かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年12月

タブレッドで閲覧される場合にご注意ください

これまで、あまり気にしていなかったのですが、ここのブログ、画面サイズが少なくとも8インチ以上のタブレッドの閲覧する場合、表示レイアウトが崩れてしまっております。
 特に、初めの画像挿入している周りが崩れてしまうようですね。

これについて、対策を考えたいと思いますが、もし、見づらい場合は、PC版で閲覧いただけるようお願いします。
閲覧いただいている皆さんにはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願います。

なお、スマホでの閲覧では問題なさそうです。

北の宿から / 都はるみ

1976_12_北の宿から_都はるみ


今回の1曲セレクトは、「北の宿から」都はるみです。

まずはデータですね。

・タイトル    北の宿から
・アーティスト  都はるみ
・作詞      阿久悠
・作曲      小林亜星
・編曲      竹村次郎
・リリース日   1975年12月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 143.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年5月3日、5月24日〜1977年2月7日付

今年のレコード大賞も決定しましたね。西野カナさんということで。
まあ、顔ぶれからすると宇多田ヒカルかな・・・っていう線が一番強かったと思うんだけども、宇多田がアルバム大賞に選ばれてしまったんで、これは変化球で来るかな・・・と思ったらビンゴでしたね。

・・というか、今回の大賞候補のエントリーを見る限りではこれが妥当な線なんだろうな。

その前に、5日開かれていた有線大賞も西野カナだったんだよね。この事を知って、これはレコード大賞も西野カナかな・・・とは思ってたんだけどさ。
・・というのも、有線大賞を主催しているキャンシステムと、レコード大賞を放映しているTBSは「懇意」の仲ですからねぇ。 だから、ここんところずっとレコード大賞の「新人賞」って、キャンシステムのリクエストランキングで上位に来ているヒトたちばかりだし(今年も含めて)。 

 うん、新人賞ばかりでなく、大賞候補の10曲も大体がキャンシステムで強いヒト達ばっかなんだよね。
だからねぇ、レコード大賞なのか、有線大賞なのか、よく分かんない状態なのよ。

そこからすると、有線大賞をとった、西野カナが、レコード大賞も取るんじゃないか・・・とは思った訳なんだけどさ。


ところで、レコード大賞も今年で58回目ということで歴史が長くなりましたわな。
過去を振り返ると、やっぱり「栄光」と「権威」があったのは、70年代から80年代前半までって感じなのかなぁ。

まあ、変化球のレコード大賞っていうのは、何も今に始まった事ではなく、昔からそうなんだけどさ。
つまりは、レコード大賞と銘打ちながら、その年で「一番売れた」曲が、必ずしも大賞を取ると言う訳ではない事。

それでも、昔は大賞受賞曲は、それはそれで納得行ってたんだよな。 ・・・というのも、その年で一番売れた曲ではなくても、一番「ヒット」した曲であった事、または、それに準ずる曲であった事が多かったからなんだよね。

特に、「ザ・ベストテン」が幅を聴かせていた、1981年〜1984年までは、ザ・ベストテンの「年間1位」だった曲が、いずれもレコード大賞を受賞してたりするし。

つまりは、レコード大賞といいながら、実際は、「ヒット曲大賞」っていう意味合いが強かった時期があったんだよね。だから、見てたこちら側も、大賞曲に異論は感じなかったし。。。
(それ以前に、オリコンチャートは、まだ業界人向けの代物で、一般人が、どの曲が何枚売れてるかなんて、知ってるヒトの方が非常に少なかったのだが。。。)

そんな「権威」があった頃のレコード大賞だけど、その当時を含めて、今もそうだけど、大賞を取った時期と、ヒットのピークが重なった事・・・ つまり、レコード大賞を取った時期、まさに、ヒットの頂点だった曲って、少ないんだよなぁ。

今回は、そんな曲をピックアップ。 (あー、前置きが超長かった。。。。

都はるみ「北の宿から」。

なんだ演歌じゃん・・・・なんて言わないでね。

いや、書いてるこっちもそうだったんだけども、当時・・というか、ワタシが子供の頃は、演歌もまだ十分求心力があったし、ヒットチャートでも普通に上位にランクインしてたし、だから、普通にラジオでかかってたし・・・。
そう言う意味では、全然、違和感がなかったんだよな。

だから、演歌だから毛嫌いしてた事は無かったんだよな。 うん、この曲にしたって、普通に大ヒット曲っていう感覚で見てたし。。。 その辺は、もしかしたら、ワタシらよりも下の世代では、理解できない感覚かもしれないな。

なにせ80年代後半以降、演歌ってポップスから切り離されて、求心力を急速に失われて行ったからさ。

いずれにしても、この曲、1976年、第18回のレコード大賞、大賞受賞曲なんだけどもさ。この受賞か決まった頃、ヒットの「ピーク」だったんだよな。
ワタシのチャートでは、2位までしか行かなかったけど、オリコンでは、丁度1位を獲得してた頃だ。

リリースされたのは、前年の1975年12月だから、丁度1年越しで、ヒットのピークを迎えたことになる・・なんていう超ロングヒットだったんだよね。

Wikipediaにも書いてあるけどランクインしてから、44週かかって1位までたどり着いた・・・という。
ちょっと考えられないようなチャートアクションを展開した曲なんだよね。

リリースしたのが「冬」でしょ。 まあ、曲の内容とは完全にシンクロした時期のリリースではあったんだけども、何分、ただでさえ演歌ってチャートアクションが遅いからさ。 
 チャートアップしてきたころには、既に夏に差し掛かってきた頃なんだよね。

そんな夏場に「冬」の曲を聴かされてもなぁ、ピンとこないのは当然な訳で、そこで暫く足踏みしてしまう。 

ただ、この曲が凄いのは、そんな足踏みした状態でも、決してランクダウンの傾向を見せなかった事。
これはね、脅威的なことなんだよね。

なぜ、曲内容と季節感が相反していた、ぱっと見、厳しい時期に、ランクダウンしなかったのか? ・・・というのは、正直、当時、まだヒット曲の世界に足を踏み入れておらず、リアルタイムにヒット現象を感じていた訳ではないんで、よく分かんないんだけどね。それだけ、この曲が一般性を持った曲だったんだろうな。

で、秋が過ぎ、冬の足音が近づく頃、一気にチャートの頂点に駆け上がる。 うん、まだ再び、曲内容と季節がシンクロした訳なんだよね。

そこに、レコード大賞受賞が重なった・・・って訳なんだよね。 まさにドラマティックな展開での受賞・・・・そんな印象が、この曲では強いんだよな。

この1976年っていうのは、ヒットチャート史上特異な年で・・・。というのも、「およげ!たいやきくん」が450万枚なんて空前絶後な売り上げを記録したり、洋楽のダニエル・ブーン「ビューティ・フルサンデー」が15週連続で1位とったりね。

だから、そう言う意味では、本来の「売り上げベース」で考えると、この曲がレコード大賞をとるのはまずあり得ない状態だった訳なんだけども。。。

それでも、大賞を取ったということは、大賞を取るまでのヒットの過程が認められたって事なんだよね。
うん、派手に売れなくとも、地道にチャートの上位で粘りに粘っていれば、それだけ曲が一般に浸透していく、つまりは「ヒット」して行くって事なんだよね。 その典型的な例がこの曲だったってわけなのよ。

「売れた曲」と「ヒットした曲」は違うと言われるのは、ココの部分なんだよね。その曲がどれだけ一般的に「浸透」
していっているのか否か。

ワタシのチャートで、連続してベストテン内にランクインしてた期間は1976年5月24日〜翌年1977年2月7日までの37週間。
 これは、あれから40年経ったいまでも破られていない、1曲での連続ベストテン入り記録なんだけどさ。

でも、大部分は5位以下なんだよね。つまりは、チャート上位で派手に売れてた期間は少ないって事。 地道に売れてた曲なんですよ。 その間に、幅広く「大衆」の浸透して行って支持されてた曲って訳なんだよな。


ちなみに、レコード大賞受賞した時期が、その曲のヒットのピークと重なった曲って、この曲だけかと思ったけど、よくよく考えてみると、もう1曲あったんだよね。

第14回大賞受賞の、ちあきなおみ「喝采」。これが、大賞受賞と、ヒットのピークが重なってたんですよ。
無論、以前「喝采」をココで書いた時にも言及したんだけども、丁度、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」が16週連続1位なんてとんでもない記録を作ってた時期とパッティングして、11週連続2位なんて記録をひた走っていた途中の時期ですわ。

この2曲だけなんじゃないかなぁ。 大賞受賞とヒットのピークが重なった曲って。

無論、オリコンがスタートする前、1967年以前はよく分かんないですが。。。。


いずれにしても、記録にも記憶にも残る1曲であることは、間違いないんですよね。





それにしても、この曲と言ったら、ウチの死んだオフクロがよく歌ったんだよなぁ。
オフクロ、ずっとPTAの役員なんかやってたんで、家がPTAの溜まり場になってたりして、よく宴会やってたんだよ。
で、宴会が始まると、やっぱ、ウタでしょ。 当時はまだ、家庭用のカラオケもそれほど一般的じゃなかったんで、アカペラだよね。 よく、みんなでこの曲歌ってたんだよな。
 だから、この曲というと、あの頃、家で開いてた宴会を思い出すんだよな。

それと、また、手前味噌になっちゃうけど、ワタシのチャートで40年間君臨してた、オールタイムランキングの1位の座を、今年まさかSMAPの「世界に一つだけの花」に更新されるとはねぇ。。。
上で書いたように、ベストテン連続ランクイン記録を考えると、もう永遠に抜かれることは無いかも・・・と思ってたんだけどねぇ。
それだけSMAPの「世界に一つだけの花」って曲も凄いってことなんだよな。「記録にも記憶にも残る」ような曲と言う意味で。


(注)↑これ書いたときはSMAPの「世界に一つだけの花」がオールタイムランクの1位だったけど、現在は、米津玄師「Lemon」が1位に変わりました。。。



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想い出の冬休み / 西村知美

1987_12_想い出の冬休み_西村知美


今回の1曲セレクトは、「想い出の冬休み」西村知美です。
まずはデータでする。

・タイトル     想い出の冬休み
・アーティスト   西村知美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1987年11月16日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   3.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位



気がついてみれば、朝4時。眠れないまま、1曲セレクトを書いてるワタシは、完全に休みモードだわな。
・・・と思ってたら、新聞屋が朝刊配り出し始めた。もう朝だねぇ。 今晩はこのまま起きていようか。

今年もあと2日を残すのみ。昨日は、今年はここまで長かった・・・なんて書いたんだけども、あれはあくまで「仕事」が長かった・・・ということで、プライベートでは、やっぱ1年、「あっという間」って感じでしたよねぇ。
さっきも池上彰の「今年のニュース総ざらい」を見てたけど、今年の1月、2月あたりのニュースは、てっきり去年だと思ってたのもあったりしてね。ますます、加速度的に時間が過ぎて行くようになってきてますわ。

それはそうと、学生の皆さんは、ちょうど冬休みだよなぁ。 そう言えば、学生の頃の冬休み・・・特に、まだ年が明ける前の時期、12/30とか31って、なんかワクワクしてたよな。 新しい年に向かってのカウントダウンが、なんか新しい世界への扉をあけるような、どっか異次元の世界に行くような感じに思えてね。ワクワク感があったんだよね。
ま、今となっちゃ、そんなワクワク感も無くなっちゃったけどさ。。。 年越しは年越しじゃんよ・・・とか

うーん、ワタシもすっかり枯れて来ちゃいましたね。。。。


ということで、今回の1曲セレクトは、そんな学生時代のワクワクした「冬休み」を歌った歌をひとつ。

西村知美「想い出の冬休み」。

う〜む、果たして、この曲を覚えている方がどの位いらっしゃる事やら。。。。 今から29年前、しかもオリコンでベストテンにも入らなかった、この曲なんで。。。
うんにゃ、その前に、オリコンベスト100に、わずか「3週間」しか入らなかったこの曲なんで。。。

ま、今なら、オリコンの100位以内に3週間しか入らない曲もザラなんで、感覚的にそんなに珍しとは思わなくなった、完全に感覚がマヒしたワタシが居たりするんだけどね。

たしかに29年前当時も、「レコード」不況と、アイドル全盛の流れの中で、相対的にチャートは流動的で、ランクイン期間が短くなっていた傾向はあったけども、さすがに「3週」で100位から姿を消していた曲は、そんなに無かったんだよな。

でもね、この西村知美さんは、そんな曲が多かったんだよな。「初登場」のときだけ、そこそこ売れて2週目以降はぱったり売れなくなるっていう。

結局は、一般的には広がらず、トロリン(西村さんの愛称ね)の熱烈なファンだけがレコードを買うっていう傾向だよね。

だからね、熱烈なファン以外は、曲をほとんど知らない・・・という。

 ただ、ウタ以外で、テレビにはよく出てたからな、このヒト。 うん、あのヒトより「2歩、3歩遅れた」反応のトボケタキャラクターが受けてたし、ま、とりあえず発売した週だけは、ザ・ベストテンにも入ってたからさ。

そんな感じだったんで、個人的にも曲は、そんなに覚えてないんだよな、このヒトの曲は。ま、そもそも、ウタはね、「アレ」なんで・・・。 え? 分かんない? うん、ウタはね「ヘタ」なんでさ、このヒト。
どの曲も同じような聴こえちゃったりするんだよな。

あー、老化現象。。。。 と今では言えるんだけども、当時、ワタシは18才でしたからねぇ。さすがに老化現象ではなく、実際のこのヒトの曲ってどれも同じような聴こえたのよね。
まあ、よく言えば、どの曲にも見られたようなホンワカしたイメージの他にないキャラクターだった事、実際的に言えば、やっぱり、基本となる「ウタ」がね、まともに歌えなかったんで、同じようなイメージの曲しか歌えなかったんだろうな。

そんな同じような曲が並んでいる中で、なぜかこの曲は、よく覚えてるんだよな。

ここでは何度も書いてるように、1987年の冬というと、個人的には大学受験直前ってことで、訳が分からなくなってた頃ですわ。現役で受かんなきゃいけない・・・って言うプレッシャーと、(まともに勉強してなかったんで)ダメだろうな・・・なんていう諦めとが、頭ん中で交差してる毎日でさ。

そんな日々の中、頭ん中でグルグルとヘビーローテーションしていたのが、この曲だったんですよ、なぜか分かんないけど。。。。。

この曲の「牧歌的」な雰囲気に、非日常性を感じてたのかもしれない。

いやいや、逆だ。 当時の訳分かんなくなってた日々が非日常的で、この曲に本来の日常性をかんじてたんだよな、きっと。

だってさ、本当は、こういう牧歌的な日常を送りたかったんだもん。まあ、一種の逃げ口上なんだけどさ。

それが羨ましかったんだよね、きっと。

そもそも、セーラー服姿のジャケ写からして牧歌的じゃん。 うん、時代は一世代遡るけど、壷井むつ美さんの「自転車通学」っていう、本当に知ってる人ししらないような曲のジャケ写に似てるような。。。

img_2[1]


実際曲的に、80年代というよりも70年代なんだよね。原田知世の「撫子純情」って言うタイトルじやないけど、センパイに向かって、純な感情を歌っている曲なんて、87年当時でも既に絶滅してましたからねぇ。

こんな一世代前のアイドルの曲を提供したのは、一体誰?  ・・・と思ったら、

作詞 松本隆   作曲 筒美京平  編曲 武部聡志

なんちゅう、超ゴールデントリオぢゃないの。 もろ斉藤由貴さん布陣の。。。

それにしては、なんてアナロクな曲なんでしょ。
純情というか、田舎的・・・というかさ。。。。上で書いたように、87年当時、既にこんなに純粋な女子高生なんて、少なくとも都会周辺には居なかったょナァ・・・。 とか丁度、高校生だったワタシ思ったりしたもんだけどさ。

ただ、松本隆氏って、「田舎」の女の子像を書くのが上手かったからなぁ。 うん、その昔、太田裕美さんの一連のヒット曲に出て来る女の子って、大体が「田舎もん」だっだしゃん。
「木綿のハンカチーフ」にしても「赤いハイヒール」にしても。

そう言うイメージに似てるんだよね、この曲のイメージって。

そういう「田舎もん」な女の子像を書くとき、必ずコンビを組んでいるのが筒美京平氏・・・って言う感じで、そんな田舎の女の子像を「音楽」として表現するのが筒美氏って抜群にうまいんだよね。
 思わず、田舎の景色が浮かぶんですよ。うん、福島の田舎出身の、田舎もんのワタシが言うんだから

ちなみに、両者とも東京出身であり、本来は「田舎もん」じゃないわけで・・・、不思議なんだよね。
本来なら、めちゃくちゃシティポップスな筈の二人なのに。

この曲もそうだけど、次の「さくらが咲いた」もこの曲と同じ「トリオ」の作品だけど、やっぱり田舎くさかった。

でも、個人的には、やっぱり引っかかった。

結局さぁ、西村知美さん時代が牧歌的なんだよね。そそそ、田舎の撫子純情なイメージなんですよ。
そんな訳で、都会の女の子・・・というよりは、こういう田舎くさい曲の方が合ってたんだろうなぁ。

でも結果としては、売れませんでしたけどね。。。

その辺は、トロリンの熱狂的なファンとの意識がずれていたのかなぁ。。。いくら曲が本人と合っててもファンの好みとズレでるとねぇ。。。そこが難しいところではあるんだよな。

  

 

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北駅のソリチュード / 河合奈保子

1984_12_北駅のソリチュード_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「北駅のソリチュード」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    北駅のソリチュード
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年12月5日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 11.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月17日〜12月24日付



今年の仕事も今日まで。先ほど納会が終わって帰宅したんですが、ここまで長かったですわ。
時間の経過は、年を取るごとに早くなるんだけど、こと、仕事となると長いですねぇ。やっと年末年始休暇だぁ・・って感じですよ。
 ここんところ、この1曲セレクトも、仕事の忙しさにかまけて、間が空いてますからねぇ、この休み中は出来るだけ更新するようにしたいですわね。

ところで、ワム! のマイケル・ジョージが亡くなってしまいましたね。 
今年は、ミュージシャンの訃報が本当に多い。まさか、この暮れになって、ビックアーティストの訃報が届くとは。。。

まあ、個人的には聴く音楽といえば、圧倒的に 「洋楽 ≪ 邦楽」 なんで、それほど接点があった訳ぢゃない。
そんなワタシでも、ワム!くらいは、耳にしてたからなぁ。84年〜85年にかけて。
時代はアメリカンロックよりも、UKシーンが元気だった頃だ。

「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「フリーダム」そして「ラスト・クリスマス」。 

この位は、いくら圧倒的に邦楽よりなワタシでも、聴いてましたからねぇ。 特に「ケアレス・ウィスパー」だよね。

日本では84年の丁度今頃ヒットのピークだったよなぁ。 本家「ワム!」だけぢゃなく、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もこぞってカバーしてたしさぁ。

やっぱ、あのイントロのブリブリのサックスが堪らんのよね。 あのブリブリ、せくすうぃーなサックスからエロチックとも思える世界が広がって行く。これが堪らなかったのですよ。年齢的に「性」の目ざめま頃だったしね。

ま、そんなこともあり、やっぱジョージ逝去のニュースには驚きだったんだよな。 まだ53歳でしょ、若すぎるよな。


とろこで、↑で、84年の今頃、日本では「ケアレスウィスパー」付いていたって書いたんだけども、なにも、「本家」のカバー曲ばかりだった訳じゃない。
「疑似的」ケアレス・ウィスパーな曲もあったんだよね。 こんな回はそんな曲をセレクト。

河合奈保子「北駅のソリチュード」。

まあ、この曲に関しては、以前から「ケアレス・ウィスパー」に似てると言われている訳で、恐らく他のヒトのブログでも同じような事が書かれているかもしれない。けど、まあいいよね。。。って前回も同じような事書いたよな

この曲が、「疑似」ケアレス・ウィスパーって言われているのは、やっぱ、イントロだよね。

「本家」と同じような、ブリブリな泣きのサックスが際立った。 しかも、フレーズが「ケアレス・ウィスパー」そっくりなんだよね。

これ、パクリだよね・・・。ってだれでも気がついてしまうような。 

まあ、全く同じフレーズではなく、「似たような」なので、完全な「パクリ」とは言えないんだけども。

だけど、当時、これを聴いて、「筒美氏、仇といなぁ」と思ったよなぁ。
どう聴いても「ケアレス・ウィスパー」だしさ。 

で、一方では、この曲と同時期、松本伊代の「ビリーヴ」では、ボニータイラーの「ヒーロー」だったわけじゃん。
うん、84年のアイドルに大人気だった「ヒーロー」

こうみると、この時期って、同時期にヒットしていた洋楽のパクリ的曲が人気だったんだよな。
ま、パクリだけでなく、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」、MIEの「NEVER」、 麻倉未稀の「ヒーロー」と実際の向こうのカバーも大人気だったしさ。

そう見ると、84年って洋楽にコミットした年だったんだよね、邦楽ヒットも。

だけど、ヒットさせるにはどうすればいいか・・・ということで、向こうのヒット曲のいいとこどりが、すなわち歌謡曲・・・という概念から見ると、正攻法だし、如何にも筒美氏らしい切り口だったんだろうな。
 それだけ、「ケアレス・ウィスパー」のイントロが、セクシーさを際立たせると言うところで、印象的だったって事なんだろうな。

ま、確かに、アレンジャーは萩田光雄氏だけど、これは、作曲の筒美氏からの指示っていうのは手に取りように分かるしなぁ。

そんな、「ケアレス・ウィスパー」なイントロに比べると、本編のメロディは、正直あんまし面白くないんだよな。
ま、あ、個人的な印象ではってところだけどさ。

以前も、河合奈保子さんの他の曲でも書いたんだけど、この頃、「ポップス」さっていうのが感じ無くなってきてたんだよね。 この曲なんてのは、ほとんど「歌謡曲」っていう印象だったしなぁ。

当時から筒美フリークだったワタシなんだけど、この曲はちょっと違うんじゃないかなぁ・・・って思ってたんだよね。
河合奈保子さんは、歌謡曲路線じゃない、このヒトは絶対にポップスって思ってたからさあ。

確かに、デビュー5年目ということで、「コドモ」なアイドルからアダルト路線への脱皮っていうところは分かる。
けども、その脱皮の仕方があまりにも急だったし、個人的に合わないと思っていた「歌謡曲」路線な感じが強かったし。
なんかね、奈保子さんが、急に高田みづえ見たいに思えてきちゃったりしたんだよな。 

それは違うだろう・・・ってさ。

だから、この曲は、当時からほとんど聴いて来なかった。
丁度、高校受験の切羽詰まった時期でもあったんで、気分的にヒット曲って言うどころぢゃなかった所もあるけど。。
無論、音源も持ってなかった(最近、リリースから32年にしてやって手に入れたけど。。。)

でも、今聴くと、32年前、当時15才だったワタシが聴いた感じとは、ちょっと違うんだよな、印象が。

うむ、これはこれでありなのかも。。。と。 うーむ、やっぱそれだけ年取ったって事なのかなぁ、歌謡曲路線に寛容になったところはあるわな、ワタシも。

それよか、今聴くと、80年代中盤頃のオーソドックスとも言える、メロディラインなんだよな。 イメージ的に85年の秋〜冬って言う感じなのかなぁ。しっとりとこぬか雨に濡れたような・・・。
このイメージ、84年のこの曲がヒットしてた頃には、無かったイメージなんだよな。
84年は、確かに秋から冬にかけてはダークで暗いイメージになって来てはいたけども、こういうしっとりと濡れたイメージは無かったんだよな。

もしかしたら、この曲がヒットしてた頃は、まだ違和感を感じてたのかもしれない。その違和感が「ちょっと違う」って感じたのかもしれないなぁ。

 例えば、この曲が1年後の85年の同じ頃にリリースされていたら、それほど違和感は感じなかったのもかもしれないな。
 
まあ、1年後、中森明菜が、この間ここで書いたように「Solitude」って同じようなタイトルをリリースしちゃってたけどさ。



まあ、ごちゃごちゃ書いて来ちゃったけどさ、実際にVTRみてみると、この当時の河合奈保子さんの圧倒的な歌唱力が、やっぱり目に付いちゃうよね、結局のところ。
 いろんなウタ番組に出てたけど、個人的には、やっぱ、このVTRの「ベストテン」のオーケストラとの相性が一番しっくり来るな。


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サイレント・イヴ / 辛島美登里

1990_12_サイレント・イヴ_辛島美登里


今回の1曲セレクトは、「サイレント・イヴ」辛島美登里です。

まずはデータですよ。

・タイトル    サイレント・イヴ
・アーティスト  辛島美登里
・作詞      辛島美登里
・作曲      辛島美登里
・編曲      若草恵
・リリース日   1990年11月7日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  80.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月19日〜1991年1月28日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「クリスマス・イブ」主題歌

前回書いたブリグリの「angel song」、あんまり響かなかったようだなぁ。クリスマスソングは、クリスマスソングでも、最近あんまり流れてないクリスマスソングってことで、引っ張ってきたんだけども、ちょっと変化球過ぎたかな。
 ・・・ということで、少し軌道修正。 クリスマスソングでも、今回はもうちょっとストレートに行ってみましょうかね。

辛島美登里 「サイレント・イヴ」。

他のヒトのブログを見ると、クリスマスシーズンの昨今、他にもこの曲書いてる方を結構見かけるんだよな。
なので、「いまさら〜ワタシが書くのも〜」とか思ったりもしたんだけども、まあ、たまには他のヒトと被ってもいいか・・・などと思ったりして引っ張って来ましたわ。

それ以前に・・・この間も、2005年にmixiで「1曲セレクト」を書き始めた時、2週間近くクリスマスソングばっかりセレクトしてたって書いたんだけども、その中にこの曲は無かったんだよな。

1990年のクリスマスシーズン、ヤマタツの「クリスマスイブ」と並んで、ダントツに人気があったこの曲だった訳でさ。
オリコン1位、80万枚もの大ヒットとなったこの曲なのに、書いてなかったんだよな。

なぜか?

最近の1曲セレクトの流れで行けば、個人的にあんまり好みじゃなかったから・・・・と言いたくなりそうなんだけども。。。

この曲の場合は、それ以前だったんだよね。

うん、当時、ほとんどこの曲聴いてなかったんだよね。
だから、個人的に好き、キライ・・・・って言う以前の話だったんだよね。
当然、この曲の音源は未だに持ってない。。。

80万枚セールスのこの曲の音源を持ってないとは・・・とか言われそうだけど、いままで、今一つ縁がなかったんだよなぁ、この曲とは。

この曲が大ヒットした背景として、TBSの「金ドラ」の主題歌っていうのも大きかったんだよな。
当時、TBSの金ドラの主題歌は、フジの月9主題歌と並んで、「大ヒット」はほぼ約束されたようなもんだったからね。
 
フジの月9は、あんまり見てなかったワタシだけども、TBSの金曜ドラマはずっと見てたんだよな。
月9はさあ、今一つリアリティを感じなかったからなぁ。いい女、いい男のカタログを見てるみたいだったしさあ。ドラマの内容自体は、それほど面白いとは思わなかった。それに比べると、TBS系の金ドラは内容的に面白かったからさ。

ただ、この「サイレント・イヴ」が主題歌になった、90年10月期の金ドラ「クリスマス・イブ」は見てなかったんだよな。

丁度、郵便局で深夜勤で仕分けのバイトを初めて頃でね。そそ、年末の超繁忙期に向けて、郵便局もバイトの数を増やしてた時なんだよな。だから、この当時、ほとんどテレビを見てなかったんだよ。

逆に、超繁忙期が一段落して、ちょっと余裕が出てきた1月終わり頃には、ドラマは終わっちゃってたし、この曲もチャートを下降してたからなぁ。

そそそ、すれ違いだったんだよ、ちょうど。それ以来、なんかずっとすれ違いだったんだよな、この曲とは。

確かに、パッと聴き、派手な曲では無いし、メロディアスではあるけどもジミな印象が強かったんで、積極的に触手を伸ばそうと思ってなかったところもあった。辛島美登里さん当人にしてもルックス的に華やかな感じでは無かったしね。

なので、丁度いい機会だから、真面目に聴いてみた。

確かに派手な曲ではなし、メロディにしてもどこかで聴いたような・・・っていう印象が強いけど、やっぱり染みるよね、心に。
アレンジは若草恵氏。

なるほど、どうりで「ニッポンの編曲家」(川瀬泰雄 他 著)の若草氏の項目で、辛島美登里さんがインタビューされていたんだ。。。

うん、なんで辛島さんがインタビューされているのか、よく分かんなかったんだけどね。いま謎が解けましたわ。

そもそも、この「サイレント・イヴ」が若草氏のアレンジっていうのも、今、知ったんだけどもね

若草氏というと、もう少し歌謡曲よりなアレンジャーっていう印象が強い訳で、このテの、思いっきりニューミュージック系っていう曲では珍しいとは思うんだけど、でも、この曲に関して言えば、まったく、そう言った歌謡曲の匂いは感じない。音色といい、完全にニューミュージックのそれなんだよね。
いや、それだけ、この曲に関して言えば、それまでの若草氏の歌謡曲にコミットした音楽ではないって事なんだけど。。

ま、完全にニューミュージックと書いたけど、ちょうど有線発のニューミュージック系が増えつつあった時代なんだよな、この頃。
 そう言った曲の共通項として、一つはメロディアスであること、一つはニューミュージック系といえど、下地の所で歌謡曲の匂いがする事、例えばストリングスを多用するとかね。

この曲は、そう言う、他の有線発のニューミュージック系楽曲に近い雰囲気はあったんだよな。 その辺が大ヒットに繋がったもう一つの要因だったかもしれない。

ま、この曲は有線発のヒットではなかったけどね。

ただね、よくよく考えてみれば、若草氏って、その昔、研ナオコの「かもめはかもめ」のアレンジで注目されたんだよな。
メロディラインには、あまり音数を入れないアレンジ。 それだけにダイレクトに詞もメロディも伝わってくるという。

そう言う意味で、この曲「かもめはかもめ」に近いんだ。

奇しくも、「かもめはかもめ」を作った、中島みゆきさんも、この辛島美登里さんも、元はといえばポプコンでグランプリ獲得っていう共通項もあったりするんだけどね。

そそそ、もしかするとあんまり知られてないかもしれないけど、辛島美登里さんって、ポプコン出身なんだよね。
調べてみたら1983年、第26回ポプコンでグランプリを獲得。

時代的に言えば、あみんの1年後、TOMCATの1年前って感じで、ポプコンとしてはかなり後期の時代に入るんだけども。
グランブリ獲得後、すぐデビュー。大ヒットを飛ばした、あみんやTOMCATと比べると、この曲で大ヒットを飛ばすまでには、かなり時間がかかったと言えますね。
ポプコングランプリ獲得後、84年にレコードデヒューしたものの、ずっと泣かず飛ばずで。。
でも、そう言う不遇の時代を経験し、ブレイクまで時間を要したからこそ、未だに「現役」シンガーでいられるってことはあるだろうな。

紆余曲折した経験があるからこそ、シンガーソングライターとしての深み、多様な引きだしって言う強みが備わったわけでさ。 やっぱり下積み時代って言うのは大事なんだよね。




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angel song−イヴの鐘− / the brilliant green

2000_12_angel Song_the brilliant Green


今回の1曲セレクトは、「angel song−イヴの鐘−」the brilliant greenです。

まずはデータだよ。

・タイトル      angel song−イヴの鐘−
・アーティスト    the brilliant green
・作詞        川瀬智子
・作曲        奥田俊作
・編曲        the brilliant green
・リリース日    2000年11月15日
・発売元      デフスター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   29.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:2000年11月30日〜12月21日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「真夏のメリークリスマス」主題歌
 
前回の1曲セレクトでは、「クリスマス」だからって特に、そう言う雰囲気じゃない・・・ってことで、敢えてクリスマスソングは書かなかったんだけども、やっぱ、それじゃ淋しいですかねぇ・・・。

なんて思ったりしてね。やっぱり、クリスマスソングを持って来ましょうかねぇ。

・・・・と言っても、既に目ぼしいクリスマスソングは、ほとんど書いちゃったんだよな。
特に「1曲を始めた」最初の年・・・うん、まだmixiに「日記」として書いていた2005年、確か2週間位延々とクリスマスソングばっか書いてた事があったりしたからさ

ところで、ラジオ、テレビでは、「今」の季節と言うと、クリスマスソングが定番な訳だけど、 今となっては、毎年流れる曲って決まってるわな。

ヤマタツの「クリスマスイブ」であり、ワム!の「ラスト・クリスマス」であり、マライア・キャリーの「恋人達のクリスマス」であり、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピー・クリスマス」であり・・・・。超ワンパターン化したマスコミ界ですな。

・・と言って、心からマスコミ界を非難できないワタシも居たりするんだけどさ。

昔、某着メロ、着ウタサイトで配信楽曲のプロデューサー&セレクターをやってる頃、まあ、毎年この時期となると、「クリスマス特集」が常習化するわけじゃん。
ま、最初の1、2年は曲に困らないんだけども、数年続けていくと困るんだよな・・・。結局は毎年同じような曲ばっかになったりして。。。。
だからね、毎年同じようなクリスマスソングが流れる・・・なんて「悪しき」流れを作っちゃったのは、ワタシら音楽配信業界なんじゃないか・・・なんて思ったりもしたりしてさ。。。
 
そんな訳で、この1曲セレクトくらいは、いまはそれほど頻繁に流れないって感じる「クリスマス・ソング」を持って来ましょうや・・・ってことで、引っ張ってきた曲がこれ

the brilliant green「angel song−イヴの鐘−」

うーむ、今はそれほど頻繁に流れない・・・って書いちゃったけど、ちょっと微妙かな。もしかしたら流れているところでは流れているかもしれない、今でも。

ただ、ヤマタツとかワム!、マライア・キャリーに比べると、それほど頻繁には流れない・・ような気がするな、クリスマス・ソングとしては。

この曲は、今から16年前の2000年のクリスマスシーズンにヒットしていた曲ですわ。だから、時期的には、少し前に書いたFolder5の「believe」とヒット時期が被るんだよな。

タイトルからして、完全にクリスマスソングではあるんだけども、最近ではそれとぼ頻繁に聴かなくなったクリスマスソングではあるな。

この間のFolder5の時も書いたけど、個人的には、1年間プー太郎生活をしつつ、mp3ファイル集めに夢中になっていた頃だ。
そんなこともあって、この曲は、個人的に所有しているmp3ファイルとしては、「最古」な部類に入るんだよな。

ま、そんなことはどうでもいい事なんだけども、この曲まず印象的だったのは、音が「悪い」こと。

まあ、当時、ワタシが聴いていた音響環境のせいもあったんだろうけど、この曲音が割れちゃって酷かったんだよな。
 
聖夜をイメージした、如何にもクリスマス・ソング的なコラールのイントロから、静かなAメロは良いんだけども、ギター、ベース、ドラムがインするサビの部分からいきなり音割れがねぇ・・・。
 当時、まだmp3を編集する際の音量調整、ノーマライズのかけ方が悪いこともあったんだろうけど、それにしても、まあ酷い音だったんだよ、この曲。
そんなことから、少し辟易したこともあって、暫く聴かなかったこともあったな、この曲。

ま、mp3ファイルを作る際の音量調整ばかりではなく、基本的にブリグリの曲って音量がでかくて、音割れしてたんだけど。。。
 いや、当時、そう言う曲が多かったんだよな。特にソニー系の曲でさ。 例えば、ラルクの「NEO UNIVERSE」とか・・・。
初め、当時使ってたウチのコンポ環境では音割れが酷くて、まともに聴けなかったモノ。。。
90年代終盤あたりから、明らかにそれまでより音圧が高く、わざと音割れさせた曲が増えてきてたんだよな、この頃。

まあ、時代の流れと言えばそうなんだけども、綺麗なクリアな音っていうのがデフォルトで育った世代としては、この音圧が高い曲には、かなり困った印象があるなぁ。

まあ、いまは、当時に比べ、コンポ自体のダイナミックレンジも大きくなり、当時よりは、これらの曲も大分聴きやすくはなったけどさ。


、、、と気がつくと、曲内容とは、全く関係ない内容になってしもた。。。。
さっき酒飲んで、少々酔っ払い気味な脳みそで書いてるんで、脈略も無い文章になっているのはゴメン。。
いつもの事だろ・・・って言う声も聴こえてきそうですが。。。



ワタシねぇ、ブリグリって好きだったんだよな。サウンドやメロディは完全に洋楽なんだけれども、そんな完全洋楽なメロディにきっちりと日本語が嵌まってたでしょ。
 そこが凄いと思った。 その昔、日本語はロックのメロディには乗らない・・・なんてロック日本語論争があったなんて、まるで夢のような話で。
初めてブレイク曲の「There will be love there」を聴いた時はひっくり返ったもの。なんだコレハ・・・って。

ま、その前に、このヒトたち、日本人だと思わなかったんだけどさ。タイトルにしてもアーティスト名にしても「横文字」だったじゃん。完全に向こうのアーティストだと思ってたの。

で、初めて曲を聴いて、また、ビックリこいた。 ならせ川瀬智子さんの、あのどことなく疲れ気味の「ベイビーボイス」でしょ。
サウンドはいかにもハードロックなのに、なんだ、このミスマッチな音楽は・・・と。

当時のワタシからすると、このテの音楽には、あんまり触手が伸びなかった・・・はずだったんだよな。

でも、どうも気になる存在なんだよな。本来苦手なはずのヘビメタに近いハードロックに乗っかる、川瀬さんのミスマッチな声がさ。
それと、根っこの所に60年代のような懐かしさを感じるんだよな。具体的にどのアーティストの・・・とは言えないんだけども、少なくともビートルズ当時の時代の匂いを感じるんだよな。
気がついてみたら、音源を所有してたワタシが居たりしたもの。

たださ、そんな川瀬さんの声質からして、クリスマスソングは、いいだろうな・・っていうのはブレイク当時から感じてたんだよな。
だから、この曲が出てきた時は「ビンゴ!」と感じたのは言うまでも無かったな。

特にこの曲は、いつものようなハードなギターサウンドではあるものの、日本人大好きな「3連」のリズムだったこともあり、とごか歌謡曲のような親しみやすさも感じしたな。
上で書いたようなビートルズ云々じゃないけど、イントロのシンセなんて、「ストロベリーフィールズフォーエバー」ぽいじゃん。どことなくサイケで。。

そうそう、サイケなんだ、このヒトたちは。ヘビーなギターサウンズだけどもサイケの匂いがする。 そこに懐かしさを感じるんだよな、きっと。





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ハートのエースが出てこない / キャンディーズ

1975_12_ハートのエースが出てこない_キャンディーズ


今回の1曲セレクトは、「ハートのエースが出てこない」キャンディーズです。

まずはデータでする。

・タイトル    ハートのエースが出てこない
・アーティスト  キャンディーズ
・作詞      竜真知子
・作詞      森田公一
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1975年12月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数  17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

3連休ですなぁ〜、クリスマスですなぁ〜。
ま、3連休はともかくとして、「ぼっち」の身分としてはクリスマスなんてほとんど関係ないですからねぇ。普通の3連休ですよ。
それでも、いつもの週末よりも1日長く「休め」るのはありがたい。ここんところ、ずっと精神的に休めてなかったのもありーの、この3連休は肉体的に・・というよりも精神的に休みたいわ・・・なんて気分ですね。

あ、この休みは、出来るだけ1曲セレクトは書こうと思っていまする。。。

うむ?、なんか訳が分かんないマクラだな (いつもの事ですが。。。

・・・というわけで、本題。

今回の1曲セレクト、クリスマスなんで、当然「クリスマスソング」を・・・と行きたいところもあるんですが。。。。全く関係ない曲どぇす。。

キャンディーズ「ハートのエースが出てこない」。

え? なんでこの曲なの? なんて思われるかもしれないけど、えー、全く意味はございませぬ。
完全に当たりばったりなセレクトですわ。

ま、いつものごとく、「今頃」ヒットしていた・・・ってところだけは外してないですけどね。 そうなんですね、この曲は1975年12月リリース。41年前の今頃ヒットしていたんだよね。

あれ? そうだったかなぁ? ・・・なんていう感じもするんだけどさ。

例えば、次の年、1976年11月にリリースされた「哀愁のシンフォニー」は緊張感があったりして、如何にもこれから来る「冬」を思わせる曲調だったりするじゃない?
でも、この曲には、そう言った「季節感」というところは無いんですよね。

70年代〜80年代にかけてのアイドルって、大体季節ごとのリリースだったりした訳で、季節感を感じる曲っていうのが多かったんだけどね。

前曲の「その気にさせないで」は当時ブームだった「ディスコ」にコミットさせた曲調だった訳だけど、この曲も大まかな流れからすると、その流れをくんでいるような曲調ではありますね。
 ただ、正調なディスコというよりは、少しソウル寄りって感じなのかなぁ。まあ、これも当時のブームではあったんだけども、75年の今頃は「ソウル」ブームでしたからねぇ。

「ソウル・ドラキュラ」に「ソウル・フランケンシュタイン」・・・と。。。それまでのバンプ系な能天気なノリから、若干ダークな曲調が流行っていた時期ですわ。

そんな時代の流れに便乗・・・もとい、そんな時代の流れをくんだような曲調だったのが印象的。

ピンク・レディーが出てくるのは、次の年になる訳だけどさ、コドモに人気があったピンク・レディーに対して、キャンディーズが当時の大学生など、少なくともピンク・レディーよりもファン年齢層が高かったのは、ココなんだろうな。 

時代の流れをくんだ曲調。

通常、大学生もなるとアイドルから卒業するわけじゃん・・・。あ、いまは知らないけど、当時は、そうでしたよね。
「いい年して、アイドルかよ」って目で見られるのが普通だった訳で。
みんな洋楽や、邦楽でもロック・ニューミュージックに流れてたわけじゃん。

じゃ、大学生に受けるにはどうすればいいのか?  そう、時代の流れ・・・当時の大学生が聴いても恥ずかしくないような向こうの洋楽的な流れに乗る事ですね。
たださ、単純に洋楽的な流れに乗ればいいのか・・・というと、そうじゃない。しっかりと歌えてなくちゃいけない。
向こうの曲で耳が肥えていた、当時の音楽ファンは厳しかったですからね。

音楽的にしっかりしていないと、ただ、表面的に洋楽的でも支持はされなかった訳で。。。

それが出来たのが、キャンディーズだったわけですわ。

ま、音楽的なところは、ナベプロっていう、こと音楽的な事には煩かった所に居たって言うのも大きかったんだろうね。

その辺が曲に顕著に出てきたのが、前曲の「その気にさせないで」であり、この「ハートのエースが出てこない」ってわけですわな。

通常アイドルっていうと、例えば3人組だとしたら、ユニゾンで同一のメロディをなぞるか、せいぜい上下2声のハーモニーを歌えるかですよ。それは、今でも変わらない。 
3人それぞれのパートを持ち、「3声」のハーモニーを聴かせた最初のアイドルは、キャンディーズだったろうしね。

まあ、その辺〜3声ハーモニー〜は、当時日本でもヒットしていた、スリーディグリーズを意識していたのは間違いないんだけどさ、でも、意識していたとは言っても実際、なかなか出来ないだろうしな。

そんな「3声」のハーモニーを存分に聴かせてくれたのが、この「ハートのエースが出てこない」だったろうな。

そもそもAメロ(サビ)の入りの ♪ ハートのエースが出てこない〜 ♪ から3声ハーモニーを聴かせてくれたしな。

いや、この曲は、そんな単純な流れじゃないんだよね。

例えば、 Bメロの 

♪ 狙いをこめ あいつのことを 恋占い してるのに〜 ♪ のフレーズなんぞは、ユニゾンから2声、そして3声へ・・・と徐々にコーラスに厚みを持せたり、Aメロ最後の 

♪やめられないこのままじゃ〜 ♪ はユニゾンから、いきなり3声コーラスになったりよくよく聴くと凝った作りになっているんですよね。
それだけ自在にコーラスを操るキャンディーズがこの曲では聴ける訳で、当時としては、その辺りに新鮮さが感じられたんではないかなぁ。
 
確かに今聴くと、上で書いたようなソウルな部分を感じさせるとともに、やっぱり歌謡曲だよな・・・と感じる部分も大きいけどさ。

しかも、3声コーラスになる部分の声質が、すこし小悪魔的な印象を感じたりして、おもわずゾクゾクッとしちゃったりしてね。

作曲は森田公一氏。 暫く続いていた穂口雄右氏の一連の曲が、この曲だけ、森田公一氏に戻ったんだよね。
戻ったんだよね・・・ということ、以前、うん、デビュー当時の初期の作品は森田氏の曲だったんだけどね、キャンディーズは。
 今聴くとソウルな中にも、歌謡曲の匂いが強く感じるのは、森田公一氏独特の歌謡曲から派生したような70年代ポップスってところも強いんだろうな。

でも、言えることは、前曲の「その気にさせないで」と、この「ハートのエース〜」で、完全に新たな「お客さん」を掴んだ事。具体的に言えば、前曲でV字回復したレコード売れ上げが、この曲ではさらに伸びたってところですね。

いや、数字的な所を見れば、この曲で完全に人気を掴んだっていう感じなんだよね、キャンディーズも。

たしかに、この年の頭に「年下の男の子」でスマッシュを見せていたものの、次の「内気なアイツ」では売り上げがダウンするなど、まだ人気に不安定な部分がありましたからね、それまでは。

でも、この曲で完全に火がついたんだよね。 その流れが、次の「春一番」で爆発する訳なんだけどさ。

ただね、そうは言っても、この「ハートのエース〜」では、オリコンではベストテン入り出来なかったんだよな。
最高11位と、あと一歩のところまでは行ったんだけどさ。
ただ、ある意味キャンディーズの中でも代表的な曲の1曲であるこの曲には、意外でもあるんだけどね。

個人的にもこの曲で、完全にキャンディーズを意識したし、当時・・・うんにゃ、今でも 感覚的にはベストテン入りしてても全くおかしくない曲なんだけどな。

まあ、それだけ当時のオリコンのベストテン内にランクインする・・・っていう重みが感じられる訳で。。ベストテンに内に入るって事は、大変ものだった訳なんだよね。




これは、解散間際の映像だけど、当時キャンディーズのバックハンドだった、テクニシャン集団のMMPにも負けない歌唱のキャンディーズには、凄味があったんだよな。

ちなみに、最初に書いた「大学生でも聴けるアイドル」としては、このキャンディーズを皮切りに、80年代の松田聖子、菊池桃子と継承されて行く。

ま、もっとも菊池桃子の場合は、「大学生が小脇に抱えても恥ずかしくない」ようなアルバムジャケットをコンセプトにした展開をしていた訳で、実際に大学生が聴いても恥ずかしくなかったか・・・どうかは怪しいところだけど。。。

最後に蛇足だけど、解散と言えばあと数日で解散となるSMAPだけど、今年1年のSMAPファンによる解散阻止、CD購入運動・・というか、ファン熱は、キャンディーズが解散宣言してから、後楽園の解散コンサートまでのあの期間のファンによるあのキャンディーズ熱と全く同じようモノを感じるんだよな。
まあ、それについては機会が会ったら改めて書きたいと思いまする。


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泣いちっちマイ・ハート / 風見慎吾

1983_12_泣いちっちマイハート_風見慎吾


今回の1曲セレクトは、「泣いちっちマイ・ハート」風見慎吾どぇす!

まずはデータだっぺ

・タイトル     泣いちっちマイ・ハート
・アーティスト   風見慎吾
・作詞       森雪之丞
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1983年11月16日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数  16.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

1曲セレクトを始めて以来、これまでに書いてきた曲も1400曲余りになってきた。その中でも、やっぱり「80年代」の曲が一番多く、半分強の750曲程度、書いてきてんだよね。
 でも、さっすがにねぇ、この位書いてくると、いわいるヒットチャート上位の曲って大分書いてきていることになっている訳で、めぼしい曲もだいぶ少なくなってきてるんだよな。
 うん、みんなが知っているような曲だよね。 まあ、一部の「マニア」受けしそうな曲は、まだ残っているんだけども。。。

そう言う事もあり最近は、お客さん(アクセス数)もだんだん少なくなりつつあるんだよな。
やっぱり、みんな知っていて、かつ、今は死角なっているような曲っていうのが、みんな一番興味あるだろうしな。
「マニア」受けしそうな、知ってる人しか知らないような曲では、やっぱウケが悪いよね。

まあ、それだけじゃなく、ここの所、間を空けることも多くなったせいもあるけどさ。 
お客さんってシヴィアだからねぇ。更新回数が減って来ると途端に足を向けられなくなる。
しかも、一度アクセス数が減って来ると、なかなか挽回して出来ないのよ。再び上昇傾向に持ってくるのも大変なんだよね。
だからねぇ、ある一定のアクセス数を確保しようとすると、ガムバッて「新鮮」なトピックスを更新し続けるしかないんだよな。。。。。うむ、ブロガーっていうのも大変なのよ。

いわんや、これを「生業」にしてる方は、ホント大変だろうなぁ・・・・。

・・・なんて他人事のように書いてるけど、今回の曲も、恐らくは多くの方は忘れちゃってるだろうなぁ。。。

風見慎吾「泣いちっちマイ・ハート」

大体の方は「え?」だよね、きっと。

風見慎吾っていったら、どうしてもデビュー曲の「僕 笑っちゃいます」であり、少し知ってる方でも、85年1月の「涙のtake a chance」くらいまでだろうしなぁ。そそ「ブレイク・ダンス」の。

この「泣いちっちマイ・ハート」は、「僕 笑っちゃいます」に続く、第2弾シングルなんだけどさ、何分、「僕 笑っちゃいます」に比べると、売れなかったからなぁ。

ま、一応売り上げ的には、約17万枚・・・と数字上はそこそこ売れたように思えるけど、約34万枚売った「僕 笑っちゃいます」に比べると、半分以下だからねぇ。
言ってみれば、「僕、笑っちゃいます」の「余熱」でここまで売れたようにもんだからさ。ランキング的には、いきなりベストテン入り出来なくなっちゃってたしさ。

ま、曲自体、「僕 笑っちゃいます」の続編っぽい雰囲気があったんだよね。

いや、よりチープだったかもしれない。 そもそもイントロのシンセの音色からしてチープだったんだよね。
え? デモテープですか? のような。。。。

歌詞も、2番の ♪ ディスコで二人 はしゃいでも チークタイムには座るのさ〜 ♪ってあるけど、これ結構「え?」だったんだよなぁ。 「え? 座っちゃうの?」ってさ。 せめてチークタイムにゃ、チークダンス踊るんじゃなの?
とか。。。

なんかいちいち、気分が萎えちゃうような・・・っていうイメージの曲だったんだよね。

そんな所からも、この位売れれば御の字だったんじゃないかなぁ・・・とか思ったりして。
個人的に、もし、今の年齢で、当時この曲にぶち当たったら、恐らく、ほとんど聴いてなかったかもしれない、「ツマンネー」って。

でも当時は、それでも聴いてたわけだから、やっぱり、バイタリティーあったんだよな、ヒット曲に対してのさ。
素直だったんだよね。まだ、余計な事は何も考えなかったからさ。

個人的には、この曲がヒットした1983年は中学2年だったわけでさ。 それから見ると、巷で言われる「中二病」ではなかったな。もっと素直だったんだよな。

でも、wikipediaにある「売れたバンド(あるいはヒット曲)を「売れる前から知っている」とムキになる」っていう中二病の例にあるようなところはあったかもしれない。
 いや、確実にあったな。そのために、友達よりもヒット曲の情報を早く仕入れることに躍起になってたもん。必死こいてた。それで自分のアイデンティティを保ってたって言う部分も大きかったし。。。。

だからね、曲自体、ツマらなかろうがどうであろうが、何でもかんでも聴いてたってところはあるんだよね、当時は。

それに加えて、なにせ、この頃はラジオを聴いてたからなぁ。
ちょうど、この曲がヒットしてた1983年12月頃っていうと、父親方の爺さんが亡くなったり、それと並行して母方の爺さんが入院したりして、頻繁に田舎(福島・いわき)の往復を繰り返してたんだよね。

もちろん、往復は車だったからさ。
1983年当時は、東関東道は成田(空港)までしか通ってなかったし、常磐道もたしか石岡までしか開通してなかったんだよな。 
だから、千葉からいわきまで、ひたすら下道(一般道)で往復ですよ。 片道6時間かかったんだよな。
高速一本で行けるようになった今じゃ、片道3時間半もあれば悠々着けるけどさ。
当時は日立市内を抜けるのが大変だったんだよ。大体渋滞してたな。そそそ、日立の渋滞が酷い時は、片道7時間以上かかったこともあったな。

その間、ほとんどずっと、ラジオをかけっぱなしだったからさあ。 
だからね、この当時のヒット曲というと、あの時、往復していた車の中の光景が脳裏に浮かんでくる。

この曲もこ多分にもれずでさ、この曲聴くと、西日が当たった「潮来」付近の光景が浮かんでくるんだよな。
車の中で、よく文化放送の「全日本歌謡選抜」聴いてたんでさ、この曲の時、丁度、「潮来」辺りを走ってたんだろうな、きっと。


動画・・・落ちてないなぁ。。。。そんなところからも、この曲が、今となっては如何にマイナーな存在になってしまっているか分かるよなぁ。
今まで、この曲を書いてなかったっていうのは、ま、確かに、個人的にそれほど印象に残っている曲じゃなかったこともあるけど、動画が落ちてないってのもあったんだよな。

でも、挫けませんよーだ。 探してみたら「中国」のサーバーにあった。。。それをリンク。

http://www.zhuatieba.com/video/XODQyMTk5NjQ4.html


多分繋がると思うけど、見れなかったらスミマセン。。。
懐かしの「週刊・欽曜日」。うむ、いま「金スマ」やってる枠でやってた、伝説のバラエティですわな。そそそ「欽ちゃんバンド」ってやつ。
まあ、ウタはウマくないけど・・・、でも時代は感じるわな。。。


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情熱 / 斉藤由貴

1985_12_情熱_斉藤由貴


今回の1曲セレクトは、「情熱」斉藤由貴です。

・タイトル     情熱
・アーティスト   斉藤由貴
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1985年11月15日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月9日 12月23日〜12月30日付
・タイアップ:映画「雪の断章」主題歌


先ほど、「めざましどようび」見てたら、斉藤由貴さんが登場してきた。twitterのタイムライン見てると、それについてのツイートが結構出て来てるけど、それにしても斉藤さん、最近よくテレビに出てきてるよなぁ。

このヒト、全然老けないんだよね。50過ぎたっていうのに、雰囲気は昔のまんま。これはコワイ・・・・うにゃうにゃ、驚きですわな。

今テレビだけでなく、毎週ラジオのパーソナリティもやってるわな。ニッポン放送の「オールナイトニッポン ミュージック10」(月〜木 22時〜0時)の木曜パーソナリティ。
 これ通勤の帰宅時に、最寄駅から家までの間、よく聴いてるんだけど、声だけ聴いてると、ホント、昔のアイドル時代と全然変わんないんだよね。
  昔、やっぱり、ニッポン放送でやってた「斉藤由貴の猫の手も借りたい」って番組。 なぜか、あれ、よく聴いてたんだよな。たしか土日の夕方ごろやってたような気がるするんたけど、ラジオを流しながら車走らせてた時に聴いてたんど思う。

その頃と、声も、ちょっと舌たらずなしゃべり方も、トーク内容も全く変わらない。ほんと時代錯誤感を感じるんだよな。

まあ、「ミュージック10」では、水曜パーソナリティの鈴木杏樹さんも、昔から全然変わらない癒しボイスで時代錯誤を感じるんだけどさ。

そんな時代錯誤感プラス、最近は「おとぼけ」キャラで良い味出してきてるんだよね。

前にも書いたかもしれないけど、auのCM。「おとぼけキャラ」というか三枚目キャラというか。

このキャラは、昔の斉藤さんには無かったよなぁ。 このヒトといえば「生真面目」さっていうのが、前面に出てきちゃってた気がするしさ。 
 ウタでも、そんな生真面目さを感じたんだよね。どの曲でも、真面目に真面目に切々と歌っていたような印象が強い。

だからねぇ、最近の「3枚目キャラ」っていうのが、余計新鮮に映ったりしてね。


おおおお、ウタとは関係ない事を大分書いて来ちゃったな。
・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、斉藤由貴さんの「情熱」を。

先ほどの「めざまし」での斉藤由貴さんベスト3では、「白い炎」「悲しみよこんにちは」「卒業」を流してたけど、さっすがにね、このクラスの曲はどれも、既に書いちゃってるからなぁ。 この曲くらいしか残ってないんだよね。

逆に言えば、いままで書かないで残っていたってのもレアかもしれないけど。。。。

でもね、こ多分にもれず、今まで書かないで残っていた・・・ってことは、個人的に、この曲があんまり好みじゃなかったっていうのが大きいんだけど。。。。

斉藤さんの 特徴って上で書いたように、どんな曲でも真面目に切々と歌うところだと思うんだよね。
そんな所と、役者との2足のわらじをはいているってところは、薬師丸ひろ子さんに似ているところがあるかもしれない。

違うのは、薬師丸さんの方が、より真面目さが際立っているってところと、発声がファルセットってところだろうな。それにより、実年齢よりも大人・・・・うんにゃ、オバさんっぽく聴こえるとろこかもしれん。
斉藤さんは、真面目に歌ってはいても、たまに見せる舌たらずな発声とか年相応の可愛らしさがあったしね。

そんな真面目さが表に出ている斉藤さんが、如何にも「ポップ」な歌を歌う・・・そこに、このヒトの最大の魅力があったと思うんだよな。

例えば、このヒトの最大のヒットとなった「夢の中で」(井上陽水カバー)にしてもユーロビートなポップアレンジだったし、「悲しみよこんにちは」にしてもポップなアップチューンだったじゃない

普段から真面目が表に出ているヒトが、ポップな歌を歌う・・っていうある種の意外性に面白みを感じるんだろうなぁ。

個人的に、このヒトのイチオシは、86年9月の「青空のかけら」なんだけどもさ。そそ、ハネ系でタップを踏んじゃう曲。 あの曲は、このヒトのキャラからするとホントに意外な曲だったもの。

そう言う点からすると、この「情熱」って曲は、意外性を感じなかったんだよな。
いかにも真面目な斉藤さんが歌いそうな「真面目な曲」っていうかさぁ。そう「如何にも」って言う言葉以上ないような。。。

そんな曲調に、個人的にも魅力を感じなかったのかもしれない。

逆に言えば、「如何にも」っていうところから、このヒトには合っていたとは思いますよ。でも、個人的には退屈さしか感じなかったんだよなぁ。

誰が作っていたのかと思えば、松本隆−筒美京平 なんちゅう、これ以上ないゴールデンコンビぢゃないですか。。
斉藤さんとはデビュー曲の「卒業」以来の担当なわけで、斉藤さんの魅力は何かっていうのは、充分分かっていたはずだと思うんだけどねぇ。。。

折角、70年代の「向こう」のポップスから斉藤さんの魅力を引き出してきていたのに、同じ70年代でも「歌謡曲」よりにしてしまった事で、時代が逆戻りしてしまったような印象が強い。
当時から見て「10年前の・・・・」って感覚だったんだよな。これはニューミュージックが出てきた頃の歌謡曲って言うイメージですよ。

まあ、この曲の場合、映画「雪の断章」の主題歌って言う縛りが初めからあった訳で、そのイメージに合わせなきゃいけないっていうところで、それいえにこういう曲調にならざるを得なかったってところは大きかったんだろうけどね。

でも、レコード売り上げだけを見ると、この曲の前、ビージーズの「若葉のころ」辺りをモチーフにしたと言われる「初戀」よりも、この曲の方が売り上げは、僅かに上がってるんだよね。
チャートでも、オリコンでは、この曲で初めてのベスト3入りを記録してるし。

まあ、チャートは他の曲との兼ね合いもあるんで相対的な部分もあるかもしれないけど、売り上げが微増したのは、ちょっと分からなかったな当時は。
それだけ、「スケバン刑事」からの人気が浸透してきていたって事もあるんだろうな、結局はさ。






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禁猟区 / 郷ひろみ

1977_12_禁猟区_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「禁猟区」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     禁猟区
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1977年12月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月19日〜1978年1月16日付

ここんところ、個人的に「歌本」熱が再燃してきてるんだよね。 
古くからの歌謡曲ファンにはお馴染みだと思うけど、月刊「明星」とか「平凡」の付録についてきてたアレですね。
あるいは、今は廃刊になっちゃったけど月刊「歌謡曲」とかさ。歌詞カードと楽譜が載っかっている本。

うむ、個人的には「平凡」よりも「明星」派だったんで、明星の歌本「Young Song」。今も後生大事に取ってありますわ。
基本、音楽を聴く時って、楽譜見ながら聴くのが好きなんで、やっぱり歌本は必須なんだよね、ワタシの場合。
譜面見ながら音楽聴くと、不思議と譜面から絵とか風景が浮かんできたりしてね。

・・・なんていうのはワタシぐらいなもんかなぁ。。。

まあ、幼稚園の頃、電話帳から風景が浮かんでくる・・・なんて電話帳眺めてた不思議ちゃんなんで。。。

最近は、自分が買い始める前の「Young Song」とか「ゲッカヨ」をヤフオクで少しずつ落としたりしてたりね

でも、最近、いつの号をヤフオクで落としたのか、すっかり忘れちゃってたのもあるんだよな。

いつもこれを書くにあたって、傍らにサイドデスクを置いて、デスク上にオリコンなどの資料を置きながら書いてるんだけど、なにげにサイドデスクの引き出しを開けたら、1978年3月号の「Young Song」が出てきた。

うん? これいつ買ったんだ?  全然覚えてない。。。。

でもペラペラめくってたら、まだ書いてない曲が・・・。

あ、ちょうどいい、今回の1曲セレクトは、これにしよう。。。・・・と引っ張ってきたのがこれ。

郷ひろみ「禁猟区」。

うーむ、だんだんとセレクトの仕方が「ゴーイン」になってきたような気もするけど。。


 少し前に、野口五郎氏の「風の駅」でも書いたんだけども、この郷ひろみ氏の「禁猟区」も、ザ・ベストテンの第1回ランク発表の1978年1月19日放送分でランクインしていた曲。その時は5位でしたよね。なので、ベストテン史上6番目に登場したのが、この曲と言う事になるんだよね。

ただ、以前からここで書いてるように、当時は、個人的に郷ひろみ氏は好きじゃなくてねぇ。うむ、秀樹派だったからさ だから70年代から80年代にかけて、郷ひろみの曲ってほとんどまともに聴いてなかったんだよね。

個人的に評価するようになったのは、郷ひろみ氏がベストテンに主演拒否するようになってから。 だから82年の終わりごろからかなぁ。

だからね、この「禁猟区」についても、ヒット当時はまともに聴いてなかった。

まあ、それ以前に、この曲がヒットしていた頃は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていなかったけど。。。。
でも、仮に当時から足を踏み入れていたとしても、ちゃんと聴いてなかっただろうなぁ。

それでもなんとなしにキニなる存在ではあったんだよね。フルサイズは流れないにしても、ベストテン第1回放送のランクイン曲ってことで、その後もたまにVTRで流れたりしたじゃん。
妙に耳に残ったりしてさ。

サビ前の ♪ テン テン テン〜 ♪ っていうフレーズとかさ。 歌詞カードを見ると、 「、、、」になってたりしてさ。
誰ですか、こんなトリッキーな歌詞を書く方は・・・・と思ったら、作詞は阿木耀子女史。 阿木耀子さんとくれば、作曲は宇崎竜童氏。 そんなで持って、当時の郷ひろみ氏のレコーディングディレクターは酒井政利氏。

・・・うむ、この3人と来れば、やっぱし山口百恵さんですよね。 

・・・ってところで、繋がった。  なにが? 

そうかぁ、ここから79年の百恵さんの「美・サイレント」に繋がるんだぁ。 

そそそ、あのサビで歌詞が「消える」フレーズ。 例の♪ あなたの〜 ○○○○ が欲しいのです〜♪ ってやつですね。
ま、この「禁猟区」では歌詞カードでは「、 、 、」と書いて「てんてんてん」って読ませており「サイレント」ではないけど、発想は同じようなものだよね。

・・・ということは、やっぱり、「美・サイレント」を遡れば、ここに来るんじゃないかなぁ。うん、突然的な発想じゃなかったんだね。

でも、この曲を皮切りに、次の年の、やっぱり百恵さんの「プレイバックPart2」では、途中で音を止めちゃったり、阿木耀子−宇崎竜堂−酒井政利っていうトリオでは、常に実験的な事をやらかしていたよなぁ。

そこがヒット曲の面白いところでもあり、魅力的なところでもあったんんだよね。

この曲のサウンドは、聴いてすぐに分かるようにラテン調。 フラメンコ調とでもいうかな。
この頃のヒット曲では、よく使われてたんだよなラテン調。 この曲を聴いてすぐに浮かんでくるのが、やっぱり翌年78年の中原理恵「東京ららばい」とかさ。
そう言えば、↑で上げた、百恵さんの「美・サイレント」も少しフラメンコ調的であったしね。

やっぱ、情熱的なんだよね、ラテン、フラメンコ調の曲って。 つい聴いてて熱くなるんだよな。

ただ、今聴くと、やっぱ古さを感じたりしてね。70年代の歌謡ポップス独特の匂いっていうのかなぁ。





うわっ、ドハデな衣装と演出だなぁ。キンキラリン(⇒死語!)の衣装の後は、ハネハネな衣装で
少しあとにベストテンでもやってそうな演出だけど、このころは夜ヒットでもやってたんだな。
目立とう精神全開な時代だったんだよね、この頃はさ。歌謡ポップス全盛の時代だったんだよ。






 








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