタ━ヽ(ヽ(゚ヽ(゚∀ヽ(゚∀゚ヽ(゚∀゚)ノ゚∀゚)ノ∀゚)ノ゚)ノ)

って感じでさ。

そう、この手のストレートなロックを望んでいた訳ですよ。

当時、NHKのサザン特集で、出演していた蜷川幸雄氏が言っていたように自らの「権威崩し」。

少しステータスな形が出来てきた・・・と言う時に自らそのステータスを崩して見せる。 

その姿勢に共感しちゃったりしてね。 というか本来、ロックってそう言うもんだと思うんだよね。 

「肥った豚よりも痩せたソクラテスたれ」

昔、そんな事を言った東大総長がいたけど、ロックアーティストも、そう言うもんじゃないのかなぁ。
それを自ら身銭を切ってやってくれる・・・ってところが、個人的にサザンが好きなところなのかもなぁ。

もちろん、ロックもやれば、歌謡曲もやる、ジャズもやる・・・っちゅう、ジャンルレンジの広い桑田氏の曲に共感するって言う部分が一番でかいけどさ。

ただ、そんな桑田氏も60を過ぎ、最近は、曲的にすっかり大人しくなっちゃったよなぁ・・・って言うところは残念なところなのよ。 長い事「ストレートにエロ」っていう曲って無いしさ

この辺で、またこの「マンピーのG★スポット」のようなスッチャカメッチャカな曲をシングルにもってきたら、超絶賛ものなんだけどなぁ・・・・。

まあ、最近はこういう曲をやると、ネットにやんややんや書きたがる「炎上」仕掛け人が多いからさ。
それに対してコンプライアンスだかなんだか分かんないけど、出し手はすっかり弱腰になっちゃったからねぇ。
今の時代に、こういう曲をリリースするのは難しいんだろうけどさ。

昔、少なくとも90年代中盤くらいまでは、、こういう「エロエロ」な曲も許される、おおらかな時代だった訳ですわなぁ。



動画・・・・、当然、ようつべにも、ニコニコにも、オリジナルで歌ってる動画はないっ!
でも、最近は、音だけでも・・と探しちゃう訳で。。。

↓ コレ
https://mp3co.ooo/song/15581628/Southern_All_Stars_GSPOTMampie_no_G_SPOT/

どうも、ロシアのサーバーに上がってるもんだと思うけど、よろしかったらどうぞ。
(恐らく、すぐ消されちゃうと思うけど。。。)

うーん、サザンの曲は、いつもこんな感じだから、引っ張って来るの躊躇しちゃって、曲が残っちゃうんだよな〜。



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リンダリンダ / THE BLUE HEARTS

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今回の1曲セレクトは、「リンダリンダ」THE BLUE HEARTSです。

まずはデータだぞっ・・・と。

・タイトル     リンダリンダ
・アーティスト   THE BLUE HEARTS
・作詞       甲本ヒロト
・作曲       甲本ヒロト
・編曲       THE BLUE HEARTS、浅田孟
・リリース日    1987年5月1日
・発売元      メルダック
・オリコン最高位 38位
・売上げ枚数  6.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 ランクインせず。。

既に書いたつもりでまだ書いてない曲があったりする。 
やおら、トートツ気味に入った、今回の1曲セレクトだけど、昨日、帰宅の際、いつものように「ボロボロ」のヘッドホンのウォークマンで87年の曲を聴いてて、ちょっと気になった曲があった。

いや、実は、今回の1曲セレクトは87年の他の曲を引っ張って来るつもりで聴いてたんだけどさ、「あれ? この曲って書いたっけな? 」なんて気になった曲があったもんで・・・。

帰宅ってから、ブログの過去のアーカイブを検索してみたら、あーら、まだ書いて無いぢゃないの・・・ということで、急遽この曲に変更。

その曲とは・・・・THE BLUE HEARTS「リンダリンダ」。

うーむ、なんともはや、これはちょっと不覚だったな。 ・・というか、これまで書いた曲のアーカイブを調べてみたら「ブルーハーツ」の曲は、まだ「TRAIN-TRAIN」しか書いてなかったワイ。

一番売れた、しかもオリコン1位まで取った「情熱の薔薇」さえ、まだ書いて無かったとは。。。。

まあ、それぐらい、ブルーハーツとは、すれ違いだったんだよな、当時は。

すれ違いっちゅうのは、まあ、簡単に言えば眼中になかった・・というか、好みぢゃなかった・・・というか。

それは、今回引っ張って来た、「リンダリンダ」にしても同じ・・・いや、この曲がリリースされた頃は、「一般的認知」として大ブレイクした89年の「TRAIN-TRAIN」よりも、生理的嫌悪感は強かったかもしれない。

この曲は、87年の5月に「メジャー」デビューとしたリリースされた曲・・と言う事になっている。

・・・けど、実際は、これはブルーハーツにとってはあくまで形式的な通過点であって、これ読んでくださってる方の多くは既にご存じであるように、それまでインディーズでは、めちゃくちゃ実績上げてきた訳ですわ、ブルーハーツって。

でもさ、当時のインディーズって、いまのインディーズとちがって、本当にアンダーグラウンドな世界だったわけじゃん。間口がめちゃくちゃせまい・・というか。。 そんなこともあってか、いまでいうラウド系なハードロックなアーティストが殆どだったわけなんですわな。

言ってみれば、メジャー⇒「営利的」なロックのアンチテーゼな世界だった訳ですわ。 巷で言われている「産業ロック」に対してのアンチテーゼと言うところですか?

まあ、ロックの起源からすると、本来のロックは「反体制」であり、自由を追求する非営利的なところから広がった音楽だから、当時のインディーズ系の音楽っちゅうのは、本当の意味でのロックに近いんだけどさ。


でもねえ、個人的なロックとの接点の起源は「ニューミュージック」であり、それは、すでに「体制」に取り込まれた後のロックだったんだよね。そそ、すでに「産業ロック」寄り志向だった訳ですよ。

だってさあ、産業ロックの方が、より音楽的に「ステキ」だったし、なによりもキャッチーで聴いてて気持ちいいんだもん。

というか、逆に当時のインディーズの曲って、やかましい・・・だけにしか感じなかったんだよな。単純にデカイ音量でガナリ続けている音楽。 しても音楽的に高度とか、ステキとは思える音楽ぢゃないように思えたのよ。
そんなところが個人的に響いて来なかったんだろうな。

この曲もねぇ、当時のワタシにとっては、そんな単純に「やかましい」と思える曲の1曲に過ぎなかったんだよなぁ。

うん、そこまでだったんですよ。 きちんと聴いて理解しようとか、そんなことまで思えなかった。


BUT BUT BUT BUT、、、ヒトって変わるんだよね、30年も経つと。。。

上で書いたように、あの当時、とことん生理的に拒否していた、この手の「ラウド」系の曲を、今は普通に聴いている自分が居たりするんだもんな。

正直言って、あの当時の自分からすると、15年後、「FUJI ROCK」とか「ROCK IN JAPAN」なんかの夏フェスに参戦してる自分なんて、全く想像出来ないもの。

うん、今でこそ、夏フェスって一般的に成りきって、アイドルもお笑いも出たりする「五目御飯」のようなアーティストラインナップになっちゃったけど、始まった当初は、それこそ、ラウド系ロックやHIPHOP系アーティスト中心の結構ディープな世界だったからさ。

そんな個人的な音楽志向・・・というか、このテのラウド系も受け入れられた音楽的志向の変化は、2000年代に某着メロサイトの配信楽曲のセレクターを担当した経験が、やっぱでかかったな。
あん時は、自分よりも一回りも下のヒトたちと一緒に曲セレクトやって、大分刺激を受けたからねぇ。 逆に彼らも、こちらの事をリスペクトしてくれてたし。 そんなお互いの刺激し合ったところっていうのが、個人的な音楽の間口を広げてくれたんだよな。




やっぱね、音楽的に聴くと、テクニックが素晴らしいとか、メロディラインが新しいとか、それまでには無かった新しい事をやってる・・・とかは無いんだよ、この曲。

でもさ、きちんと聴くと、引っかかって来るものがあるんだよなぁ。 

なにかっちゅうと「パッション」なんだよね。 うん、そこが、この曲・・・というか、この手のラウド系の曲の一番の「キモ」なんだよね。
「人間臭さ」というかさあ、すくなくとも、初音ミクなんかじゃ、こんな人間臭い、人間が醸し出すグルーヴ感のある曲なんて、絶対出来ないわけじゃん。 そもそも人間が歌ってないし。

この時代、80年代後半以降、この手のラウド系ロックが、アンダーグラウンドからオーバーグウンドに大きく広がって来たのは、この「人間臭さ」って言う部分を求めているヒトが、それだけ増えているっていう現れなんだろうな。 逆に言えば、人間力の無い無機的な曲がそれだけ増えてるっていう現れでもあると思うんだけどさ。

最近、音楽が売れない要因の一つとして、こんな感じで、音楽から「人間臭さ」を感じる曲が減ってきているっていう部分は大いにあるよな、なんて個人的には思ったりするんだよね。


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泣き上手 / 野口五郎

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今回の1曲セレクトは、「泣き上手」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     泣き上手
・アーティスト   野口五郎
・作詞       岡田冨美子
・作曲       佐藤寛
・編曲       クニ河内
・リリース日    1978年5月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月29日〜6月12日付

えー、今回はマクラなしで、のっけから行きますね。

野口五郎 「泣き上手」

先週、秀樹の曲を書いたんで、次も「新・御三家」の曲だよね・・・って、自分の中では決めてたんだよね。なんで、郷ひろみか、野口五郎か・・・ってなる訳だけど、ちょっと前から時期が来たら引っ張って来るか・・・って考えてた曲があったんで・・・・

それが、今回引っ張ってきた「泣き上手」ですわ。

考えてみれば、最近、野口五郎氏の曲、頻繁に書いてるような気がするんだけどさ・・・ このきょくの1曲前の「愛よ甦れ」もちょっと前に書いたしなぁ〜。

いや、逆に言えば、これまで殆ど書いて来なかったんだよな、野口五郎氏の曲は。
新・御三家の中でも、ワタシがまだヒット曲世界にのめりこむ前に、一番早く少し落ち目になっちゃったのが、野口五郎氏で、だから、正直言うと、タイムリーで聴いてた曲ってのが少ない・・・っちゅうこど、これまであんまり書いて来なかった一番の理由なんだけどさ。

ときに、今回引っ張って来た「泣き上手」も、まだ「ヒット曲」の世界に足を踏み入れる前のヒットなんですわ。

うん、ほんのちょっと前なんだけどね。この曲の次の「グッド・ラック」からだからさ、ワタシがタイムリーで聴いた野口五郎氏の曲って。

でもさ、「泣き上手」の頃は、既に「ザ・ベストテン」は始まっていたし。だから、ベストテンの「懐かしの名場面」とかでも、ダイジェストでは見たことはあったし、どんな曲なのか・・・ってのも興味はあった。

ただ、実際に曲を耳にするまでは、大分かかっちゃったんだよなぁ。 ホント最近なんだよね、この曲ちゃんと聴きだしたのは。

個人的に所有している、昔のヒット曲の音源。とりあえず70年代以降のクロニクル的な流れはとりあえず出来ているんだけど、まだまだちょぼちょぼ抜けてる曲があるんですわ。

その一人が野口五郎氏、もう一人が桜田淳子さんだったりするんだよね。 だ、もんで、最近、このお二人の音源を重点的に集めてたりしたわけなんですわ。

で、最近集めた音源の一つが、前回書いた「愛よ甦れ」だったり、今回ひっぱってきた「泣き上手」だったりするんだですわ。

そんな流れでここんところ、頻繁に引っ張ってきてるところが大きいかな。 

でも、とりあえず、「ベストテン」が始まって以来の、音源はこれで一応は集まったんでね、以前ダイジェストでしか聴いてなかった曲もちゃんと聴けるようになったんだけどさ。


そんな中でのこの曲の第一印象・・・・ うーん、「もろ歌謡曲ですねぇ」っちゅう印象。

「愛よ甦れ」の時も書いたような気がするんだけど、これがさ70年代中盤・・・そうだなぁ、75年くらいまでであれば、これはこれで「アリ」だと思うんだけどさ。この曲がリリースされたのは78年だったわけでさぁ。

うん、これも以前書いたんだけども、ヒット曲の曲調って、78年くらいから劇的に変わってくるんだよね。
ヒット曲でも、洋楽的なメロディやサウンド色が俄然強くなってきた訳なのよ。 その中で「歌謡曲」的なサウンドっちゅうのは、ひと時代前の・・・っていうイメージが出てきた頃なんだよね。

保守的、いわいる「アナクロ」的な色合いだよね。  この曲を聴くと、まずはそこに耳が行ってしまう。

つまりは78年っていう時代の色合いに合っているのか・・・っちゅうと、やっぱりズレてるんだよなぁ。
78年のヒット曲の先端は、もっとバタ臭いからさあ。こういう「醤油」系の匂いじゃないんだよね。

だから、うーん、どう考えても「大ヒット」な曲って言う感じではないよね・・・ってなっちゃうんだよね。

まあ、実際、前曲「愛よ甦れ」で落ち込んだ売り上げ枚数が、V字回復にはなっていないし、オリコンでの最高位も前曲同様に「9位」とベストテン入りギリギリのラインで落ち着いてしまってたりする。

だから、全般的にダメな曲なのか・・っちゅうと、正直最初はねそう思ったの。  メロディに字足らずの歌詞があったりして、なんとなしにアンバランスに感じちゃったりもしてさ。

でもさ、何回か聴いてると、どうも引っかかってくるフレーズがあるんだよな。

うん、サビの ♪ そこがいい そこがいい〜 ♪ って部分。

なんちゅうのかなぁ、「そこがいい」っていうコトバが纏わりついて来るんだよねぇ。 

なるほど、この曲の「キモ」はここか・・・・。 なんて、いうのを最近気が付いてきたりしてね。


それとさ、レコード音源で聴くのと、「ようつべ」なんかで動画で見るのと、印象が大分違うんだよな。
動画で見ると、レコード音源で聴くよりも良いんだよ。 音がしっかり1978年のサウンドになってるし。。。

っちゅうか、そりゃ1978年の歌番組の動画なんだから、当時のサウンドであって当たり前なんだけど。。。

なんちゅうのかな、「ウタ番組」ありきで作られた曲っちゅうのかなぁ。 そそそ、テレビの「ウタ番組」で歌われるのを「前提」で作られた曲っちゅうのかなぁ。 そういう印象が強い。

いや、でも、当時のヒット曲ってそう言う曲って多いんだよな。 レコードで聴くとなんかイメージが違う曲って。

うん、テレビの方が断然かっちょいいの。 音が太くて華やかで独特のグルーヴ感があって。。。

そそそ、この「独特のグルーヴ感」、ここにやられちゃったんだよな、当時のワタシは。 それが「ヒット曲の道」に嵌まった最大の要因なんだよなぁ。

いつか、ツイストの「燃えろいい女」を書いた時も同じような事書いたんだけどさ。あの曲もテレビとレコードじゃ、大分イメージが違うんだよな。ワタシは、テレビ、特に「ベストテン」で歌ってた時の「燃えろいい女」が一番好きなんだよな。

もしかすると、この曲もヒット当時例えば「ベストテン」で聴いてたら同じような印象があったんぢゃないか・・・そんな風に思える1曲ですねぇ。




「夜ヒット」、毎度毎度の事ですが、演奏がねぇ・・・やっぱ下手なんだよねぇ。 とりあえずはミストーンをなんとかして欲しい・・・っては、いつも書いてるような気がするんだけど。。。。



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意識的に新曲を聴いています。

人は30歳6か月に達すると“音楽的まひ状態”に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=5147855

基本的にワタシも、昔の曲を頻繁に聴いてる、ここでいう「音楽まひ状態」なんだけどさ。最近、それじゃいけないんじゃないか・・って思って、意識的に最近の「新曲」も聴いてるんだよね。

 たしかに、今の新曲を新たに覚えて、自分の中に取り込んで昇華して行く(理解するって言う意味ですね)にはエネルギーが居る。
10代〜20代の頃はそれも全然に苦にならなかったんだけどね。むしろ楽しかった。でも、50近くにもなって来ると結構苦痛になって来るんだよね。 

逆に過去の曲は自分の中にあるものだから聴いてて楽。 だから、ある程度年を取って来ると新しい曲に触手を伸ばさなくなってくるんだよね。
 
 でもさあ、最近、そんな過去曲にこだわるのにも虚しさを感じてきたりしてさ。
個人的に長年ヒット曲を追いかけて来て、過去曲もかなり掘ったというのもある。過去曲は石油などの天然資源と同じで曲に限りがあるしさ。
その分、ベクトルを今からこの先へ・・って言う音楽の聴き方、昔のような曲の聴き方に戻したい・・・って最近は思ってるんだよね。

平成って言う時代が終わろうとしてる今、どうあがいても「昭和」って言う時代は戻ってこない訳だしさ・・・っていうのに気が付いてきたってのもあるのかもな。

情熱の嵐 / 西城秀樹

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今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


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サマータイムグラフティ / TOM CAT

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今回の1曲セレクトは、「サマータイムグラフティ」TOMCATです。

まずはデータですら。

・タイトル    サマータイムグラフティ
・アーティスト   TOMCAT
・作詞      TOM
・作曲      TOM
・編曲      Light house
・リリース 日  1985年4月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数  13.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:JAL沖縄キャンペーンソング

一発屋、最近では殆ど聴かなくなった「呼び名」ですわなぁ。そそそ、大ヒットと呼べる曲が1曲しか持っていないアーティストですわ。

ヒット曲のデータも、オリコンだけでも今年で50年、半世紀分溜まれば、さすがに各レコード会社も一発屋対策っていうのは、過去のデータから考えるよなぁ。
 最近は過去の例から「一発屋」で終わりそうな匂いのするアーティストは、端からデビューさせないっということ、あるいは持ち出し覚悟で一発屋にならないよう無理やりにでも他の曲をヒットさせ、アーティスト寿命を延命させたりするんで、昔のような一発屋は最近は出ないような流れになってきているっいうのが大きいんだよね。

昔はいっぱい居ましたよねぇ、「一発屋」と呼ばれるアーティストが。

これまでも「一発屋」のアーティストの曲をかなり書いてきたんだけどね。
特にヤマハ「ポプコン」系のアーティストには、一発屋が多かったですよねぇ。

なぜか? 

まあ、答えは明確。通常は「ポプコン」でグランプリを獲得した曲がそのままデビュー曲となって、それが大ヒットとなるケースが多いんだけど、グランプリ獲得っていうのが、そのアーティストにとっての「ピーク」だったってこと。それだけ一世一代って感じで作った曲だったんでしょうね。 曲を作るって上で、それを超える曲が出来ないって事。 それが、続けてヒット出来なかった一番大きな理由ですね。

特にポプコンも後半になると、グランプリ獲得曲は、ある意味「奇抜」という意味で強烈なインパクトの曲が多かったですからねぇ。それを超えるような曲って通常は、難しいですわなぁ。

まあ「ポプコン」って、正式名称「ポピュラーミュージックコンテスト」の略。つまりはコンテストな訳ですわ。コンテストでグランプリを取る事と、曲をヒットさせる事って言うのは、そもそも根本的に違うからさ。
たまたま、ポプコンでグランプリを取った曲で大ヒットになった曲が多く出るような流れが存在していたわけでさ。第2弾からは、否が応でも端から「ヒット」させる曲作りとなる訳で、考え方が変わりますからねぇ。


今回は、そんな「ポプコン」グランプリ獲得アーティストの大ヒットの次の曲を一つ。

TOMCAT 「サマータイムグラフティ」。

TOMCAT・・・と聞いて、すぐにハイハイハイ・・・って思う方、同世代ですよねぇ

1984年10月 第28回ポプコンで、「ふられ気分でROCK'N ROLL」でグランプリ。翌月11月に同曲で早くもデビューした人たちですね。

そそそ、連射砲のような早口極まりないAメロ とサビで「たかがロックンロール、されどロックンロール」いいきっちゃったのが受けて()、いきなり37万枚の大ヒットとなったあの曲ですわ。

あの連射砲のようなAメロのインパクトが強烈だったことが大ヒットの大きな要因だった訳だけども、逆に言うと引っかかる部分って言うのは、「そこ」だけとも言えたんだよね。

つまりは、これまた「一発屋」の匂いがプンプンしたわけなんだけども。。。

今回引っ張ってきた「サマータイムグラフティ」は、それを受けてのデビュー第2弾シングル。

うむ、いやがおうにも「注目」してしまう・・・、いやメディア的に注目されちゃう曲でしたわね。

結果から言うと・・・、オリコン最高13位とベストテン入りならず、売り上げもデビュー曲の1/3以下程度の13万枚・・・・やっぱりね・・・っていうところだった訳だけども。

ただね、個人的には、もうちょっと行ってもおかしくなかったかな・・とは思ったんだよね、当時。

というのも、JALの「沖縄キャンペーン」のCMに使われたからなぁ、この曲。 

 ♪ シャララルンララ 光る朝 シャララルンララ ハレーション〜♪ っていうファルセットでかけあがるサビの部分がテレビから、かなり頻繁に流れてたしねぇ。

強烈なインパクトなデビュー曲に比べると、流石に弱い者の、この曲のサビの部分もそれなりのインパクトはあったからなぁ。 ファルセットっていうのは、全くの予想外の展開だったし。

当時、この時期の航空会社のキャンペーンソングって、毎年ヒットしてたったのも追い風に感じたしな。
(83年 山下達郎「高気圧ガール」、84年 石川優子&チャゲ「ふたりの愛ランド」)

たださ、デビュー曲と毛色が変わったね・・・って思えるのは、そんなサビのファルセットの駆け上がりの部分だけなんだよな。
他、全般的には「ふられ気分で〜」の焼き直しだよね・・・って言うイメージが先に立っちゃったりして。

まあ、これでは「ふられ気分で〜」を上回るのは難しいわなぁ・・・・。



なんと、この曲には「PV」があったんだな。これは初めてみましたぞ。
やっぱり1曲大ヒットを飛ばすと、PV作ってもらえたんだな。  
まあ、今となっては「ベストテンのセットか」って思えるようなチープな映像だけどさ。

しかしさ、この鋭角でエッジが立ったような硬質感、YAMAHA「DX7」の独特のサウンドは如何にも「1985年」って言う時代の音だよね。なんて言うのかなぁセラミックのような音っちゅうのかなぁ。硬質だけども軽いんだよ。

知らない曲でも、こんなサウンドな曲であれば、すぐに時代が分かるもんね。 「あ、84年〜85年の曲だ」っちゅうのがさ。


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あまく危険な香り / 山下達郎

1982_06_あまく危険な香り_山下達郎



今回の1曲セレクトは、「あまく危険な香り」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     あまく危険な香り
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日   1982年4月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数 23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:TBS系ドラマ「あまく危険な香り」主題歌

なかなか理解しがたい曲。長年ヒット曲を追って来ると、必ずそう言う曲に遭遇するんだよね。
大体はそれまでに自分の中に無かったような曲の場合が多いんだけど、理解するだけの知識、経験が無かったって事もあるなぁ。
 特に、まだガキの頃には、理解するだけの経験・・というか、この場合は理解力っていうのかなぁ・・それが無かったために、よく分かんなかった曲っていうの往々にしてあったな。 まあ、それは、生理的にキライっていうのと、また違った感覚なんだけどさ。

今回は、そんな曲を持って来ましょうかね。

山下達郎 「あまく危険な香り」。

1982年の4月にリリースされたこの曲。TBS系金曜22時〜、いわいる「金ドラ」で同時期放送されていた「あまく危険な香り」っちゅう、同名タイトルのドラマの主題歌でしたよね。

当時、ワタシは中学1年に上がったばかり、12歳でしたわ。 もちろん、まだこのドラマは見てない。
うん、個人的にドラマに嵌まりだしたのは、この約半年後、同じくTBS系で放送されていた火曜日の「大映ドラマ」からだったからなぁ・・・。

おーっと、話が脱線しちゃうぞ・・・。元に戻す。

でね、この「あまく危険な香り」って曲。 曲自体は当時から知ってた。 うん、当時の月刊・明星付録の歌本「Young Song」にも譜面付きで載ってたしなぁ。

それに当時、すでにTBSラジオの「ザ・ヒットパレード 毎日がベストテン」は聴いてたしね。そこでもこの曲は流れてたような気がする。

でもさあ、当時は、この曲全然理解できなかったんだよねぇ。

ジャズでもない、ニューミュージックでもない軽いノリ。ラウンジっていうのかなぁ。いわいるAOR的なサウンドだよね。 抑揚も少ない、分かりやすいキャッチーなノリでもない。

12歳のワタシにとっては、一体どこが良いのかさっぱり分かんなかったなぁ。

あの当時はといえば、やっぱ「まっち先生」でありトシちゃんであり、聖子ちゃんであり、奈保子ちゃんであり・・・やっぱアイドルだったんですよ、ワタシの中のメインストリームは。

そそそ、山下達郎氏の同時期の曲といえば、この「あまく危険な香り」よりも、まっち先生の「ハイティーン・ブギ」だったからなぁ、当時のワタシは。

なんと言っても分かり安かったからさ。特に何も考えなくても自分の中にスーッと入って来たっていうかね。
キャッチーということは、やっぱり何も考えなくても浸透力があったしね。 そそそ、アブラを吸うスポンジのような音楽ですよね、言ってみれば。

それに比べると、この曲は、なかなか体の中には浸透してこなかったんだよなぁ。 それがねぇ、もどかしいところであったのかもしれない、今思うと。

上でも書いたように、決してキライな音楽じゃ無かったんですよ。 ラヴンジ系っぽい音楽ってオヤジの車で良く流れてたからなぁ。 カーステというよりはラジオから。 どのチャンネルを聴いてたのかはよく覚えてないんだけど、ラウンジ系っぽい曲とか、AORっぽい、小ジャレた大人向けの音楽っていつも流れてたんだよな。
だから、生理的にキライぢゃなかった。

けど、当時、まだ福島の田舎にいたワタシにとっては、こういうオシャレな雰囲気は日常には無かったからなぁ。そんな環境下にいたこともこの曲をいまひとつ理解し難くさせていたのかもしれない。

まあ、それよりも何よりも、テンションコードだらけ、右脳で整理しないと理解できないようなこの曲を租借出来るだけの音楽解釈が、当時はまだ出来なかったんだよね
 
正直言って、この曲、「あ、いい曲だな」って思えてきたのは、最近だもの

最近はウルサイ曲も聴き飽きたしさ、ましてや子供向けのアイドル曲もアニメ曲も受け付けなくなってるし。
逆に、こういう抑揚の少ない大人の雰囲気の曲の方が落ち着く。
まあ、最近は、この手の大人向けの曲が、ヒットチャートの上位に少なくなっちまったっていうのは残念なんだけどね。

ただ、大人向けの曲っちゅうても、当時、達郎氏って29才なんだよな。うん、まだ30前だったのよ。
それを考えたら、今でもこういう大人っぽい曲が出て来ても全然おかしくないんだけどねぇ。 当時のミュージシャンが今よりも大人だったのか、今が子供っぽくなったのか、それは分かんないんだけど・・・。



ときに「あまく危険な香り」ってどんな香りなんでしょうかねぇ・・・。
少なくとも「シャネルの5番」ぢゃねーよなぁ。

・・・ってか、それも理解できない事には、本当の意味でこの曲を理解できないか。。。

個人的には、「ムスク」の香りを想像しちゃったりするんだけど。。。っつか、この匂いが、未だにワタシにとってのPerfumeなんだよなぁ、完全にガキっぽいけど。。。

え?  Perfumeっつても、ノッチ、あーちゃん、かしゆかぢゃねーよ。





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