かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年07月

未来へ / kiroro

1998_07_未来へ_kiroro

今回の1曲セレクトは、「未来へ」kiroroです。

まずはデータです。

・タイトル     未来へ
・アーティスト   kiroro
・作詞       玉城千春
・作曲       玉城千春
・編曲       重実徹
・リリース日    1998年6月24日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  58.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1998年7月6日〜8月10日付

前々から「書こう」と頭の中では思っていたんだけども、なかなか筆が上がらない曲が、今、何曲かあるんだよね。
でも、書かないとヒットした時期が過ぎちゃうなぁ・・・なんて、焦ったりもしてるんだけども。。

今回は、そんな「書こう」と思っていてなかなか筆が上がらなかった曲を、重ーい腰を上げて一つ持って来ますか。

kiroro 「未来へ」

前曲「長い間」でメジャーデビューしたkiroroの第2弾シングルとしてリリースされたこの曲。
「長い間」は、割合すんなり書けちゃったのに、この曲がなかなか筆が上がらなかったのは、やっぱり、この曲の内容だろうなぁ。

近田春夫氏的に、ちょっと斜に構えたいい方で書けば「TOO MUCH 人生的」と言いますかねぇ。真っ直ぐな歌じゃないですか。
 でも、素直に言えば、「くすぐったい」気持ちが強いんだよね、この曲のような真面目な曲をレビューするのは。

ちゃんと書かなきゃ、PTA的な方々からクレームが来るんじゃないか・・・・みたいな強迫観念もあったりしてね。



・・・・とここまで来て素直に書けないワタシなんですが、素直に言えばこの曲好きなんだよな。

なんだかんだ言っても「グッ」と来るじゃないですか。思わず目から「汗」がこみ上げてくる・・・と言うかね。

当時もそう言う気持ちにさせられたけど、「母親」に向けての手紙的な内容の歌詞じゃないですか。
だからね、母親が亡くなってから数年たった今聴くと、なんかねぇ、当時聴いてグッと来た感情とは、また違った、もっと深い感情がこみあげてきたりするんだよね。

個人的にこの曲を初めて聴いたのは、当時勤めてた会社の社用車の中だったな。
うんよく覚えてる。 外回りの技術営業をしてる頃で、仕事をサボって昼寝してたときにラジオからかかってきたんだ。
 最初は、「やっぱりこうきたか」・・・と思うと同時に、曲調的に言えば「長い間」の続編的だったんで、それほど売れないだろうな・・・なんて思ったな。
 当時、すでにチャートを見続けて20年近く経ってたんで、二番煎じ的な曲は、「一番煎じ」より売れない事は分かってたしさ。
 まあ、案の定、前曲の余熱もあってベストテンには入ったものの1ヶ月でベストテンから落ちちゃっしさ。
チャートアクション的にはそれほどの派手さは見られず、売上げも、「長い間」の半分になっちゃったんだけどさ。

ただね、見誤ってたのは、この曲聴けば聴くほど味が出る・・・って言うところだったんだよなぁ。
いわいる「スルメソング」なんだよね。
1回2回聴いたところでは、この曲の良さはなかなか分からないけど、何回も聴くほどに、曲の底から味が出てくる・・・というかね。
 そう言うところが、チャートアクション的には派手さはなかったものの、オリコンではベスト100内に43週もランクインさせるといった、当時としては異例のロングヒットに繋がったんだろうな。

この曲がリリースされたのが98年。 正直言うとヒット曲がダメになり始めたのが、この98年ごろからと言うのが個人的な考えなんだけども、そんな98年にあって、この曲は特異的な曲なんだよね。
 ダメになったというのは、曲的にどうのこうの・・・と言う前に、パーソナル的になったとというかね。前回の浜崎あゆみ「Seasons」でも書いたように、大衆的というより、好きなヒトだけに支持されりゃいい・・・みたいな傾向が強くなった・・・っていうのをこの頃から強く感じてきた・・・と言う意味で「ダメ」になってきたって事なんだけどさ。

でも、そんなヒット曲がダメになってきた98年にあって、この曲は「普遍的」な曲だったでしょ。歌詞の内容は、実際の所パーソナルな内容だったかもしれないけど、でも大局的に見れば、聴く人を選ばない普遍的なモノだしさ。

 曲にしても、98年と言う時代を考えると、全く新しいものじゃない。むしろアナクロ過ぎるくらいアナクロ。でも、それも聴く人を選ばない普遍的なものだったじゃない 誰が聴いても心に染みるような。。。

そういう大衆性がこの曲にはあるんだよね。 

だから、あれから18年経った今でも、この曲を聴くと当時のまま心に染みるし、色褪せてないですよね。
だから、最近の中学校などの音楽教科書にも取り上げられたり、音楽コンクールで歌われたりしてるんだろうし、
日本のみならず、海外のアーティストにもカバーされてるんだろうな。

やっぱね、ここではよく書く様にヒット曲はそうじゃなきゃ行けないと思うんだよね。
その時代固有の特有さがある曲もいいけど、時代を超越していつ聴いても心に染みるエバーグリーンな曲って言うのも必要なんだよね。 




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Seasons / 浜崎あゆみ

2000_07_Seasons_浜崎あゆみ


今回の1曲セレクトは、「Seasons」浜崎あゆみです。

まずはデータです。

・タイトル     Seasons
・アーティスト   浜崎あゆみ
・作詞       浜崎あゆみ
・作曲       D・A・I
・編曲       鈴木直人
・リリース日   2000年6月7日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  136.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2000年6月22日〜7月27日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「天気予報の恋人」主題歌

ここんところ80年代の曲に偏ってるなぁ・・・なんて思ってのもあったんで、前回は90年代の曲を持ってきたんだけど、今回は、さらに時代を戻して2000年の曲に行きますか。
 まあ、この頃の曲になると別にワタシが書かなくても、他の方が充分書いてるよなぁ・・・とも思ったりもするんだけど、とりあえず、個人的にこの時代も通過してきているんでねぇ、当時の「大人」としての見方で書いていきましょ。
・・・・とか言って、これまでもちょぼちょぼは書いてきたんだけどね、2000年代の曲も。

・・・ということで、今回は、浜崎あゆみの「Seasons」。

少し前に、やはり同じく2000年の「Vogue」を書いたんだけど、「Vogue」から始まった3部作の最終作がこの「Seasons」となる訳ですね。

え? 2作目の「Far away」はどうしたって?

聞くなwwww

単純に個人的な好みから外れてる・・ということで

この時期3ヵ月連続でリリースされた、これら3部作だったけど、最終作のこの曲が売り上げ上では、圧倒的でしたね。 この曲だけミリオンセラーを達成してたわけで。

まあ、フジのドラマの主題歌と言う事もあったけど、まあ、それだけ売れるだけの曲ではあった事は間違いないな。

いつもは「あゆ」には辛口のワタシなのですが、この曲は何か認めてるんだよな。
いや、素直に「いい曲です」と言えばいいのに、素直に言えない天邪鬼なワタシ。。。。


以前にも書いたけど、この年2000年は、1年間プー太郎をしてたワタシなんだけど、ちょうど、この曲がヒットしてた頃は、前年まで働いてた会社に出戻りで「バイト」してたんだよな。
 この曲は、そんな折、会社の車の中で聴いたのが最初かなぁ。

イントロからして印象的で、「え? 誰の曲?」なんて思ったもの。まさかあゆの新曲とは思いもよらず。。。
丁度、梅雨の終わりの頃で、雨が降ってた・・・ような記憶がある。そんな天気に印象的だったんですわ、この曲。

天気と言えば、この曲、当時のフジテレビの「天気予報の恋人」っていう月9ドラマの主題歌だったんだよね。
当時、すでにドラマをあんまり見なくなってたワタシだけど、なぜか、このドラマは見てたんだよな。
で、毎回、いい場面になると、この曲のイントロが流れだすんですわ。それで余計、この曲に傾倒しちゃってワタシが居たりしてさ

当時、すでにネットの掲示板で新曲のレビューを書いてたワタシなわけで、あゆについては、いつも散々「コケ」にしてたワタシだけど、当時のレビューでもこの曲は、かなり好意的な書いた・・・ような気がするな。

いや、実際、どう書いたかは忘れちゃったけどさ。。。

何が良かったのか・・・と言えば、まあ、イントロもそうなんだけど、全体的なイメージだよね。
正直ね、この頃になると、曲のどの部分がいい・・とかディテールを掘るところまでは、細かく聴かなくなってたからさ、うん、全体的な曲のイメージだよね。

ここの3部作は「絶望3部作」って言われているらしいけど、個人的には、それほど「絶望」的な印象はなかったな。
 ま、確かにこの曲なんかは「淋しい」けどね、曲調からして。 でも、「絶望」っていうところまでは感じ無かったけどね。
 ↑で書いたように、「梅雨空」の下で聴くと印象的かなっていう感じの、モノトーン的な曲ではあるけどね。

 
そもそも、あゆの曲って、どっかしらツッコミたくなってたんだけどさ、歌い方だとか、売り方だとか、曲調だとか・・。そう言うツッコミたくなる部分がこの曲ではなかったんだよね。

きっとね、曲が大衆的なところが一番安心したんだと思う。 あゆの曲をツッコミたくなるのは、例えば、このころ「30万枚限定」とかよくやってたじゃない まず、あれにカチンと来てたんだよね。
 早いもん勝ちみたいな売り方は、やっぱり納得できなかったしさ。結局、コアファンのためだけの売り方って感じだったじゃない  
 確かに、その方がレコード会社は在庫抱えなくて済むし、効率的な売り方・・・って言う見方もあるけど、一見、非効率に思える、いわいる「浮動票」を切る売り方はやっぱり納得できなかったしね。
音楽は効率的、非効率的っていう「売り方」ありきじゃないと思うんだよな。
あくまで大衆のものであって、レコード会社のモノじゃない訳だし。

そういう当時の、大衆軽視っていう売り方が、今のCD不況に繋がって来ているんですよ、これは絶対に。
あの頃・・・2000年頃は、たしかにCD売り上げも右肩下がりに成りつつあったけど、それでもまだミリオンはかなり出てたからね、業界も危機感はなかったんだと思う。
 でも、お客さん、特に「一般」のお客さん軽視の売り方って言うのは、絶対にしっぺ返しが来るんだよね。

・・・ってことは当時から口を酸っぱくして言ってたんだけどね、ワタシ。 でも、誰も聴く耳かさなかったしな。
だから、本音をいうと、だから言わんこっちゃない・・・なんて思うワタシだったりするんだけどさ。

でも、この曲は、そういう「しがらみ」が無かったじゃない だから、安心して聴けた・・・っていうのもあったのかもしれない。

 ま、細かいところを言えば、不明瞭な発音は本当はイヤなんだけどさ。もっとはっきりと発音しろや・・・なんて言いたくなったりして。
でも、そんな所も、あまり気にならないくらい曲だったことは確かだったな。




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Sea Paradise-OLの反乱- / 中山美穂

1994_07_Sea Paradise_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「Sea Paradise-OLの反乱-」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル     Sea Paradise-OLの反乱-
・アーティスト   中山美穂
・作詞       中山美穂
・作曲       K.NACK
・編曲       ATOM
・リリース日    1994年6月8日
・発売元      キング
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

昨日に引き続きいて・・・・あぢぃよ〜 とろけそうだよ〜。 
もう完全にナッツ〜だよね。でも、まだ梅雨明け前なんだよね。今日の昼間なんで、一体これのどこが梅雨なんだろ  ってくらいいい天気だったんだけどなぁ。

・・・・ということで、今回も「夏」っぽい曲をセレクトして来ますか。

中山美穂「Sea Paradise-OLの反乱-」

うーむ、また「ビミョウ」な曲ですかねぇ。覚えてない方も、もしかすると大いかもなぁ。
時代的に言えば今から22年前、1994年の丁度梅雨明け前の今頃のヒットなだけどね。

前曲は、この年の春にリリースした「ただ泣きたくなるの」。これは覚えてる方も多いですよね。
なんせミリオンセラーになった曲ですからねぇ。

でも、この曲は・・・といえば、いきなりその1/10程度しか売れなかったんだよね。 うん、売り上げ15万枚強。
いきなりの売り上げ急降下。

うーん、どうしてなんだろうねぇ・・・個人的には、この「Sea Paradise」って割りかし好きだったんだけどなぁ。

確かに、この曲と同日発売のアルバムからのシングルカットだったって事も大きかったかもしれない。
それに、ミポリンのそれまでのシングルに比べると、分かりずらい展開の曲だったしな。

ゴチャゴチャッとした展開のAメロとBメロ。 ここがシングルっぽくないしな。
でも、サビの ♪Oh  Sea Paradise〜 ♪ からの展開は、如何にも「夏」っぽくていいと思ったんだけどもなぁ。

兎に角、猛暑だった94年の夏は、曲調、イメージすべてが「夏」って言う感じの曲がピッタリあったんだよね。
クーラーがガンガン利いた部屋で・・・というよりも太陽の下で、ラジオから流れてくる曲を汗をかきながら・・・ってうイメージで。 そうシチュエーションに合う曲っていうのが、94年夏・・・っていうイメージなんだよなぁ。
この曲はそんなシチュエーションに合ってたんだよね。

まあ、個人的に、あの夏はそういう環境に居たからねぇ。うん、あの夏と言えば、「汗、汗、汗・・・」って言うイメージなんだよなぁ。兎に角、いっつも汗をかいてた。水分取ってた・・・って感じだったな。 今思い返しても、そういうところが真っ先に浮かんできますわ。

そんなところで、よく聴いたよな・・・ってのが、この曲だったりするんだよね。

サビの最後に ♪ どこまでも澄む空に 憧れてたBlue〜 ♪ ってあるけど、そそそ、そう言うイメージだったんだよね詰まりの所は。 そのイメージが一番強いんだよな、この曲は。
あー、海行きたくなったぞ〜。



それにしても、なんじゃ、このミポリンの髪型は。。。。


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メイン・テーマ / 薬師丸ひろ子

1984_07_メイン・テーマ_薬師丸ひろ子

今回の1曲セレクトは、「メイン・テーマ」薬師丸ひろ子です。

まずはデータです。

・タイトル    メイン・テーマ
・アーティスト  薬師丸ひろ子
・作詞      松本隆
・作曲      南佳孝
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年5月16日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  51.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月28日〜8月13日付
・タイアップ:映画「メイン・テーマ」主題歌

あぢぃ・・・っす。。。。とろけそうな気温ですな。。。これでもまだ梅雨明けじゃないんですねぇ。
これ梅雨が明けて「本格的」なナッツ〜になったら、どうなるんでしょうねぇ・・・。

さてさて、今回の1曲セレクトは、久々に薬師丸ひろ子さんですわ。
どうも、角川映画も、今年で40周年らしいですねぇ。そそそ角川映画第一弾「犬神家の一族」の公開が1976年だったから、それから今年で40周年・・・と言う訳ですわ。
 最近は、それほど派手にCMを打つって事はしなくなったけど、それこそ、当初は毎回、めちゃくちゃスポットを打ってましたもんね、角川映画って。

で、そんな角川映画の80年代と言ったら、薬師丸ひろ子、原田知世という2大スターが華やかなりしころですわ。

・・・となると、やっぱし、このタイミングで、このヒト達の曲を持ってこなくては・・・ということで、今回は1984年の「メイン・テーマ」を引っ張ってきたわけですわ。

ただね、個人的に言えば、当時の薬師丸の曲を心の底から受け入れていたか・・・というと、そうじゃなかったんだよね。
むしろ、それほど好きじゃなかった。 この曲の前曲の「探偵物語」は、カップリングの「すこしだけやさしく」が良かったんで、唯一受け入れられたけどねぇ・・・。 
全体的に言えば、いつもなんかはっきりしないでしょ、このヒトの曲って。どこか靄ってる・・っていうか霞がかってる・・っていうか。。。

この曲に至っては、そんな霞の中から、なんか( 妖怪?)が出てきそうなイメージだったし。。。。

とは言うモノの、このヒトの曲が無いと時代を語れない・・・というかね。

うん、タイトルは「メイン・テーマ」となっているけどバイブイヤー的な存在と言うかね、絶対に「メイン」ストリームを行くような曲じゃない。
でも、少なくとも1984年の今頃を語る上では、無いとなんか落ち着かない・・・そんな存在なんだよな。

そもそも、この曲、売り上げ50万枚強もあるんだけども、当時の印象からしても、そんなに売れていたような印象が無いもの。なんか、ぬるっとチャートに入ってきて、気が付けば50万枚も売れてた・・・って感じなんだよな。

いや、それ以上に3カ月近くもベストテン内に居た・・・って言う印象も薄い。

それは、きっと、当時、個人的にこの曲があんまり好きじゃなかったんで、例えばラジオのベストテン番組でかかっても、それほど真剣に聴いてなかったからかもしれないし、それにテレビもこの曲ではあんまりでなかったしね。 だからね印象に薄いのかもしれないな。

ただ、サビの最後の ♪20年も生きてきたのにね〜 ♪ って言う歌詞は、なんか意味もなく気持ち悪くて印象に残るんだよな。


ちなみに、この曲、作曲者の南佳孝氏が歌った「スタンダード・ナンバー」とは歌詞違いの同じ曲って事は、ここ読んでくださってる方は、みなさんご存知ですよねぇ。

↓ コレ


まあパターンとしては、「セーラー服と機関銃」のオリジナルは、来生たかお氏の「夢の途中」だった・・っことと全く同じ訳ですな。
 「セーラー服と機関銃」の時は、当初は来生氏の「夢の途中」が主題歌として決まっていたところ、途中から薬師丸が得たぇことに変更になったけど、この曲の場合、当初から南佳孝氏の「スタンダードナンバー」は別曲とし存在した事が違うかな。
 それと、「夢の途中」は、ご存じのように大ヒットとなったけど、この「スタンダードナンバー」は、それほどの大ヒットにはならなかった事も違うかな。






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聖・少女 / 西城秀樹

1982_07_聖・少女_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「聖・少女」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     聖・少女
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       松本隆
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1982年6月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月12日〜19日、8月9日付

今日は雨降りの1日だったなぁ。今年は雨が少ない関東地方な訳で、1日中雨が降ってた土曜日っていうのも久しぶりって感じだったよなぁ。しかも肌寒い1日で・・・。まあ、梅雨っちゃ、梅雨らしい1日だったんかな。
 こう、1日どんよりとした薄暗く肌寒い梅雨の7月・・・というと、福島の田舎から千葉に出てきた時の事を思い出す。

あれ? 今日って7月9日だったっけ  そうか、気が付かないうちに35年目に突入したんだよな、福島から千葉に出て来て。。。 あれは、確か昭和57年(1982年)7月6日だったはず。
 やっぱり、今日のような「どん曇り」な1日だったよなぁ、雨は降ってなかったけど。

・・・とは言っても、まあ千葉に居る期間の方が、福島に居た頃よりも、すでに3倍近くなっちゃった私なんで、いまやすっかり千葉県民なんですが。。。。。


・・・・というわけで、今回は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃にヒットしてた曲を持って来ますか。

西城秀樹「聖・少女」。

うわっ、「知らないわ、こんな曲」・・・なんて言う方の方が多いよな、きっと。。。

まあ、そんな今となっては、完全に死角に入ってしまっているような曲ですわな。でも、これでもれっきとしたオリコンベストテンランクイン曲だったりするんだけどね

↑で、34年前の今頃ヒットしてた・・・って書いたんだけども、正確には7月第3週目・・・だから、今年で言えば週明けの週にベストテン入りして来たって感じだったんだけどさ。

当時、個人的にヒット曲の情報を仕入れてたのは、ラジオしかなくてさあ。
福島から千葉に出て来て、一番嬉しかったのは、ラジオで東京キー局の音楽番組が1日中聴けるようになったことかなぁ。
福島に居た頃も、一応電波は届いてたんだけども、昼間は電波障害が酷くて、ほとんど聴こえなかったんだよね。夜、電波障害がやや改善される時間帯に、それでも雑音越しで聴いてたのが精いっぱいでさ。

そんな中、真っ先に確認したかった曲の一つが、実は、この「聖・少女」だったんだよなぁ。

・・・・・というのもね、月刊「明星」の付録の歌本には、6月発売の1982年8月号には、この曲、新曲として掲載されていたから、新曲としての情報は知ってたんだよね。

でさあ、気になったのが、この曲の作家が、 作詞 松本隆、作曲 吉田拓郎、編曲 瀬尾一三・・・っておおよそそれまでの秀樹の曲ではなかったような組み合わせだったじゃん。

まあ、作曲の吉田拓郎氏と、アレンジャーの瀬尾一三氏と組み合わせは、それまでも吉田拓郎氏自身の曲で、コンビを組んでいた訳で、珍しい訳じゃないけどさ、 そこに、作詞の松本隆氏が絡んできて・・・・。

しかもタイトルが「聖・少女」でしょ。

どうもねぇ、「聖・少女」っていうタイトルと吉田拓郎氏っていうのが、想像できなかったんだよな

この曲のちょっと前に吉田拓郎氏がリリースした曲が「唇をかみしめて」でさあ。。。
そそそ、♪ええかげんなやつじゃけ〜 ♪ってあの全編「広島弁」で歌っていた、男臭〜い曲ですわ。
それがあったもんだから、余計「聖・少女」って言うタイトルの曲が想像できなくてさあ・・・

時に秀樹も、出身は広島だったし、やっぱり、「唇をかみしめて」のような。タイトルとはミスマッチな男臭いメロディなのかねぇ・・・なんて思ったりして。。。

だからね、ラジオのベストテン番組で、この曲がかかるのを期待してたわけですわ。

で、千葉に越してきて、翌週のベストテン番組ですわ。確か文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。
雑音が全く入らないクリアな音で「歌謡選抜」が聴けるようになったのが嬉しくてさ。
期待通り、この曲がかかって聴いてみたら・・・・・

あ〜ら、予想してた様な雰囲気とは、ぜーんぜんちがう、軽いタッチのポップスじゃないですか。

・・・というかね、メロディを辿って行くだけでは、吉田拓郎氏の匂いを全く感じない。

それまで拓郎氏が、他のヒトに提供した曲、例えば、キャンディーズの「やさしい悪魔」にしても、森進一氏の「襟裳岬」にしても拓郎氏の匂いは感じた訳じゃないですか。

でも、この曲はそういう匂いを感じさせないんですよね。


なるほど、それはそれで凄いな・・・と思うと度もに、ちょっと期待外れ・・・だった部分もあったりね。

当初予想していたような、男臭い「聖・少女」ってところが無かったんでさ・・・。

特に、サビの ♪ Say it〜〜 少女 ♪ って部分、実は、明星の新曲情報で掲載されていた楽譜で、あそこが一番気になっていたんだよね。
 これ、男臭い曲だったら、どう歌ってんだろ とかさ

でも、実際は、軽く歌ってたじゃん。 瀬尾氏が、ここまでポップに仕上げたアレンジってのも、それまでは聴いた事無かったんだけどさ。やっぱりフォーク、ニューミュージック畑のヒトですからね。
だから、なんか拍子抜け・・・っていうのも否めなかったんだけどさ。でも、やっぱり吉田拓郎氏の臭いは感じなかったなぁ。

 一体、吉田拓郎氏は、一体どういう感じでこの曲書いたんだろう とかさ、逆に謎が深くなっちゃりして。。。


・・・なんて思ってたら、ようつべに、アルフィーの坂崎氏との「オールナイトニッポンゴールド」で、この曲について語ってた時の模様が落ちてたね

↓ コレ


ぷぷぷ、余計な話だけで、曲についてはほとんど言及してないワwwww
でも、冒頭、アコギでこの曲を演ってるけど、アコギでやると、なんか急にフォークソング・・・否、拓郎節っぽく聴こえますね、やっぱり。。。

坂崎氏とのバカ話を聴いてると、この曲、それほど深く考えて書いてなかったような。。。


・・・ということで、本家、秀樹で曲をひとつ。。。






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Song for U.S.A / チェッカーズ

A_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Song for U.S.A」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    Song for U.S.A
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年6月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 32.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜8月4日、8月18日付
・タイアップ:映画「Song for U.S.A」主題歌

個人的な事だけど、G.S(グループサウンズ)の勉強がしたくてねぇ、少し前にG.S研究の第一人者であった、故黒沢進氏が書いた「日本の60年代ロックのすべて」(シンコーミュージック刊)っちゅう本を買って読んでたんだよね。
 G.Sについては、いわいる「A級」って言われた、超有名ところなバンドについては以前から聴いては居るんだけども、G.Sは「B級」「C級」が面白い・・・なんて、まるで80年代アイドルのような事を言う人もいてさ、流石にそう言うマイナーとバンドは知らないんで、この本を買ってちょっと勉強してたわけなんだよね。
 この本、G.S研究の第一人者である黒沢氏が書いただけあって、マイナーなバンドまで、かなり詳しい解説があるからさ。

で、その中の「ザ・バロン」っていうグループの解説と、リーダーであった若子内悦郎氏のインタービューを読んでて、思わず「なに?」と思ってしまったのよね。

うん、このバンドで、サイドギターをやってたのが、何を隠そう、80年代にヒットメーカーとなる芹澤廣明氏だったんですよね。

うーむ、なるほどそうだったのか。。。と思わず唸ってしまったですわ。

芹澤氏といえば、確かに中森明菜の「少女A」が有名だけど、やっぱしチェッカーズ初期の一連のヒット曲ですわな。

・・・うーみゅ、前置きが超長くなってしまったけど、そんな事で、今回の1曲セレクトは、チェッカーズの「Song for U.S.A」をば。。。

↑でも書いたように、チェッカーズの初期の作品・・・。そう、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から、全てのシングルのタイトル曲は芹澤氏が作曲、プロデュースを行ってきた訳だけども、その蜜月の最後となった曲が、この「Song for U.S.A」・・・と言う訳ですわ。
そそそ、この曲の次が「NANA」になる訳だけど、「NANA」から後はメンバーの自作曲と言う事になるわけで。。

デビューから3年余り、ずっと続いてきた芹澤氏との蜜月が、突然切れた訳なんだけども、なぜ、このタイミングで切れたのか・・・っていうのは、まあ、30年経った今でも公式に公にはなっていないだけど・・・。
以前、有名になった高杢氏の暴露本「チェッカーズ」によると、藤井兄弟と芹澤氏との確執って事が書かれてはいたけど、どこまでが事実なのかは、よく分かんないしさ。

ま、確かに、この頃のチェッカーズの曲って、少し迷走して来て感があったのも事実だったけどね。
この曲の前の「OH!! POPSTAR」では、60年代のマージービートっぽい曲だったじゃん。正直ね、なぜに、このタイミングでこの曲なんだろう? ・・・とは当時から感じてたりしてね。チェッカーズもそろそろ、曲のネタが尽きてきたのかなぁ・・・っていう印象が強くてさ。

・・・それとともに、シングルの売り上げもジリ貧になってきてたしね。
「OH!! POPSTAR」が、おニャン子に負けて、オリコン1位獲れなかった・・・っていうのも、ちょっとインパクトあったしなぁ。

この「Song for U.S.A」でも売り上げのジリ貧は続き、売上げは32.6万枚。 この時点でのチェッカーズのシングルで「一番売れなかった」シングルになっちゃったわけだけどさ。


まあ、曲的な問題もあったのかもれしないけどね。
最初に書いたように芹澤氏って、G.Sのバロンっいうグループに居た訳だけども、このグループ、R&B志向が強かったようですから。まあ、チェッカーズ自体、R&B臭が強いかと言えば、そうではないけど、少なくとも50年代〜60年代の香りは、それまでのどの曲でも感じる訳だよね。
 でも、そういうオールディーズな傾向から、脱却したかったのかもな。そういう「縛り」がなく、もっと自由に音楽を作りたいって言う気持ちの方が強かったんだろう。

芹澤氏との蜜月の解消・・・っていうのは、その部分が強かったのかもしれないな。


たださ、個人的には、この「Song for U.S.A」っていう曲は、キライじゃなかったんだよな。
まあ、個人的に「3連」の曲が好きだってこともあるけど、曲自体切ないんだよね。
こういう切ない曲をチェッカーズがやってくれるんだったら、それはそれで歓迎だな・・・と。

ま、それよりも、前年の「神様ヘルプ」から、公然的に口にしてた「ゲ―ノー界」にたいしての反抗期っていう感じが、曲を聴く限りでは感じ無かったんだよね、この曲では。

音の荒みとか感じ無かったしさ、なにより曲を聴いて切なく感じるってことは、それだけ精神的に安定していたとも言えるしね。

でも、実際は、芹澤氏との蜜月解消が進んでいたって言う訳だからねぇ。
いや、逆言えば、そういう腹積もりを決心していたからこそ、音にも出て来ていたのかもな。




ちなみ、「Song for U.S.A 」とは、関係ない話だけど、芹澤氏との関係が解消し、50年代〜60年代縛りが無くなった頃、ネオG.Sって言う形で、G.Sにまたスポットが当たったのは、チェッカーズにとってはなんか皮肉だったよな。
 それと、芹澤氏の他にも、G.S・・・特にB級、C級のG.Sの元メンバーだった方が、この頃80年代の(音楽)業界にはホント多かったんだよね。売れる音楽とは何なのか・・・ってことを自分たちで体感し、分かっていたからこそ、80年代くらいの音楽は面白かったのかもしれないな。 その辺については、追々と言及して行きたいですね。


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FU-JI-TSU / 工藤静香

1988_07_FU-JI-TSU_工藤静香


今回の1曲セレクトは、「FU-JI-TSU」工藤静香です。

まずはデータです。

・タイトル     FU-JI-TSU
・アーティスト   工藤静香
・作詞       中島みゆき
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年6月1日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  25.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月13日〜8月15日付

えー、いつ以来なんだ ・・・ってくらい久々に1曲セレクトを書いていまする。
日曜日、あの猛暑でグロッキーになっちゃいまして。。。 どうもね、熱中症っぽかったんですよね。 体の熱がなかなか取れなくなっちゃいまして。 それで夜もクーラー廻したまま寝たら、余計体調がおかしくなっちゃいまして。。。
 今、仕事が繁忙期で休めないんで体に鞭打って仕事行って、それで余計疲労がたまって・・・っていう悪循環もあって、どうにも1曲セレクトを書ける状態じゃなかったんだよね。
月曜からこの方、家に帰ってもPCにも向かわず、すぐに寝ちゃってたんで。。。 

で、その分いつもより睡眠もとってたんで、どうにか、今日あたりから体調も回復して、こうして1曲セレクトを書いておりまする。

まあ、30代の頃の体力があればね、それでもケツ振っても頑張っちゃうんだけども、もう若くないからねぇ、この先も疲れたら、書くのお休みいただきますわ。(文章書くのも意外と体力いるのですヨ)


・・・ということで、関係ない話をダラダラしてもしょうがないんで本題に行きますか。。

前々から、書こうと思った曲は何曲か描いていたんだけども、今回はその中の1曲をば。。。

工藤静香「FU-JI-TSU」

うむ、前回書いた生稲晃子「麦わらでダンス」と同じく、88年の今頃のヒットとなってしまうけどご勘弁。

まあ、元おニャン子&うしろ髪ひかれ隊同士・・・ということで

ところで、この曲、最初にタイトルを見た時、「FU-JI-TSU」⇒「富士通」にしか見えなくてねぇ

・・・ってかお決まりのギャグですよね。。。 なんて言いたくもなるけど、これ結構マジでそう思ってたんだよね、ワタシ。
真面目に、なんで、工藤静香が「富士通」の歌わにゃいけんのだろ ・・・とかさ。

とういかねぇ、「FU-JI- TSU」⇒「不実」 っていうのが、全然浮かんでくなかったのよ。真相を知った時はなるほどね。。。って感じだったかなぁ。

ま、そんなことはどうでもいいとして、この曲と言えば、やっぱり、今をときめく中島みゆき嬢と、工藤静香がタッグを組んだ最初の曲と言う事でしょうかね。
 ホント、これは、全く予想もつかなかった。この曲の前の「抱いてくれたらいいのに」の作詞は松井五郎氏だけど、まだ、こちらの方が予想できたって感じはしたけどね、当時の売れっ子というところから見ると。

でも、流石に中島みゆき嬢とはね。しかも曲は相変わらず、後藤次利氏で、詞だけだったじゃん、中島みゆき嬢は。こういう事もあるんだ・・・と思うとともに、果たして後藤氏とのメロディに合うんだろうか・・・なんてことも最初は思ったんだけどね。
これが結構、ウマく嵌まってたんだよね。

正直、その前の3曲は、ソロとは言っても、おニャン子の残像を引きずっているような印象があったんだよね。

でも、この曲からは、そんな残像も、おニャン子臭も感じ無くなった。 完全に「工藤静香」っていう一人のソロアーティストの色に変わったよね。

そう言う意味でも、ここで、中島みゆき嬢を持ってきたのは大正解だったよなぁ。 例えば、ここで、また秋元康氏に戻ってたら、おニャン子の臭いを、まだ引きずっていたかもしれないし、少なくとも、その後のアーティスト・工藤静香は無かっただろうしね。

じゃ、具体的にどこがどう変わったのか・・・・と言われると、正直言うと答えに困っちゃうんだけどさ

兎に角、一人のアーティストとしての脱皮は感じたよなぁ。 だからね、シングルとしては第4弾のこの曲だけど、本当の意味での工藤静香は、ここがスタートラインだったよね、っていうのは間違いないと思うんだよね。

ちなみに、それを表すかのように、この曲では、ここまでの最高売り上げを記録。 さらに、ここから売り上げを伸ばしていくことになるんだよね。
 当時、浅香唯、中山美穂 南野陽子と並んで、アイドル四天王と呼ばれていた工藤静香だけど、そう呼ばれるようになったのも、この曲の後辺りからだったもんなぁ。
 この曲の売り上げは、25万枚と、この次の「MUGO・ん・・・色っぽい」に比べると、半分にも満たないけど、それでも、ベストテン内に2カ月ランクインしてたからねぇ。 薄く長く売れてたって印象が強いな。
それとともに、存在感はこの曲がヒットした頃から俄然大きくなったもんね。

そうだ、この曲をこのタイミングで書こうと思ったのは、丁度、この曲がヒットしてた頃・・・だから28年前の今頃、やっぱり体調崩してたんだよな、ワタシ。
熱中症ではなかったんだけども、全身に「蕁麻疹」が出ちゃって大変だったんだよな。この曲を聴くと、なんかね妙にその時のことを思い出すんですよ。 そんなことが、今週の体調の悪いことで余計想い出されちゃったんだよな。



以前も書いたかもしれないけど、工藤静香って、ウタ、めちゃくちゃヘタだったんだよな、最初。
間違ってるとしか思えないくらい。
でも、この辺りになると、それなりに聴けるようになってましたね。まあ、まだ、後年の堂々とした歌いっぷりには程遠いけど。
でも、かなり頑張ってたんだろうね。じゃなきゃ、半年程度でここまで歌えるようにはならないよな。



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麦わらでダンス / 生稲晃子

1988_07_麦わらでダンス_生稲晃子


今回の1曲セレクトは、「麦わらでダンス」生稲晃子です。

まずはデータです。

・タイトル     麦わらでダンス
・アーティスト   生稲晃子
・作詞       秋元康
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年5月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数 7.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ついでにとんちんかん」主題歌

まあ、なんて暑い1日だったんでしょうねぇ。特に行くところも無かった日曜日だったんで、今日は1日クーラー三昧でしたわ。
去年までは電気代がかかるのが嫌で、極力クーラーかけないでいたんだけど、去年の秋口にクーラーを交換して、昨年までよりは機種が新しくなった分電気代かかんないだろう・・・なんてことで、今年は早くもクーラー頼みになっちまいましたわ。 電気代の請求が怖い。。。

さてさて、1曲セレクトも、ここ暫く70年代を多く書いてきたんで、今回は80年代「アイドル」でも持って来ましょうかね。

生稲晃子「麦わらでダンス」。

タイトルからして、ナッツ〜 って感じでいかにも、この暑い季節の曲だよなぁ〜・・・・なんてイメージがあるんだけども、この曲実際は、リリースが5月だったんだねぇ。

いや、確か、今頃だったよな・・・なんて、ワタシ自身思いこんでたんだけどさ。 で、今回書くに当たって、確認してみたら、リリースは5月21日だったわ。。 なんで、実際、今頃はすでにヒットのピークは過ぎていたんだよね。

でも、まあ、セレクトしちゃったんで、一応、書きますかねぇ。

いや、ワタシも勘違いしてたのは、この曲、オリコンでは、一応ベストテン入りした(最高8位)けど、「ザ・ベストテン」では、ベストテン入りしなかったんだよね。
 でも、この年88年限り行ってた「月間ベストテン」では、6月にベストテン入りしてたんだよなぁ。 で、月間ベストテンは、毎月、月末木曜にやってたんで、どうも、今頃のヒットだったっていうイメージが付いちゃってたみたいだなぁ。

まあ、以前も何回か書いたように、この年88年は、記録的な冷夏でずっと涼しかったから、「夏っぽい」タイトルのこの曲も、どうもタイトル負けしてた様なイメージもあったんだけどさ。

曲調は、タイトル通り、夏っぽいイメージのメジャー系アッパーチューンだったじゃん。匂いからして「夏」の匂いがしてたけどさ、実際は、気候的にそうじゃなかったからさあ、どうも浮いちゃってた様な感じがしたりしたな。

これが、この2年後の1990年のような猛暑な年だったら、またイメージも違ってたんだろうけどな。

曲的には悪い曲ではないとは思った。元おニャン子からのソロ曲としては佳曲な部類に入ったんじゃないのかな。 おニャン子の曲って、曲によっては退屈な曲もあったからな。
でも、このヒトのキャラクターにもあってたと思うし、退屈さは感じ無かった1曲ではあった。

だけども、個人的には、この曲の音源ずっと持ってなかったんだよな。いつかは音源手に入れようとは思ってはいたんだけど、反面、おニャン子関係はもういい・・・っていう気持ちも半分あったからな当時。
でも、今は、なぜか手元に音源がある・・・。ただ、どころから手に入れたのかは全然覚えてないんだよな。

おニャン子関係はもういい・・って書いたけど、本音のところではおニャン子だけではなく、80年代アイドルは全般的にもう良い・・・っていう気分にもなっていたってのもあるな、当時は。

ま、80年代アイドルの中でも、「A級」と呼ばれていたヒト達は、この88年頃になると確実に変化を見せていたし、だから、厳密に言えば、通常いわれる80年代アイドルから脱皮しつつあったけどさ。
でも、依然として、それまでの「80年代型アイドル」からの変化を感じられ無かった人たちの方が多かった訳で、そう言うヒト達はもういい・・・っていう気分だった・・・って言うのが正解なんだけどね。

88年時点で、それまでの「80年代型アイドル」から変化を見せなかった人たちって、ほとんどが当時のアイドルオタク様ご用達のような存在だった訳でさ。
いわいる当時急速に進んだアイドルオタク様ご用達・・のような曲は、もういいわ・・・って言う気分だったんだよね。

この曲も正直言えば、そういう対象な感じの曲ではあったんですよ、ワタシの中では。
だから、当時音源を揃えるのには待ったをかけていたんだけと思う。

曲を聴く・・というよりは、アイドルのキャラクターを楽しむ・・・って感じになりつつあったでしょ、当時のアイドルオタクご用達な曲は。 そこからは切り離れたいと思うようになってたんだよね。
オリコンもアイドルお宅様に占領され、ランキング情報誌と言うよりは、アイドル誌になっちゃったことにも憤っていたこともあるし。
あくまでワタシが追いかけたいのは、ある一部分のオタク様ご用達な曲じゃなくて、「大衆」音楽だからさあ。
それは、あれから28年経った今でも変わらないな。

ただね、キャラクターとして生稲晃子ってヒトはキライではなかったんだけどさ。
このヒト、当時ワタシが好きだったコに似てるんだよなぁ。髪の毛をアップにしたり、ポニーテールにするとホント良く似ててさぁ。 雑誌の表紙とか、グラビアにこのヒトが出てくると、ドキッとしたもんだよなぁ。
 ちなみに、生稲さん自身は、私より1つ年上なんだけどね。




ダンスは、まずまずよかったけど、ウタ(歌唱力)は、やっぱね。。。。。。
だけど、この時の生稲さん、横顔が所々、中村由真っぽいなぁ。
もうちょっとポチャッとしてたイメージがあったんだけど。。。。


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OH!ギャル / 沢田研二

1979_07_OH!ギャル_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「OH!ギャル」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    OH!ギャル
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年5月31日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 27.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月11日〜7月23日付

えー、前回は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」をセレクトしてきましたが、70年代、百恵と並ぶスーパースターといったら、やっぱ、ジュリーですよね。
・・・ということで、今回はジュリーの曲に決まり!

・・といってもね、ジュリーもここまで大分書いてきたからなぁ、今回は少し変化球で行きますかね。

「OH!ギャル」

「勝手にしやがれ」にはじまったジュリーにとっての「第2期」黄金期の最後に当たる、この曲だけど、「最後」と書いたようにそれまでの大ヒット曲に比べると、やや売り上げもダウン。少し忘れられた、ジミな存在の曲・・・って言う感じなのかなぁ、今となっては。

うん、第2期黄金期、ずっとジュリーを支えてきた、阿久悠、大野克夫と言うコンビでの最後のシングルでもあり、やはり「勝手にしやがれ」などの大ヒット曲でアレンジを担当してきた船山基紀氏も、この曲がジュリーのシングルのアレンジャーとしては最後の曲でしたね。

79年と言う時代の分かれ目と言う事もあってか、ジュリーにとってもターニングポイントだったんだろうけど、そんな「最後」づくしの曲としては、ちょっとジミ目な曲だった・・・っていうのも否めないかもなぁ。
 「勝手にしやがれ」以来、新曲をリリースするたびに、「次は何をやる?」みたいな話題を常に提供してきたし、曲にしても、毎回、新しさとインパクトを出し続けてきたジュリーだけど、この曲は曲自体ちょっとインパクトに薄い曲だよなぁ・・・っていうのは、否めなかったしな。

そもそも、「OH!ギャル」っていうタイトル自体、あの当時としてもアナロク的だったしなぁ。 それまでの曲のタイトルは斬新さがあったんだけどもさ。

ま、今となっては「ギャル」なんてコトバ自体、完全に「死語」だしさあ、今の若いコにとっちゃ、なんのこっちゃ だよね、きっと。 うん、「ワカイ女の子」の事ですね。

そそそ、79年⇒時代の分かれ目・・という点では、この曲と、ピンク・レディーの「波乗りパイレーツ」が、なんかリンクしてるように感じるんだよな・・・
・・というか、当時もそんな感じがあったな。

沢田研二と、ピンクレディーといえば、前年の1978年、レコード大賞を争った同士ですわ。

その2組、それから半年余り経っただけなのに、それぞれ元気が無かったでしょ。

当時、小学4年のクソガキだったワタシでも、そんな状況から時代の転換点・・・っていうような変化は感じてよなぁ。

でもね、個人的に言えば、この曲決してキライじゃなかったんだよな。むしろ、それまでのジュリーの曲に比べると「手垢」が少ない分、好感度があったような気がするんだよね。

恐らくそれは、本格的にヒット曲の世界に足を突っ込んで、本気でヒット曲を聴き始めた頃と重なっていたからなのかもなぁ。

まあ、そんなこともあってか、この曲を聴くと1979年の今頃の風景がはっきりと脳裏に浮かんでくるんだよね、今でも。

そそそそ、この曲がヒットした、ほんの少しあと、この年の夏休みに初めて「ブルートレイン」に乗って博多まで行ったんだよな。 その時、頭ん中でヘビーローテーションでながれてたのが、この曲だったんですよ、それも良く覚えてる。
 
だからね、この曲を聴くと、あん時の初めて乗ったブルートレインとか、博多の中州のネオンサインの光景とか思い出すんですわ。

そんなことも個人的に、好感度がある1曲なのかもしれないな。

ただ、この曲に関して、それまでの曲のような話題性が無かったか・・・というと、そんなことなかったよね。
そそそ、この曲で初めて、「化粧」したんだよなジュリー。 今見ると、最近のビジュアル系ほどの化粧ではないけど、当時は、かなり話題になりましたよね。 男が化粧とは、何事  みたいな

まあ、向こうでは既に、デビットボウイが化粧してたりしてたわけで、ま、言ってみればジュリーもそれを取り入れただけに過ぎなかった訳なんだけども、まだ保守的・・・というか、伝統的な日本文化な思想が残ってた70年代でしたからねぇ、それでも話題になってしまう訳だったんですよね。


ちなみに、ジュリー自身は・・・というと、どうも、この曲は気に入ってなかったようで、あるツアーで、この曲を歌った後、「この曲大嫌いなんや」なんて暴露してた様ですね
当時は、そんな感じしなかったんだけどねぇ。。。



うーん、タバコを持ちながら曲を歌う・・・っていうのも当時としては斬新だったかなぁ。
この後、、これマネして、タバコ持ちながら歌うヒトは、ちょくちょく出てきたけどさ。


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横須賀ストーリー / 山口百恵

1976_07_横須賀ストーリー_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「横須賀ストーリー」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル     横須賀ストーリー
・アーティスト   山口百恵
・作詞       阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1976年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 60.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年7月5日〜10月4日付

7月ですね。夏本番間近・・ってこともあるけど、のっけから蒸し暑い1日ですわ。週末って事もあるけど、「体力の限界」って感じですわ。
 ここ数年、クーラー何ぞつけたことないんだけど(電気代ケチケチ生活って言うのもある)、今日はちょっと無理。
クーラーをガンガンかけた部屋で書いておりまする。

さて、7月1発目の1曲セレクトは、百恵様で行きましょうかねぇ。

横須賀ストーリー。

うーむ、この曲もまだ書いたなかったんだな。 売り上げ的に言えば、山口百恵さん最大のヒットとなったこの曲ですね。
 そそそ、あの「いい日旅立ち」(売上げ53.6万枚)よりも、この曲の方が売上げは上なんだよね。

・・・・と言っても、60万枚強。

この売り上げ枚数を多いと見るか、「そんなもんなの}」と見るか・・・と言うところなんだけども、前から書いているように70年代アイドルの場合、売上げ50万枚というのが、一つの壁となっていて、50万枚以上売れた曲って言うのは、そんなに多くない。ましてや、60万枚強となると、さらに少ないんだよね。
 
 レコードの購買層の中心は、ティーンエイジャーというよりは、もう少し上の年齢と言う事もありーの、やっぱり時代は、まだ歌謡曲中心だったからね。

それから見ると、この曲は、百恵最大のヒットとしては相応しい売り上げだったんじゃないかな。

ま、売り上げ云々は別として、実際ベストテン内に3ヵ月間居座ったし、手前味噌で申し訳ないけど、ワタシのランクでは、8週連続1位でしたからねぇ。
そんな動きをみると、大ヒットだったって事は如実ですよねぇ。

でも、そんな大ヒットを出した、山口百恵さんですが、この曲にたどり着くまで、2年余りはそれほど突出した大ヒットは無かったんだよね。
まあ、・・とはいえ、平均30万枚近くの売上げは記録していた訳で、通常の「歌手」から見るとスーパースターだけどさ。

これと言った代表曲はなく、実際の所、百恵自身も悶々と過ごしていたらしいですね。

そんな中でのこの1曲。 百恵自身の意識も変えるほどのターニングポイントとなった曲だけど、そのウラでは、やっぱり、なんだかんだ言っても、阿木耀子、宇崎竜童夫妻の力が大きかったと言わざるを得ないだろうなぁ。
 
 そそそ、山口百恵と言えば、阿木耀子、宇崎竜童コンビの曲っていうのが、定番のように思えるけど、実際は、この曲からなんだよね。

宇崎氏曰く、この曲はシカケもなにも考えずに素直に作った・・と言う事なんだけども、そのシンプルさが返って良かったのかもしれない。 余計な全肉をそぎ落とした1曲・・というか、阿木さんのコトバ一つ一つが、ストレートに伝わって来ますよね。
それが、曲全体のインパクトに繋がってくる・・・というかね。兎に角曲全体がインパクトなんだよな。

もちろん、そこには、アレンジの萩田氏の力も忘れる訳には行かないんだけどさ。 うん、こちらに迫ってくるようなイントロはインパクトそのものだしなぁ。
それに続いて、 ♪ これっきり これっきり〜 ♪ っていう、一種変わった譜割りのメロディが続く訳で。

やっぱり、この曲の肝だよね、イントロからこのAメロの部分は。

いずれにしても、この曲から、阿木、宇崎コンビが、ラストの「さよならの向う側」まで続く訳で、百恵の本当の意味でのスーパースター伝説は、ここからスタートしたと言っても過言じゃないわけですよね。



えー、この時、百恵17才なんですが・・・・。まあ、なんて大人っぽいんでしょう。
今のアイドルなんてさあ、20才越えたいい年しても、一向にガキっぽい曲をガキっぽく歌ってんじゃん。このヒトの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいよね。大人になれやってさ。
 それと存在感だよなぁ。スーパースターの条件だよなぁ。その点からすると、最近はスーパースターと呼べる人がほとんどいないっていうのが分かりますね。存在感がある人が少ないんだよね。
だから、グループに逃げるんですよ。存在感があればソロで充分な訳で、グループにする必要もないんだよね。



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