かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

噂になってもいい / 武田久美子

1983_02_噂になってもいい_武田久美子


今回の1曲セレクトは、「噂になってもいい」武田久美子です。

まずはデータです。

・タイトル     噂になってもいい
・アーティスト   武田久美子
・作詞       来生えつこ
・作曲       加藤和彦
・編曲       清水信之
・リリース日   1983年1月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  8.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

久々の1曲セレクトです。。。って最近、いっつも書いてるよなぁ・・・。
毎日、書かなきゃ・・・っていう半ば「強迫観念」的に思ってたりするんだけども、結局は、今回も「週末」になってしまいましたねぇ。。。うーむ、どうにかせねば。。。

最近、平日、なかなか筆が上がらないのは、確かに、先月からリアル仕事の繁忙期ということもあって、平日になかなか書いている余裕がなかった・・・というのもあるけど、それ以上に、これ書いてる部屋が寒くてね なんせ、我が家は、自ら「氷の部屋」と思うほど寒いもんで。。。 それで、どうもねぇPCに向かう気が萎えてしまう・・・っていうのもあるかも。。。な

だから、暖かくなってくれば、平日もまた書き始めるかも。。。な

・・・っつうことで。。

今回は女性アイドル・・を持って来たい・・・・と思いーの、色々と考えてはいたものの、これ・・と言った曲がなかなか浮かんでこない(いつもの事ですが。。。)

・・・・で、思いあぐねたすえ引っ張ってきた曲が、この曲。

武田久美子「噂になってもいい」。

ジャジャン! ・・・ですよ、ワタシにとっては。 この間書いた南野陽子さんの「さよならのめまい」もそうだったけど、この曲も、個人的には「冒険」的な曲なんだよなぁ。
なにせ、この曲ヒットしてた頃も、それほど熱心に聴いてた訳じゃないんだよな。

って感じの、武田久美子さんのレコードデヒュー曲ですわな。

リリースは1983年、今から34年前の丁度今頃だ。 ワタシは中学1年生。

振り返ってみれば、一番ヒット曲を熱心に聴いてた頃なわけで、何でもかんでも「雑草」のように聴いてたんだよな。
それでも、この曲は、それほど熱心に聴いてなかった・・・ってことは、引っかからなかったんだろうねぇ、この曲には。

リリース前、下馬評は高かっんだよ、この曲。 

いや、この曲・・・というよりは、武田久美子さんの下馬評なんだけどね。

前年の82年、例の映画「ハイティーン・ブギ」でのまっち先生の相手役・・・っちゅう、これ以上も無いヒロイン役に抜擢された訳でさ。
なんせ、当時の、まっち先生の人気は凄まじかったですからねぇ。 そのヒロイン役・・・となると、自ずから業界内での評価は高まる・・・っちうのも、まあ自然の成り行きだった訳だよね。

だからね、83年のアイドルの頂点は、このヒトだ ・・・みたいな雰囲気が一時はあったんだよな。

手元に月刊・明星の付録歌本「Young Song」、1983年4月号がある。
この号で、1983年の新人特集が組まれていて、当時、アイドルボイトレの第一人者だった、大本恭敬氏の評価が、「A B C」ランクで付けられているんだけども、武田久美子さんだけは「?」になってる。

つまりは、それだけ未知数な部分が多く、「化けるとでかい」っていう、当時の業界内の評価を表しているんじゃないかな。


でもね、でもね・・・・ですよねぇ、事実は違ったんだよね。

うん、結局のところは、化けずに「パッ」としないまま終わっちゃったんだよな。・・・・っていうのは、アイドル史が証明しているよなぁ。

どこがいけなかったか?

うーん、やっぱり、ルックスと声質、それにもまして「歌唱力」のギャップの大きさだったんだろうね、きっと。

大人っほかったんだよね、ルックスは。 ワタシより学年が一つ上の武田さんなんで、当時14歳、中学2年生でしたよね。
それにしては、大人っぽい精悍な顔立ちだったじゃん。 そのルックスからして、きっと、声質も大人っぽいに違いない・・・・と想像していたんだけども。。。。

これがまるで「コドモ」だったんだよね。、そこで、まず最初のギャップ。

そして、極めつけは、このヒトの「歌唱力」だよなぁ。。。。    

兎に角、「ヘタ」なのよ、ウタが。。。。 これには、さしものワタシも「カウンターパンチ」でしたねぇ。。。

そう言った見た目と、実際のウタとのギャップ・・・・これは、大きかったんじゃないですかねぇ、ワタシだけでなく、多くのヒト達のとっても。

岩井小百合。 言わずとしれたデビュー当時、武田久美子さんの、「ライバル」と評されたヒトですわ。
年も同じ、当時14歳、中学2年生・・・ってところもあったしね。

 このヒトも武田さんと同じく、声質は「コドモ」・・・っていうより赤ちゃんか・・・ってくらいの「ベイビーボイス」だったわけだけども。
 それでも違和感なく聴けたのは、このヒト、ルックスも「コドモ」だったってのは大きかっただろうなぁ。そそそだから違和感なく聴けたんだよね。

そんな、ルックスと声質、はたまた歌唱力のギャップってのは、いくら歌唱力は「割引」のアイドルと言えども、ギャップがあまりにも大きいと影響はデカイよな・・・っていうところは痛感させられたよな、このヒトには。

だからねぇ、この曲、内容に関しては良いか悪いのかよく分かんないんだよ、ワタシ。

まあ、簡単に言えば古臭いんだよな。 加藤和彦氏作曲、清水信之氏編曲、加えて言えば「冬のリリース」ってことで、81年の伊藤つかささんの「夕暮れ物語」に近い曲調ではある・・・ってところは分かるけど。。。

 この曲も81年当時にしてみれば、アナクロっぽい雰囲気だったもんな。80年代・・・というより70年代の・・・そう、私たちが、小学校に上がる前のころにどこからか聴こえてきたような、童謡のような・・・って言う雰囲気。

そそそ、これは大衆音楽っていうよりは童謡っぽいんだよね。 「〜っぽい」っていうのは、完全にそれって言う訳じゃなくて、あくまでそんな「雰囲気」って事なんだけど。。。 その辺に曖昧さも感じちゃったりしてさ。

例えば、同時期に大ヒットした、わらべの「めだかの兄妹」なんかは、完全に「童謡」だったじゃん。そのへんに潔さを感じたりした訳なんだけども、この曲にそこまでの潔さがあった訳じゃない。 それが曖昧さ・・中途ハンパさに感じちゃったりするんだよな。
 
この曲が今一つ売れなかったのは、そんな中途ハンパさにもあったのかもしれないな。


動画・・・・まあ、この曲くらいのクラスになると・・・って感じだけども、動画があんまりない・・・ってことでニコ動で
コメントがやかましいけど、割り引いてみてくだされ。。。



でも、今見ると、当時14歳といっても気が強そうな雰囲気は出しているわな。
まあ、まっち先生の相手役。しかもキスシーンもありーの・・・なんてことで、まっちファンからは相当の嫌がらせがあったようだけど、こうしてゲーノー界で生き延びてこれてるってことは、並大抵の気の強さじゃない訳で。。。


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ほっとけないよ / 楠瀬誠志郎

1992_01_ほっとけないよ_楠瀬誠志郎


今回の1曲セレクトは、「ほっとけないよ」楠瀬誠志郎です。

まずはデータでする。

・タイトル    ほっとけないよ
・アーティスト  楠瀬誠志郎
・作詞      並河祥太
・作曲      楠瀬誠志郎
・編曲      楠瀬誠志郎
・リリース日   1991年11月15日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  61.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1991年12月9日〜2月3日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ADブギ」主題歌

twitterで別途つぶやいたんだけども、今週のオリコンシングルチャートの週間売り上げ、酷いね。
1位で2万枚台。5千枚弱でベストテン入りだもんね。
まあ、曲の購入はCDパッケージからネット配信へ移行が進んでいるんで、こうなるのも当然と言えば当然の成り行き・・・・と頭では分かっているんだけども、80年代からオリコンチャートの推移を見続けているワタシからしてみれば、やっぱ違和感は感じるわな。

 オリコン見始めた頃といえば、週間売り上げで、大体2万枚前後がベストテン入り水準。5千枚前後で、いわいる業界用語で言う「左ページ」(50位)、2千枚前後で100位・・・って感じだったからさ。そう言う数字の並びが、頭にこびりついてるんだよね。

うん、だからね。オリコンの今週10位の曲なんてさ、そう言う基準からしてみると「50位」くらいの価値しか感じないんだよね。

まあ、これも時代の流れということで、だから、どうだ・・っていうことを言うつもりもないんだけどさ。

でも、逆に言えば90年代。 あの未曾有の「メガヒット」の時代も、違和感いっぱいだったのも間違いない。
なんせ、逆に週間5万枚前後売れないと、ベストテンに入れない・・・って言う時代もありましたからねぇ。
これはこれで、おかしな時代になったもんだ・・・と思ったもんなんだけどね。

昔、筒美京平氏が、自身が作家デビューした頃の60年代終盤を例えて、「どんなイモな曲でも10万枚売れた。こんな曲が10万枚!?」ってインタビューに答えていた事があったけど、まさにそんな感じでしたね、90年代のメガヒット時代は。

今回は、そんな「メガヒット」時代に突入した頃の1曲を持って来ますかね。

楠瀬誠志郎「ほっとけないよ」

この曲、覚えてますか?  うん、あの時代を知ってる方なら恐らく覚えてる方、多いですよね。

91年の10月期のTBS系金9ドラマ「ADブギ」の主題歌として、大ヒットしたあの曲ですね。
そそそ、永遠の「爽やかボーイ」な印象が強い、90年代前半特有のストレートなアッパーチューンポップスですわ。

メガヒットの時代・・・なんてことで、この曲選んじゃったけど、この曲自体は、売り上げは60万枚なんだよね。。
でもさ、そんなに売れてたのか・・・って言うイメージもあるんだよね。
ま、その辺がメガヒット時代と80年代までの感覚の差・・・なんだけどさ。


上で思わず「90年代前半特有の〜」って書いちゃったけど、あの時代、このテのなんのてらいも悩みも無いような、言ってみれば「能天気」なポップスって多かったですよね。サウンドも大体、キーボード主体の、やや硬質な音でさ。

91年暮れから92年初頭というと、経済では「バブル」が崩壊し不況に転落し始めていた頃だ。

そんな時代なんで、さぞかし「暗い曲」だらけだったんだろうな・・・と思いきや、世間一般的には、まだそんなにバブル崩壊っていう深刻な状況ではなかったように感じてましたよね。
現に、バブル崩壊・・・って言われても、それまでの数年間と、なにもかわったような実感はなかったもんな。この頃は。

だから、この曲とか、ZOOの「Choo Choo TRAIN」とか、能天気な曲が、まだまだ巷では流行っていたんだよね。

ま、それから1年後・・・・バブル崩壊の実感を感じるようになった93年の今頃は、THE虎舞竜の「ロード」とか森田童子の「ぼくたちの失敗」とか、「暗黒系」の曲が流行りだったりしたんだけども。。。。

ここでは何回も書いてるけど、「歌は世につれ 世は歌につれ」とはよく言ったもんで、ヒット曲の曲調と世間の栄衰って、リンクしてるもんなんだよね。


ところで、この「ほっとけないよ」、上で書いたように永遠の「爽やかボーイ」な印象が強い1曲なんだけども、歌ってる楠瀬誠志郎氏からして、永遠の爽やかボーイっていうイメージだったもんなぁ。

歌っているときに、いつも白い歯が覗いてた笑顔を絶やさない・・・というか。。。
うん、見方によれば、ちょっと怖かった・・・というか。。。
ま、このヒトにして、この曲あり・・・という印象が強かったよね。

この曲で突然、ヒットストリームに躍り出てきた、楠瀬氏だったわけで、当時は「新人」なのかな・・と思ってたけど、91年当時で、既にデビュー6年目と言うベテランアーティストだったんだよね。

だから、当然ワタシよりも年上なんだけど、当時は同年代? なんて思ったもんだよな。それだけ「爽やか」さがいっぱいだったもん。


ちなみに、この曲が主題歌だったドラマ「ADブギ」は、あの「加勢大周」が主演。浅香唯さんがヒロインでしたよね。 この二人は同年代・・・というか、二人とも同い年だったからさ。そんじゃ楠瀬氏も同年代なのか・・・と思ったもんなんだけどね。
ドラマは、「ママハハブギ」「予備校ブギ」に続く「ブギ」シリーズ第3弾でしたよね。
前作から引き続けて出演していたのは、的場浩司氏と、石田ひかりさんだけだったかな・・・。

うん、個人的には、このシリーズ大好きで、「ママハハ」も「予備校」も欠かさず見てたんだけども、この「ADブギ」だけは、あんまり見てなかったんだよな。

ま、この時期、91年末〜92年初頭にかけては、前年に引き続き、郵便局で夜間の仕分け作業のバイトやってたからなぁ。だから、見られなかったんだよね。
 でも、この「ほっとけないよ」を聴くと、あんときのバイトの様子が脳裏に浮かんできますわ。バイトと、新宿のカラオケバーと、ボーリングと・・・兎に角、ワタシにとっては「徹夜」のイメージなんだよな、この曲。

なんか、「爽やか」な曲のイメージとはまったく違うけど。。。 

いや、この91年暮れ〜92年頭頃のヒット曲って一律で、そんなイメージなんだよな。 それだけ、あのときのバイトと、カラオケバーと、ボーリングっていうのが強烈な印象だったのかなぁ。。。




少し画像が悪いけどメンゴ。
カラオケのバック映像っぽい作りだけど、これこの曲のPVらしいね。いや、初めて見ました。。
もちろん、歌ってるのは楠瀬誠志郎氏本人だけど、ほらね、歌ってる最中も笑顔と白い歯は絶やさないでしょ
これが爽やかでもあり、味方によってはちょっと「怖く」もあり。。。

ちなみに、楠瀬誠志郎氏って、トップドラマー、村上"ポンタ"秀一氏の、元ボーヤなんですよね。このPVでも分かるように、自身はピアノ弾いてたんで、ドラマ―のボーヤだったってのは意外だったし、全く知らなかったんだけどさ。
あ、いや、そう言えば、ポンタ氏の著書にも書いてあったっけな、楠瀬誠志郎氏が、元ボーヤだった事は。


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さよならのめまい / 南野陽子

1986_01_さよならのめまい_南野陽子


今回の1曲セレクトは、「さよならのめまい」南野陽子です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならのめまい
・アーティスト   南野陽子
・作詞       来生えつこ
・作曲       来生たかお
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1985年11月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   12.5万枚
・TH HITCHART HOT30最高位 22位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「スケバン刑事 少女鉄仮面伝説」挿入曲


またもや、久々の1曲セレクトです。
毎回書いてるような気がするけど、ここのところ忙しくて週に2回くらい書ければいいかな・・・って言う感じになっちゃいましたねぇ。 できれば、以前のように毎日1曲ずつ書ければいいんだけどもね。。。
うん、まあ、暫くはしょうがないのかなぁ。。。

さてさて、ここ暫く「男性アーティスト」中心の男臭い1曲セレクトになっちまってたんで、今回は女性「アイドル」を持って来たい・・・と思ってたんだけどね。
 
これがなかなか思いつかないんだよなぁ。 今頃の時期の女性アイドルのヒットって既に大分書いちゃったからなぁ。。。。

まあ、いつもの事なんだけども、ない頭をひねりひねり・・・で絞って出てきたのが、この曲だったりして。。。

南野陽子「さよならのめまい」。

うわっ、この曲、個人的には「冒険」なんだよなぁ。。。  

・・・っつうのも、この曲、ヒット当時、あんまり聴いてなかったのよね。 南野陽子さんの「ベスト」盤はもってるんで、音源としては持ってるんだけども・・・。

 個人的には、ナンノちゃんは、「ザ・ベストテン」に初ランクインした、この曲の次の「悲しみモニュメント」からだったからなぁ。。
そんなナンノちゃんのデビュー2作目のシングルだったこの曲。

この曲は、もちろん、当時「主演」していたフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事供廚料淨曲だった訳だけどもね。ここではもう何回も書いた事なんだけど、当時、「スケバン刑事」見てなかったからなぁ、ワタシ。

木曜19時30分なんて、まだ、家帰ってなかった事が多かったもん。部活やってたからさあ。

たしかに、当時は話題だったよな。学校でも結構みんな見てたし。。。 でも、個人的にはあんまり興味がそそられなかった・・というか。

まあ、元来の天邪鬼な性格なもんで、みんなが見てると興味がなくなる・・・と  そんな所があったかもしれない。

そんなこともあってか、この曲は、素通りだったんだよね当時は。 

ナンノちゃんについては、オリコンでも大分記事を読んでたし、当時は、まだ月刊「明星」買ってたしねぇ、だから、もちろん知ってましたけどね。 でも、他のいわいる85年デビュー組アイドル同様、それほど「曲」については興味がそそられなかったってのもあるかなぁ。

あ、85年組でもミポリンだけは、デビュー当時から曲はしっかり聴いて注目してましたけどね。 その他は・・・あーん、あんまり興味が向かなかったんだよな。

まあ、本田美奈子さんの「Temptation」とか、芳本美代子さんの「雨のハイスクール」あたりからは、徐々に85年組にも目を向けて行ったんだけどさ。

だからね、ナンノちゃんについても、そんな「その他大勢」の一人・・・って言うくらいしか認識なかったんだよね。

すくなくとも、この「さよならのめまい」の頃までは。

だからね、むしろ、後年なんだよね、この曲を聴くようになったのは。

で、すぐに思ったのが、「あ、85年だ」っていうこと。  この間書いた中村雅俊氏の「俺たちの旅」でも75年を感じると、同じような事を書いたんだけども、時代性だよね。空気感。

これがこの曲にもたたよってるんだよな、そそそ、85年って言う空気感が。

じゃ、どういう空気感よ?  って聞かれると、なかなかコトバにあらわせられないんだけどもさぁ。。。。

でも、当時、あんまり曲を聴いてなかったのに、この曲を聴いた途端、16才の自分に戻っちゃう・・・っていうかねぇ。。。

この当時の曲ってサウンドが特徴的でさ、例えばヤマハDX7のプリセット音が聴こえれば83年〜84年頃の曲っていうのが、一発で分かるんだよね、たとえ、当時聴いて無かった曲でもさあ。 
そういう、時代感の感じ方もあるんだけども、85年の後半あたりからは、もうちょっと違ったような感覚があったんだよな。アイドルの曲にもさ。

まあ、おニャン子の能天気さって言う感覚もあった事はあった。けど、もうちょっと違った感覚なんだよな。
どこか儚さを感じるっていうかさ。

特に、ナンノちゃんの曲って、この曲もそうだけども、他の当時の曲も、「スケバン刑事」の主題歌、挿入歌で使われてた曲って、どこか儚さを感じたじゃん。侘しさっていうかさ。

 少し大げさ気味な展開とストリングス。まあ、今聴くと、85年当時の曲としては全体的に、少しアナクロ的なところがあったかもしれない。80年代の・・・というよりは10年くらい遡ったような・・・っていうかさ。
 うん、70年代中盤の昼ドラのBGMにかかっていたような・・・って感じの。

その辺に懐かしさではないと思うんだけども、儚さを感じたのかもなぁ。

奇しくも、時代は「回顧系」に向かうところがあったしね。 そそそ、86年になるとネオGSが静かなブームになったのをはじめ、TBS系の「テレビ探偵団」が始まったりして、時代を回顧するっていうところが流行り始めたんだよね。
 それまでは、時代は進む、進化の方向、一辺倒で、一昔前のテイストのものはダサいって言われてたのが、回顧系が「イマく」なったのよ。それが86年頃。

そう考えるとこの曲は、その魁的な曲だったのかもしれないですよね。いま改めて聴いてみるとさ。
 


こうみると、ナンノちゃんは、かわいいというより美人さんなんだよな。
当時、金妻で大ブレイク中の篠ひろ子さんにそっくりだったし。

ただ、ウタがねぇ。。。。まだまだヘタだったよね。。。(爆)
・・・といっちゃ失礼か。。。

あ、だからだったのかもしれない。当時、曲を聴かないで素通りしてたのは。。。。。


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俺たちの旅 / 中村雅俊

1976_01_俺たちの旅_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「俺たちの旅」中村雅俊です。

まずはデータでする。

・タイトル    俺たちの旅
・アーティスト  中村雅俊
・作詞      小椋佳
・作曲      小椋佳
・編曲      チト河内
・リリース日   1975年10月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  87.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年1月12日〜2月16日付(暫定)
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「俺たちの旅」主題歌

先日のニュースによると、天皇の退位により「平成」も来年いっぱいで終わるらしい。 つまりは「平成30年」で打ち止め・・・って言う訳ですね。
 そうかあ、そうなると「昭和」と言う時代も、ますます遠くなるなぁ・・・・っなんて思っている昨今だったりして。
ま、それ以前に「昭和」の時代に活躍されていた方々が、ここ数年、どんどんと鬼籍に入られてしまった訳で、それだけでも昭和って言う時代も大分、遠くなってしまった・・・って言う実感なんたけど。。。

・・ということで、今回の1曲セレクトは、「個人的」に「昭和」を感じる曲をひとつ。

中村雅俊「俺たちの旅」

・・・なんて書くと、「え?」なんて思われるかなぁ。  なんで、「俺たちの旅」が昭和なんだよ・・・・とかさあ。

「俺たちの旅」っていえば、日テレの「日8」・・・つまりは日曜20時〜21時・・・っていう、NHK「大河ドラマ」の「真ウラ」で放送していた、いわいる「青春ドラマ」枠で1975年〜1976年の1年間放送していたドラマですね。

主演 中村雅俊、田中健、秋野大作の3人がつとめた、お馴染みのドラマですわ。 
・・・なんて、さぞかし当時見てたかのように書いてるけど、当時5才〜6才だったワタクシは、流石にこのドラマは見てなかったよなぁ。 後々、テレビ探偵団とかなつかし番組で「断片的」に見たりしたから、存在は知ってましたけどね。

うん、1975年〜1976年といえば、このドラマが始まるちょっと前の時間にフジテレビで放送してた、「カルピス世界名作劇場」だよね、見てたのは。
75年が「フランダースの犬」、76年が「母をたずねて三千里」っちゅう、名作劇場の中でも一番盛り上がっていた時代ですわ。 個人的には、これ終わったら、「寝る」時間だったからさあ
そそそ、当時は就寝時間が8時だったの。(土曜日だけは「全員集合」見てからだったから9時だったけど) 
だからね、当然ながら、この「俺たちの旅」も当時は存在も知らなかったんだけどさ。。。

・・・・とととと、話が大分ずれた。。。

あれ? なんだったっけ????


あ・・・そうだ、中村雅俊氏の「俺たちの旅」から、どうして「昭和」を感じるのか・・・だったですね。

この曲のサウンドですよね。この曲、FMや「ステレオ」で聴くより、AMラジオの「モノラル」で聴いた方が絶対にいいんだよね。
 当時の哀愁感っていうのかなぁ、当時の記憶がセピア色に甦るっていうのかなぁ。気分は1975年当時に戻るんですよ。

・・・と言っても、当時5〜6歳だった、ワタシの記憶なんて取るに足らないものだとは追うんだけども、それでも少しは物心ついてましたからねぇ、当時。
少しではあるけど、1975年って言う空気感は感じ取ってたんだよね。

いや、逆に言えば、世の中の空気感を感じ始めた、最古の記憶かもしれない、個人的には。

そんなこともあってか、個人的に「昭和」の空気・・・というと、1975年当時の空気を思い出すのかもしれないなぁ。

上で「セピア色」の想い出・・・って書いたけど、例えば、当時、テレビでは、まだドラマにしてもニュースにしても「フィルム」が多かったじゃん。 今みたいにVTRではなくてさ。

映画でもそうだけど、フィルムって、独特の哀愁感を感じるんだよなぁ。日常なんだけど、非日常の世界のようなさ・・・。
それと、街並みにしても、今のような無機的な感じじゃなかったじゃん。
まだ、駅前とか、商店街が華やな時代だったしさ。そう言う商店街には、「ラッパ」スピーカーから、ヒット曲が、半分割れたような音でガンガン流れてたりしてさ。街に活気がありましたよね。

丁度、当時流行ってた、野口五郎の「私鉄沿線」とかの世界。

映画「三丁目の夕日」ほど時代は古くないけど、かといって、まだパソコンなんて何者だ?、って時代だし、それどころかビデオも普及していない時代。

古くないけど・・・かといって新し過ぎもない時代。  なんて書くと「中途ハンパ」な時代? なんても思えるけど、そうじゃない。文化的にも人間性的にも、いまよりはずっと豊かだったんじゃないか・・・なんて思える時代。

それが1975年あたりなんじゃないか・・・なんて個人的には思えるんだよな。

ま、世相的には、70年代前半までの高度成長期が終わり、前年74年には戦後初のマイナス成長という不景気に見舞われた時代。

それは、この「俺たちの旅」っていうドラマ自体にも出て来ているんだけどさ。 例えばそれまで青春ドラマっていえば、スポーツがあって、太陽に向かって走れば、全てが解決・・・っていう能天気な部分があったわけじゃん。

でも、このドラマあたりから、「悩み」が入って来るんだよね。 つまり「陽」だけじやなく、「陰」の部分。こんな部分に、それまでの高度成長期の「プラス」成長から一転して、「マイナス成長」期に入った世間の「陰」の部分が反映されてきたりしてね。

もしかしたら、そういう「陰」の部分に強く惹かれているのかもしれないな、この時代というと。

ちなみに、ドラマ「俺たちの旅」の脚本は、畑嶺明、鎌田敏夫 両氏が書いてたんだよね。
こののち80年代、畑氏は「毎度おさわがせします」、鎌田氏は「金妻」「男女7人」シリーズという、TBSのドラマ黄金期を支えることになるんだけども、この時代は日テレドラマを書いてたんですよね。
ちなみに、「太陽にほえろ」の脚本も書いてましたよね、この時代。


あー、今回は内容がまとまらないなー。何書いてるんだか、よく分かんなくなってきた。。。

ま、ともかくも、個人的には1975年って言う時代は、70年代の中では、78年に次いで印象深い年なんだよね。
それとともに、この曲を聴くと、1975年って言う時代を強く感じてしまうワタシな訳ですわ。



この曲はやっぱり、生で歌っているところよりもレコード音源の方が時代性を感じる・・・ってことで、そう言う動画を持って来ましたわ。
 どころでこの曲、売り上げは87万枚っちゅう、中村雅俊氏としては、デビュー曲の「ふれあい」に次ぐ売り上げを記録した大ヒットだったんだけども、オリコンでは結局1位取れずの、最高2位だったんだよね。

 同時期の1位は、バンバンの「いちご白書〜」であり、ユーミンの「あの日に帰りたい」であり、いわいるユーミン勢に押し切られた形になってたりする。 しかも、しまいにゃ、「およげ!たいやきくん」とパッティングしちゃたりして。。。不運といえば、不運が続いた曲なんだよな。

ただ、売り上げにたがわずロングヒットだったけどね。 ベストテンにランクインしている最中は、兎に角、上下動が少ない安定したチャートアクションを展開していたのが印象的なんだよなぁ、この曲は。

ちなみに、最初のデータに書いたベストテンランクイン期間は、「ワタクシ」のチャートのもので、チャートを始めたのがこの曲がベストテン入り最中だった1976年1月からなんで、「暫定」と入れました。
オリコンでは、1975年11月10日付からベストテン入りしています。



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哀しみの黒い瞳 / 郷ひろみ

1983_01_悲しみの黒い瞳_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「哀しみの黒い瞳」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    哀しみの黒い瞳
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・作曲      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・訳詞      岩谷時子
・編曲      川口真
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 18.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月10日付

この間も書いたように「リアル仕事」が、只今繁忙期真っ最中でして。昨日、一つの山場だったんですけどね。
もう一つの山場が1週間後に来るんだけども、それまでは気が抜けない毎日ですワ。
 いやいや、お陰で精神的にクタクタよ。今日は若干、悪寒が。。。カゼ引くのかなぁ。 ヤバイ・と思って、ドリンクタイプのベンザエースをゴクリ。

精神的にクタクタよ・・・と言えば、以前もここでグチった事があるんだけども、中1の今時分、クラス中から総スカンをくってた事があるんだよな。 簡単に言えばイジメってやつですわ。
 そもそものイジメの理由って言うのはくだらない事なんだよ、今考えてみれば。
ワタシ、中1の途中から、福島から千葉に越してきた訳で、いってみれば転校生だったんだよな。ココだけだったと思う。結局、転校生ってことで、元から居た奴にとってみれば「異星人」なわけよ。そんなことがきっかけだったんだよ。
 でもねぇ、味方が誰もいないっていうのは、マジでつらいんだわ。 幸いあの時以来、そう言う目は合っていないけど、未だにトラウマですね、人間関係には。信じられるのは自分だけ、周りは全部敵・・・って思う事、よくあるもん。

あー、湿った話が続いた。 今回は、そんなイジメられていた日の中で、未だに「トラウマ」になっている曲をひとつ。

郷ひろみ 「哀しみの黒い瞳」。

そう、この曲がヒットしていた渦中の頃、もっともイジメがエスカレートしていた頃だ。だから・・・って事が往々にしてあるんだけども、この曲聴くと、これから35年も経っているっていうのに、未だにあの時代の光景がフラッシュバックしてくるんだよな。

まあ、そんなこともあってか、この曲、結構長い間、耳にするのもヤだったんだよな。

なんとか、普通に聴けるようになったのは、大人になってからですねぇ。20年くらい前かな。
良いこともヤなこともひっくるめて、昔を回顧できるようになってからですねぇ。

この曲がトラウマになったは、確かに上記のように精神的に追い込まれるような「事件」があった・・っていうのは、個人的には一番大きなことではあったんだけども、 この曲の曲調自体重い感じだったからなぁ。

重く切ないメロディをうろうろと歌い上げるようなカンツォーネと言おうか。

そそそ、まあ、これ読んで下っている方の多くはすでにご存じだと思うけど、この曲はスペインが生んだスーパースター、フリオ・イグレシアスのカバーなんだよね。

オリジナルはコレ↓


まあ、曲を聴いてみれば、大概の方は「ハイハイハイ」ですよね
切ないイントロから、♪ンナタリ〜 ♪と歌い上げる、ヨーロッパ特有の甘く濡れたメロディ。
これにやられた方も多いんじゃないかなぁ。

そそそ、前年の1982年の「ビギン・ザ・ビギン」の大ヒットを受けて、この1983年にかけて、ヨーロッパだけではなく、日本でも一大ブームでしたもんね、フリオ・イグレシアス。
最近では、このテの正統派なカンツォーネを歌いあげるような向こうのアーティスト、少なくとも日本では絶滅ってかんじだけど、やっぱり時代だったんでしょうかねぇ。

それにしても、ヨーロッパ系の「刹那系」のメロディってこうも、心にグサッと刺さって来るんでしょうかねぇ。
系統としては、例えば、ニノ・ロータの「ゴットファーサー〜愛のテーマ〜」とかさ、あの感じに近いですよね。
でも同じように心にグサッと刺さるんだよな、痛いくらいに。

個人的にアメリカンな曲よりもヨーロッパ系の曲が好きなのは、その辺なんだろうな、きっと。
コーヒーも薄味のアメリカンよりも、濃厚なエスプレッソが好きなようにさ。


まあ、そんな一大ブームだったわけで、同じソニー所属だった、郷ひろみ氏がカバーに動いたっていうのも至極自然な流れだったんだろうね。

おりしも、当時、日本のヒット曲界そのものが、一大カバーブーム期でもあったしね。

アイドル中心に、70年代回顧って感じのカバーが多かったけど、その点では郷ひろみ氏は、ちょっと違ってましたよね。うん、当時ヒットしていた曲のカバーでしたからね。
 この曲の前が、あの「哀愁のカサブランカ」だったわけだけど、当時のヒット曲、バーティ・ヒギンズのカバーだったしね。

でも、カバーといえどいい味だしてるんだよな、カバーというよりも自分のオリジナルっていう感じだったもの。

まあ、個人的には、当時は、郷ひろみ氏の事は好きじゃなかったんで、ちょっと煙たい存在ではあったんだけどさ、でも、今になって改めてじっくり聴くと、いいんだよね。
 ・・というか、この頃の郷氏の曲って、あの頃の時代背景を感じるんだよな。 

NHKで、夜中によくやってるじゃん。その当時のヒット曲のバックに当時の事件とか世相のフィルムを流してる番組。
 郷ひろみ氏のこの当時の曲を聴くと、そんな絵面が浮かんでくるんだよね。 そそそ、曲のバックに当時の世相が浮かんでくるんだよな。

ま、それもこれも、最初に書いたように、このころ個人的にいろいろあったからなんだろうな、
よく、楽しい記憶、嬉しい記憶はすぐに忘れるけど、つらい記憶、苦しい記憶はいつまでも残るっていわれるけど、その通りだと思いますね。



この曲、訳詞は、岩谷時子女史だったんだね。
いや、これ書いてて、マジで今知った。 
やっぱり、フレンチポップスを中心にヨーロッパ系の濡れた感じの曲には岩谷女史の訳詞が一番響くんだよね。
そういえば、この年の夏にリリースされた、トシちやんの「さらば・・夏」も岩谷さんの詞だったよね。
まあ、あの曲はポール・アンカだったわけで、ヨーロッパ系ではなかったけど、曲想的には濡れてたからなぁ。
そう言う曲が合うんだよね。


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青春時代 / 森田公一とトップギャラン

1977_01_青春時代_森田公一とトップギャラン


今回の1曲セレクトは、「青春時代」森田公一とトップギャランです。

まずはデータから

・タイトル     青春時代
・アーティスト   森田公一とトップギャラン
・作詞       阿久悠
・作曲       森田公一
・編曲       森田公一
・リリース日    1976年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  101.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月15日〜1977年3月21日付

ジャンル付に困っちゃう曲ってあるんだよな。
・・・なんて、また「主語」無しで唐突に話が始まってしまいましたが。。。

でもね、例えば楽曲検索で「ジャンル検索」なんて項目がある場合ってあるじゃん。そう言う時に、「はて、この曲はどこに分類すればいいんだろう・・・・」なんて困っちゃう事っておうおうにしてあるんだよね。

まあ、そもそも音楽をジャンル分けするって事自体ナンセンスな事ではある訳で、そんな事を考えるのも無駄って言えば無駄なんだけどもさ。。。

今回は、そんな個人的にどのジャンルに分類すればいいんだろう・・・っ曲をひとつ。


森田公一とトップギャラン 「青春時代」

ね? 困ってしまいませんか、この曲。 
この曲は一体何なんだろう? ってね。  歌謡曲? ポップス? ニューミュージック? フォーク?

っていうのを、いつから悩んでるんだろう? ・・・って感じなんだよなぁ、個人的に。

昨夜BSジャパンで放送してた「フォーク・ニューミュージックベスト30」では、ニューミュージックってなってたんだよな。
とりあえず、ワタシも家で保管している音源はニューミュージックとしてまとめてたりする。 

それ以前に、よく通販で販売してる「ニューミュージック全集」なんかにも、ニューミュージックとして収録されている。

まあ、だから、ニューミュージックとして見ていいんだろうな・・・きっと。


でも・・・ですよ。実際に曲を聴く上では、どこが、お「ニュー」な音楽なんだろう・・・なんて思っちゃうんだよな。

そもそも「ニューミュージック」ってジャンルって、それまでの音楽ではカテゴライズ出来ないような「垢ぬけた」音楽を指していた・・・と思うんだけど。

いつかも書いたような気がするんだけども、例えばチューリップですよね。それまでのフォークとも、G.Sともくくれない、洋楽の匂いが強い垢ぬけた音楽。 これをカテゴライズするジャンル用語は、最初なかったんだよね。
 だから、初めは「ネオG,S」なんて呼ばれた(らしい)。
 まあ、チューリップの場合は、「グループ」だったんで、そう呼ばれてざるを得なかったところもあったのかもしれない。

だけど、ユーミンが出現するとそうも行かなくなった。なんせユーミンは、グループぢゃなく、ソロだったから。

そんな、それまでの日本の音楽にはなかった、より洋楽傾向の強い色彩的に垢ぬけた音楽を、まとめてニューミュージックと言うジャンルにカテゴライズした・・・っていうのが、ニューミュージックの始まり・・・だったはずなんだけども。。。

うん、この「色彩的」っていうのが重要なところで、G.S時代の、いわいるサイケデリック的な「原色」のどぎつさではなく、もっと淡い色・・・昨日の、フォーク・ニューミュージックベスト30では、「パステル・カラー」と表現してたけど、そういう色合いの音楽を総称して、ニューミュージックとしたわけなんだよね。

そう言う意味合いからすると、果たして、この「青春時代」って言う曲は、ニューミュージックなんだろうか・・・なんて思っちゃったりするんだよね。
色彩的に「パステルカラー」じゃねーよなぁ、この曲。 もっと古臭いというかカビ臭いというか。。。


ま、その前に、森田公一氏というと、どうしても70年代前半の、アイドル、ポップス系の作曲家って言うイメージが強い訳でさ。 
 そんな70年代前半のトップ作家の中でも、例えばバタ臭い洋楽傾向が強かった筒美京平氏よりは、バタ臭さは感じなかったし、かといって、和テイスト傾向の歌謡ポップス的な平尾昌晃氏ほど「和テイスト」は強くなかったし、当時のポップス系作家の中では、洋楽ージャパニーズの中間的なポップスを作ってたヒトって言うイメージが強いんだよな。

うん、つまりは、当時で言う「ニューミュージック」らしさは、それほど感じなかったんだよ。
メロディラインにしても、サウンドにしても。


だからね、この曲をニューミュージックっていわれると、違和感を感じぢゃうんだよな。

結局のところ、この曲が、当時の「若者」に支持されていた・・・ってところが、ニューミュージックにカテゴライズされる一番の要因になってるのかもなぁ。

・・・なんて書くと、正直、ワタシ的には、これまた違和感なんだけどさ。。

っていうのも、どうも、この曲が当時の「若者」に支持されていた・・・って言うのがどうしても結びつかなくてねぇ。

この曲っていうと、ワタシの母親たちが歌ってた・・・って言うイメージが強いんだよなぁ。
この曲がヒットしてた76年〜77年の今頃っちゅうと、ワタシゃ7才。 小学校1年生でしたわ。

少し前にも書いたかもしれないけど、当時、 母親が学校の「PTA」をやってた関係で、家がPTAの溜まり場になってて、よく宴会やってたんだよな。 その宴会で、よく歌われてたんだよ、この曲。

だからね、この曲というと、あの頃の家での宴会が浮かんできちゃうワタシだったりするし、だからか、若者に支持されてた・・・っていうよりも、オジさん、オバさんたちに支持されていた・・・っていう印象が強いんだよな。
(といっても、今のワタシの年齢よりは若かったはずだが。。。。)


でも、チャートアクション的に見ると、ワタシのランキングでもそうだけども、オリコンでも4カ月近く、ベストテン内に居座り続け、77年の今頃をピークに、5週間も1位を獲得したこの曲。
そんなチャートアクションの末、最終的にはミリオンセラーまで到達したわけでさ。

そんなロングヒット、かつミリオンセラーに達するようなヒットなんてさ、当時でもオジさん、オバさんだけの支持だけでは無理な訳でさ。 当時の若者を含めた、幅広い年齢に受けなきゃね、こういうチャートアクションは生まれなかったですからね。

でもね、考えてみれば、最初に書いたような、この曲が、どの楽曲ジャンルの曲なのか、はっきりとカテゴライズ出来なかった事が、結果的には幅広い年齢から受けたのかもしれないな。
汎用的な楽曲っていうんですかねぇ。これって、ヒットを生み出す上でも意外に大事な事なんだよなね。
・・・ってことをこの曲は教えてくれているのかもな。

 うん、これから幅広い年齢層に支持されるような楽曲を生み出す上の「参考曲」として、意外と大事な曲なのかもなぁ。



これ、「トップスターショー〜歌ある限り〜」っていう、当時TBSの木曜21時枠で放送してた歌番組ですね。
二谷英明氏と、久米さんが司会だった。
久米さん若っかい
この番組の後番組が、「ザ・ベストテン」になるわけですわ。


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FAITH OF LOVE / アルフィー

1989_01_FAITH OF LOVE_アルフィー


今回の1曲セレクトは、「FAITH OF LOVE」アルフィーです。

まずはデータです。

・タイトル    FAITH OF LOVE
・アーティスト  アルフィー
・作詞      高見沢俊彦
・作曲      高見沢俊彦
・編曲      アルフィー
・リリース日   1988年12月21日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 10.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1989年1月2日付
・タイアップ:映画「将軍家光の乱心 激突」主題歌

この時期はいつもだけど、「リアル仕事」が繁忙期のまっ只中のため、この1週間は1曲セレクト、書けなかったんで久しぶりの更新ですわ。

 「リアル仕事」は、まあ、音楽配信を行っている各事業者の著作権管理団体への楽曲使用報告支援なんですけどね。著作権管理団体(はい、あのJASRAC様とかでごじゃります)への楽曲使用報告が、こともあろうか「1月」なんですねぇ。。。。

 お陰で、毎年この時期はてんやわんやの大騒ぎなんだよね。なので、平日は帰りが遅くなるんで、1曲セレクト書いてるヒマがなかなか取れない・・・っちゅう訳なんですよね。
その分、土日はなんとか更新したい・・・とは思っているんですけど。。。



ところで、上で書いたように1月は「鬼門」の月のように感じるけど、昔からそうだったんだよな。

そう言えば、今日、明日と「大学センター試験」だけど、考えてみれば学生時代「受験」直前は、いつも「鬼門」を感じてたな。
高校受験の時もそうだったけど、大学受験の時が特にそんな感じだった。

ま、大学受験の「現役」の時は、まあ半分「諦め」が入ってたけど、1浪の時は気持ち的に後がないって感じだったんで特に変な感じだった。

変な感じだった・・・ってのもおかしな表現だけど、訳分かんなくなってたんだよな。さすがに現役の時よりは勉強してたけど、めちゃくちゃ不安だったんだよね。
 

今回の1曲セレクトは、そんな「1浪」時代の今頃、めちゃくちゃ「不安」を感じてた頃の曲をセレクト。。。

アルフィー「FAITH OF LOVE」。

アーティスト名表記、「THE ALFEE」じゃねーの ってクレームが来そうだけどさ。
たしかにその辺、 メディアによってまちまちなんだけど、とりあえず「オリコン」では、92年の「Promised Love」までは「アルフィー」表記になっていたんで、ここではそれに則って書きますね。

ところで、上で書いたように、この曲は、個人的にめちゃめちゃ不安な気持ちでいっぱいだった、89年の今頃のヒットなんだけどさ。
 今朝、「めざまし土曜日」で、受験の時に聴いた「応援歌」ランキングなんてやってたけど、この曲は、個人的に受験直前に聴いた「dis 応援歌」だったような気がする。。

なんじゃ「dis 応援歌」ってのは・・・って感じなんだけど、ま、「応援歌」の反対だよね。受験に対してますます「不安」に掻き立てられた「1曲」ですわ

まるで「REQUIEM」のようなミサ曲を思い出させる様な、めちゃくちゃ荘厳なイントロから始まり、その後の曲、全体にわたり、いかにも「冬」を思い起こすような静寂さと、キンと張り詰めたような温度感を感じさせる1曲。

だから、曲自体は、いかにも「今の時期」にピッタリな1曲なんだけども、そんな「張り詰めたような温度感」な感じが、「受験」という立場の時は、逆に緊張感を増大させてしまうんだよな。


いや、この曲だけでなく、この年、88〜89年にかけての「冬」の時期って、そんな如何にも「冬枯れ」を思い起こす、硬く、緊張感がある曲って他にもあったんだよ。
レベッカの「one more kiss」とかね。 この曲も冬枯れた感じの、難解な曲だったんだよな。

うん、レベッカの「one more kiss」と、このアルフィーの「FAITH OF LOVE」。 この曲を2曲を聴いて、訳分かんなくなっちゃったんだよな、ワタシ。
あ、ついでに言えば、浅香唯さんの「TRUE LOVE」もそうだったな。 

兎に角、これらの曲を聴いて、頭の中、「不安 不安 不安・・・」ってコトバと感情がグルグル駆け巡っちゃったりして。。。

 緊張感ある曲を聴いた位で、そんな感情になるとは今にして思えば、めちゃくちゃ「純」だったよな、なんて思えるけど、あん時はあん時で、「後がない」っていう背水の陣状態に感じてたからなぁ。

 まあ、 実際は落ちても「後」があったんだけどね。 (・・・ってことは、この年の受験も失敗したんだが。。。
 でも、この時の出来事は、次の年の「復活戦」には、大いに教訓になったんだよな。
例えば、受験直前はヒット曲を聴かない・・・とかさ  
曲を聴いて、また不安になっちゃったら元も子もないからさあ。 ま、その他にもこれでもか・・ってくらい受験対策したんでね、「2浪目⇒敗者復活戦」では。
お陰で2浪目では、それまで全敗してた大学に、逆に「全勝」して受験という「イベント」に終止符を打った訳なんだけども。。。

雨降って地固まるっていう教訓があるけど、個人的には、まさにそんな教訓となった1曲ではあったかなぁ、この曲は。
まあ、第三者的に見れば、売り上げ10万そこそこと、アルフィーの中でもそれほど、「大ヒット」となった曲ではないし、今となっては、忘れ去られてしまっているような曲だけどさ。

上で書いたように、今日明日と「センター試験」だけどさ、あれから29年経った今でも、毎年、この時期になると、
あの時の踠いてた自分を思い起こすとともに、この曲がどこからともなく、頭の中で鳴り始めるワタシだったりするんだよね。





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YOU ARE THE ONE / TK PRESENTS こねっと

1997_01_YOU ARE THE ONE_TK PRESENT こねっと


今回の1曲セレクトは、「YOU ARE THE ONE」TK PRESENTS こねっと どぇす。

まずはデータどぇす

・タイトル     YOU ARE THE ONE
・アーティスト   TK PRESENTS こねっと
・作詞       小室哲哉 MARC DJ KOO and hitomi
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1997年1月1日
・発売元      こねっとプラン事務局(クラウン)
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年1月13日〜2月17日付

えー、この間から、新年恒例()の「1月1日」リリースの曲を書いて来ましたが、そろそろお開き・・・のつもりでいたんだけどもね。
 でも、昨夜風呂入りながら、次、何書くべ・・・といろいろ思考していたら、まだ書いてなかった「1月1日」リリースの曲が浮かんできてしまった。。。

TK PRESENTS こねっと「YOU ARE THE ONE」

この曲、覚えてます?  まあ、アーティスト名から「小室哲哉」氏のプロジェクトだったよな・・・っつうのは一目瞭然なんだけども。。。
 そそそ、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンと題し、小室ファミリーが一同に会したコラボレーション企画の1枚ですわな。
まあ、日本版「ミニ」、「WE ARE THE WORLD」っていう感じですな。

この曲がねぇ、1月1日リリースだったんだよね。 さすがにそこまで覚えてた方も少ないだろうなぁ・・・。現に書いてるワタシも記憶の蚊帳の外だったんだけどさ。。

1997年というから、今から丁度20年前だよね。 というか、その方が衝撃だったりして。。97年から20年経つんだよな。。。 え? 早えーよなー・・・。って思う方も多いんじゃないんですかねぇ。

この曲上で書いたように、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンソングというくらいだから、当時は、まだインターネットもそれほど普及していなかった時代ですわ。
 総務省統計のインターネット普及率推移をみると、日本でのインターネット普及率は1997年末時点で、まだ人口比の9%強、実数としても1000万人にも達してなかったんだよね、当時のインターネットの普及率。

ネットと繋がっているのが、「デフォルト」の昨今からみると、ちょっと想像もつかないような状況だったわけだけど、実際にそうだったんだよな。
正直、こんな事書いてるワタシでさえ、この曲がリリースされた1997年1月の時点では、まだネットをやってない。
うん、この年の12月だからさ。ネットを始めたの。 だから、人口比で、ギリギリ1割程度普及した所から始めたって感じなのかな。(それでも某IT系D社に居た頃は、始めたのがかなり遅かった部類ですが。。。)

まあ、そもそも、ネットへのアクセス速度も、今からするとめちゃくちゃ「貧弱」だったんだけどもさ。 
なんせ、一番普及していたのが「28.8kbps」の「アナログモデム」だったからさあ。

覚えてます? モデムって。 そそそ、通常の電話回線はデジタルではなくアナログだったからさあ、当時は。パソコンと通信させるためにPCのデジタルをアナログに変換させる必要があったんだよね。そのためのデジアナコンバーターですわな。
 その通信速度が、当時一番普及してたので、28.8Kbps。 当然、音楽のやり取りや。ましてや動画のやり取りなんて出来ないくらいのよ。
1枚の「静止画」受信するのだって、まあ、イライラするくらい遅かったし。。。。

そんな状況、当時勤務してた会社での状況を知ってたんで、ワタシは、アナログモデムは使いたくなかったんだよね。 なので、当時「最速」だった、ISDN(64kbps)の普及を待つべく、個人的にネットを始めるのを、少し我慢していた時期でもあるんだよな。
そそそ、ISDN回線は、一般のアナログ回線とは別回線だったからさ、この回線が自宅周辺まで引っ張ってこられるまでは契約できなかったからさ。 それわまってたら、結局、この97年の末になっちゃったってわけで。。。


・・・・いやいや、曲とは全く関係ない個人的なネットの話になっちまった。。。。

と言うかね、20年前、この曲がヒットしていた最中は、この曲、全く認めてなかったんだよね。正直言って。。
いや、この曲だけではなく、いわいる「小室系」っていう音楽を認めていなかった・・・と言うのかなぁ。
・・・なんてはっきり書いちゃうと、「反論」が来ちゃうかもしれないけどさ。
まあ、それも覚悟の上で書くけどね。

最初のうち、うん95年くらいまで・・・具体的に言えば、 globeが「Departure」を出すまで・・・だから、96年1月か・・・までは、認めてたんだよな。

でも、96年に入って、どうも耳触りになってきたんだよなぁ。。。
まあ、ヒットチャートのほとんどが「小室系」に占領されつつあったこともあった。

個人的に、そういう「独占」的なチャートになるとダメなんだよね。突然「アンチ」になってしまうのよ。 90年代前半の「ビーイング」系の時もそうだったしさ。

やっぱりね、ヒットチャートたるもの、いろんな色合いのアーティストが種々雑多な状態で競い合うからこそ良いんだよね。
独占禁止法ではないけど、一人のプロデューサーで似たような音楽が並んでいるチャートってツマンナイのよ。
飽きちゃうんだよな。

そんなこともあって、96年くらいから少しひっと曲から距離を置くようになっていたんだけども、この「YOU ARE THE ONE」って曲を聴いて、それも決定的になっちゃったような感じだったんだよな。

モチーフを「WE ARE THE WORLD」に求めた事は良い。 でもさ、やるんだったら、もう少し、きっちりとやって欲しかったんだよな。

・・・あ、主語が抜けたね。。。

うん、最初に書いたように小室ファミリーのヒトたちが一同に会して、少しずつ、数フレーズずつ、リレーしてうたっていくんだけど、ほとんどのヒトが歌いきれてないんだよな。
 まあ、それぞれの方で「キー」が違うって事もあり、歌いきれない部分もあったんだろうけど、それにしても、なんか聴いてて痛々しいんだよね。

肝心の曲にしても、掴みどこがなく、淡々と流れて行くような感じだし。 

そう言う掴みどころがない曲が、小室ファミリーだからと言って、簡単にミリオンセラーになってしまうって言う現実に、やっぱり、なんかおかしいよな・・・っていうところは感じたんだよな。
96年頃からヒットチャートから距離を置き始めていたっていうのは、この部分も大きいかもしれない。

80年代のミリオンセラーが出ない時代、いや、それ以前に「ミリオンセラー」っていうものが特別だった時代からヒットチャートを見てきた者にとって、時代感のずれ・・・っちゅうのかなぁ。
ミリオンセラーになる曲って、他のヒット曲とは別の特別なものがあるように感じているんだよね。

曲が持つオーラっていうのかなぁ、普遍性っていうのかなぁ・・・うまいコトバが出てこないんだけども。。

この曲からは、そういう、それまでのミリオンセラーになる楽曲が持つ「オーラ」を感じなかったんですよ。
曲としては、あくまで「中途半端」さだけでさ、感じるのは。

それでいいのかなぁ・・・って言う疑問が、先に立っちゃうんだよね。 それがいやで、この時期、ヒット曲から距離を置いてたんだよな。
(単純に、個人的に好みの曲がヒット曲には無かったというのも大きいか。。。)

そんな感じで90年代終盤までのヒット曲には「疑問」を持つようになったワタシだけど、その本格的な始まりは、この曲から始まった・・・なんて言っても過言ぢゃないかもなぁ。


・・・と言ってもですよ、あれから20年経ちーの、いまや、ヒット曲クロニクル的見ても、「90年代後半」という歴史になったこの当時の曲を、「今」も毛嫌いしている訳ではないんだけどね。

曲として「中途半端」な時代として、この時代〜90年代後半〜は、それはそれで認めるようになったんでね。

だから、当時あれだけ絶対に認めない・・・なんて、音源を持つのも持ってのほか・・・って思ってたこの曲だけど、今は、音源手元にあるしなぁ。

とは言っても個人的な好みだから・・というよりは、ヒット曲の時代を語る上での「資料」って言う感じで音源があると言った方がいいんだけども。





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ホワイトラビットからのメッセージ / 渡辺満里奈

1987_01_ホワイトラビットからのメッセージ_渡辺満里奈


今回の1曲セレクトは、「ホワイトラビットからのメッセージ」渡辺満里奈です。

まずはデータです。

・タイトル      ホワイトラビットからのメッセージ
・アーティスト    渡辺満里奈
・作詞        秋元康
・作曲        山川恵津子
・編曲        山川恵津子
・リリース日    1987年1月1日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   17.4万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1987年1月12日〜2月2日付

前回は、「1月1日リリース」曲として、ずっと引っかかってた曲ということで、ジュリーの「背中まで45分」を書いたりしたんだけども、今回も同じような境遇の曲と言えるかなぁ。
 引っかかっていた・・・というよりも、「1月1日リリース」曲として、いつかは書かなきゃ行けんだろうなぁ・・・と思ってた曲ですね。

渡辺満里奈「ホワイトラビットからのメッセージ」。

この曲は、86年10月のソロデビュー曲「深呼吸して」に続く、第2弾シングルだったわけなんだけども。。
いつかは書かなきゃ行けんだろうなぁ・・・と思いつつも今まで書いて来なかった・・・ということは。。。。

そうなんですねぇ、個人的には引っかからなかったんですねぇ、この曲。
ま、ここでは前から書いているように、当時、おニャン子クラブに引っかからなかったからなぁ。ましてや、おニャン子からのソロ曲である、この曲に引っかかるはずも無く。。。

・・・・というのは表向きのはなしで、実際は、まともに聴いても無かったんだよな。

当時、おニャン子って、例のTBS VS フジテレビっていう、いわいる「各方面の折り合い」っていう「大人の事情」で「ザ・ベストテン」には一切出演してなかったからさあ。

「大人の事情」・・・まあ、今から考えれば子供の喧嘩のようなしょーがない事情なんだよ。
「業界人」ご用達サイト、「MUSIC MAN.NET」の「MUSIC MAN'S Reley」っていう、業界有名人をリレーして行くコラムの、当時夕ニャンのプロデューサーだった「石田弘」氏の回によると、オリコンではいつも1位だったのに、ザ・ベストテンでは、いつもベストテンの下の方だったから。そんなに出る必要はない・・・とのことだったらしい。

しょうもない事情だったんだよね。  おいおい、もっと大人になれよ・・・って感じで。

だったら、レコード売り上げだけじゃなく、有線なり、ラジオチャートなり、リクエストなり、他の要素を上げる努力しろよ・・・なんて、思っちゃったりするんだけどね。

まあ、30年前の事を今更どうのと言ったところで、それこそしょうがない話ではあるんだけども。。。

まあ、それはそうとして、当時、オリコンは定期購読で毎週読んではいたものの、心情的には「ザ・ベストテン」第一主義ってところがあったワタシなんで、ベストテンに出ないヒトの曲を聴いてもしゃーない・・・って思っていた向きもあったんだよな。

だから、このころのおニャン子の曲は聴いてなかったし、いまだによく分んなかったりするのよ。

まあ、そんなこともあって、「いつかは書かなきゃいけない」と思いつつも、今まで聴いても来なかったんだよな。
(ちなみに、ソロデビュー曲の「深呼吸して」は音源を持ってたりするwwww )

ちなみに、この曲オリコンでは「2週」1位と言う事になってるんだよな。 ま、もっとも初登場した週が、正月休みを挟んだ「2週集計」ということで、便宜的に2週1位と言う事になってるんだけどさ。
 でも、「初登場」だけしか売れない、おニャン子関係にあって、2週連続1位は、前年4月の新田恵理様の「恋のロープをほどかないで」以来と、比較的珍しい売れた方もしたし、渡辺満里奈としては、「一番売れた曲」になってたりもするんだけどさ。


・・・ということで、「ようつべ」を曲を聴いてみた。

なるほど、曲調的には、デビュー曲の「深呼吸して」の延長線にあるようなかんじだわな。いわいる「ハネ」系って言われるような。。。
 さすがに、「音楽」そのものを大事にしている「エピックソニー」からのリリースと言うだけあって、曲そのものはしっかりしてたりする。

例の「ニッポンの編曲者」によると、この曲は収録されていないけど、直近のアルバム「ever green」のには、涙が出るくらいの一流スタジオミュージシャンがレコーディングに参加していることになってる。

うん、バッキングを聴く限りでは、カラオケを聴いてるだけでも充分と思えたるかもしれない。

そんな一流の演奏を渡辺満里奈さんが台無しにして行く   うーん、いつかも全く同じような事を書いたけども、その通りなんだもの

兎に角、このヒト、ウタがねぇ・・・・。  

もし、当時、今の私の年齢でこの曲を聴いてたらバカ怒りしてたと思うわ。。うん、ウタに関しては全てが間違っているとしか思えないんで。。。
 
でも、可愛かったから許す・・・。 となっちゃうんだよな、きっと。 なんか、しっくりとは来ないんだけども。。。





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今更ながら・・・・2016年年間チャート発表!

 毎度毎度の事で、大変申し訳ないのですが。。。
2017年も明けて、20日も経ったっていうのに、重ーい腰を上げてようやっと、昨年「2016年」年間チャートの概要を書きましたので上げます。

なお、コレに書く年間チャートについては、僭越ながらワタクシが毎週独自に集計しています、「THE HITCHART HOT30」(http://www.kajiyan-net.jp)の2016年1月7日〜12月29日付ランキングに基づきます。


上記の間、チャートにランクインした全曲数は1377曲。 これは、前年2015年の1488曲から100曲以上少なくなっています。
 これは、相対的に見て1曲あたりのトータルポイントは伸びていると言う事を示しています。
現に、今年は年間1位のSMAP「世界に一つだけの花」が、2013年のAKB48「恋するフォーチュンクッキー」以来3年ぶりで、年間トータル得点が10万点をオーバーしました。
 その他上位4位まで9万点オーバーという、近年では稀に見るような高得点でのランキング決着となっています。これは、2008年の年間ランキング以来 7年ぶりの水準です。

一時は、1曲に人気が集中する本来の意味での「ヒット曲」の時代は終わってしまった、これからは知ってるヒトだけ、その曲を支持する・・という「ニッチ」の時代となる・・・と言われたものですが、この傾向を見る限りでは、再び、1曲に浮動票が集まるような「本来」のヒット曲の姿が戻ってきたように思えます。

とは言っても、完全に昔のような浮動票が1曲に集まるような本来のヒット曲の姿の傾向に戻ってきたのか・・・といえば、まだそこまでは言えないんですよね。
 年間チャート上位では、トータルポイントが軒並み、前年を上回っては来ているものの、切り番ランクである、50位、100位の得点水準を昨年、一昨年と比べてみるとほとんど変わっていないんだよな。

これを見る限り、年間チャートの最上位曲では浮動票が集まるような本来の意味での「ヒット」の姿に戻りつつあるものの、大多数の曲では、「固定ファン」のみ支持されている・・・という、ここ数年のチャート傾向がまだまだ続いていると言えるでしょうね。

ただ、昨年に引き続き最上位の曲では、ヒット傾向に変化が見られて来ていることは間違いないですし、これら、本来の姿のヒット曲が、どこまで広がって行くのか・・・・これが今年のヒット曲界の課題になるんではないですかねぇ。


さて、上で書いたように2016年の年間1位は、SMAP「世界に一つだけの花」。
 まあ、この曲については既に「国民的」なヒット曲の域に達しているんで今更、内容を言及しなくてもいいのですが。。。
 2003年リリースの曲であり、ワタシのチャートでもリリース年の2003年に一度、年間1位となっています。なので、リリースから13年越しで、2度目の年間1位を獲得・・・って事になりますね。
 このように、1度年間で1位を獲得した曲が、またまた年間1位となる事は、これまで41年のチャートを集計してきて史上初の快挙。 しかも、リリースから13年経ってからの年間1位というのも初の出来事です。
 それだけ、昨年のSMAP解散フィーバーは凄かったと言う事を物語っているでしょうね。 別途1曲セレクトで、先日キャンディーズを書いた時にも言及したんだけども、このような解散フィーバーは、77年〜78年に起こったキャンディーズ解散フィーバーにも類似した出来事。
 コア固定ファンだけに留まらず、ライトなファンも巻き込んだ(と見える)この解散フィーバーというのが、特徴でしたね。  これは、前出のキャンディーズ解散の時とも同じような現象ではあったんだけども、ただキャンディーズの時よりも規模が大きいように感じますね。
実際的な売り上げというよりも、その期間ですね。 キャンディーズの時は、解散宣言をした77年夏から、翌4月に解散するまでの、約9カ月の出来事。
 けど、今回のSMAPの場合は、昨年1年間、同じようなフィーバー状態が続いたような印象があるな。
それだけ、日本中がSMAPの解散フィーバーの渦中にあったという1年だったと言えるんじゃないかなぁ。

下図Fig.1に昨年2016年1年間の「世界に一つだけの花」の総合ランキング推移を上げてみました。

1-世界に一つだけの花_総合ランク推移


これを見ると、昨年1月28日付で、ランク上に再登場して以来、週により上下動が激しいチャートアクションを繰り返しながら、ほぼ1年にわたりチャートインし続けています。
その中でも、SMAP騒動が勃発した、昨年1月末〜2月にかけてと、解散が決定した夏以降のチャートアクションが活発であった事は一目瞭然ですわね。

特徴的なのは、ランキングを牽引している要素が、「CDセールスチャート」であると言う事。
年間を通してCDセールスの流れに追随して、ネット配信、有線、ラジオの各要素のランキングが動いてきたランク傾向でしたね。

下図Fig.2に、「世界に一つだけの花」の各要素別ランキング推移を上げてみました。

2-世界に一つだけの花_各要素推移


いわいる「販売系」チャートでは、CDセールスチャートよりも、ネット配信系チャートで総合的なランキングを牽引すると言う傾向が、ここ数年の主流になってきているところを見れば、総合ランキングの牽引要素が「CDセールス」であった事は、かなり異例な傾向。
 まあ、元々ネット配信には力を入れていないジャニーズなので、販売系ではCDセールスに頼らざるを得ない訳なんだけども。。
いわんやSMAPのコアなファン層の多くは、ネット配信よりもCDという年齢だろう。だから、CDセールスが主軸になるのも当然ではあるところなんだけども、それを差し引いても、この「世界に一つだけの花」の昨年1年のCDセールスの動きは、近年のヒットチャートでも異例でしたね。
 

年間2位はRADWIMPS「前前前世」。
この曲、2016年上半期ランキングではまだリリース前と言う事でランクインしていなかった訳で、下半期だけでここまでヒットした曲と言う訳ですね。
 
 まあ、この曲はなんと言っても映画「君の名は」の主題歌ということで、映画の大ヒットとリンクしてココまでのヒットとなった訳だけど。

下図Fig.3に「前前前世」の各要素別ランキング推移を上げてみました。

3-前前前世_各要素ランク推移


 チャート的に特出することは、この曲はCDシングルのリリースは無いんだよな。だから総合チャートの要素として、上図でも分かるように、CDセールスの得点は「0」。全く含まれていないって言うところだろう。
 その代わりの牽引要素は、ネット配信中心だった事は言うまでも無い。
ただ、ネット配信だけのランクが良かったのか・・・というとそうではないんだよね。
ネット配信の動きに伴い、有線、ラジオチャートでも長期上位に君臨。このように販売系、メディア系と、幅広い要素がそれぞれリンクし合い同時期にチャートの上位を占めていたたことが、得点アップの原動力になっている。
この点が、昨年までの「ネット配信」中心の楽曲とは、やや異なってきた点ですね。

たしかに、昨年までもネット配信で長期上位に君臨し続けた曲もありました。
でも、この「前前前世」と若干違うのは、ネット配信は強くても、有線、あるいはラジオという、いわいるメディア系チャートは必ずしも上位までこれなかったって事なんだよね。

これらを比較するために、昨年2015年の年間1位だった、西野カナの「トリセツ」の各要素別ランキング推移を、昨年に引き続き、再度、下図に載せてみます。

トリセツランキング推移


これを見ても分かるように、この曲もネット配信中心の「前前前世」と同様な傾向の曲であったんだけども、その他ネット配信同様な動きを見せていたのは有線だけだったんですよね。ラジオチャートも当初はシンクロした動きだったけども、途中で息切れしてしまった。

このように各要素でのチャートアクションに差が見られたと言う事。 だから、配信チャートだけを見るとポイントを稼いでいるが、総合的に見ると、それほど得点が伸びなかったって事が多かったわけでさ。
昨年の例で言えば、その他、三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE「R.Y.U.S.E.I」なんかは典型的だったかな。

でも、この「前前前世」は、CDシングルはリリースしていなくても、有線、ラジオなどメディア系にも充分アピールでき、それにより、より幅広い支持を獲得できた、つまり、ネット配信が、昔のレコード、CDの完全に代わりになっているっていうところは、これまでのヒット曲からみると、ちょっと違った形のヒットだったと言えるだろうね。

 年間4位の宇多田ヒカル「花束を君に」も、ネット配信中心と言う点では、「前前前世」と同じような傾向の曲であったといえる。
 ただ「花束を君に」は、途中でラジオチャートが息切れして、最終的にはネット配信と有線の2要素でチャートを牽引し、得点を積み上げてきたって言う傾向に移行した訳で、そう言う点では、昨年の西野カナなどに見られた傾向と同じような感じになってしまい、それだけランクイン期間が非常に長いロングヒットになったが、思ったよりは得点が伸び切れなかったとも言えるかもしれない。

このようにシングルCDがリリースされていないということは、CDセールスの得点は「0」になるわけで、ウイークリーでの得点は大きく伸びる事は期待できない。だから見た目上、派手なチャートアクションをすることは難しい。
でも、各要素で、地道に得点を伸ばせば、結果的に派手なチャートアクションをしているよりも、最終的には得点を伸ばせるというのは、これらの曲によって充分証明出来たんじゃないかと思う。

このようにシングルCDという、いわいる「パッケージ」に必ずしも頼らなくても、浮動票を噛むような幅広い支持を得られるヒットが「本格的」に生まれるようになったというのも2016年の特徴だったろうし、恐らくこういう傾向は、ますます今後の主流になって行くだろうね。


で、同じような傾向にあったのが、年間3位まで浮上した、星野源の「恋」。
この曲もリリースは10月だから、RADWIMPS「前前前世」同様、下半期だけでここまでランクを上げてきた1曲となるわけだけど、何より、僅か3ヶ月で、年間3位まで上げてきたっていう「爆発力」が、この曲の特出点だろうね。
まあ、それだけ秋以降の「逃げ恥」と「恋ダンス」のブームの凄さを表しているところなんだけどさ。

下図Fig.4に「恋」の各要素別ランキング推移を上げてみました。

4-恋_星野源_各要素ランキング推移


 この曲のランキング的な特徴は、もちろんネット配信での圧倒的な人気。配信開始以来年末まで10週連続で1位という圧倒的強さを見せている事は勿論、CDセールスでもロングセラーを続けている事。
 ネット配信では圧倒的な強さを見せるような曲では、CDセールスも初動こそ強さを見せつつも、あっという間にランクを下げるっていうのが、チャートアクションのデフォルトである昨今では、これは異例な傾向。
そそそ、ネット配信もCDセールスも両方で強い・・と言う傾向ですね。 それだけ、この曲の人気の幅の大きさを物語っている訳なんだけどさ。 そんな販売系チャートの動きに引きずられた形で、有線、ラジオのメディア系チャートでも、上位をロングラン。 その結果、毎週のウイークリーチャートでも、初登場以来ベスト3以内を11週間ずっとキープ。そのうち、1位を5週獲得・・・と。これまた、最近では異例の1位獲得週数を見せた。
 昔は、毎年年間に何曲かは、こういう曲が出てきたものだけど、こういう本当の意味でヒット曲、それも強さを伴ったヒット曲を久々に見たような感じですわ。
 正直、猫の目チャートが一般化された昨今、一時は、もう、こういう本当の強さを感じるヒット曲、幅広く支持されロングヒットは出てこないんだろうなと思ってはいたけどね。

でも、今の時代でも、こういう強さを感じるヒット曲が出てきた訳だし、いや、逆に今の時代でもこういうヒットも出る事を証明したわけだしね。
あとは、こういう曲が今後も増えて行って欲しい訳ですわ。 そうなった時に、本当の意味でヒットの「V字回復」が成ったと言える訳だしね。
 そのためには、去年がフロックだったと思わせないように今年のヒット曲状況も大事。 2016年以上にこれらのようなロングヒットが出て来て欲しい訳ですわな。


P,S 長文、乱文、まことに、相スミマセン。。

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