かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2015年04月

今夜はブギーバック / 小沢健二 featuring スチャダラパー

1994_04_今夜はブギーバック_小沢健二






今回の1曲セレクトは、「今夜はブギーバック (nice vocal)」です。

 まずはデータです。

・タイトル   今夜はブギーバック (nice vocal)
・アーティスト 小沢健二 featuring スチャダラパー
・作詞      小沢健二 光崎誠 松本真介 松本洋介
・作曲      小沢健二 光崎誠 松本真介 松本洋介
・編曲      小沢健二 光崎誠 松本真介 松本洋介
・リリース日   1994年3月9日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:フジテレビ系「タモリのスーパーボキャブラ天国」エンディングテーマ

 ここんところ、ずっとPCの前にすわりっきり・・・なんていう不健康な生活が続いておりまして、えー、今日は何曜日だ? 
 ・・・ってか、大丈夫か? 自分。。。

 なんて、訳が分からん生活だな。。。 

 ・・・なんて、前置きが長い。。


 ハイ、今回は「今夜はブギーバック」です。

 正式には、「今夜はブギーバック (nice vocal)」ね。 そそ、実際は、もうひとつ、スチャダラパーがメインで、小沢健二がフィーチャリングになってる、「今夜はブギーバック (smooth rap)」っちゅうバージョンもあるのは、ま、ここに来ている方のほとんとが、ご存知のとおり。

 でも、通常、よくかかるのは、今日ひっぱってきた小沢健二メインの「nice vocal」の方なんだけどさ。

 しかし、この曲は、いつ聴いても、脱力感いっぱいだ。小沢健二はやる気があったんでしょうか・・・とか書いたりして。。ふらふら

 当時、この曲聴いた時は、正直、どーでもいい曲って感じだったんだよね。
 今でこそ、普通に聴けるけど、あのころから、どーもHIPHOP系は苦手だっんだよなぁ。 ヒット曲にHIPHOPを絡ませて〜・・・っていう形を本格的に作ったのは、この曲あたりが走りだったよなぁ。

 でも、どうしても、このノリには着いていけなかったワタシがいたりして。 いまでこそ、それが当たり前のようになってるからさあ、とりあえず「免疫」は出来たけど。。。


 ただ、今、改めて聴くと、ちょっと、今の形とは違うかな。。 何が違うかっちゅうと、曲の軽さだねぇ。

 もともと小沢健二は、あのころでは「渋谷系」に括られていたから、歌謡曲が根っこのJ-POPとはちょっと毛色が異なるっていうか、軽いんだよねノリが。HIPHOPっていう異種混合でも親和性があるって言うか。。

 いまは、同じヒップホップ歌謡でも、完全に根っこは歌謡曲じゃん。本来、歌謡曲とHIPHOPってまったく起源が違うとろこから、日本人の得意の和洋折衷術で無理やりくっつけちゃったんだよね。最初は、それも面白かったんだけど、そもそも親和性は少ないわけだから、さすがに最近では飽きてきたっちゅうかねぇ。。。

 ま、いずれにしても、最近のヒット曲のフォーマットになった曲の一つではありますな。確実に。

ところで、この曲は、未だにいろんなアーティストがカバーしてますな。
恐らくそれは、この曲がいわいる、日本のヒットプホップの一つのフォーマットになっているからなんだろうね。
で、そのフォーマットが懐かしいと思っているアーティストが多いからなんだろうなぁ。
今から21年前の曲なんで、今の30歳前後の方は、この辺りがJ-POPの原点だろうし。

 ただ、個人的な「仕事」的に見て、困るの、 カバーの元曲が、果たして「nice vocal」なのか「smooth rap」なのか・・っちゅうところなんだよねぇ。
 ・・・というのも、「nice vocal」と「smooth rap」では、著作権者が微妙に異なってて、JASRACの管理番号も違うのよ。
 なんで、この曲は、JASRACに使用報告する時、いつも困る。。。




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stripe blue / 少年隊

1987_04_Stripe blue_少年隊






今回の1曲セレクトは、「stripe blue」少年隊です。

 まずはデータです。

・タイトル    stripe blue
・アーティスト  少年隊
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1987年3月3日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   25.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1987年3月16日〜4月13日付

 いやー、今日は「春」ぢゃなくて、「夏」でしたね〜。 ついこの間まで、桜一色だったが、あっという間に新緑の季節ですわ
だけど、こういう、青空が気持ちいい日には、それ相当の気持ちいい曲を聴きたくなるもんですわ。

・・・ということで、今回は、少年隊の「stripe blue」なんぞをひっぱってきますか。

 この曲は、松本隆−筒美京平っちゅう、ジャパニーズポップス黄金コンビによる、少年隊「ブラコン三部作」の2作目にあたるんだよね。

 うん、1作目が、この曲の前の「バラードのように眠れ」で、最後がこの年の暮れにリリースした「ABC」なんだけど、曲のデキ・・・というか、いちばん評判がいいのが、この「stripe blue」だったりしてね。

 ま、評判といっても、ヒトそれぞれの評価だから、意見は分かれるところだけど、榊ひろと氏の「筒美京平ヒットストーリー」によると、そういうことになってたりしますわね。
 筒美氏自身も、この曲についての出来については、納得してるんじゃないのかなぁ。なんか、コンパクトなすっきりとしたまとまり感があるんだよな、この曲は。

 まあ、最初に書いたように、聴いてて気持ちいいからね。プラス、「ブラコン」って言った時、この曲が一番ブラコンに近い曲調であったりするからなぁ。 まあ、その辺は筒美京平氏の計算でもあったんだろうけど、いずれにしても、その後のSMAPによる、ジャニーズブラコン系の完成の「元」になったような曲でしょう。

 うん、正直、この曲、聴いてると、今の嵐とかNEWSとか、絶対、この辺から派生してるよな・・・っていう曲調だもん。

 ジャニーズの伝統は脈々と受け継がれていくのです・・・なんて聴こえはいいけど、単に新たな路線が生まれてきてないだけじゃん・・・とも言えたりしてね。



この曲は、奇跡的に動画があった。まあ、いつまで見れるか・・・時間の問題かもしれないけどね。
ところで、バックで踊っているのは、ジャニーズ・シニアとなってるけど、4人いる中の2人は、このすぐ後に光GENJIでデビューすることになる、大沢樹生と内海光司ですね。


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見逃してくれよ / 小泉今日子

1990_04_見逃してくれよ_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「見逃してくれよ」小泉今日子です。

 まずはデータです。

・タイトル    見逃してくれよ
・アーティスト  小泉今日子
・作詞      活発委員会
・作曲      加藤英彦
・編曲      福田裕彦
・リリース日   1990年3月1日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   26.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1990年3月12日〜4月30日付
・タイアップ:クノール「カップスープ」CM曲


 えー、今回の1曲セレクトは、いきなし本題!

 以前、リゲインの「24時間戦えますか」の「勇気のしるし」を書いたときにも書いたと思うんだけど、1990年の今ごろって、CMから飛び出したヒット曲って多かったよなぁ。

 時代はまさにバブル絶頂期ってこともあったんでしょうかねぇ、うかれうかれた〜って感じで、へーんなCMもいっぱいあったし、ただ、それなりにキャッチーだったような気もする。

 だけんど、CMは、あくまでCMなわけで、わずか15秒で勝負するわけじゃん。だから、いくらキャッチーといっても、その部分だけなのよね。キャッチーなのは。 で、もって、もともとCMだったのが、人気でてCDになっちゃった・・・って曲ってさあ、ま、まずもって、他の部分はへんちくりんで訳わかんない曲が多いのよね。


 で、もって、今回の小泉今日子の「見逃してくれよ」。

 はい、いわずと知れた、クノール「カップスープ」のCM曲どえす。

↓コレ


コピーはCM向上委員会だっけ? 

 ♪ かーいぎしつで おべんと食べても いーじゃん いーじゃん  見逃してくれよ 見逃してくれよ♪

ってやつです ふらふら

流行りましたなぁ、あのころ。。

 で、人気がでちゃったんで、CDになっちゃって、オリコンで1位までとっちゃってたりして。。。26万枚も売れたりして。。ふらふら

 うーん、今、冷静に考えてみれば、あのころもよくわかんなかったねぇ。 うん、↑の部分のほんの15秒だけよ、キャッチーなのは。
 あとの大部分は、なーんだか、よくわかんないことをモゴモゴいってるだけの曲だったりして。

 いやいや、ブームなんてそんなもんなんだよね。あの当時は、まじめに・・・だったけど、あとになって見れば、意味がわかんねー・・・ってのがほとんどだしさあ。

 うん、そんな、今となってみれば、理解不能なあのころのブームな曲ですわ。


動画だけど、You Tubeにゃなかったんで、他の動画サイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/xxway9_%E5%B0%8F%E6%B3%89%E4%BB%8A%E6%97%A5%E5%AD%90-%E8%A6%8B%E9%80%83%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%88_music

まあ、もともと、CMのあの部分ありきで、無理やり他の部分をつけたした感が満載で、正直、シングル曲としては、あんまり面白くないんだけどね、今聴くと。
 バブル期特有の「お祭り」根性で売れたような曲だよね。


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Sing a Song / 松山千春

1983_03_Sing a Song_松山千春






今回の1曲セレクトは、「Sing a Song」松山千春です。

 まずはデータです。

・タイトル    Sing a Song
・アーティスト  松山千春
・作詞      松山千春
・作曲      松山千春
・編曲      奥慶一
・リリース日   1983年3月21日
・発売元     NEWS
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   20.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年4月25日〜5月2日付
・タイアップ:コカ・コーラ83年キャンペーンソング

 さて、今日の1曲セレクトは・・・、ちょっと前に矢沢永吉の「82年のコカコーラ」キャンペーンソング、「YES MY LOVE」を書いたんだけど、今日は、1年時代を降りて、83年のコカ・コーラのキャンペーンソングと行きましょうかね。

 松山千春の「Sing a Song」

 いきなり、ロッケンローラーの矢沢永吉から、叙情フォークの雄、松山千春に飛んだ・・・って所、当時はよく理解できなかったなぁ。コカ・コーラっていうイメージからして、キャッチコピーでもある、「スカッとさわやか」じゃん。
 なんかさあ、叙情フォークっていうと、「濡れた」イメージなんだもん。 なんとなくイメージがずれてんじゃん・・・なんて感じてたねぇ。

 そういえば、昔、コカ・コーラとペプシコーラを比較するCMで、ロッロンローラーな音楽なペプシに対して、コカ・コーラではいきなり、モーリス・アルバートの♪フィーリング〜 ♪ が流れるCMがあったじゃん。

 この曲聴くと、まさにそんなイメージなのふらふらふらふら


 そういうわけでもないんだろうけど、この曲、例の月刊「明星」の付録の「ヤンソン」で、近田春夫氏からさんざん言われてたねぇ。

 ♪ Sing a Song〜 ♪ と ♪ いつも いつも〜 ♪ ばっかで、コラ・コラからガッポリ金もらって、それで納得してるんかねぇ・・・とかさあせあせ

 まあ、当時、松山千春、さだまさし、谷村新司については、いつも忌み嫌ってた面があった近田氏だから、こんな評はいつものことだったんだけどさ。

 たしかに、それも一理あったりするんだよね。ワタシもこれは、ちょっと手抜きすぎだろ? とか当時思ってたもん。
 ま、冷静に考えてみると、前の年のエーちゃんだって、ほとんど♪YES MY LOVE〜 ♪ ばっかだったから、どっこいどっこい・・・って言うところもあるんだけどさぁ。これは、おそらく「コカコーラ」側の意向でもあったんだろうな。キャッチーなコピーの繰り返し・・・っていうのは。
 要は、あくまでも宣伝用の曲だった・・・ってことだよね。この辺を近田氏は言いたかったんだろうけどね。


 それにしても、だから・・・か、今ひとつ、盛りあがりにかける曲だったりして。 半分近くは間奏だったりするし。。。
 今は聴くと、たしかに、その間奏部のギターとかサックスのフレーズを聴くと、「あ、いかにもこの時代だよね」っていうものを彷彿させてくれたりするけどさ。

 ただ、世論は厳しい・・というか、そんなところを、みんな見抜いていた・・というか、松山千春もこの曲が最後の「ベストテン」入りだったりするんだよね。
 だけんども、あれから32年経った今でも、「現役」なのは、サスガです。それだけ熱心な「千春フリーク」な人たちがいまでもいるって事だよねぇ。
 

動画ですが、コカ・コーラのCMのこのバージョンしかありませんでした。。。



あ、でも、この部分だけで、全体の90%くらいカバー出来てるから
はい、ほとんど、これのくり返しです。。。


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夢先案内人 / 山口百恵

1977_04_夢先案内人_山口百恵








今回の1曲セレクトは、「夢先案内人」山口百恵です。


まずはデータです。


・タイトル   夢先案内人
・アーティスト 山口百恵
・作詞     阿木耀子
・作曲     宇崎竜童
・編曲     萩田光雄
・リリース日  1977年4月1日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 46.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年4月11日付〜6月27日付

 以前も書いたかもしれないけど、この1曲セレクトシリーズ、元々は2005年〜2010年にmixiでマイミクさん向けに書いていたものなんだよね。

で、5年も書いてたんで、書いた曲が結構な数に上ってまして、今回、マイミクさんだけでなく一般の方にも公開しようと思って、mixiからブログに移植してきてる・・ってのが、本当のところだったりするんだよね。

まあ、古いものは10年も前に書いたんで、今と「色合い」が違うところは修正しては居るんだけどね。

ただ、今、当時書いた曲を振り返ってみると、当然書いててもおかしくない「大ヒット」曲を書いてなかったりするんだよなぁ。


まあ、書いてなかった理由もあるんだけどね。


例えば、当時は大ヒットしたけど、今書いても「引き」がないだろうなぁ・・・と思える曲とか、個人的にあまりよく聴いてなかったんで「書けない」っていう曲とかね。
 
それと、完全に書くのを忘れてた曲かなぁ・・・。

あ、そうそう、意外なところでは、ネット上で「ジャケ写」が見つからなかったんで・・・っていうパターンもあったな。


 いや、必ず紹介として、当時のシングルのジャケ写を載せようと思ってまして、毎回、ネット上を探し歩いてるんだけど、たまに見つからないことがあるんだよね。その場合は、書くのを飛ばしたりするんだけどね。


この「夢先案内人」も、そんな感じで、まだ書いてなかった曲なんだけど、こんな書いてて当然の大ヒット曲、なんで書いてなかったのか? ・・・ってのが覚えてないんだよなぁ。

 この曲については音源も持ってるわけで、良く聴いてなかったんで書けない・・・ってことはないんだけどなぁ・・・。
 単純に書くのを忘れていたか、書こうと思ってた当時、ジャケ写が見つからなかったか・・・どっちかだったと思うんだけどなぁ・・・。


いずれにしても、この曲については、「移植」ではなく、今回がオリジナルです。

まあ、山口百恵の曲って、案外書いてない曲もあるんで、これから改めて書くことになるだろうけどね。


 阿木耀子-宇崎竜童ペアの作品を歌うようになって、どちらかと言えば、マイナー系のややツッパッた感じの曲が多くなっていた、山口百恵だけに、この曲は意外だったんじゃないかなぁ。
なんせ、メジャー系ミディアムテンポの曲ですからねぇ。

 
たしかに「春本番」を迎えた、4月リリース曲としては、春の夜の心地いい眠りに誘われそうなイメージもあって、季節的に合ってたりするんだけどね。

 まあ、そういうところに人気が出たのか、この曲ではオリコン1位を獲得してたりする。山口百恵のオリコン1位獲得曲って、4曲しかないんだけど、この曲はその中の1曲ですね。

 ただ、それじゃさぞかし、売り上げも伸びたのか・・・というと、意外とそうでもなく、次の「イミテイションゴールド」の方が売り上げは上だったりする(オリコン最高3位)。

 ま、その辺がなかなかうまく行かないところでもあるんだけどさ。
それでも、この曲のイメージは、春の百恵のイメージにあっていたのか、次の年の「乙女座宮」も似たようなイメージの曲だったもんな。


 ちなみに、山口百恵のオリコン1位獲得曲は、実は、この曲が最後なんだよね・・・。

・・・って書くと、意外かなぁ。 なんせ、山口百恵の代表曲と言える「秋桜」も「プレイバックPart2」も「いい日旅立ち」もオリコンでは1位を取れていない。


まあ、その辺に70年代のオリコンの面白さがあるわけで、大スターと言われていた人たちでさえ、1位を取ることは難しかったという、ヒットチャートに重みがあった時代なんだよね。
 1位を取るということは、単にアーティストに人気があるだけでも、単純に曲が良かっただけではだめで、それプラス、一般受けするサムシング、爆発力が必要だったんですよ、あの時代。 それと強い曲と強い曲との巡りあわせ、運、不運もあったわけで。
だから、我々もワクワクしながら聴いてたんだろうね。



夜ヒットだけど、なんか。めちゃくちゃゆっくりな「夢先案内人」ですねぇ。
それと、バックのダン池田とニューブリードの演奏、もっと頑張れなかったのかなぁ・・・なんて思ったりして。
かなりグダグダなバッキングですな。


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ふたりの夏物語 / 杉山清貴&オメガトライブ

1985_04_ふたりの夏物語_杉山清貴&オメガトライブ






今回の1曲セレクトは、「ふたりの夏物語」杉山清貴&オメガトライブです。

 まずはデータです。

・タイトル    ふたりの夏物語
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年3月6日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   36.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月8日〜6月24日付
・タイアップ:日本航空「沖縄キャンペーン」CM曲


 家に使わないで余ったソフトが溜まってたんで、ヤフオクに出品してみた。・・・って言っても、出品するのは今回が初めてなんだけど・・・あせあせ 
 でも、難しいね、適当な値段を付けるのがさ。高すぎると売れないし、安すぎるとこっちが不満だし。。。ふらふら
 なんて、思いながら出品したら、さっき早速、入札が入った。 ほほほ、まずは順調? これは、結構ハマリそうな予感。。。何、出品したかはヒ・ミ・ツ。。

 ところでさ、さっき、松山千春の「Sing a Song」のシングルジャケ写見てたら、あれ? これだれかに似てるな・・・。 
 あ、そうだ、杉山清貴だ。。。あせあせ

 ・・・・っつうことで、今回の1曲セレクトは、杉山清貴で決まり。。 ふらふら

 ハイ、いつもながら安易です。。ふらふら


 で、いまの時期って言ったら、やっぱ「ふたりの夏物語」でしょ。


 しかしさあ、以前、B'zの「LADY NAVIGATION」が3月27日リリースで、「夏のキャンペーンソング」・・・・時期早くね? ・・・って書いたんだけど、実は、この「ふたりの夏物語」は、「3月6日」リリースで、すでに「夏物語」だったりするのだぁ。

 これ、かなり早くね?

 ってかさ、これもこの間から書いてることなんだけど、この時期って、やったらね季節先行で曲リリースしたのが流行ってたのよ。

 特にこの85年の「夏」ソングは、はなはだしかったねぇ。 だいたい、まだ春先だっていうのに、「夏物語」って言われたってなぁ・・・って感じもするんじゃん。。。

 BUT、この曲、売れちゃったんだよねぇ。。

 ま、ちょうど、85年の今頃頻繁に流れてた、JALの「沖縄キャンペーン」のCMのリゾートさがよかった・・・っていうのも多大にあるだろうけどねぇ。

 それよりなりより、オメガトライブの曲が、この曲でポップでメジャーな曲に変身・・っていうのも良かったんだよねぇ。
 たしかに、季節的にはまだ春先だったけど、夏を先取り・・・っていうイメージは充分にあった。

 それにしても、この頃が、林哲司氏にとっても絶好調であり、最高潮な時期だったよな。
 ちょうど、このテのウエストコーストっぽいサウンドが、いっちばん流行ってた時期だね。

 実際は、本格的にチャートの上位に上がってきたのは、4月に入ってすぐの頃だったんだけどね。つまり、3月6日にリリースといっても、最初の3週ばかしは、それほどの売上げでもなかったのよ。
 うん、ちょうど、JALのCMが始まった頃だったね。・・ということで、やっぱ、この曲はCMありきってところが大きかったんだよなぁ。


 あ、作曲者の林哲司氏によると、たしかにJALのCMありきで、JALの担当者が待ってたんで、作曲からレコーディングまで3日くらいで、作っちゃったとのこと。。。ふらふら

 でも、ワタシは、この曲は随分、早くレコードを購入してた記憶があるなぁ。リリースされた直後に買ったような気がする。

 いや、単純によかったんだよね、初めて聴いたときから。 やっぱウキウキしてくるような印象は強かったし。 あ、ちょうど、高校受験から開放された時期だったからなぁ。個人的な気分と、うまくシンクロしたってのも大きかったんだろうな。

あれから、丁度30年だわぁ・・・・。この辺の曲になると、昨日か一昨日のような感覚なんだけどなぁ。。

・・・っつうことで、曲を聴いてみますか。

 まあ、この曲くらいになると、改めて曲聴かなくても、みんな知ってるだろうけどさぁ。。いちおうね。




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危険なふたり / 沢田研二

1973_04_危険なふたり_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「危険なふたり」沢田研二です。


まずはデータです。


・タイトル   危険なふたり
・アーティスト 沢田研二
・作詞     安井かずみ
・作曲     加瀬邦彦
・編曲     東海林修
・リリース日  1973年4月21日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 65.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年5月7日〜8月6日付

 ワイドショーやネットニュースで連日話題になっていましたが、作曲家で元ワイルド・ワンズのリーダーだった加瀬邦彦氏が自らの命を絶ったそうで。。
 74歳。昔だったらいざ知らず。今、70代と言ったら、特にアーティストの世界では、まだまだ現役バリバリという方も多いわけで、また一人、日本のポップス史を作ってこられた作曲家が居なくなってしまったことは、本当に残念なことですよね。

 15年前、井上大輔氏がやはり自ら命を絶った時も、それなりのショックだったけど、今回の突然の訃報は、個人的にもそれなりのショックだったなぁ。
 
 それにしても、井上大輔氏にしても、加瀬邦彦氏にしても、G.Sで一時代を築き、その後、作曲家としてJ-POPの「基礎」を築いてこられた方が、自ら命を絶ってしまうケースが最近は多いよな。
 G.Sとは、やや方向性は違うけども、「アングラ」の騎手だった加藤和彦氏も若くして自ら命を絶ってしまったし。。。
 どうして、こうも続くんでしょうねぇ。ワタシのような鈍感力の方が勝っている凡人には分からない「苦悩」がやはりあったんでしょうかね。

 いずれにしろ、ご冥福をお祈りいたします。



・・・ということで、今回の1曲セレクトし、加瀬邦彦氏の代名詞ともいえる、ワイルドワンズの「想い出の渚」を・・・・

・・・と行きたいのはやまやまなんですが、「想い出の渚」のリリースは、1966年の「11月」。ヒット時期がずれちゃっているんですよね。
あくまで、これ書いてる時季とリンクしているっていうのをコンセプトにやっているもんで、今回は、ちょこっと保留。まあ、いずれ書こうと思います。


・・ということで、今回は、沢田研二の「危険なふたり」をセレクト。


この曲は、1973年4月21日リリース。ジャスト、「今頃」のヒットなんだよね。
そして、加瀬邦彦氏にしても数あるヒット曲の中でも、代表曲といえるでしょうね。


 沢田研二氏の曲は、今まで何曲も書いてきたけど、この曲書いてなかったんだよなぁ。こんな大ヒットをねぇ〜・・・。こうして見ると、当然書いてて然るべきって曲がまだまだ抜けているよなぁ。


10年以上という長期、ヒット戦線の第一線で活躍してきたジュリーだけど、ヒット傾向をみると、第1期全盛期、第2期全盛期、第3期全盛期の3つのグループに分けられるんだよね。

 第2期の全盛期は、言うまでもなく、77年の「勝手にしやがれ」から79年の「OH!ギャル」までの阿久悠−大野克夫コンビで一世を風靡した時代。
第3期は80年の「TOKIO」から82年の「6番目のユウウツ」あたりまでの、いわいるニューウェイブ系の時代。

で、今回セレクトしてきた、「危険なふたり」は、第1期ジュリー全盛期の代表と言えるべき曲ですねぇ。
 
 第1期全盛期のジュリーは、72年の「許されない恋」から75年の「巴里にひとり」あたりまでの、「ヨーロッパ系」の独特の濡れた匂いがする時代ですね。この時代、コンポーザーとしてジュリーの一連のヒット曲を書いていたのが、加瀬邦彦氏。
 第2期以降のジュリーがリアルタイムなワタシの世代としては、今一つ実感はないんだけど、今聴くと、第2期のジュリーとは別人のようなしっとり感がある曲が多いんだよね。

ただ、その中で、今回の「危険なふたり」は、唯一、メジャー展開のアップテンポな「ポップス」に仕上がってますねぇ。
 こんなポップなジュリーは、この時点では無かったような曲であったことと、めちゃくちゃ親しみやすいメロディライン、当時としても派手なアクションだったことが幸いしてか、第1期全盛期のジュリーの中で、一番「売れた」曲になりましたね。


 オリコン的に見ると、73年4月30日付38位初登場から、翌週、一気に4位に急上昇。
こんなチャートアクション。初登場1位が珍しくも何とも無くなった今では、「へーそうなの?」で終わってしまうけど、曲に負けないくらい、当時としてはかなり派手なチャートアクションだったんだよね。
 当時、こんなチャートアクションをしていたのは、ジュリーか天地真理くらいなもんでしたよ。(・・・とか、あたかも実際に経験したかのような書き方だけど。。

 その後、登場3週目で2位までランクアップ後、5週間2位をキープ。
・・・っか、5週も2位をキープっていのうも、今からしてみれば、どんな動きなんだよ・・って感じだけど、当時としてはさほど珍しい現象では無かったんですよ。そして、登場8週目で1位獲得というチャートアクション。
 ベストテン内14週。うちベスト3内9週、1位3週。という文字通り73年を代表するような大ヒット曲と相成ったわけです。
 
 この年1973年の第4回日本歌謡大賞を受賞したこの曲ですが、チャートアクションから見ても、それに全く恥じない、1973年の代表曲と言っても過言では無かったですよねぇ。




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15の夜 / 尾崎豊

1992_04_15の夜_尾崎豊






今回の1曲セレクトは、「15の夜」尾崎豊です。

 まずはデータです。

・タイトル    15の夜
・アーティスト  尾崎豊
・作詞      尾崎豊
・作曲      尾崎豊
・編曲      町支寛二
・リリース日   1993年4月25日
・発売元     ソニー
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   12.5万枚
※データは、93年にリリースされた「ライブ」のもの

 先週、尾崎の「I LOVE YOU」を書いた時も少しふれたんだけど、 毎年、4月25日というと、いやがおうにも頭に浮かんでくるのが、尾崎豊の命日だったりして。
 
 23年前の今日・・・雨だったよなぁ。そういえば、くしくも23年前の今日も「土曜日」だったはずだ。

 ここでは、何回か書いてきたけど、92年のあの日までは、個人的には、尾崎豊の曲は好きじゃなかったですよ。

 なぜか・・・っちゅうと、ザッツ「人生的」てきなところが、どーも、鼻について。
 
 そもそも、ウタっちゅうもんは、もっと楽しいもんだと思ってたから。


 だけど、あの日以来、ちゃんと聴いてみると、とっても心にしみてくる。うん、年をとればとるほど、言いたかったことが理解できてきたんだよね。
 それを考えると、23年前のあの日の時点では、ワタシャ、まだまだ甘ちゃんだったんだよな・・・ってことがよくわかったりして。

 
 しかし考えるに、つくづくおしいヒトを亡くしたもんだと思う。
今、あんなに、純粋に「音楽」に向かっているアーティストがどのくらいいる? ストレートに人生を考える人がどのくらいいる? あれだけ骨太なアーティストがどのくらいいる?

 考えてみたら、あれ以来、日本の音楽→ヒット曲の方向性はどんどん、悪くなっているように思う。
 いまの、あまチャンすぎる、音楽→ヒット曲の状況を尾崎がみたら、どう感じるだろうよ。

 今考えたら、アレがターニングポイントだったんだと思う。あのころは全く考えもしてなかったけど、23年経った今になると、つくづく感じるな。
 ああいう、骨太で、純粋な音楽が絶滅してしまった、今っていう時代にいるとさ。

 と、ともに、ああいう時代をリアルタイムにすごせたってことは、ラッキーな世代だったよな、ワタシらは。いまの若い子たちはかわいそうよ、ホントに。




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Deadend Street Girl / 堀ちえみ

1985_04_Deadend Street Girl_堀ちえみ






今回の1曲セレクトは、「Deadend Street Girl」堀ちえみです。

 まずはデータです。

・タイトル   Deadend Street Girl
・アーティスト 堀ちえみ
・作詞     鈴木博文
・作曲     鮎川誠
・編曲     鈴木茂
・リリース日  1985年4月24日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  10.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1985年5月13日付


 いやー、今回は、どういうマクラにして本題に入るかな? これが困った。どうにも切り口が見つからない・・・。

 はい? なんで? 

・・・というのも、今回、引っ張ってきた曲が、堀ちえみの「Deadend Street Girl」だから・・・。

 いままで、堀ちえみの曲も随分書いてきたけど、どーも、この曲は、うまい話の切り口が見つからないんだよなぁ。。。

 とりあえず、タイトルがすごいね。「Deadend Street Girl」よ。訳すと「行き止まり少女」・・・

 なんのこっちゃ〜〜exclamation ×2ふらふら

 わけの分からない、ヘビメタっぽいタイトルだなや。

 まあ、それもそのはずで、「ちえみちゃん挑戦シリーズ」の中の1曲ってことで、「ロックな堀ちえみ」に挑戦した曲どえす。

 これが、きちんと「シングル」としてリリースされていたわけで、まぁ、なんて、挑発的なんでしょう。

 なんて、ワタシャ当時から、痛くお気に入りだったりするのです。この曲。

 なんていっても、イントロの入りの「くさや」のような、プ〜〜〜ンと強烈に「クサイ」セリフ


「あなたの行き止まりは私 渦巻く風を抱いて 走って!」

ですよ〜ふらふら


 やっぱりねやるからには、徹底的にやらないとねぇ。しかも、こういう、いかにも「大映ドラマ」〜exclamation ×2 っていう、クサーイ台詞が、このヒトはよく似合うんだ、これが。

 さすがに、「ドジでノロマなカメ」さんだけあったりして。。


 兎に角、クサヤもブルーチーズも、あの独特の「くさーい」臭いをガマンすれば、食べてみると珍味でしょ。

 これと、同じで、この曲も、この独特の「くさーい」臭いをガマンすると、意外と「珍味」で、止められなくなる曲なのですわ。ふらふら


 まあ、ちえみちゃん挑戦シリーズの「ロック」ということだけど、正直言って、曲の内容は無いっすよあせあせ

 ただ、シーナ&ロケッツの、あの鮎川誠氏が曲書いてるっていうのが、ちょっと信じられないよねぇ・・・ってところで・・。

 それと、サビの部分の

 ♪Deadend Street Girl〜 ♪ ってところの「Girl」を「がぁぉ〜る」ってそれっぽく歌ってる、堀ちえみに注目だったりして・・・。

 だけどさ、この曲、テレビで歌ってるところ見たことないんだよなぁ。「ベストテン」に是非ランクインして、♪がぁぉ〜る♪ ってどんな顔して、歌ってんのか、見てみたかったんだけどねぇ・・・あせあせ




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シングルベッド / シャ乱Q

1995_04_シングルベッド_シャ乱Q






今回の1曲セレクトは、「シングルベッド」シャ乱Qです。

 まずはデータです。

・タイトル    シングルベッド
・アーティスト  シャ乱Q
・作詞      つんく
・作曲      はたけ
・編曲      鳥山雄二 シャ乱Q
・リリース日   1994年10月21日
・発売元     BMGビクター
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   120.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1995年4月10日〜5月15日付

先日の つんく氏の「声を失っても生きる」宣言は、マスコミ通して大反響でしたね。
例え、歌えなくなっても「生きてこそ」っていう、つんく氏の決意が感動を呼んだんだろうな。

それになぞって、今回は、シャ乱Qの大ブレイク曲の「シングルベッド」を・・・・。

・・・という訳ではないんですけどね。 この曲のヒット時期も、ちょうど今頃だったわけで、今回セレクトしてみたわけです。


 90年代のヒットスタイルっていうと、どうしても、「初動、短期集中」な「ショートヒット」っていう、今に通じるヒットパターンっていう風に思いがちだけど、必ずしもそうではないんだよね。

 こういうヒットパターンが日常化してきたのは、90年代では、96年ごろからだね。つまり90年代後半に入ってからっつうわけで、90年代前半は、むしろ、ロングヒットの方が多かったのですわ。

 この時代、ヒットを形成したのは、意外や「有線発」ってのが、トレンディーだったわけですわ。

 まあ、片や、月9を初めとする、「トレンディードラマ」やタイアップものってのも確かに多かったけど、時代を作った、ロングヒットって概して、「有線発」の曲が多かったんだよね。

 まぁ、数年前に超ロングヒットした「R35 Sweet J-Ballds」っていうCDに収録されている曲を見れば、この時代のヒットパターンが凝縮されていて、一目瞭然なんだけどさ。

 ちなみに「R35〜」に収録されている有線発の曲

・何もいえなくて・・・夏 /J-WALK
・Get Along Together /山根康広
・離したくはない /T-BOLAN
・愛が生まれた日 /藤谷美和子 大内義昭

 ・・・だったりして。

 どの曲にも共通なのは、それぞれが「超ロングヒット」だったってことだねぇ。
 ちなみに、オリコンで1位を獲得した曲は、この中には1曲もない。

 そうなのですよ。何も1位ばかりがヒットぢゃないのですよ。ジミーにでも、ジワジワ売れている曲は、後々の時代になって、エバーグリーン・・・つまーり「残る」曲・・・が多いんだよね。

 一時的な嵐のように売れて、パッと花火のように華々しく消え行く曲・・・、派手ではないけど、後々まで残る曲・・・、まあ、どちらも一長一短はあるけど、どうなんだろうねぇ、どっちが良いんだろうねぇ・・・。
 まあ、判断は、それぞれの方にお任せするとして・・・


 今回は、後者の「エバーグリーン」な曲を持ってきたりして・・。

 シングル・ベッド /シャ乱Q


 もちろん、この曲も「R35〜」には、収録されているんだけど、この曲もロングヒットだったものなぁ。
 リリースは、1994年の10月だけど、ベストテン入りまで半年もかかってたりする。

 もちろん、最初に火がついたのは、「有線」からなんだよね。


 うん、このころになると、既に有線から火がつく曲はロングヒットになるっていう傾向は、すでに自主チャートもつくってたから、ワタシも把握してたしねぇ、だから、有線チャートをチェックするのが、楽しみだったんだよね。

 さて、次はどの曲が来るんだ? ・・・って感じで。。。あらたな、それらしき曲が出てきたときは、結構、これが至福の時だったな。

 シャ乱Qの「シングルベッド」は、EAST END×YURIの「DA.YO.NE」と同時期に同じような動きでジワリジワリ、有線チャートを上がって来たわけで、もちろん注目してましたわ。

 でも、なかなか聴く機会がなくて、ベスト30に入ってきた、1995年の2月のはじめごろだったかなぁ、はじめて聴いたのは。


 印象としては、まず、なるほどね・・・

って感じだったな。

 これは、完全な「ロングヒットのパターン」だったからさぁ。

 まず、ミディアムバラードでしょ。メロディがとってもキャッチーでしょ。それまで売れてなかったでしょ。

 うん、有線発でロングヒットする「3か条」すべて満たしているものあせあせ

 どうなんだろ? やっぱり、出してもロングヒットを狙ってたんですかねぇ・・・。
 まあ、狙ってヒットするんなら、こんなに楽なことはないんわけで、これも時の運、タイミングっていうのも多分にあったんだろうけどさ。

 いや、時の運・・・っていうのは、絶対あったと思う・・。

 ・・・っていうのも、上の「3か条」を満たして有線発のロングヒットとなったのも、この曲が最後・・・ぢゃなかったかなぁ。

 90年代・・・っていっても、前半は、どちらかというと「80年代の幻影」的な曲が多かったのよ。

 メガヒットを飛ばしていたのも、結局のところは80年代からの「残党組」が多かったわけで・・・。

 そういういみで、80年代の香りが色濃く出ている、「シングルベッド」っつう曲も、いいタイミングで出たと思うんだよなぁ。


95年っていうのは、そういう意味で、時代のターニングポイントになった年だと思うんだけど、この「シングルベッド」がヒットした4月ごろまでは、まだ「80年代」の香りがする曲でもヒットできたんだよね。

 それが5月に入り、新緑の匂いがする頃になると、時代が「一変」する。

 スピッツの「ロビンソン」が出てきたときは、「あ、時代が変わった」って素直に思ったもの。

 「ロビンソン」っつう曲は、一見80年代ぽいけど、80年代じゃない。
なんつうのかなぁ、バックに感じる温度感、空気感が、あきらかに違うんだよね。

 だから、スピッツって91年にデビューしながら、それまでは全く、うんともすんとも言わなかったわけで・・・。すべてはタイミングなんだよね。

 そういうわけで、この「シングベッド」っつう曲も、タイミングだったんだろうなぁ。

 もちろん、それをきちんと理解して、掬ってあげるヒトが居たからこそっていうのもあるんだけどね。



 ところで、つんくもこのころは、まともな曲を書いてたな

・・・って、まあ、それは、この時代の空気感を感じてたからだろうな。このヒトは、時代を読み取る力・・・っつうか、時代の空気を読み取る眼力が鋭いからねぇ。だから、90年代終盤になって、モー娘。なんて、仕掛けられたんだろうな。





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