かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ザ・ベストテン・ルポ〜月刊・明星78年5月号より〜

えー、この間もTwitterでつぶやいたんですが、只今、「むかーし・むかし」の月刊・明星付録「Young Song」を随時、ヤフオクで購入してまして。。。

先日の75年、76年分に引き続き、 今週は78年分をまとめて10冊ほど落札。

さっき、届きまして、只今、内容購読中。


その中で78年5月号(78年3月発売)に、「ザ・ベストテン」が、テレビ番組ルポってことで紹介されていますねぇ。

78年1月放送開始で、3月に既に「明星」で取り上げられているってことは、やっぱ、当初から注目されていたんですねぇ。


まあ、イラスト・レポということで、ちょっと見ずらいし、字も細かいんで、オヤジのワタシとしては、読むのもちょっと辛いんだけども。。。

スタジオ配置図内。
それによるとランクボードとソファーを中心に、スタジオの両側にそれぞれ、オーケストラボックスと、セットボックスが配置されていたことも判明。

テレビで見ていたよりもかなり狭いスペースで放送してた訳ですわな。


それ以上に、この時点で、すでに「ランク」の各要素の配点割合を公開していたことにちょっとビックリ。

それによると

・ハガキ  40%
・ラジオ   30%
・レコード売り上げ 20%
・有線   10%
(当時のプロデューサー 今里氏 談)

となっておりました。

それと、本番当日のスケジュール表も公開。 

本番後 22時〜 ストックVTR撮り

となっております。
11位〜20位で流れる「本人」が歌っているVTRって、やっぱ本番後に撮ってたんですね。
ナットク。


やっぱねぇ、昔の「資料」には、今となっては「お宝」と思える内容が、いろいろ埋まってますね

やったね!春だね!! / ソフトクリーム

1984_04_やったね春だね_ソフトクリーム


今回の1曲セレクトは、「やったね!春だね!!」ソフトクリームです。

まずはデータだっちゃ!

・タイトル     やったね!春だね!!
・アーティスト   ソフトクリーム
・作詞       森雪之丞
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1984年2月21日
・発売元      フォーライフ
・オリコン最高位 109位
・売上げ枚数   -  枚

すっかり暖かくなりましたね。おかげで、なかなか咲かなかった家周辺の桜も、まだ満開ではないけど大分咲いて来ましたわ。

本当だったら、今日あたりは「春です!」と景気よく行きたかったんだけど、こぬか雨に濡れておりますわ。

でも、まあ、今回の1曲セレクトは「春です!」と叫びたかったために、少し前から当たりをつけていた曲をひとつ。

ソフトクリーム「やったね!春だね!!」

ざざーん! みなさん覚えてますかぁ〜 ソフトクリームですよぉ〜

と叫んで、返答がある方は、そこそこ気合が入った80年代アイドルファンですよねぇ。
あるいは、ワタシと同年代の方ってところかなぁ。

ま、いずれにしても、80年代中期の「B級アイドル」⇒マイナーアイドル ですわ。

いや、「B級」と書いたけども、オリコンの売り上げ実績からすると「C級」アイドルと言っても過言じゃない。 なにせ、7枚のシングルをリリースして、1枚も「ベスト100」に入らなかったんだから。。。。

とりあえず、今回引っ張ってきた「やったね!春だね!!」がオリコンではランクが一番上ってことなんだけども、それでも最高109位ですヨ。

普通、オリコン100位以下なんてしらねーよなぁ・・・って感じなんだけどさ

とりあえず当時の「オリコンウイークリー」は、シングルの101⇒200位も載ってたんでね。当時のチャート小僧はそこそこチェックしてたんだよね。

ただ、今でこそ101位以下も売り上げ枚数を公表しているけど、当時は100位までしかカウントしてなかったんでね。 最高109位だと、売り上げ枚数は不明。

・・・・っつうことで、↑のデータも「−」にしてありまする。。。。


まあ、今でいえば、完全にインディーズアイドルだよね。あるいは地方アイドルとか。

その割には、当時、結構テレビには出てたんだよな、このコたち。

メンバー

・遠藤由美子
・天野千英
・大塚真美

の3人。

レコードは売れなかったけど、結構テレビに出てた・・・っていうのは、まあ「ナベブロ」所属だったってところが、多分にありますわな。

曲はねぇ、今聴くと、なるほどな・・・と理解できる部分が多いけど、84年当時は、ぶっ飛びましたわな、この曲には。

一体、なんなんだ? って感じでさあ。

言ってみれば「イロモノ」ですよね。 アイドル特有の「軽〜い」サウンドに、森雪之丞氏特有のぶっとんだコトバ遊び風の歌詞が乗っかってる。

簡単に言ってしまえば、ウナギのように掴みどころが無いんだよね。 「そうか」と思えばスルスルスルッと逃げて行ってしまうと言うか。

個人的に、よくシングルは「刺さらなぎゃ行けない」って書いてるけどさ。 84年当時、シングルっていうのは、そう言うモノだったんだよね。シングルってアーティストのとっては名刺のようなもんだから、より多くのヒトにどう刺さるかっていうのが、重要だし、そう言う「ココ」って言うインパクトがキャッチーな曲が多かった。

この曲はねぇ、そういうところを感じないんだよね。 ぬるぬるぬると逃げて行くっていうかさあ、実態を感じない・・・というか。

例えば、S級アイドル、中森明菜が「北ウィング」で ♪ LOVE IS THE MYSTERY〜 ♪ なんて「気合」が入った歌を聴かせていた時代ですよ。

それなのに、このコたちと来たら

♪ 野原いっぱい揺れるつくしんぼ (むっくむく)〜 ♪   なんてさあ   思わず「ばかやろー」なんて叫びたくなる世界観な曲なわけじゃん

84年当時、オリコン100位に入らなったっていうのは、そう言う部分が多分に影響していたんだろうね。


個人的に、B級アイドル物ってあんまり聴かないし、だから正直詳しくないんだけど、ただね、なぜかこの曲は音源が手元にある。

オリコン100位にも入らなかった曲のシングルを持っているのね個人的にもほとんどないんだけどさぁ。

↑で掴みどころがない・・・なんて書いてるくせにムジュンなんだけどさあ、結局はどこかに耳に残っちゃってたんだろうな。

いや、いい曲云々の前に、84年の春って言うの考えた時に、どうも切り離せなかった・・と言うかねぇ。
ブツブツ文句言いながらでも、それだけ耳にしてたって事なんだよね当時。


ただね、そういう「実態」を感じない曲⇒アイドルっていう存在も、84年1年間を通して境に急速に一般的になって行く。

あ〜、分かりにくく書いてしまった。 簡単に言えばシロート的なアイドルが一般的になって行く。
それが顕著に表れたのが、85年のおニャン子クラブって訳なんだけども、このヒトたち⇒ソフトクリームなんかは、おニャン子的なんだよね。

Wikipediaなんかみると、おニャン子のプロトタイプなんて書いてあるけど、まさにそうで、ウタがウマい訳でもないし、さして美人ぞろいでもない。 どこにでもいるようなコたちがアイドルとしてテレビで歌ってるっていう感じで。

しかも、曲が、おニャン子たちに怒涛に曲を書いて行くことになる後藤次利氏だったりして、今見ると、まるでおニャン子って感じなんだよな。

でも、おニャン子がデビューするのと、入れ違いにこのヒトたちは解散。
結局、「シロートアイドル時代」を経験することなく、表舞台を去ることになる。

そう考えると、このコたちは、ちょっと早くデビューし過ぎたのかもしれないな。 もし、85年以降のデビューだったら、少なくとも1枚もオリコンベスト100に入らなったって事は無かったろうし。

この曲にしたって、そこそこランクは上がっていたかもしれないな。



なに「ウンコ」もって歌ってんの? とか思われる(・・・思わないか)かもしれないけど、これソフトクリーム型のマイクカバーですわな。
如何にも「アイドル」っぽい演出。

それにしても、当時を知らないヒトからすれば、ほとんど「おニャン子」だよね。
曲にしても、シロートっぽい歌いかたにしても。
でも、実際は、おニャン子出現の1年前なんでね。

こと「オンガク」には厳しいといわれるナベプロらしからぬ・・・とでも言いますかねぇ。








シンフォニーの風 / 西村知美

  1987_04_シンフォニーの風_西村知美


今回の1曲セレクトは、「シンフォニーの風」西村知美です。

まずはデータでするぅ〜。

・タイトル    シンフォニーの風
・アーティスト  西村知美
・作詞      麻生圭子
・作曲      中崎英也
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1987年3月11日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  7.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1987年3月30日付
・タイアップ:ハウス食品「ゼリエース」CM曲

個人的な事だけど、サザンのファンクラブに入ってましてね
桑田氏が「ソロ」として「悲しい気持ち」でデビューして今年で30周年なんだよね。そんなこともあって今年は攻めますよ〜って言う告知がファンサイトに出てたりしてね。
その第一弾が、4月から始まるNHK朝ドラの主題歌って訳ですわな。さてさて、今後はどういう活動となって行くやら、注視の1年になりそうですわ。

それはそうと、1987年って年からもう30年も経つんだよな。
なんか最近、早ぇなぁ〜・・・って事ばっか書いてるような気がするけど、ホント早いですよ。30年前、ワタシゃ高校3年。マジであっという間でしたね。ワタシの中では「昨日」って言う感覚でもおかしくないもの。

例えばさ、先週終わった大相撲中継とか見てると、懐かしの名場面とかやるじゃん。 そういうとき最近、千代の富士 VS〜」とかのVTR流れる事が多いけど、30年前って言ったら、もう「リアルタイム」で相撲中継見てたよな・・・とか思ったりして。。。その感覚で言えば、ホントつい昨日のようなんだよね。

あ〜、このままあっというまに「ジジィ」になって行くのか・・・なんて考えたら背筋が「ゾゾゾッ」ですよ。。。。


・・・・と言う事でもないけど、今回はそんな30年前の今頃の「アイドル」の曲をひとつ。

西村知美「シンフォニーの風」。

上に書いたように「30年、あっという間よ」って言う感覚から言えば、
「うわっ、この曲から30年も経つんか・・・・。」ですわ、まさに。

昨日だよね、この曲って。ってマジで言っても「そうね」なんて言ってしまいそうな。。。。

良く言えば、それだけ未だに「新鮮」に感じたりする。 悪く言えばそれだけ「聴いて来なかった」っていう感じな曲なんだよね、個人的に。

西村知美さん。 ま、未だにタレントとして残っている1人だけども、正直言って30年前のあの頃、たれが30年後まだタレントして残っているだろう・・・なんて思えたか。。。
って感じだったもんね。 いや、個人的にはそう思ってたのよ。

そのくらい、「歌手」としては希薄なイメージだったし、ま、それ以前に、歌唱力がね・・・・ってところでさあ、どう考えても、あの時点で「良くてあと2〜3年だよね」って感じだったんだよな。

確かにアイドルは歌唱力はどがえしっていう風潮は、30年前当時は強かった。なので歌がヘタかどうかはタレント生命には関係なかったと言えばそうなんたけどね。

だからねぇ、あれから30年、タレントとして生き延びて来ているってことは、ホント「奇跡」って感じですよ。

でも、「トロリン」って言う愛称のように天然ボケなキャラクターではあったけども、裏では芯の強さがあったんだろうね。そうじゃなきゃ、タレント業を30年も続けられる訳もない訳で。。。

ただ、そうは言っても当時のアイドル誌なんかでは、かなり人気があったからな西村さんは。
この当時、すっかり「アイドル誌」然となってしまった「オリコンウィークリー」でも西村さん人気あったからなぁ。
いまで「オタク」のはしりでもある「同人」的なアイドル同好会では、西村さんの故郷、山口県宇部市をピックアップしたりして。。。

そんな感じでレコード売り上げ枚数では見えない部分での人気がたしかにあった事はあった。
結局は、そんな熱狂的な固定ファンの支えっていう部分も生きたんだろうね、30年タレント続けてこれたって言うのは。


ところで、曲なんだけども。。。。 今まで西村知美さんの曲はあんまり書いて来なかったワタシなんだよな。
ま、確かに当時もあんまり聴いてなかったって言うところはある。 けど、それ以上に、このヒトの曲って、ほとんどみんな同じように感じるんだよねぇ・・・

当時から、早くも「ジジイ」傾向が始まっていたって言われればそれまでって感じだよな。うん、年取って来るとヒット曲がみんな同じような聴こえてくるんだわ。。。今、まさにそんな感じだもの。

なんで、どうも筆が進まなかったって言うところはある。 でも、そろそろ手を付けなきゃね・・・ってことで、今回この「シンフォニーの風」を引っ張ってきた訳なんだけども。

うん、この曲は、同じように聴こえる西村さんの曲の中でも、「なんとなく」他の曲と間違いが分かるんで

いやそれでも、サビに行くまでのAメロ、Bメロは、他の曲との区別がつかないワタシなんだけども。。。

♪シンフォニーのような シレッシェンドの風〜 ♪ っていうサビはね、さすがに聴いてましたねぇ。

そそ、この曲、なんかのCMで使われていたんだよな。。。CMでよく聴いてたような・・・なんて調べたら、ハウスの「ゼリエース」のCMだった。

「あれ? そうだったかな。。。」 これはちょっとイメージが違ってたけど。。。


ただね、結構漠然としてるでしょ。 「シンフォニーの風」ってタイトルは。

コトバのイメージとリリース日からして、春の心地よい風をイメージさせるし、実際そう言う曲なんだけども、そのイメージどおりのサビに持って行くまでの繋ぎに苦労したのか、2番のAメロの

♪ L 角度変えれば
  Bang!  ピストルに似てる
  そんな悲しい事は教えないで あなた〜 ♪

って言う歌詞に、これと「シンフォニーの風」っていう春の微風のイメージとどう繋がりがあるの? なんて不自然さを感じたりしてさ。

うん、唯一、この曲で引っかかったのは、この部分の歌詞の不自然さだったりしてね。

その他は、サビのメロディライン以外は、めちゃくちゃオーソドックスなんだよね、当時のアイドルソングとしては。

筒美京平氏がシングルは「尖って」いないと・・とおっしゃっているように、それまでのヒット曲って好きキライに関わらず、アイドルの曲にもどこかしら引っかかる部分があった。
でも、この辺のアイドル曲から、そういう「トゲ」の部分を感じ無くなってきたんだよなぁ。

楽曲の個性よりもアイドルのキャラクター・・・。 そう言う時代になっていたんだよね、この頃は。

いやいや、レビュー書き泣かせの曲ですわ。。。。






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一番野郎 / 近藤真彦

1984_04_一番野郎_近藤真彦

今回の1曲セレクトは、「一番野郎」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    一番野郎
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      松下誠
・リリース日   1984年3月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 29.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1984年3月12日〜4月23日付

この前も書いたけど、やおら、1週間ぶりのご無沙汰でした・・・っとていう挨拶から始まってしまった「1曲セレクト」です。
土曜日と言えど「4月1日」。新年度の始まりですわな。ウチの会社は「零細」企業で支店もなにもないんで、転勤や部署移動何ぞは無いんで、いままでの業務を引き続き淡々とこなす生活が続く訳ですわ。
ただ、某"みんなから嫌われてる"著作権管理団体から「出向」って言う形で、何人か来ていて、その方たちはこの春も異動がありーの、なんで、ここ何日は送別会やら何やらでバタバタ。
そうでなくても4月早々「繁忙期」がやってくると言うのに。。。。
暫くは、このバタバタが続きそう。 なんで、1曲セレクトも暫くは「週末のみ」更新になりそうな予感ですね。

・・・・ということで、今回は、そんなバタバタしていた4月初めの頃ヒットしていたこの曲をセレクト。

まっち先生の「一番野郎」。

この曲は1984年(昭和59年)の今頃ヒットのピークを迎えていた曲だけど、昭和59年って言ったらワタシャ中学3年になった年ですわ。
なので、正直、そんなにバタバタしていた訳じゃないんだけどね、個人的には。
いや、それでも高校受験に向けてカウントダウンは始まっていた頃かなぁ。受験対策で地元の進学塾、某K学院に入ったのもこの頃でしたわ。

あ、個人的には「オリコンウイークリー」を毎週買い始めたのもこの頃。なんで、ヒット曲の「付き合い」方としては、今に続く「革新」的な出来事が始まった頃なんだけどさ。

そんな頃ヒットしていた。この曲。

いや、正直、それほどヒットしていた・・・って言う実感を感じなかった・・・って言った方が正解なのかなぁ、この曲の場合。

確かにこの曲もオリコンでは1位を獲得し、81年の「ブルージーンズメモリー」以来続けてきた、連続1位獲得記録も更新出来た訳なんだけども、手ごたえからすると1位を獲得⇒ヒットしたっていう印象を感じないんだよね。

1位獲得が初登場の週1週だけだったっていうのもあるんだろうけど、決定的な印象は、やっぱ「ザ・ベストテン」で、ベスト3に入れなかったって事が大きかったよな。
 そそそ、この曲は、ザ・ベストテンでは最高4位でしたからねぇ。ついで言えば、僭越ながらワタシのチャートでは最高5位。 ま、ベストテンでも4位は1週だけで、5位に居座っていた事が多かったですからね。

たしかにこの曲がヒットしていた当時のベストテンの得点は、4位、5位、6位あたりが概していつも以上に高く、いつもなら7500〜7900点程度が4位であったのが、8700点で4位と言う週もあった。
通常で言えば8700点ってのは、2位か3位、状況によっては1位が取れてもおかしくない得点でしたから。
そう考えれば、充分「大ヒット」に値したのかもしれない。

だけども、今一つヒットした印象が薄い・・・っていうのは、「時代の流れ」っていうのもあったんだろうな。
1984年の今頃と言えば、吉川晃司が「モニカ」でヒット戦線に踊りだし、チェッカーズが「涙のリクエスト」で本格ブレイク。また、安全地帯が「ワインレッドの心」がヒットのピークを迎えたりしていて、ベストテン内の上位を見ると、1年前と比較してかなりメンバーが入れ替わっていた頃ですわ。

時代は常に動いている。 っていうのを実感できた・・・って言うかさ、ヒット曲の傾向も大きく変わってきていた時期なんだよな。
やっぱ、吉川の「モニカ」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、安全地帯「ワインレッドの心」なんかからは、勢いも感じたし、なにより新鮮さを感じたからなぁ。 それまでのヒットチャートの曲になかったような新しい息吹って言う感覚ですよね。

逆に言えば、それまでヒットチャートを牽引して来ていた、まっち先生、トシちゃんなどのジャニーズ勢、その他の、いわいる80年デビュー組アイドルにヒット戦線での「陰り」の色が顕著になったのもこの時期ってわけでさ。

だから、この「一番野郎」だけじゃないんだよね。ヒットの印象が薄かったのは。 トシちゃんの「チャールストンにはまだ早い」(84年2月リリース)だって、「ザ・ベストテン」では最高4位と、ベスト3入り出来なかったし、だから「一番野郎」と同じような印象もあったしな。


いや、それ以前にこの「一番野郎」っていう曲自体に新鮮味を感じなかったんだよなぁ。
当時、トシちゃんよりまっち先生派だったワタシは、毎回新曲が楽しみだった。
ま、十中八九、文化放送「全日本歌謡選抜」で、一番最初に新曲は聴いてたんだけどね。 

でもねぇ、この曲は初めて聴いて、なんかガッカリしたんだよな。 まずもって新鮮味を全く感じなかった。
新曲って感じがしなかったんだよな。 去年か一昨年あたりの「お蔵入りしてた曲?」って感じがしてさ。

当時は、いつも斬新かつ新鮮な切り口な新曲を聴かせてくれていた、筒美京平氏らしからぬ曲って言うのがまずもって感想だったし、それは、今でも変わらないな、この曲に関しては。

確かにそれまでの「やんちゃ」な所も継承しているけども、加えて、この曲から「硬派」「男臭さ」っていうところも見え始めて居たじゃん。
どうもね、その部分がピンとこなかったんだよな。 まっち先生には、もっと「やんちゃ」だけを続けて欲しかったんだろうな。

だから、この曲の次にの「ケジメなさい」ってぶっ飛びなまっち先生を見せた時は、逆に嬉しかった部分はあるんだよね。 以前書いたように確かに「頭がおかしくなったのか」とも思ったところもあったけど。

いずれにしても、この「硬派」「男臭さ」って言う路線は、この曲から、後年の「大将」「愚か者」と続く事になる訳で。。。 その点から傍から見れば、ここから後の「歌謡大賞」そして、「レコード大賞」に繋がる訳で、結局はよかったんじゃないか・・・とも思えるけど、でも、やっぱり個人的には、その曲以前のような「やんちゃ」路線をもう少し続けて欲しかった・・・っていうのは大きいな。



ベストテンですね。 得点にご注目。本文でも書いたようにこの頃得点高いんだよね。
7位で7900点ですから。。。
えー、ただ、この動画はおそらく、「速攻」で消されると思うんで、もし消されてたら ↓を見てみてください

http://www.dailymotion.com/video/x20ugan_%E4%B8%80%E7%95%AA%E9%87%8E%E9%83%8E-%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%9C%9F%E5%BD%A6_music

まあ、こっちもいつまで上がってるか分かんないですけど。。。
なんせ天下のジャニーズですから。。。


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この愛のときめき / 西城秀樹

1975_03_この愛のときめき_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「この愛のときめき」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    この愛のときめき
・アーティスト 西城秀樹
・作詞      安井かずみ
・作曲      あかのたちお
・編曲      あかのたちお
・リリース日  1975年2月25日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 27.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月10日〜4月14日付

久しぶりの1日2曲書き。いわいる「ダブルヘッダー」ってやつですわな。
ま、明日書いてもいいんだけども、最近、平日は腰が重くなって筆を上げたくなくなるんでねぇ、今日のうち書いてしまおうか・・・とPCに向かってたりします。。。。

ここでも何回も書いたような気がするけど、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れたのは1978年11月。
だから、それ以前の曲は基本、リアルタイムでは聴いてない事になるわけだけど。。。

無論、全てではないけどね。 ピンク・レディーもキャンディーズもそれ以前からテレビでは見てたし、初めてカラオケで歌ったのは、77年の年末ごろに石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」だったしね。
ま、どこで曲を覚えたのかは、記憶にないんだけども。。。。。

ただ、大多数のヒット曲は「後付」で聴いた曲って言う事になる訳ね。
中には生理的に合わないなぁ・・・なんて思う曲もあったりするけど、逆に、「あ、これは掘り出し物だ」なんて自分でナットクしちゃう曲もあったりしますね。

今回は、そんなヒット当時は聴いてなかった(ハズ)だけど、後年、聴いて「これは!」って思えた、個人的"当たり"曲をひとつ。

西城秀樹「この愛のときめき」。

うーむ、秀樹の曲って、曲調が似たようなものも結構あるけど、タイトルも似たようなのがあるんだよな。
78年の丁度今頃のヒットで、「あなたと愛のために」ってあるけど、この曲は、それより3年前。75年の今頃のヒットですわ。

当時、ワタシはと言えば5才。

当然、ヒット曲なぞ、また聴いてませんでした。。。 ってか、能動的には・・・っていう注釈が入ってしまうけど。。。
もちろん、テレビで流れてた曲のの中には、進んで聴いてた記憶は無いけど、体のどこかで覚えてる曲もあるんだけどさ。

このヒデキの12枚目のシングル、「この愛のときめき」も、当然、当時は「能動的」には聴いてなかった訳でね。
初めて聴いたのは、大人になってからですね。90年代にリリースされた秀樹のベスト盤でだったと思う。

イントロを聴いただけで、これは「ビンゴ!」で閃いたなぁ。

それ以前の秀樹と言ったら、「情熱の嵐」や「激しい恋」などのプラスロック調のアッパーチューンか、はたまた「傷だらけのローラ」のような、超大げさな激情型バラードか・・・って言うイメージが強かったんだけどさ。

この曲は、そう言う激しさがない。ミディアムバラードチューン。

すこしゴスペル調のコーラス。その後の流れも、ゴスペルのようなコーラスを生かした曲調でね。 それまでのヒデキの曲ではなかったような曲調が新鮮なんだよな。

まあ、全体的に「歌謡曲」というよりも、洋楽にコミットしたような曲調が多かったけども、この曲もそんな流れを汲んではいる。
 けども、コーラスを多用した曲の切り口は、それまでの曲には無かったような切り口なんだよね。

特にサピノメロディラインとコード進行が印象的。

♪ どんなふうに 愛したら わかってくれるだろう〜 ♪ の♪ わかってくれるだろう〜♪ でメジャーからマイナー調に転調するコードの響きがねぇ、個人的にグッときたりしてね。

曲を聴いてると、結構難しいコード進行のようにも感じるんだけども、今、ネットでこの曲のコード進行を調べてみると、意外にもかなりシンプルなコード進行なんだよな。

ゴスペル風に聴こえるところから、テンション系のコードも多いか・・・と思いきや、メジャーコードが多いな。
ちょっと意外。
音源聴いてると、結構複雑な響きに聴こえたりするんだけどもね。

でもね、上で書いたようにベスト盤で初めて聴いた・・・・はずなんだけどねぇ、なんか、懐かしい気分にさせてくれるんだよな、この曲。
もうね、何回も書いてるけど、ヒット曲って、そういうノスタルジーな気分にさせてくれるから不思議。

初めて聴いた時は、75年の今頃の曲・・・なんて分かんなかった筈なのに、浮かんでくる絵面は、ちゃんと75年頃の風景なんだよな。
当然、まだ福島の「いわき」に居た頃だ。まだ幼稚園だったころ。送り迎えのスクールバスから見えた風景。
この曲を聴くと、そんな風景が見えてきたりする。

上でも書いたように曲調が、優し目なミディアムチューンなんでね、見えてくる風景も穏やかの風景なんだよな。

もしかしたら、知らず知らずのうちに、当時、この曲耳にしてたのかなぁ・・・なんて疑いたくなるほど、鮮明な風景が脳裏に浮かぶ。

やっぱ、そう言う曲ってどうしても引っかかるんだよね。 曲聴いて情景が浮かばない曲は引っかからないんだよね。

ちなみに、当時、ワタシ、幼稚園の送迎バスの中から、電柱についてる「番号」を数えたり、家でも電話帳読んだり、ロードマップが好きだったり、ヘンなガキだったんだよな。
 なんかね、ロードマップ見てると、絵が浮かんできたり、電話帳の数字の羅列とか、住所から絵が上んできたり・・・ちょっと危ないところがあったガキだったのよ。
よく言えば、「空想好き」だったんだよな。

ま、今でもヒトがやらないような事をやるっていう「変」なところは、当時から変わってないんだけども。。。


・・・・動画、流石に42年も前の曲の動画はそうそうないかなぁ。少なくともYou Tubeには適当な動画がなさそう。。。
・・・と思ったら、他のサイトにあった

http://www.dailymotion.com/video/x1yvjse_%E8%A5%BF%E5%9F%8E%E7%A7%80%E6%A8%B9-%E3%81%93%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D-1975_music

75年のレコード大賞の時のもんだけどね。
一番気になったのは、曲の前に挟まった、秀樹の「セリフ」なんだけどさぁ。 なんじゃこりゃ、この気持ち悪いセリフは。 これ、いつも言ってたのかな? 当時の他の歌番組の動画が無いんでよく分かんないんだけど。。。

小川哲哉氏の歌紹介のアナウンスは流石にうまいっすね。イントロ部分できっちり収まってる。


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GOOD MORNING-CALL / 小泉今日子

1988_03_GOOD MORNING-CALL_小泉今日子


今回の1曲セレクトは、「GOOD MORNING-CALL」小泉今日子です。

まずはデータだよ〜ん。

・タイトル    GOOD MORNING-CALL
・アーティスト  小泉今日子
・作詞      小泉今日子
・作曲      小室哲哉
・編曲      清水信之
・リリース日   1988年3月9日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1988年3月21日〜4月25日付
・タイアップ:味の素「クノール・カップスープ」CM曲

CD売り上げが芳しくないと言われて久しい。逆にネット配信が「デフォルト」となりつつある訳でね。
「ヒットチャート」と言うところから見ても、CDセールスのみの「オリコン」よりも、配信の「レコチョク」のダウンロードチャートの方が、より「ヒットチャート」らしく感じるんだよな、最近は。

それだけ「配信」で音楽を買うってのが、普通になりつつある訳で、逆に言えばパッケージCDを買うっていうのは、特定のヒトたちだけになりつつあるって訳ですわな。

ま、それが良い傾向なのか、はたまた悪い傾向なのか・・・っていうことは、ここでは置いといて。。。

そう言うメディアの変化っていうのは、今に始まった事ではなく、昔からあった訳で。。。
そもそも「レコード」っていうシロモノが発明された昔から、そういうメディアの変化により音楽の聴き方が変わってきたってう歴史がある訳なんでね。

そんな中で、一番明確に「メディア」が変化したって実感できたのは、やっぱアナログレコードからCDへっていう変化の時だったろうな。
そそそ、80年代後半の頃だ。 ただね、いつか書いたような気がするんだけど、当初、CDは「アルバム」だけだったんだよね。
規格として、74分録音の12cmCDしかなく、プレイヤーもそれに対応したものしかなかった訳でさ。

まあ、既に、後の「シングルCD」を見据えた、8cmCD対応のプレイヤーもあったかもしれないけど、一般的に当初のプレイヤーは12cmCDしか対応してなかったのよ。

だからね、アルバムはCDで聴けるけど、シングルは依然「アナログ」でしか聴けない・・・っていう妙な時代が数年続いた訳さ。

BUT、CDプレイヤーの普及とともにアルバム売り上げは伸び始めた80年代後半に対して、シングルは落ち込む一方だったんだよね。 なにせ87年のシングル売り上げ1位だった、瀬川瑛子の「命くれない」が42万枚でしたから。。。
こんな「負」のスパイラルを止めるべく、シングルCDの発売が開始されたのが88年2月。
そそそ、ちょっと古いヒトには懐かしい「短冊形」パッケージの8cmCDですわな。

ただ、シングルCDが発売された当初は、大多数のプレイヤーは、当然それまでの12cmCDしか対応していなかった訳でさ。 苦肉の策として、8cmCDに「アダプター」を噛ませて、12cmにしてプレイヤーで聴く・・・なんて事をしてたよなぁ。

しかもこのアダプター、結構高くてさあ。本当は、それぞれ1枚1枚に噛ませておいた方が扱いが楽なんだけども、高いからさ、数枚だけアダプターを買ってきて、CD聴く時にとっかえひっかえ使ってりして。。。。
めちゃくちゃ煩わしかった事を覚えるなぁ。

・・・つか、未だにコレ売ってるんだな。。。

↓ コレ
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB-audio-technica-AT6621-CD%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/B0002ERE2G

チョットびっくり。。。

あ、でも、最近はすっかり8cmシングルCDも少なくなったんで、プレイヤー、8cmCDに対応しなくなったモノが増えて来ているって言うし、逆に需要も増えてるんでしょうね。

ま、兎も角も、このメディアの変化が大成功をおさめ、シングル売り上げは見事な「V字」復活。90年代のメガヒットの時代に向かって行くこととなる訳ですわ。

※蛇足だけど、この当時の「アナログ」レコードってめちゃくちゃ音がよくなってたんだよね。
後年、浅香唯の「Believe Again」(88年1月のリリース)をアナログレコードで購入して、この音質の良さにびっくりしたっけ。逆にCDの音質は概して悪かったんだよ。音位が高音域に偏っていて、キンキンとした音なんだよね、この頃のCDって。。。音量レベルも低いし。


・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんなシングルCDが発売された88年の「今頃」のヒットを持って来ますか。

キョンキョンの「GOOD MORNING-CALL」

うーむ、逆言えば「はぁ? なんで今頃、この曲なの?」とか言われそうな気もするんだけど。。。

個人的に、この曲当時、キライじゃなかったんだよな。
キョンキョン、初の「小室」作品ということで注目もされていたし、少なくとも前作の「キスを止めないで」よりも引っかかりがあった。

うーん、引っかかりがあった・・・っていうのは、ちょっと違うな。 シングルっぽい曲だと思った。

でも当時、この曲音源買わなかったんだよなぁ。 なぜだったのか? ・・・っていうのは、あれから29年、流石によくは覚えてないんだけど、たしか、上で書いたように「シングルCD」に関係していたような気がする。。。

そうだ、この曲あたりから、シングルもアナログからCDシングルに変えよう・・・って思ってたんだよな。

でもねえ、個人的に言えば、この頃並行して「大学受験」に失敗して、1年浪人生活を送ることとなりーの、CDどころじゃ無くなっちゃったわけなんだよな。(現に、この年は1枚もシングル買ってない)

それ以後、29年間、何の因果かこの曲の音源ずーっと、持ってなかったんよ。

・・ということは・・・、↑で、この曲「キライじゃない」って書いたけど、結局のところ好きでも無かったのかも。。。

考えてみれば、小室メロディって90年代以降の、いわいる「小室系」が確立されたころもあんまり引っかからなかったからなぁ。それは、80年代の時からずっとそうだったような気がする。
確かに、90年代の「小室系」の時代に比べて、80年代の小室作品は、今聴くとそれほど「らしさ」を感じる曲は少ないんだけどね。
 まあ、TM NETWORKは別として、ことアイドルの曲は、総じてサウンドも軽いし、メロディラインも軽い。それでも無機質な匂いはあったけどさ。

個人的に、あんまり引っかからなかったっていうのは、やっぱり、この「無機質」って言う部分何なんだろうな。

この曲の丁度1年前の87年春は「水のルージュ」を歌ってたキョンキョンだけど、この作品は作曲が筒美京平氏でアレンジが大村雅朗氏。
 同じ「シンセ」をフィーチャーしてる作品ではあるけど、より「有機的」なんだよね。 中身がきゅっと詰まっているって言う感じで。

対して、この「GOOD MORNING-CALL」は、軽い曲ではあるけども同時に中身もスカスカっていうイメージもあったんだよな。 その差だったのんだろうな、個人的に引っかかったのかそうじゃなかったのか・・・って言う差は。

ランキング的に見ると、オリコンでは最高2位だったこの曲。 ま、初登場(1988年3月21日付)の時が2位だった訳だけどもね。
でぇ、その時の1位は・・・・。そう、光GENJIのあの「パラダイス銀河」の「初登場」時だったわけですわ。
例の初登場売り上げ「338,690枚」って時。

今じゃ、某アイドルグループ「A」が、毎回初登場ミリオンセラーってなっているんで、全然インパクトを感じ無くなってるけど、当時はこの数字にはひっくり返る位びっくりしたな。 その時の2位が、この「GOOD MORNING-CALL」だったんんだよね。
まあ、リリース日が同じ「3月9日」てことで、必然的に初登場も同じになっちゃうんだけどね、それでも、1位のあまりのインパクトに、この曲、完全に霞んじゃった・・・っていう印象もあるんだよな。


あ、この曲とは直接関係ないけど、キョンキョンも、先日3月21日でデビュー35周年でしたわねぇ。
35年かあ、早いもんだよねぇ。 ま、流石に35年前の事を「まるで昨日のように・・・」なんては言わないけど、それにしてもあっという間だったよなぁ。
キョンキョンが35周年ということは、他の「花の」82年組、堀ちえみ、中森明菜、シブがき隊、早見優、松本伊代・・・みんな35周年って訳で。。。。
 ちなみに、35周年を記念して・・・かどうかは分かんないけど、キョンキョンも5月にデビュー曲の「私の16才」〜の全シングルを収録した「ベスト盤」をリリースするそうな。

とは言っても、キョンキョンってベスト盤リリースが好きで、これまで何回もベスト盤出してるんで、今さらねぇ・・・なんても思ったりするワタシだったりもするんだけども。。。

ちなみに、29年間音源持ってなかった・・っ書いたワタシですが、ちょっと前に、以前リリースした「ベスト盤」から音源をチョイスしたんでね、今は手元にあったりするんだけども。。。



あーら、かわしらしいキョンキョンですわ〜  Mステですね。
改めて曲を聴いてみると、例の「潮騒のメロディ」のコード進行って、この辺の曲を下敷きにしてるような気がするな。
もちろん、メロディラインは全く違うけど、Bメロあたりのコード進行から似たような光景が浮かんできたりするな。


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来夢来人 / 小柳ルミ子

  1980_03_来夢来人_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは、「来夢来人」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    来夢来人
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      岡田冨美子
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1980年1月25日
・発売元     SMS
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数 13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

東京地方も桜の開花宣言がでましたねぇ。とは言うモノの、ここ数日肌寒い日が続いていたりして桜が咲いたなんて実感は無いんですけどね。
実際、ソメイヨシノが咲いてるの、今年はまだ見てないし。。。 ま、ソメイヨシノよりも早く咲く、河津桜とか彼岸桜は、咲いてましたけどねぇ。

ところで、桜の季節になると、卒業とか、そのまま「桜」の唄が、巷には流れだしますな。

いやいや、最近は桜=卒業ってイメージなんだな。 昔・・・っちゅうか、ワタシがガキの頃は、桜っつったら、「入学式」のイメージでしたけどねぇ。
まあ、これに関しては先日、新聞にもここ50年で、桜の開花時期がこれだけ早まった・・・っちゅう特集をやってましたけどね。

だけんど、最近の「桜」の唄って、どうして、同じようなイメージなんでしょうかねぇ。しっとりとしたバラードで・・っていう「相場」がほとんど決まっちゃってるじゃん。

これってどうなのよ? ・・・なんて思ったりしてるわたしなんですが・・・。

昔は、もっとワクワクした曲が多かったような気がするけどなぁ、春って言うキーワードの曲はさあ。


今回は、そんな昔の「桜ソング」をひとつ。

小柳ルミ子 「来夢来人」

え? なんでこの曲が「桜ソング」なのよ? ・・・なんてクレームの一つも来そうな気もしないでもないけど。。。

でも、サビの部分で ♪ 桜の 吹雪を浴びて 汽車ははしる〜 ♪

ってあるじゃん。  桜ソングなのよ、この曲。

ま、リリースからして、1月25日と、これから春に向けて・・・っていう「春」を意識した曲でもあるしね。

しかしねぇ、この曲、オリコンでは22位までしか行かなかった曲なんだけどねぇ。 今から37年も前で、しかもオリコン最高22位の曲なんて、覚えてるヒト少ないよな・・・ なんて、タカをくくっていたりしたんだけども、ネット上みると、結構、この曲レビュってるヒト多いんだなぁ。

いや、誰も書いてないと思ったんで、持ってきちゃったりしたんだけどさ。  

これだけ、レビュってるヒトがいるんだったら、ワタシが書くまでも無いか・・・とかも思ったりもするけど・・・でも、まあいいか。

この曲がリリースされた頃、ワタシゃ10才。小学4年生でしたねぇ。
小学4年生にしては、マセた曲を聴いてたな・・・なんて自分でも思ったりするんだけど。。。

でもね、この曲なぜか、よく記憶に残ってるんだよな。
クイズ「ドレミファドン」でよく聴いたような気がするんだよな。それから、「ドリフ大爆笑」とか。。

ま、ともかく当時の「ナベプロ」制作番組にはよく出てたよね、この曲の頃。

とは言うモノの、いくらマセガキだったとは言っても、やっぱ引っかからなかった曲も多かったのも事実だしね、ひっかかったって言う事は、やっぱ、引っかかった要素があったんだろうな。

まずはイントロからして、よかったもんね。 この曲のアレンジャーは、萩田氏ですが、久保田早紀「異邦人」のすぐ後がこの曲だったりもして、やっぱ脂が乗り切ってる頃だったんだろうな。

ま、それ以上に、この曲、作曲が筒美京平氏なんだよな。 それまでの小柳ルミ子さんといったら、平尾昌晃氏の専売特許的なところがあった訳で、だから、筒美京平氏は、シングルタイトル曲としては、この曲が初めてなんだけど、さすがに筒美氏。
たしかに、ベースは歌謡曲らしく、少し「和」を感じるけど、それだけじゃないんだよな。
いや、小柳ルミ子さんって、デビュー曲の「わたしの城下町」から「和」を感じる「歌手」だったわけじゃん。でも、この曲は、単に「和」を感じるだけじゃないんだよな。
「和」を感じながら、どこかに「洋」を感じるって言うのかなぁ。 
例えば「どら焼き」みたいなさ。あんこが入ってんで和菓子なんだけど、小麦粉の皮で焼いてるのは洋菓子風なわけじゃん。 そんなイメージなんだよな、この曲。

メロディの流れとしては、筒美氏お得意の「Cメロ」入りの展開。 そそそ、曲の最後の方で、それまで出てこなかったメロディ展開

♪ しっかりしているつもりだけれど〜 ♪ っていうところですね。

そんな少し複雑なメロディ展開なんだけれど、そこが逆に印象に残ったりしてね。

いや、でも、これが筒美氏の持ち味なんだよね。 複雑なメロディ展開と言っても、同時期にリリースされた西城秀樹「悲しき友情」の一筆書き的なメロディ展開に比べたら、まだまだましだしね。

それと筒美氏といったら、それまでは「アイドル」中心って言うイメージが強かった訳だけど、この曲、当たり・・・79年〜80年初頭にかけては、この曲のような「アダルト」なヒトへの曲提供にシフトしていた感が強いんだよね。

ま、前年、レコード大賞をとった、ジュディ・オングの「魅せられて」もそうだろうし、この曲の少し前には、梓みちよさんの「よろしかったら」って曲もスマュッシュヒットになってたりする。
 そそそ、梓みちよさんの「よろしかったら」も、この曲同様、和テイストに洋のイメージをミックスしたような新たなイメージの曲に仕上がっていたよなぁ。

それだけ、ヒット曲の主体はアイドルから「自作自演」のニューミュージックへって言う時代だったわけで、職業作家のヒトたちにとっては受難の期間だったのかもしれないけど。。。

それでも、楽曲のクオリティを落とすことなく、きっちりと印象的な曲を残しているって言うのはさすがなんですよね。
それが功を奏した訳で、当時、小柳ルミ子さんってヒット曲がでなくて四苦八苦してたんだけど、約3年ぶりの10万枚オーバーっていスマッシュヒット。
これもやっぱ筒美京平って言う天才的メロディーメーカーの功績なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。


・・・などとウダウダ書きましたけど、個人的に一番印象的だったのは、実は「来夢来人」って言うタイトルかなぁ。

サビの ♪ 来る夢 来る人と書いて来夢来人(らいむらいと)〜 ♪ って言う歌詞は、なんとなくわざとらしい気もするんだけど、 「らいむらいと」っていう響きが新鮮だったんだよなぁ。

本来、最初に書いたように「春の唄」ってことで、桜のイメージの曲なんだろうけど、それ以前に「来夢来人(らいむらいと)」っていう響きが印象に残っちゃってねぇ。

らいむらいと って響きから、個人的には「ライム」色って言うかねぇ、淡い黄色のイメージがあったりしてね。

そそそ、丁度同時期に、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」で、 ♪ジンライムのように流れる お月さま〜♪ってあったじゃん。 そんな色感のイメージが、この曲にも感じるんだよなぁ。

だから・・・と言う訳でもないんだけど、「春唄」として、桜のイメージをもったのは、極々最近なんだよな、個人的に。ずーっと、長い間、「ライム色」っていうイメージだったんだよね。



恐らく「ドリフ大爆笑」からだと思うんだけど、まだ八重歯がある頃のルミ子さんですな。
うーむ、このころは既に八重歯は無いと思ってたんだけど、意外な発見だったなぁ。
ちなみに、この時、ルミ子さん27歳。

当時の印象からして、めちゃくちゃ「大人」の女に感じたけど、まだ20代だったんだよなぁ。
まあ、今、VTR見ると、「あ、若い」って思うけどさ。 
でも、ウタは、めちゃくちゃしっかりしてますよね。


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愛は心の仕事です / ラ・ムー

1988_03_愛は心の仕事です_ラ・ムー


今回の1曲セレクトは、「愛は心の仕事です」ラ・ムーです。

まずはデータです。

・タイトル    愛は心の仕事です
・アーティスト  ラ・ムー
・作詞      売野雅勇
・作曲      和泉常寛
・編曲      新川博
・リリース日   1988年2月24日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  10.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1988年3月14日付
・タイアップ:ダイドー「ジュース100」CM曲

イメージチェンジ。
トップアーティストを走ってきたヒトが、売り上げが下がってきた時によく取る手法な訳だけど。
でも、ほとんどのアーティストは、想定内というか、ある程度は理解できる範囲内でのイメージチェンジを図る事が多い訳だけどね、たまによく理解できないイメージチェンジを図るヒトもいる訳でね。

今回は、そんなアーティストの曲を

ラ・ムー「愛は心の仕事です」

むー、いつかはこの曲書かなきゃ行けない時が来るよな・・・とは思いつつ。。。 この曲のヒットは、「今頃」だったんだよなぁ。
こりは書かない訳いかんだろうな・・・・とおもいつつ、いつか書かなきゃ行けないんなら、今書いちゃうおう・・・と思いーの、今回セレクトして来ましたわ。

いつか書かなきゃ行けない・・と思いながら、今まで書いて来なかったのは。。。。
ま、毎度毎度の理由だけど、個人的にこの曲、あんまり好きじゃなかったのよね。引っかからなかった訳ではないんだけども、生理的に合わなかったっつうかねぇ。

この曲、リアルタイムの時代に聴いてた方なら、既にご存じだと思うけど、「ラ・ムー」なんてもったいつけたアーティスト名だけども、実態はといえば、あの菊池桃子さんがボーカルの、「バンド」っつすからねぇ。

それまでスーパーアイドルとして君臨してきた菊池桃子さんが、いきなりバンドに転向して、ブラコン系の曲をやる

・・・・ってことで、当時かなりの話題にもなったし、だから、この曲の売り上げも10万枚強・・・とシングルCD移行期間でレコード売り上げが低迷していた時期としては、そこそこ売れた曲となった。

けど、正直、よく分かんなかったんだよな、この曲。

確かに、時期的に久保田利伸氏が、「You Were Mine」で大ヒットを飛ばした時期でもあり、ファンキーと言うキーワードの下、ブラックコンテンポラリーな、エッジの利いた角ばったサウンドが流行していた・・・ってことで、このサウンドにしたのは分かる。

・・・けど、そのサウンドが、菊池桃子さんの、穏やかなウィスパーボイスとマッチしていたか・・っちゅうと、何か疑問点だったしな。

それ以前に、菊池桃子さんのバックで歌ってた、黒人の女性2人は、一体何者なんだ? っていうのも大いに疑問だったしな。

兎に角「不可解」として思えないヒトたち、音楽だったのよ。

ま、確かにこの曲の1年前にリリースされた、「アイドルを探せ」以降、「Nile In Blue」にしても「ガラスの草原」にしても、売り上げが下がって来ていたのは分かる。
それをアイドルの賞味期限が切れたから・・・って判断した事務所側も分かる。

この曲をリリースした当時は、桃子さん19才。 既に高校は卒業して短大生だったころだ。
いいかげん、アイドルは卒業して、大人のアーティストに脱皮したい・・・そんな時期だったことも分かるんだけどね。
うん、この当時を含めて、昔はアイドルは、あくまで「10代」、「高校生」まで・・・っていう認識が強かったように思えるしね。だから、高校を卒業したヒトたちって、そのタイミングでアイドルから大人の曲へ脱皮する傾向が強かった。
今みたいに、20代半ばになってもフリフリの衣装でアイドルやってるコたちとはとは違ったわけよね。

だけど、だからと言ってブラコンは無いだろう・・・ってのは、当時も一番感じてた事だったんだよね。


まあ、桃子さんの場合、87年の「アイドルを探せ」以前にも、大人っぽい曲をリリースした事はあった。
例えば86年の「Broken Sunset」とかね。 アイドルが歌うにはちょっと陰がある作品。

個人的には、その方向でもいいんじゃないか・・・とは感じていたんだけどね。

ちょっとあまりにも急に方向性が変わっちゃったんでねぇ、受け入れがたいし・・・って言う部分も大きかったのかもしれない。

ただね、当時、桃子さんが所属してたトライアングルの他のアーティストの曲、例えば、ジャッキーリン&パラビオンとか、ま、オメガトライブ(杉山清貴&オメガトライブぢゃなくて、そのあと)も、正直言うと、好きじゃなかったんだよね、当時。

単純に生理的に合わなくてね。いや、当時で言う「シティポップス」っていう音楽は全般的に、あんまり得意じゃなかったのかもしれない。まあ、中には好きな曲もあったけどさ、やっぱりカッコよすぎたんだよな、ワタシから見れば。 クリスタルガラスのように無機質でスマートな音楽だったでしょ。

そこがねぇ、ダメだったのよ。 ここでは何度も書くけど、個人的にはドロ臭い、ダサい音楽が好きなんでね。

桃子さんの初期のアイドル時代の曲は、やっぱダサかったしね。そこが良かったんだよな。

上で「アイドルを探せ」以降、「Nile In Blue」で売り上げが落ちたってかいたけど、それは、アイドルとしての賞味期限云々というよりも、サウンドが洗練されてきたから・・・って個人的には思うんだよね。
ま、メロディラインは大きな変化はなかったんだけど、サウンドは変わったからねぇ。

やっぱそれ以前までのようなダサダサな曲が良かったんだよな、菊池桃子さんは。





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ドキドキHeartのバースディ・パーティ / 岩井小百合

  1983_03_ドキドキハートのバースディパーティ_岩井さゆり


今回の1曲セレクトは、「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」岩井小百合です。

まずはデータでする。。。

・タイトル     ドキドキHeartのバースディ・パーティ
・アーティスト      岩井小百合
・作詞       翔
・作曲       Johnny
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1983年3月9日
・発売元      キング
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位


1週間ぶりのご無沙汰でした。。。 などと、まるで「ロッテ歌のアルバム」での玉置宏氏のような書き出しになってしまいましたが。。。
うむ、1曲セレクトもすっかり「週末更新」の様相になっちゃいましたねぇ。。。うーむ、平日も更新したい・・・っていう頭はあるんですけどねぇ・・・。 相変わらず腰が重いワタシだったりします。。。
 ま、世間は3連休ですからねぇ、この期間は出来るだけ、更新したい・・・と頭では思っているワタシです。。

さてさて、今回は何を書くべーな。。。
・・・などと思ってたら、今BS日テレで、1983年のベストテンなんぞやってる。。。 日テレで「ベストテン」ってコトバはねぇだろ・・・日テレっちゃ「トップテン」だろ。。。。なんて文句言いながら見てるんだけども。。。

ああ、そうだ、丁度いい ちょっと前に思いついた曲を持って来ますか。

岩井小百合「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」

ふむふむ、1983年の今頃のヒット曲  いつものごとく、至極発想は安易なワタシどぇす。。


・・・などと、書き始めたのは良いですが。。。  今となっては、この曲を覚えている方ってどの位いらっしゃるんでしょうかねぇ・・・。 うーむ、疑問だ。。。

・・・といっても、目ぼしい曲が減りつつある今となっては、オリコンベスト20に入ったこの曲も「貴重」な曲なので。。。

ふむ、この曲は岩井小百合さんにとって、デビュー第2弾シングル。

・・・とか書いて、もしかして岩井小百合さんも知らない方も多いかなぁ。 
最近でもたまにレポーターとして、テレビに出演してたりするんだけどさ。 1983年、昭和58年、期待の新人として、1月に「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でデビュー。
いきなり、オリコンで最高19位。売り上げも10万枚突破と、期待の新人として、まずは成功だったわけですわな。

・・・つか、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は昔書いてたんだけどさ
↓ コレ
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012914

ま、このデビュー曲続く、第2弾シングルつうわけで。。。

ただ、当時シングルは、いわいる「3ヵ月ローテーション」でリリースするのが「通例」の音楽業界・・・つうか、レコード業界にあって、この曲、前曲から2カ月で、早くもリリースされたんだよね。
 しかも、次の「いちごの片想い」は、この曲の次月の4月リリース・・・と、 当時の感覚で言えば、まあ、なんて「矢継ぎばや」にリリースするんだ〜・・・って感じだったよな。それだけ期待の新人って事だったんでしょうね。

というか、リリースされた83年3月の時点では、まだ、デビュー曲の「ドリーム・ドリーム・ドリーム」の頭でいましたからねぇ、当時のラジオのチャート番組では。

だからなのか、正直、当時、この曲はあんまり真剣に聴いたような記憶が無い。

確かにラジオでは聴いてたような気がする。うん、例の「決定!全日本歌謡選抜」では、結構流れてた・・・ような記憶がある。

でも、真剣に聴いてなかった・・・っていうのは、もしかしたら「ドリーム・ドリーム・ドリーム」より、引っかからなかったのかもな、この曲。

ウラを返せば、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は、結構好きだったんだよね、個人的に。
なんと言っても、このヒトの声質がねぇ、当時としては新鮮な感じだったし、古臭い曲調とマッチしていたし・・・。

この「ドキドキHeartのバースディ・パーティ」はと言えば、曲調がさあ・・・・。ダサいんだよね。

いや、本来、ダサい曲、大好きなワタシなんだけども、それでもどうも引いちゃうんだよな・・・。

まあ、タイトルからして、思わず引いちゃったんだけどね。

それに加えて、銀蝿のアニキたちが、あの「ダミ声」で、 ♪サユリちゃ〜ん♪ って親衛隊よろしくコール入れちゃったりしてるじゃん。

思わず 「うわっ ダサッ」って感じだったんだよなぁ。

このダサさ、シングルのA面というよりもB面・・・って感じだったんだよね。 曲調的に「ココ」という見せ場がないし、インパクトも今一つ弱いしね。

あ、そそそ、岩井小百合さんって、「横浜銀蝿」の「マスコットガール」としてデビューしたアイドルだったんでね、当然、曲も当初は銀蝿のアニキたちがとっかえひっかえ書いてたんだよな。

まあ、どういう顔して「アイドル」だった、岩井小百合さんに「ツッパリ」銀蝿のアニキたちが曲を書いてたのか・・・って想像すると、ちょっと笑えるんだけども。。。
ただ、銀蝿解散後、Johnnyはキングレコードでアイドルの原石の発掘、TAKUも日音(音楽出版社)で同じような仕事をしていると言う事を考えると、この辺りから「その道」の勉強はしてたんだな・・・って言うのも分かったりしてね。


で、そんなインパクトの弱い、岩井小百合さんの第2弾シングルだけど、なぜか、今、手元に音源があるんだよな。
いつ買ったんだ  って感じなんだけどさ。。。

この曲ね 出だしAメロからいきなり 

♪ Shake hand  もじもじ しないで〜 ♪ っていうサビから始まるんだけどもね。

デビュー曲と同じく、舌たらずのベイビーボイスなんだけどもね、サビの ♪ Shake hand  〜 ♪ ってところの発声がところどころ「オバちゃん」っぽいんだよな

うちのオフクロも、ばあちゃんもそうだったんだけども、息を吐き終わるくらいの発声って、どこか詰まったような感じになるじゃん。 アレっぽいのよ、この♪ Shake hand  〜♪って部分。

いや、それに気がついたのは、最近なんだよね、うん、ここ数年前。

それがなんかねぇ、妙に引っかかったんだよな。 それで、この曲の音源買っちゃった・・・ような気がする。。曲自体がいいとか悪いって言う感じではなくて。。。

こう文章に書いてみると、我ながら無駄にお金使ってるかなぁ・・とも思えたりもするんだけどさ。。。。




こうしてみると、今もコノテのアイドルって、よく見かけるような気がするなぁ。
これ34年も前なんだけど、そうしてみるとアイドルって30年来、変わってないんだよな。



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追いかけてヨコハマ / 桜田淳子

  1978_03_追いかけてヨコハマ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「追いかけてヨコハマ」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     追いかけてヨコハマ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜4月3日付

それぞれのアーティストにはターニングポイントってあるんだよなぁ。
特にビックヒットを連発していた、いわいるトップアーティストになればなるほど、そのターニングポイントっていうのは顕著になってくるんじゃないかなぁ。
あれがあったからトップアーティストにブレイクした。逆に、あれを境にヒットから遠ざかった・・って言う境ですね。

要因としては、特によく見られるのが時代との折り合いですよね。 楽曲が時代と折り合わなくなったとかさ。それと、単純にアーティストパワーが弱くなってきたっていうのかな。 まあ、この2点が複合的に絡み合うっていところが一番多いかもしれない。

ヒット曲クロニクルの時代的なターニングポイントとして、振り返ってみると、その一つとして1978年って言うのがある。
 70年代アイドル時代の終焉と、反面、ニューミュージックの台頭って言う時代の流れですね。 その中間的な役割として「ザ・ベストテン」があったもするんだけどさ。

今回は、そんな1978年がターニングポイントとなった方の曲をひとつ。

桜田淳子「追いかけてヨコハマ」。

この曲覚えてる方、いらっしゃいますかぁ〜。 いや、あの時代を知ってる方は、まだ、知ってらっしゃる方も多いかな。

この曲の前が、「しあわせ芝居」っていう中島みゆき、作詞作曲で話題になった曲。 それまで暫く「中だるみ」的な売り上げとなっていた、桜田淳子さんだけど、この「しあわせ芝居」で、再び息を吹き返した・・・という。

で、今回の「追いかけてヨコハマ」それにつづく、中島みゆきさん作詞作曲の第二弾シングルですね。

でもですね、約36.5万枚の売り上げを記録し、オリコンで3位まで行った「しあわせ芝居」に対して、この「追いかけてヨコハマ」は、売り上げ16.4万枚。オリコンではベストテン入りも逃す・・・という、トップアイドルの座について以後、初めてと言ってもいいほどの低レベルの売り上げに終わってしまう。

まあ、要するに「柳の下にドジョウは2匹」居なかった・・・って事になる訳なんだけどもね。

だけんども、なぜに、急にこれだけ売り上げが下がったのか・・・って言うのもあるんだよね。

なにせ、前作からいきなり半分以下の売り上げ。 それだけでなく、オリコンではベストテン入りも出来なかった・・・と。

ま、そこが最初に書いたような時代の流れ、時代のターニングポイントだったんじゃないか・・・そんな風に感じる訳なんだよね。

同じような傾向にあったトップアイドルが、もう一人。 そそそ野口五郎氏もそうなんだよな。

まあ、桜田淳子さんも、野口五郎氏も、オリコンは別として、「ザ・ベストテン」では、78年中はベストテン入りしてたし、野口五郎氏なんかは、78年秋に「グッドラック」のヒットで息を吹き返したように思えたんで、あの時点では、それほどのダメージは感じなかったかもしれない。

でもさ、今振り返ってみると、それ以前、数年の「全盛期」に比べると、確実に売り上げは下がってきてたからなぁ。
その傾向が富に現れたのが78年なんだよね。

特に桜田淳子さんは、この「追いかけてヨコハマ」を皮切りに、次の「リップスティスック」でぎりぎり、オリコン10位に食い込んだものの、それが「最後」のベストテン入りとなってしまう。
明らかなアーティストパワーダウン・・・そう言う傾向の時期だったんですよね。


まあ、上で再三書いたように時代の流れとアーティストパワーというのは大きな要因ではあるんだけども、曲調の変化っていうのも大きかったんじゃないかなぁ。

この「追いかけてヨコハマ」って曲。 今聴くと、ほぼ「歌謡曲」なんだよね。前年まで見られた「ポップス」的な曲調とは明らかに違う。

ま、その過渡期となった、前曲の「しあわせ芝居」もそれまでの曲調とは違った。 けど、この曲はそれまでのアイドルには無かったような曲調が新鮮だったんだよね。
 メロディラインがクラシック的でさ。 いや伝統的なクラシックというよりは、イージーリスニング的というかね。そんなメロディラインが新鮮だった。それに加えて中島みゆきさんがアイドルに曲提供したっていう話題性も加わったしね。 

でも、この「追いかけてヨコハマ」って言う曲は、おなじ中島みゆきさんの曲でも、それほど新鮮味がないんだよね。もろ歌謡曲的。
 時代は歌謡曲からニューミュージックへ・・・っていう曲調の変革期。いかにそれまで無かったような新しい楽曲が出てくるか・・・って言う期待があった中、時代を逆行して行ったかのような感じが強いんだよな、今聴いても。
そそそ、78年の曲と言うよりは、75年くらいの匂いがするんだよね。

当時、桜田淳子さんはまだ19才だったはずなんだけど、それにしては大人びた・・・いや、老けた感じの曲だよな・・・って言う印象も拭えなかったりもしてさ。

まあ、それらの要因が色々と絡み合っての売り上げだったんだろうな。

ただね、色々と書いたけど、個人的には、意外とこの曲印象に残ってたりするんだよね。 
当時、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったワタシだけど、この曲は覚えてたりしたもんな。
むしろ、この曲の次の最後のオリコンベストテン入りとなった「リップスティック」の方が印象に無い。

本来なら、松本隆−筒美京平っていう、個人的に大好物路線である「リップスティック」の方が印象に残りやすそうに思えるんだけどね。

やっぱ、中島みゆきさんの曲っていうのは、時代性を超えたアクの強さっていうのがあるんだろうな。 だから、それが洋楽的だろうと、歌謡曲的だろうとアクの強さで印象に残ってしまう・・・と。

そんな所を感じさせる1曲だったりしてね。



ちなみに、この曲と全く同時期にヒットしていたのが、木之内みどりさんの「横浜いれぶん」。
奇しくも、同じ「横浜」を舞台にしたヒット曲だったしたけど、印象としては、やっぱこの「追いかけてヨコハマ」がひとつ上だったかな。

それにしても、この後も「横浜」を舞台にしたヒット曲って多いよね。
「歌謡曲」っていう音楽のイメージが、横浜と合うんだろうねぇ。
どこか異国情緒を感じる趣と、日本的な趣が交差する街って言う雰囲気が差。 
歌謡曲も、向こうの音楽の官能的な部分と、日本情緒が交差した音楽だからさ。そんな異種交流的な雰囲気がシンクロするんだろうな。


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