かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年04月

おっとCHIKAN! / おニャン子クラブ

1986_04_おっとCHIKAN_おニャン子クラブ








今回の1曲セレクトは、「おっとCHIKAN!」おニャン子クラブです。

まずはデータです。

・タイトル      おっとCHIKAN!
・アーティスト    おニャン子クラブ
・作詞        秋元康
・作曲        長沢ヒロ
・編曲        山川恵津子
・リリース日    1986年4月21日
・発売元       キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    20.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年5月5日〜5月12日付

最近アイドルの曲ばっか書いてるなぁ・・・・と自分でも分かってはいるんだけど、今回もアイドルの曲をセレクトしてきてしまいました。。。

おニャン子クラブ 「おっとCHIKAN!」

おニャン子クラブは、ワタシの青春と被っているんだぁ〜・・・・とか、この間アルフィーの「君が通り過ぎたあとに」を書いた時、誇らしげに書いてしまった・・・・ような気がするんだけど、ま、確かにね、最初のうちは、おニャン子も肯定派だったんだけど、それは1986年3月までの事なんだよね。

 うん、中島美春が卒業して、正直言って、ワタシの中のおニャン子は終わっていたのよ、実際的には。その後は、ひたすらウザイだけの存在になったんだよな。

 その発端が、4月1日にリリースされたニャンギラスの「私は里歌ちゃん」でありね。はっきり言って、この曲の存在は、それまで積み上げてきた80年代アイドルの「歴史」を一瞬のうちに壊すのに十分なくらい、酷い曲だったしさあ。だから、個人的には「1986年4月1日」には爆弾が落ちた・・・と言ってる訳なんだけども、しかも、そんな曲がオリコン1位を取ってしまう・・・なんていう、ヒットチャート1位が、1位という権威すら失墜させるのに十分だった訳でさ。

ま、そんなこともあり、一転して、おニャン子否定派に回った訳なんですわ。

そんな否定派に回った頃にリリースされた、この曲「おっとCHIKAN!」なわけですが、そんな感じで頭から否定して聴いていた訳なんで、当然、曲が良く聴こえる訳もなく・・・って感じだったな。

そうじゃなくても、正直、「セーラー服〜」から続いた、女子高生ネタっていうのも、なんかウソっぽく感じてきちゃったしな。

ウソっぽく感じてきた・・・っていうのは、この曲からメインボーカルから新田恵理が外れ、もちろん中島美春は卒業して抜けた訳だから、その代わりに、城之内早苗、横田睦美、永田ルリ子がメインボーカルとなり、それまでの福永規恵、内海和子とあわせて5人のメインボーカルとなったものの、なんか実態が感じられなくなったんだよな。上で書いた、ウソっぽく感じたのは、そんな実際を感じなかったからなんだろうな。

 そもそも、この曲については、最初のサビの部分から、ソロパートよりも、「その他大勢」で歌っていたパートのほうが多いしな。 なんのためのメインボーカル・・・ま、今風に言えば「センター」ですよ・・・なのかが良く分かんない曲でもあるんだけどさ。

ちなみに、この曲、タイトルにもあるように「痴漢」について歌った訳なんだけどさ、うん、真面目で気弱そうな男子が、「小悪魔」女子高生に「痴漢」にでっちあげられてしまった・・・っつう内容ですわな。

wikipediaによると、30年前の当時は痴漢行為は微罪で済まされていたが、昨今は厳罰化されたのに伴い、最近は、この曲はほとんど「放送禁止」扱いになっているとのことで、テレビラジオじゃ、多分聴けない曲に成り下がったようですね。

流石は秋元康大人。 今も昔も「罪」なウタを作ってらっしゃる。 



 

テレビラジオでは放送禁止扱いになってらっしゃる・・・との事だけど、動画の世界では「放送禁止」じゃないらしい。。。まあ、動画は「放送」じゃねーし。。。っていう理屈だわな。

でも流石にバツが悪いのか、コメントは出来なくなってたりするけど、この動画。



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砂の城 / 斉藤由貴

1987_04_砂の城_斉藤由貴








今回の1曲セレクトは、「砂の城」斉藤由貴です。

まずはデータです。

・タイトル     砂の城
・アーティスト  斉藤由貴
・作詞        森雪之丞
・作曲      岡本朗
・編曲      武部聡志
・リリース日   1987年4月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  13.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1987年4月20日〜5月11日付
・タイアップ:富士フィルム「AXIA」CM曲

平日、帰宅する時こちらの最寄り駅に着くのは大体、毎日22時近くになっちゃうんで、駅から家までの車の中のカーラジオは、大体がニッポン放送の「ミュージック10」を聴くことになるんだよね。
 で、木曜日のパーソナリティは、斉藤由貴さん。 もちろん、今も聴きながら、駅から家まで帰ってきたんだけど。。。

 このヒトは、昔から、声が全然変わらないよなぁ。 やっぱり、昔、ニッポン放送でやってた、斉藤由貴の「ネコの手も借りたい」だっけ あの時代から全然、しゃべり方も声も変わらないんだよな。

 たしか・・・今年「50才」でしたよねぇ なんか全然信じられないよなぁ。ラジオの中の声を聴く限りは、「永遠の20才」・・・のような感じがするんだよね。 声質といい、すこし舌たらずでテンポがずれ気味のしゃべり方といい。

永遠のアイドルって感じですわね。

最近は、すっかり「お母さん」さん役な感じになってきて、AUのCMのお母さん役を見ると、なんか違和感感じちゃったりするんだけど、でも「ボケ」た感じのキャラクターは、昔のまんまですわね。

このヒトは、まっとうな性格の役よりはちょっと「ズレ」ているボケぎみところがいいんだよね。

ちなみに、この間から、87年の今頃は、発情期真っただ中の「ワタクシ」だった・・・ってここでは書いてるんだけど、あの頃、その「発情」の元となっている相手()ず、斉藤由貴さんに似てたんだよなぁ。
ルックスもそうだけどポニーテールが似合ってるところも。

だからかねぇ、未だに斉藤由貴さんが出てくると、どうもソワソワしちゃったりするワタシだったりします。。。


おーっと、今回セレクトしてきた「砂の城」の話が全然出てこない。。。話を戻しましょう。

斉藤由貴さんの今頃の曲って、いい曲が多かったんだよな。 85年は件のデビュー曲の「卒業」、86年は「悲しみよこんにちは」。

 どちらの曲も個人的にも好きだったぁ。 時に86年の「悲しみよこんにちは」は、斉藤由貴さんの中でもベストソングだったよなぁ。

でも、どちらの曲もすでに書いちゃったんだよね。・・・というわけで、まだ書いてなかった87年の「砂の城」を引っ張ってきた訳です。

この曲は、上記の「卒業」、「悲しみよこんにちは」に比べても、今一つはっきりしなかった・・・ような印象なんだよなぁ。
 ・・・かといって、個人的に「キライ」な曲・・・と言う訳じゃなかったんだけどね。あくまで、印象としてはっきりしなかった・・・と言う訳で。。


斉藤由貴さんって、必ずしもウタが「ウマい」って訳じゃなかったんだけども、いつも感情を入れて歌っているって言う印象が強かったじゃん。
でも、この曲のは、なんか「ぶっきらぼう」に歌ってるなぁ・・・っていう感じがしたんだよね。

斉藤さんも、この曲、あんまり好きじゃなかったのかしらん 

詞のシチュエーションは、面白かったけどね

♪ 愛はまるで砂の城ね 出来た途端 波がさらう〜 ♪ とかさ。小説みたいなセンテンスじゃん。

作詞は、森雪之丞氏。
この曲より一昔前は、「言葉遊び」の森雪之丞・・・ってイメージだったけど、この曲の頃は、まるで「作家」って感じでしたよね。 ただ、アイドルの曲としては、すこし大人びた・・・っていうと大げさかもしれないけど、今一つ、しっくりと来ない感じは受けたんだよな。 その辺りが、はっきりしない印象に感じたのかもしれない。

まあ、この曲に限らず、この辺り・・・1987年春から夏あたり・・・のアイドル曲って、総じて、今一つはっきりしない曲が多かったんだけどね。
 
 この頃になると80年代アイドルも「飽和状態」な感が否めなくなってきてて、今一つ焦点がぶれてるよなぁ・・・って感じだったからなぁ。

 しかもレコード自体、売れなくなってきてたんで、ヒット規模自体も縮小してきてたし・・・。 その辺は、「現在」と同じ状況な感じでしたよね。

 ただ、違うのは、この頃はアナログレコードからCDへの移行期間・・・ってことで、CDプレイヤーが普及し、アナログレコードからCDヘの移行が完成すると、売り上げが俄然回復して、ヒット規模もめちゃくちゃでかくなったんだけどね。いまはそう言う「V字」回復傾向の兆しが全然見えないんで。。。



うーん、曲についてなんかマイナスなイメージしか書かなかったけど、今、改めて動画を見ると、なかなかいい曲だな。。。
音質がね、当時聴いてた印象と全然違う。
かんがえてみれば、当時はまだモノラルで聴いてた様な気がするんだよな、この曲。
ヒット当時は、聴こえなかったような音が聴こえるんだよな。バックのアコギのカッティッングとか、ピアノのフレーズとかさ。それだけでも、当時聴いてた印象と大分違うもんなんだよね。

動画にも出てくる「AXIA」のカセットテープ、当時、使ってたよなぁ。
SONYに比べると安かったんだよな、たしか。



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誘惑光線・クラッ! / 早見優

1984_04_誘惑光線・クラッ_早見優








今回の1曲セレクトは、「誘惑光線・クラッ!」早見優です。

まずはデータです。

・タイトル    誘惑光線・クラッ!
・アーティスト  早見優
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年3月31日
・発売元     トーラス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年4月30日付
・タイアップ:資生堂「バスボン ヘアコロンシャンプー・リンス」CM曲


なんか、最近書く「年」が偏ってるなぁ・・・なんていつも書いてるような気がするけど、今回は1984年。
あー、ちょっと前に、中井貴一氏の「青春の誓い」を書いたばっかりなんたけど、またまた1984年の曲を引っ張って来ちゃいました。

早見優「誘惑光線・クラッ!」

うーん、この曲なんかは去年、すでに書いていても全然おかしくない曲なんだけど、まだ書いてなかったんだなぁ。まあ、去年も今頃、大分1984年の曲を書いたかんね、この曲は、飛ばしていたのかもしれない。

この曲、リリースが3月31日なんだよね。うーむ、ずっと3月21日リリースだと思い込んでいたんでね、なんか変な日にリリースだよなぁ・・・とも思うんだけど。。。なんで1日ずらして4月1日リリースしないの? とかね。
 でも、まあ、今となっては、そうかと思うんだけども、いわいる決算日に合わせたって事ですよね。
うむ、あくまでこの曲は「1983年度」(会計の)曲だという事で・・・・。
 2000年代に入って、こんな曲が増えましたけどね。だから、最近は3月下旬リリースの曲が多い訳なのよ、決算前に飛び込みリリースして、上乗せ決算したいって事で。。。
 
 まあ、もちろん、84年当時はそんなこと全く考えてませんでしたけどね


でも、この曲は、なんか面白かったな。 前曲の「抱いてマイラブ」が、若干ハード路線だったのに対して、随分ポップな路線に戻りましたもんね。
 前年、83年にブレイクした、「夏色のナンシー」「渚のライオン」と同じ筒美作品に戻ったわけだけども、楽曲そのものもデジタルポップな路線に戻った訳なんだけども。
 ただ、前年の「夏色のナンシー」や「渚のライオン」のデジタル路線とは、ちょっと肌触りが違ったな。

まあ、アレンジャーが、バリバリデジタルな茂木由多加氏から、大村雅朗氏に変わったってのも大きかったろう。

大村氏のアレンジは、シンセを使用しながらも、ストリングスは生音を使ったりして、デジタルとアナログのバランス感覚がありましたしね。
 例えば、前年の松田聖子の「SWEET MEMORIES」のデジタルとアナログのバランス感覚は素晴らしかったじゃないですか。

 ま、この曲は、あの「SWEET MEMORIES」よりかは、「お気楽感」があったけど、それでもそれまでの早見優の曲にはなかったような、新たな手触りを感じだよな、この曲には。

まあ、タイトルにもあるように「クラッ!」っていうコトバの感覚も新しかったしね。

それと全体的なサウンドなんだけど、この頃…1984年の春先あたり・・・からの「音」っていうのが独特なんだよなぁ。 うーん、コトバではなかなか表現しにくいんだけど、「匂い」っていうのかなぁ、「1984年春」独特の匂いってのがあるんですよ。

 以前も書いたんだけど、この年の冬ってのが、寒い冬でさ、記録的な大雪に見舞われたんだけど、それに対して春は、結構暖かったんだよね。好日晴天な日が多かった印象があるなぁ。特に今頃、ゴルデンウイークくらいは、好天で汗ばむような日が続いていたような気がする。

そんな天候を象徴している・・・っていうかさ、この年の今頃の「音」っていうのは、明るいんだよなぁ印象が。
色で例えると、「レモン色」っていうか薄い黄色って言う感じでさ、まあ、暖色系ですよ。

この曲なんかもそうだし、キョンキョンの「渚のはいから人魚」も中森明菜の「サザンウインド」も明るかったじゃん、音が。
ま、マイナー系な曲よりも、メジャー系の曲が多かったって言うのもあるかもしれないけど、そんなイメージだったな。

だからね、この曲なんかも、晴れた天気の下で聴いたな・・・って言うイメージが強いんだよなぁ。

そうだ、親父の車のカーラジオで聴いてた、ニッポン放送の「オリコン全国ヒット速報」とか、文化放送「全日本歌謡選抜」っていうイメージなんだ、この曲は。
 
 当時、母方の爺さんが亡くなる直前で、頻繁に田舎(福島・いわき)に行き来してたんだよね。
その時、カーラジオから流れてた、「オリコン全国ヒット速報」とか「歌謡選抜」っていうのが、この時期の一番強い印象だったりするんだよなぁ。
 そのなかで、この曲も随分聴いたよな・・・っていうイメージが強かったりするんだよね。





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君が通り過ぎたあとに〜Don't Pass Me By〜 / アルフィー

1987_04_君が通り過ぎたあとに_アルフィー








今回の1曲セレクトは、「君が通り過ぎた後に〜Don't Pass Me By〜」アルフィーです。

まずはデータです。

・タイトル     君が通り過ぎた後に〜Don't Pass Me By〜
・アーティスト   アルフィー
・作詞       高見沢俊彦
・作曲       高見沢俊彦
・編曲       アルフィー
・リリース日    1987年3月11日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数   14.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年4月13日〜4月20日付
・タイアップ:映画「タッチ3 君が通り過ぎたあとに」エンディングテーマ曲

アルフィーの曲は、この時期にヒットが多かった・・・ということで先月から、毎週のようにセレクトしてきたアルフィーですが、とりあえずは、今回で一区切りかな・・・と言うところです。

・・で、今回セレクトしてきたのは、87年の今頃のヒット、「君が通り過ぎた後に〜Don't Pass Me By〜」ですね。

実際は、もう1〜2週間前がヒットのピークだったんで゜、その頃に書けばよかったんだけど、まだ、間に合う・・なんてことで、今回セレクトして来ましたわ。


 この曲は、「2枚舌」なんていうキャッチフレーズのもと、「サファイアの瞳」と2枚同時にリリースされたわけなんだけど、激しいアップビートで「動」のイメージが強かった「サファイアの瞳」に対して、セミバラードでしっとりした「静」の雰囲気だった「君が通り過ぎた後に〜Don't Pass Me By〜」という、正反対のシングルと言う感じでしたね。

 そして、この「君が通り過ぎた後に〜Don't Pass Me By〜」は、映画「タッチ3」の主題歌ということで、そのイメージが強かったんじゃないのかなぁ。

「タッチ」と言うと、どうしてもワタシらの世代としては、「青春」の代名詞的なアニメでしたもんね。
ふむ、90年代以降のアニメに対しては「鈍感」にワタシでも、この頃はまだ、アニメも見てたかんね。
丁度、ワタシらの学年が、高校に入学する頃にアニメがスタートし、高校3年になったこの頃に終了って感じだったんだよね。
 同じく、「おニャン子クラブ」も、ワレワレが高校に入学する頃に「夕ニャンがスタート」し、高校3年の時に解散・・・と、「タッチ」と「おニャン子クラブ」っていうのは、セットで高校時代の「青春」の象徴のような存在だったからなぁ。
 
この曲は、そのシリーズ3部作としては「最後」の映画化の主題歌だったよなぁ。

たしかに、しっとりした曲調は、「タッチ」の「最後」の映画化を象徴としているようなイメージもあったけど、ただ、映画の内容と必ずしも合っていたか・・・というと、若干違っていたような気がしないでもないんだけどさ。

個人的に嗜好からすると、2枚同時にリリースされた「サファイアの瞳」の方が、当時は断然好きだった。
ま、「2枚舌」キャンペーンとしていても、実際的には「サファイアの瞳」の方が「本命」的なイメージが強かったしね。
 だから、「サファイアの瞳」は、オリコンで1位を獲得したけども、この曲は最高5位・・・とちょっと開きが出たからなぁ。


個人的には、この曲はねぇ、なんかくすぐったかったんだよな、当時は。

悪い曲ではないとは感じてた。メロディアスなサビ、間奏部の坂崎氏のアコギのインストは今でも心に響いてるしさ。

でも、どうしても「タッチ」っていうのが、まず頭に出てきちゃったりするからさ、「タッチ」⇒「青春」⇒「南ちゃん」⇒「悶々・・・」⇒「やりてぇ〜」っていうサイクルが頭に浮かんできちゃったりしてさぁ・・・。
 
少しの前にも書いたんだけども、この時期・・・1987年の今頃にかけては、個人的に言えば一番「悶々」としてた時期だったからねぇ。
 いつも「やりてぇ〜」って事ばっかが頭を駆け巡ってたからさ まるで発情期の犬状態でしたわ。

そんな時期だったからなぁ。。春の花粉を感じたら、今なら「花粉症」なんだけど、この当時は「発情の季節」っていう頭だったもんなぁ。まあ、生理的にだけど。。。

だからねぇ、40代も後半になった今でも、いまだにこの曲を聴くと、どうも、下半身あたりがムズムズしてきちゃうんだよな。あれから30年が経とうとしているんだけどね、このオッサンは。。。。。






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色つきの女でいてくれよ / ザ・タイガース

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今回の1曲セレクトは、「色つきの女でいてくれよ」ザ・タイガースです。

まずはデータです。

・タイトル     色つきの女でいてくれよ
・アーティスト   ザ・タイガース
・作詞       阿久悠
・作曲       森本太郎
・編曲       伊藤銀次
・リリース日        1982年2月5日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   42.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1982年3月29日〜5月17日付
・タイアップ:コーセー化粧品「82年春のキャンペーンソング」

今回は、今まで書かなきゃ書かなきゃ・・・と思いながらね、長い事ペンディングしてた曲ですねぇ。

ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」。

この曲は1982年今頃のヒットなんだけども、ここのところ82年の曲を頻繁に書いてたからなぁ。ちょっと偏ってるなぁ・・・・と思いーの、だから、少し書くの待ってたんだよね。
 でも、このまま書かないでいると、ヒットの時期が過ぎちゃうよなぁ・・・と、この間、82年の曲(西城秀樹「南十字星」を書いたばっかなんだけど、ぴっぱって来ちゃいました。

まあ、ここ読んでくださってる方の多くは、すでにご存じの曲だと思いますが、71年に解散した、ザ・タイガースも解散10周年ということで、「再結成」されたときにリリースされた1曲ですわね。
 時に、コーセー化粧品の「キャンペーンソング」に使われた事もあって大ヒットでしたねぇ。それもあって改めてタイガースの人気の凄さを確認出来たって感じだったかなぁ。

 ワタシらの世代は、世代的に「G.Sブーム」の頃のタイガースって知らないからさ。なんせ生まれた頃の話なんでねぇ、観月ありさの曲じゃないけど、「ママの頃のラブソング」だった訳ですよ。

でも、10年過ぎても相変わらずの人気を保っているってことは、やっぱりG.Sの西の雄だったタイガースだったわけですわね。
・・・・って書くと、東の雄は? って事になるだろうけど、やっぱ、大宮出身のテンプターズになるんだろうな。

うん、テンプターズについては、また後日改めて書こうかと思いまする。

この「色つきの女でいてくれよ」は、曲も良かったですしね。分かりやすいメロディだし、キャッチーだし。
口悪く言えば「ウレセン」だった訳なんだけどさ。

でも、その辺りは予め計算していたようですけど。。、当時の、沢田研二氏のインタビューを読むと「皮算用通り」なんて発言もしてるしね。
 ただ、計算的にウレセン的にしたのは、やっぱ、再結成するからには、「昔の遺産」だけでの再結成ではなく、新たに82年当時のヒット曲を出したい・っていう願望もあったようで、だから、皮算用通りでも、このヒットはメンバーにとっても嬉しかったようですね。 

G.Sといえば、この当時、81年、82年当たりに再結成って言うグループが意外と多かったんですよね。
81年に、ワイルドワンズ、ザ・ジャガーズが再結成してたしね。
 おりしも、60年代末期〜70年代初頭にかけての、G.Sブームから、丁度10年っていう「区切り」もあったし、なにより81年に、有楽町にあった「日劇」が閉館ということで、G.Sブーム当時、各グループにとっての最大のライブの場だった、「ウェスタン・カーニバル」も終焉。。。
・・・なんいう区切りの中で、かつてのG.Sの再結成って言う流れが出てきてたんですよね。

ま、タイガースの再結成って言う流れは、そんな流れの最大の「見せ場」でもあったようですが、直接的には、81年1月の最後の「ウェスタン・カーニバル」が引き金になっていたようですね。

ただ、この時の再結成時には、ドラムの「瞳みのる」氏は参加せず(慶応大付属女子高校の古文の教師をやられてたんですよね)、代わりに、ベースの岸辺一徳氏の実弟の岸辺シロー氏が参加してたわけなんだけどさ。
 だから、この時の再結成は、「不完全」再結成と捉える向きもあったなぁ。 瞳みのる氏って、ジュリーと並んで人気があったようですからね。

そんな瞳みのる氏は、停年を迎えるまで教師一筋で、芸能活動からは一切手を引いていた訳だけども、定年後の、タイガース再結成の時には、何十年ぶりかでドラムとして参加してましたねぇ。
 この時の「再結成」の時は、メンバー全員の年がねぇ・・・・  ちょこっと涙を誘ってしまった感じだけど。。。。

もし、今回セレクトしたきた「色つきの女でいてくれよ」の82年再結成時に、瞳みのる氏も参加してたら、さらにヒットしてたんじゃないのかなぁ・・・なんてのは感じたりするなぁ。
 この曲の売り上げは42万枚だったわけだけど、タイガース最大のヒットは、68年の「花の首飾り」の67.6万枚。
82年の再結成時に新たにファンになった方も多かったと思うんで、もしかすると「花の首飾り」に匹敵してたかもなぁ・・・なんても思ったりしてね。



 



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渚にまつわるエトセトラ / Puffy

1997_04_渚にまつわるエトセトラ_PUFFY














今回の1曲セレクトは、「渚にまつわるエトセトラ」Puffyです。

まずはデータです。

・タイトル    渚にまつわるエトセトラ
・アーティスト    Puffy
・作詞      井上陽水
・作曲      奥田民生
・編曲      奥田民生
・リリース日   1997年4月16日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  88.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年4月28日〜6月9日付
・タイアップ:キリンビバレッジ「天然育ち」CM曲

この間書いたばっかなんだけど、またまたPuffyです。

「渚にまつわるエトセトラ」。

うーむ、この間書いた「サーキットの娘」の時は、アクセス数悪かったからなぁ。。。
今回はリベンジのつもりで。。。  ってか、「サーキットの娘」よりかは、今回の「渚にまつわる・・・」の方が認知度は高いんで、前回のリベンジはなるかな

ま、じっさい、リリース間隔が無かったですからねぇ、「サーキットの娘」と、今回の「渚にまつわるエトセトラ」では。2カ月連続のリリースということで。

「サーキットの娘」は、それまでのpuffyと若干毛色が違ったかな・・っというところもあり、思ったほどの売り上げも記録しなかったんたけど、この「渚にまつわる・・・」は、売り上げを戻しましたからねぇ。
まあ、どらかと言えば、2カ月連続リリースといっても、こちらの方が「売り手」としても本命だったんでしょうね。

個人的には、逆にこっちの曲の方が売れないなぁ・・・なんて最初は思ったりもしてたんだけどさ。

だってさ、もろ西城秀樹の「Young Man(Y.M.C.A)」のパクリじゃん。 うーん、民生くん、堂々としてるなぁ。
同郷の大先輩の秀樹をパクリとは。・・・なんてさ。

加えて、井上陽水氏の、まったく意味不明な歌詞がね・・・。 初めは、悪ノリしすぎじゃねーか・・・なんてところもあったんだよね。

それに時代は90年代も後半だった訳じゃないですか。そんな時代に、70年代ディスコなノリってどうなの? 感じもしたし・・・・。


BUT BUT、そう言ったマイナス面は、全くの杞憂でしたね。

まあ、このヒト達は理屈じゃねーんだなぁ・・・っていうのが、この曲でよく分かりましたわ。

それとともに、なんか「時代」がよく分かんなくなって来たってのもあったかなぁ、個人的に。


それにしてもさあ、ROCK IN JAPANなんかのフェスでは、もう何回もPuffy見てきてるけどさ、この曲は、未だに「鉄板」ですね。 もうね、この曲と「アジアの純真」はやんないと許さない・・・みたいな空気があったりして。
これまで何回見てきたか分かんないくらい見たよなぁ。事実、この曲が一番盛り上がるんだよね、未だに。
もう19年も前の曲だし、そろそろ、この曲をリアルタイムで聴いたことない・・・って世代もフェスに参戦して来ているのにねぇ。
やっぱ、ノリが全てな曲ってことなんだろうね。歌詞の意味なんて無くたっていい、気持ちよくノレれば・・・
って感じの曲なんだよね。





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青春の誓い / 中井貴一

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今回の1曲セレクトは、「青春の誓い」中井貴一です。

まずはデータです。

・タイトル    青春の誓い
・アーティスト  中井貴一
・作詞      岩谷時子
・作曲      加瀬邦彦
・編曲      飛澤宏元
・リリース日   1984年3月21日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:TBS系ドラマ「青春泥棒 徹と由紀子」主題歌

えー、たまに変な曲をセレクトしたくなったりするんだけど、今回は「変な曲」です。。
・・・・・なんてね

いやいや、ヘンな曲じゃないですよ。 ちゃんとしたまっとうな曲です
でも、中井貴一・・・なんて書くと、「え?」なんて思うヒトも多いんじゃないかなぁ・・・とね。

そそそ、あの俳優の中井貴一氏なんですけどねぇ。その昔、今から32年前、「ウタ」を出していたんですねぇ。

まあ、俳優がウタを出す・・・っていうのは、珍しい事じゃない訳で、ほとんどは俳優業の余技って感じも多く、だからほとんどヒットしないことも多いんですけどね。

 ただ、時々なんかの間違い・・・いやいや、曲が良くて大ヒットすることもありますけどね。
まあ、中村雅俊氏とか、余技の範疇を越えて、完全に演技とウタを両立させていたりする方も中には居らっしゃいますけどね。

じゃ、この曲はどうなのか・・・というと、これは、完全に「余技」な感じでしたよね。

でもね、曲は良かった・・と思う。まあ、個人的な好みの問題でもあるとは思うんだけど、もろ60年代後半の青春歌謡ポップスって感じでさあ。

 うーん、歌謡ポップスっていうのは語弊があるかなぁ。そう書くと橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫・・な御三家みたいなイメージだもんね。
まあ、中井貴一氏のルックスから言うと、そんな感じがしないでもないけど・・・。

でも、曲的には「歌謡曲」というよりはポップスでしたね。そそそ、加山雄三とか、ワイルドワンズあたりのエレキサウンズ。
 と言っても、G.S的なもろガレージっぽくはなく、あくまでも良家の子息って言うイメージの・・・って感じですね。

まあ、作曲がワイルドワンズの加瀬邦彦氏だし、作詞が、加山雄三氏一連の曲を書いていた、岩谷時子女史ですからね、まあモロなんですけどね・・・。

なので、60年代後半の時代をリアルタイムで経験した方には懐かしい響きだったろうし、逆に当時はまだ生まれてなかったワタシなんかは、新鮮に感じたなぁ。

うん、この曲の当時は、まだネオG.Sブームも起こってなかったし、個人的にも時代を遡って音楽を聴くって事もしてなかったからなぁ。単純に、その当時の曲として新鮮に感じてたんだよね。

ま、結果的には、オリコンで最高22位まで行った訳で、そこそこ「スマッシュヒット」の部類にはなりましたよね。

ちょうど、32年前の今頃、「オリコンウイークリー」を定期的に買うようになった頃でさ、この曲のチャートアクションに一喜一憂してたったけな。この曲が最高位22位を取った前後、当時は週間売り上げが1万枚前後で、20位台って事が多かった頃でね、週間1万枚を超えては喜んでたりしたな。

まあ、単純にこの曲好きだったんだよね。 シングル盤ももちろん買ったしさ。


しっかし、この曲の動画、無いんだなぁ・・・・。 まあ、32年前のしかも「スマッシュヒット」だもんね。そんなにある訳ない・・・んだけどさ。。。
 ↑でこの曲好きだった・・・言いながら今まで書いて書いてなかったのは、動画が落ちてなかったからなんだよなぁ。

でも、めげませんよーだ。 ネットを探して、見っけてきましたわ

http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ4MjUyNjUy.html

中国のサーバーなんで、もしかしたら繋がらないかもしれないけど、その時はスミマセン。
(こちらで繋げた時は、一応繋がりました)



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ルージュの伝言 / 荒井由実

1975_04_ルージュの伝言_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「ルージュの伝言」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    ルージュの伝言
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1975年2月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 45位
・売上げ枚数  6.9万枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」挿入曲

えー、久しぶりに70年代に遡りまする。
シングルでは、ほとんど売れなかったけど、でも、有名な曲、時々ありますよね。
特に70年代〜80年代の「ニューミューシック系」のヒトたちには、そう言った曲が結構あるかな。

当初、ニューミュージック系のヒトたちってシングルよりもアルバムを中心にレコード制作を行っていた人たちが多かったですからね、おのずから、そう言う傾向になった人たちが数多くいたってことですよね。
逆に言えば、アイドルとか歌謡曲系のヒトタチは、アルバムよりもシングル重視だったわけで、から、アルバムは、申し訳程度にしか売って無かった・・と言ってもいいかもしれない。

今回は、そんな当時はアルバム重視だったこのヒトの曲を。

荒井由実「ルージュの伝言」。

はいはいはい、今となってはほとんどの方が、この曲をご存じでしょう。

やっぱり、89年に公開されたジブリ映画「魔女の宅急便」の劇中曲として使われたのが大きかったですよね。

でも、それ以前は・・・と言えば、知る人ぞ知る・・・って感じじゃなかったかなぁ。 もちろん、古くからのユーミンファンの方々や、それ以外でも70年代からのラジオ小僧の方々には浸透していたかも知れないけど、「大衆的」な広がりは無かった・・・様な気がするな。

なにせ、この曲、シングルでは、オリコン最高位45位。売り上げ6万枚強ですからねぇ。
現在までの、この曲の認知度からしたら、全く信じられないかもしれないな。

少なくとも、ワタシらの世代では、ユーミンといえば、「魔女の宅急便」よりも少し前の、原田知世主演の例の「私をスキーにつれてって」で使われた、「サーフ天国 スキー天国」「恋人がサンタクロース」あたりっていうのが、より一般的だし、さらに遡って、81年の「守ってあげたい」の大ヒットっていうイメージが強かったですからね。

それ以前、70年代の「荒井由実」時代となると、世代が一つ上になるからなぁ・・・。

でも、そんな70年代のユーミンを、死んだウチの母親が、注目してたって言うんだから、先物買いだったよな、ウチの母親も。
なんでも、70年代のユーミンのファッションに触発されて居たらしいんだよね。

とくに、今回、セレクトしてきた「ルージュの伝言」の頃のユーミンのファッションはオシャレでしたからねぇ。まだ前衛的というかね、少なくとも「歌い手」でああいう、時代の超最先端なオシャレなファッションだっひとも少なかったんじゃないかなぁ。

そんな私も、この曲を実際に聴いたのは、「魔女の宅急便」で誓われるほんの少し前だった・・・様な気がする。

いや、音源はかなり前から持ってたんだけどね。

83年に初めて通販で買った、ニューミュージック大全集。 それに既に、「ルージュの伝言」って収録されていたんだけど、曲自体知らなかったんで、長い事、針を落とさずにいたんだよねぇ。

でもね、何かの拍子で、初めて聴いた時は、ちょっとショックだったなぁ。 なんてオシャレな曲なんだ ってさあ。
長い事、針を落とさずにいた事を後悔しましたね。

、ここでも何回も書いてきたことだけど、個人的には「ダサい」曲が好きなんだけどさ、この曲は、ちっともダサくないし、逆に当時としては洗練された曲だよなぁ。
 当時のユーミンの言葉を借りれば、「中産階級」なヒトのための音楽っていうかね。 そそそ、ワタシはブルーカラー的な音楽が好きだったし、そう言う曲を中心に聴いてたからさあ、この曲は、凄く新鮮に映ったんだよな。

まあ、今思えば、50年代〜60年代あたりの、もろオールディーズそのまんまな曲風なんだけどさ。
今では、そうだよな・・・なんて、すぐ分かるんだけど、この曲を始めて聴いた当時は、まだ知らなかったからさ、オールディーズの頃の音楽は。 だから、新鮮に映ったんだろうな。

ところで、この曲のバックコーラスをやってるのは、大貫妙子、吉田美奈子、伊集加代子なんていう錚々たるメンバー。いわいるシュガーベイヴ系の面々なんだけど、「白」一点で、男性コーラスをやってるのが、山下達郎氏。
 そそそ、この曲のバックで、ルペッツの「シュガーヘイビーラブ」よろしく、♪woh woh woh〜♪ってファルセットで声を張り上げてるのは、今をときめく山下達郎氏ですわ。
シュガーヘイヴのあの「SONGS」をリリースする2か月前ですね。

ちなみに、この曲以外にも、初期のユーミンのアルバムでは、山下達郎氏をはじめ、シュガーヘイヴの面々、コーラスで参加してたりしてるんですよね。

 あの当時は、まだニューミュージック系のメンバーの裾野が狭かった・・というか、今、巨匠といわれる人たちが、互いにいろんなアーティストに参加してたりして、面白いんだよなぁ。

でも、それだけ音楽の才能があるヒト達が参加しあってたわけたがら、当時のニューミュージック系の曲のクオリティが高かったって言うのも、当たり前だったのかもしれないですね。



これ70年代中盤、この曲がリリースされた当時のVTRですよね。
コレ録画したヒト、当時からビデオ持ってたんでしょうかねぇ。すごいなぁ、当時は、まだビデオなんて一般的じゃなかった訳だから。
 ちなみに、途中で、ムッシュかまやつ氏が乱入してくるけど、ちょうど、この「ルージュの伝言」をリリースした頃、大瀧詠一氏や細野晴臣氏などのいわいる「はっぴいえんど」系のヒトたちが、ムッシュのレコーディングに参加してたんですよね。 細野氏といえば、はっぴいえんど後、キャラメル・ママでユーミンを手掛けた訳でさ、そんな人脈繋がりで、ムッシュ氏が乱入してきてた様ですね。
 件の山下達郎氏は、大瀧詠一門下だしさ。そう言う訳で、いろんな才能が集結してたんだよね。


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南十字星 / 西城秀樹

1982_04_南十字星_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「南十字星」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    南十字星
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1982年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年4月19日〜5月10日付
・タイアップ:映画「南十字星」主題歌


新年度が始まって半月ほどが経ちましたねぇ。 今年新入学、新社会人になられた方々は、新しい環境に慣れましたでしょうかねぇ。
 ヒトによっては、新しい環境に順応するのが早い方もいらっしゃったりしますが、ワタシはどうも、その辺が苦手でねぇ、新しい環境に慣れるには、時間がかかるヒトなんだよね。

なんて考えてたら、そう言えば、新たな環境に慣れてなかった頃の曲を、今回は持ってこようか・・・と思の、今回はこの曲をセレクト。

西城秀樹「南十字星」

この曲は、1982年のちょうど「今頃」ヒットしてたんだけど、ワタシ的には、この時中学1年だったな。
中学生っていう新しい環境に慣れなくてねぇ、かなり戸惑ってた頃の曲ですわ。

この曲を聴くと、あの時の「戸惑い」っていうのかなぁ、かんな地に足がついてなかったような頃を思い出んだよな。
 そういえば、新しく友達になったばかりのやつと、山の上の公園に遊びに行った帰り、その友達が下り急斜面で自転車のハンドルを取られて転倒、頭に数針縫うけがをしたっけ・・・とかさ。
なんか、そんなマイナスな事が、この曲を聴くと思いだされたりするんだよなぁ。

まあ、それも、この曲自体、淋しい曲だから・・・って事もあるのかなぁ。

この曲、映画「南十字星」っていう、戦争モノの映画の主題歌だったんだってねぇ。。。うーん、それは覚えてないなぁ。 たしかに、なんかのタイアップがついていたような気はしてたけど。。。
 
淋しい曲調ななのは、戦争映画っていうところから来ているようですね。

 ただ、かといって、ガチガチの戦争系の曲・・・と言う事もない。

 「ガチガチの戦争系」・・・なんてかいてもよく分かんないですよね。。

いや、あの頃はさあ、毎年終戦記念日近くなると、戦争モノの映画って毎年のように作られていたんだよね。
1980年は「二百三高地」、前年の1981年は「連合艦隊」、この年1982年は「大日本帝国」・・・なんて具合にさ。

で・・それぞれの主題歌が、さだまさし「防人の詩」、谷村新司「群青」、五木ひろし「契り」だったするんだけど、それぞれの曲をごぞんじなら、どんな感じかわかりますよね、「ガチガチの戦争系」の曲調って。
 文部省のお役人が泣いて喜ぶような・・・感じ・・・といったらいいでしょうか。

ま、そういう、ガチガチに真面目な曲調・・・と言う訳ではなく、程良くポップス系な味付けは残っているって感じですね。

それでも、前曲の「ジプシー」っていう激しい曲からすると、かなり落差があった訳で、最初は、ちょっと戸惑ったような気がするな。

あ、そうそう、その時の戸惑いが、中学生になったばかりの戸惑いとリンクしてたんだ、ワタシの場合。

ただ、それでも、この曲、売り上げは20万枚オーバーと、当時の秀樹としては80年12月の「眠れぬ夜」以来、1年数か月ぶりの20万枚越えだったりしたんだよなぁ。
 うむ、結構、支持はあったんだよね、この曲。 ただ、それ以来30数年、今の今まで20万枚オーバーの曲は出てないんで、実質これが最後の20万枚オーバー の曲って事になるのかな。

 ちなみに、この曲の途中で、デビュー以来の累積売り上げが、1000万枚を突破したんだよね。

今でこそ、オリコンも50年近くの歴史をかさねたんで、累積売り上げ1000万枚のアーティストも数多く出ているけど、当時はまだ、数少なくてね、 ピンク・レディー、森進一、山口百恵、沢田研二に続いて、オリコン史上5組目の1000万枚突破アーティストでしたね。

そんな記念の曲でもあったんだよな、この曲は。



この曲というと、なぜかバックが「カラオケ」って事が多かったんだけど、珍しく「生演奏」だったんで、
この動画をセレクト。



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【キニナル曲】サイレントマジョリティー / 欅坂46

2016_04_サイレントマジョリティ_欅坂46











・タイトル      サイレントマジョリティー
・アーティスト    欅坂46
・作詞        秋元康
・作曲        バグペア
・編曲        久下真音
・リリース日     2016年4月6日
・発売元       ソニーミュージックレコーズ
・タイアップ:ストライプ・インターナショナル「メチャカリ」CM曲

へぇ、これが「噂」の欅坂46のデビュー曲ですか。
まあ、「大人」のワタシが聴くような曲ではないですが、いいんじゃないですかねぇ。とりあえずは「受けてる」見たいだし。。。・・・というのが、率直な感想かなぁ。
 音楽的にどうだ・・・なんて言う曲ではないですよね。例えば、AKBグループとの違いは? 乃木坂との違いは? ・・・と言ったときに音楽的な大きな違いは見られないし、そう考えると、なんで新しいグループをつくる必要があるの? なんて事を思ったりもするんだよな。

・・・なんて、そう書くと、恐らくこのヒトたちのファンからはクレームが来たりするんだろうけど、オジさん的にみれば、そう思ったりもするんだよね。
 だってさ、こういろいろグループがあったりするけど、それぞれのグループのパーソナルな色があるからこそ、それぞれのグループの意味がある訳でさ。

まあ、強いて言えば、このコたちの声質が、他のグループとはちょっと違った色があるな・・・ってことですかね。
この年代のアイドルグループってさあ、ユニゾン゛て歌わせると声質がほとんど同じなんですよ。
 これは、昔っからそう。 今に始まった事じゃなくて、おニャン子の時代からほとんど変わらない。 そこにアイドルの進化って言うのが見られない訳で、個人的にグループのアイドルに興味がわかないのはそこなんだよな。

 でも、このコたちは、それまでのアイドルグループとはユニゾンでの声質が違うな・・ってところは感じた。

ただ、それが、今回はマイナーな曲だからかどうか・・・っていうのは分からないけど。。。


でもさあ、単純に思うけど、なぜに、この子たちの「一団」って、一様に作詞が秋元康氏なんだろう? なんて思っちゃったりするんだけどねぇ。

 ・・・あ、これも突っ込まれるところですかね? 

プロデューサーだから・・・っていうのは、あまりにも短絡過ぎると思うし、プロデューサーだったら、別の作詞者を引っ張ってきて、育てるっていのうも仕事の一つだと思うんだよな。

この一団に、音楽的な個性が見られないのは、なにも作曲者が似たような人たちだから・・・だけではなく、作詞者も、同じだったら、やっぱり似たような曲になるもんなんだよね。

 ヒトは、各々、一つのメロディしか持たない・・・なんて言われるんだけどさ、それはコトバも同じで、実際使ってる単語は作品によって違っても、それを文章にした時のリズム感っていうのは、一つしかないんですよ。

 だから、太宰は太宰だし、芥川は芥川って作品が分かる訳じゃないですか。

それと同じで、秋元氏が一人で書いてるならば、秋元氏の色になっちゃう訳ですよ、それぞれの楽曲が。

そこがねぇ、個人的にはつまんない。

加えて、最近の秋元氏の詞風って、なんか説教臭いんだよな。コドモ向けのきょくなのに、こんなに説教臭くていいんでしょうかねぇ。
 この曲なんてさあ、「大人」のワタシからみれば、「何様?」なんて感じる歌詞だったりしますわ 

ともかく、聴いててすっきりしない曲ではありますね。





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