かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

LOVE涙色 / 松浦亜弥

  2001_09_LOVE涙色_松浦亜弥


今回の1曲セレクトは、「LOVE涙色」松浦亜弥です。

まずはデータです。

・タイトル     LOVE涙色
・アーティスト  松浦亜弥
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       渡部チェル
・リリース日   2001年9月5日
・発売元     ゼティマ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:2001年9月20日〜10月4日付

暫く全然書いてなかったのに、昨日今日と、なんか怒涛のように1曲セレクトを書いてるワタシだったりして・・・。もしかするとこれアップする頃は日にちが変わってると思うけど、書いてるのはまだ土曜日・・・本日2曲目の1曲セレクトでございまする。。。

えー、前回は岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」だったわけだけど、今頃80年代のアイドルの曲を書いた時には一緒に書こう・・・と思ってた曲があるんだよね。

今回はその曲を

松浦亜弥「LOVE涙色」

ジャジーン、なんだ2000年代の曲じゃんか・・・なんて言わないでね。

この曲最初に聴いた時は、これはつんく氏にしてやられた・・・って思った1曲だったなぁ。
いや、だって、もろ80年代アイドルポップスだったからさあ、この曲。

あややにとっては、デビュー第3弾になる訳だけど、その前の2曲は、正直良く分かんなかったんだよね個人的には。
つんくプロデュース、アップフロント・・・ってことで、なんだモー娘。の妹分なんじゃん・・・なんてしか思えなかったし・・・。

現に、この曲のちょっと前には、いわいる「シャッフルユニット」として、モー娘。の辻と加護との3人で三人祭なるユニットで、「チュッ!夏パ〜ティ」なる曲を歌ってじゃん。 中学生だったはず・・なのに、もろ小学生の「お子ちゃま」向けのような曲。

この「LOVE涙色」の前の2曲も、そんなお子ちゃま向けの曲の延長線のような気がしてたんだよね。 
当時32歳で、すでに「オヤジ」の域に達していたワタシとしては、これは完全に世代じゃないなぁ・・・・ということで、積極的に聴いてなかったなぁ。

でもさあ、この「LOVE涙色」を聴いた時は、「いやいやいや、これは我々世代の曲」ってモロ思ったものなぁ。

つんく氏もいきなり、時代を遡るような、もろアナクロな雰囲気の曲を持ってきたりして、どういう心境の変化なのかしらん とも思ったりもしたけどさ、この曲でオリコンのベスト3入りを果たし、売り上げも急激に伸ばした訳でさ、本格ブレイクと言っても過言じゃないくらい「松浦亜弥」ってヒトが浸透した訳だからさ、この曲調の変化は成功だったよね。

まあ、曲調的には、さすがにつんく氏、ワレワレと同世代・・・って、まずもって言いたくなる訳でさ。

うん、これは80年代中盤だよなぁ。 そそそ、前回書いた岡田有希子さんの頃の時代の曲。

・・・って書くと、反論もされそうな気もしないではないし、「具体的にどこが」って追及されると、ちょっと堪え煮詰まりそうなところもあるんだけどさ。 実際のサウンドとしては2001年当時の「音」だったりもするしさ。
でも曲の「匂い」なんだよな。80年代を感じるのは。

前回の岡田有希子さんでは、84年はアイドルとして時代の変革期だったということで、シロート感の強いアイドルとして菊池桃子さんを引き合いに、時代の流れを比較したんだけども、 この曲はと言えば下世話的なシロートアイドルが流行る前・・・、つまりは84年以前の正当派な80年代アイドル曲の匂いがするんだよな。

まあ、その辺も、つんく氏とワレワレは同世代だよなぁ・・・ってつくづく思えるところだったりするんだけどさ。

やっぱアイドルポップスを一番聴いてたのは、中学生の頃だろうしさ。 ワタシより学年が1つ上の「つんく」は、83年が中学3年だったわけで、 年齢的におニャン子が出てくる前なんだよねる中学時代は。

・・・ということは、やっぱり「正当派」な80年代アイドルポップスがより色合いが強いだろうしさ。

個人的にもそちらの曲の方が、より聴いてたからさあ、ウレシイ訳なんですよ。

 いずれにしろ、この曲によって、個人的にも「松浦亜弥」ってヒトを、本格的に知ったし、それ以後数年、曲を追いかけたきっかけの曲でもあったな。 うん、当時としても、いわいるソロの「正当派」アイドルの曲を続けて追いかけたのは何年ぶりだ・・・って感じだったんだけどさ。

 ↑で書いたように当時、既に30過ぎのオッサンだったわけだからさあ。90年代以降、アイドルの曲とはすっかり疎遠だった訳だからさ。
まあ、丁度、当時「着メロ」配信曲のセレクターを始めた頃だったからさ、名目上は「仕事の一環」っちゅうことで聴いてた訳なんだけど。。。





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リトル・プリンセス / 岡田有希子

1984_07_リトル・プリンセス_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「リトル・プリンセス」岡田有希子です。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    リトル・プリンセス
・アーティスト  岡田有希子
・作詞       竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年7月18日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 ここんところ、ほとんど書いてなかった1曲セレクトなんで、↑のデータ項目の並びを忘れてしまってたワタシがいた ・・・なんてことはどーでもいい事でして。。。。
この間久しぶりに書いた、しまざき由理さんの「面影」はちょこっと「引き」が弱かったな。 まあ、ヒット当時50万枚の大ヒットと言っても今となっては知ってる人しか知らない・・・って感じの曲だから、しょうがないと言えばしょうがないか・・・

・・・・と言う事で、今回は「引き」が強いであろう・・・と思われる曲を引っ張って来ましたぞ。

岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」。

過去の「今の時期」のヒット曲をセレクトする・・・って言うコンセプトで書いてる1曲セレクトだけど、そのコンセプトからすると、この曲はちょこっと時期がずれてるんじゃね?

・・・・なんて指摘してくる人もいるかなぁ・・。 当時、オリコンでランキングをチェックしてたチャート小僧で、「細かい」所をついてくるような方はさ。

まあ、正確に言えば、84年7月リリースだったこの曲から、84年9月当時はオリコン的には既にランクも下降線に入ってた時期ではあるんだよね。だから厳密に言えば「ヒット」の時期から過ぎて来てた頃と言ってもいいかもしれない。

ただね、細かく・・・といっても「自分のチャート」だけど・・・を基準してみると、最高位を記録したのは、実は今頃だったんだよな。

つまりね、オリコンでは既にヒットの下降線に入っていたこの時期、他のチャート要素で総合的にはランクを上げていたんだよね。それが84年の今頃。

ただねぇ、どの要素でランクを上げていたのか・・・当時の各要素順位を記録した「紙」を廃棄してしまった今となってははっきりしないんだけどねぇ・・・・。まあ、当時アイドル系は概して有線が弱かったことは明白なんで、ラジオチャートが跳ね上がったのがこの時期だったんだと思うけど・・・。

レコード売り上げのチャートから遅れて、他のランク(この場合ラジオチャートね)が上がってくる・・・っていうチャート要素によってチャートの動きに「時間差」があった事・・・・実は、これが実際的な岡田有希子さんの人気バロメーターが当時、上がって来ていた事の表れだったんじゃないかなぁ。

 今も傾向は変わらないけど、レコード売り上げっていうのは、特にアイドルの場合、初動の動きが早いんですよ。っというのも、レコードの場合、初動は「固定ファン」が買うモノって相場が決まってるから。 ちょっと「浮動票」側に居るヒトは、初めレコード買うのは見送りますよね。
 他のメディア・・・例えば当時で言えば、ラジオだとかテレビで曲を聴いて、気に入ればレコードを買うっていう流れがあったんだよね。 つまりさ人気が上昇中のヒトの中には、ラジオチャートはレコード売り上げよりも動きが遅いこともあった。
岡田有希子さんの場合は、そのパターンだったんだよね。 その証拠に累積売り上げで10万枚に届かなかったこの曲だけど、次の「恋はじめまして」では、それまでの3枚のシングルで最高の売り上げを記録している。
つまりは、人気が右肩上がりだった訳ですわ、この時期。

 この時期、8月の「日本テレビ音楽祭」を皮切りに「賞レース」が始まっていたからさ、新人賞争いってことでテレビで歌う機会も増えてたっていうのも、「浮動票」をとりこんで人気バロメーターを上げるには大きかったかもしれないな。
ま、とは言ってもレコード売り上げが10万枚そこそこで止まっていたのは、ちょこっと解せなかったけどさ。


当時、岡田有希子さんの「対抗軸」として、菊池桃子さんがいた訳じゃない 
桃子さんが、この曲とほぼ同時期にリリースした、デビュー第2弾の「SUMMER EYES」がオリコンでベストテン入りしたのに対して、この曲は最高14位だったわけでさ。

この差はなんだろ? なんて思ってたなぁ。 

ビジュアル的からして「アイドルらしさ」って言うところで言えば、菊池桃子さんよりも岡田有希子さんだったからさあ。 正直言って解せなかった部分もあったなぁ。

でもよくよく考えてみれば、「下世話性」だったんじゃないかなぁ・・・。 あ、ちょっと分かりにくい表現か。。。
「シロート性」って言った方がいいのかなぁ。

時代は動いてきていたんだよね。 それまでの既存のアイドルらしさから、もっとシロート性の強い下世話なアイドルへ・・・っていう時代の動き。

それが、まだ捉え切れてなかったんだよな、当時のワタシは。 

80年代アイドルの、まさに時代の転換期だったんだよな、この時期が。

その時代転換期って言う動きが、急加速して表面化するのが次の85年なんだけどね。

そう言う点から言えば、岡田有希子って言うヒトは、今からして思えばちょっと遅れて出てきたアイドルだったんだよね。 うん、「正当派」な80年代アイドルとしてね。
この84年の前年の83年は「ニュー」アイドルの不作の年だった。 例えばさ83年にこのヒトが出て来ていたら、アイドル勢力は少し変わってたかも・・・なんて今となっては思ったりするな。
 
実際、このヒトのレコード売り上げの低さからみて、そう思えるんだよなぁ。 うん、このヒトの「正当派」としての80年代アイドルの「アイドル性」からみてさ、もっとレコード売れてしかるべきだと思ったもの。



これPVなんだけどさ、いつも思うんだけど当時のアイドル系のPVってどこで流してたんだろう? なんて思ったりさ。
当時、テレビ神奈川のミュートマ(ミュージック・トマト)など、PVを流すテレビ番組も出て来ては居たけど、アイドル系は流さなかったと思うし・・・。レコード店の店頭用だったのかなぁ。 
かすかな記憶だけど、新星堂の店頭のモニターではこの手のアイドル系もビデオも流れてたような気がするしな・・・。


ところで、↑でいろいろ書いちゃったけど、PV見ながら、改めてこの曲を聴くとさ、「プリンセス」っていうコンセプトは、岡田さんに良く合ってたと思う。

・・・けど、84年当時からしてみてもちょっとアナクロだったかなぁ・・・と。 

以前、何回も書いたけど、70年代アイドルは「ウンコしない」、「霞を食って生きてる」・・・などなどまさに「偶像」扱いだったけど、80年代はそこまで極端じゃなかったわけじゃん。 でも、この曲を聴いてるとコンセプト的に70年代アイドルに戻っちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて感じたな。

 それは、曲的にもそうで、竹内まりやさん的には、コニー・フランシスとかドリス・デイとか、60年代オールディーズのアメリカンポップスアイドルを意識してたんだろうな・・・とは思うモノの、実際的には70年代アイドル的な曲になっているのがインパクトに出て来ているかなぁ。

この辺のギャップは、次の「恋はじめまして」で、よりオールディーズっぽくなったことで解消されましたけどね。。

まあ、この辺は、この曲のアレンジャーだった大村氏と、「恋はじめまして」のアレンジャーだった萩田光雄氏の解釈の違いだったんだろうな。


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面影 / しまざき由理

1975_09_面影_しまざき由理


今回の1曲セレクトは、「面影」しまざき由理です。

まずはデータですよん。

・タイトル    面影
・アーティスト  しまざき由理
・作詞      佐藤純弥
・作曲      菊池俊輔
・編曲      菊池俊輔
・リリース日   1975年7月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 53.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年8月25日〜10月20日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「Gメン'75」エンディングテーマ

えー、いつ以来なんだ・・・なんて自分でも思い出せないくらい久しぶりの「1曲セレクト」でございます。
ご無沙汰しておりました。

まあ、忘れていた訳ではなく、その間、持病の痛風発作が再発したりして体調不良が続いていたのと、それが治った・・と思ったら、北海道に放浪の旅に出てたりして、気が付いたら1カ月近くが経ってた・・・って次第なんですよね。うん、決して忘れていた訳ではないんだけど・・・。

ところで、先々週まで、レンタカーで北海道中を放浪してたんだけどね、その間、自分の音楽プレイヤー(ウォークマン)をカーステにつないで音楽を聴いてた訳なんだけども、それ以上に地元のラジオをもっぱら聴きながらのドライブだったんだよね。

でねー、いいんだよねぇ、地方のラジオって。昨年夏の東北放浪旅の時も思ったけど、牧歌的でいいのよ。
時代が40年前くらいで止まっているようでさぁ。かかる音楽も昭和のヒット曲が多いしさあ
一体、今は西暦何年なんだろ・・・なんて思ったりして。
でも、そんな昭和歌謡の調べに、風景がマッチするんだよね、地方の景色って。 今の曲だとダメなのよ。
これが不思議でね。
いや、だからこそ、ワタシなんか癒されるんだろうなぁ・・・。だから毎年、「地方」に放浪の旅に出かけたくなるんですよ。

上で書いたように今回の北海道の放浪旅でも、昭和のヒット曲がたくさんかかってたけどねぇ、いちばん印象的だったのが、今回の引っ張って来た、この曲だったんだよなぁ。

しまざき由理 「面影」。

果たして、このタイトルを持ってきて、一体どれだけのヒトが御存じなのか・・・・。 正直心配ではあるんだけど・・・。
いや、今50代以上の方には懐かしい曲なのかなぁ・・・。

そそそ、70年代中盤、TBSで放送されていたドラマ「Gメン'75」のエンディング曲・・・って言えば、思い出してもらえるかなぁ。

まあ、「Gメン'75」っつったら、オープニングが有名だけどね

↓コレ



ハードボイルドなオープニングに対して、意外っちゃ失礼かもしれないけど、エンディングのこの曲は、もろ「歌謡曲」だったりするんだよね。

初め、この曲を聴いた時は、「Gメン'75」のエンディングだったなんて、全く思えなかったもの。

そそそ、ワタシ的には「Gメン'75」は、特に初期の頃はリアルタイムじゃなかったんだよね。
土曜21時〜22時だったじゃん。 当時6歳だったワタシは、その前の「8時だよ!全員集合」までだったからなぁ、起きてられたのは・・・。だから長い間知らなかったんだよね。

この曲の存在を知ったのは、オリコンを買うようになってたからだから、中学生の頃だったと思う。
たしか、84年年末号に特集されていた、「昭和50年代」特集だったかなぁ。

この曲、ヒットが昭和50年だから一番最初に載ってたんだよな。売り上げが50万枚以上もあった訳なんだけども、曲自体知らなかったからさあ、逆にキニなる存在になったんだと思う。

で、ヒット曲を時代を遡って聴くようになった高校の頃、初めてこの曲を聴いたんじゃなかったかなぁ。

正直言って、最初に聴いた時は、あんまりピンと来なかった。逆に言えば「これで50万枚?」って感じだったかなぁ。 うん、それほどインパクトがある曲でもなかったしね。
まあ、もろ70年代中期の「歌謡曲」って言う感じで・・・。あの当時ラジオをひねれば、必ず流れて来てたような・・・。 そんな70年代歌謡曲としてはありふれたような曲調・・・って言うイメージだったんだよね。

インパクトという点では、同時期に大ヒットしてた、小坂恭子さんの「想いでまくら」の方が、同じ歌謡曲テイストな曲としては印象深かったしさあ。

でも、それでも50万枚以上売れたって事は、やっぱそれだけ当時の「Gメン'75」の人気あって事だったんだろうな。

ちなみに当時のTBSの土曜日ゴールデンタイムのラインナップは、

19時00分〜19時30分 まんがにほん昔ばなし
19時30分〜20時00分 クイズダービー
20時00分〜20時54分 8時だよ!全員集合
21時00分〜21時54分 Gメン'75

なんちゅう、すべて視聴率20%以上・・・っていう鉄壁の布陣。 他の局が束になっても全く叶わなかった・・・っちゅう。。。  TBSの黄金時代でしたね。  まあ、みんな見てたからなぁ・・・。


ところで、この曲を歌ってる、しまざき由理さんといえば、アニソンなんだよなぁ、個人的には。
「みつばちハッチ」の主題歌歌ってましたよね。

↓コレ



え? ワタシがアニソン? 似合わないって?
むー、これでも小学校に上がるまではアニメ見てたんですっ

だからねえ、そんな、「アニソン」だった方が、ハードボイルドなドラマの曲を歌ってたってことが、最初は信じられなかったんだよね。
この曲、確かに歌謡曲だけど、歌い方は結構セクスウィーな部分もあったりするしさ。イントロと最後のアウトロのスキャットの部分とかさ。

ちなみに、この時、しまざき由理さんは19才。 え?、19才でこのセクスウィーさはヤバいでしょ。


昔の方って、得てして早熟だったんだよねぇ・・・。
やっぱりさ、この「エロ」さが良かったんだよな、当時の歌謡曲って。
最近のヒット曲って「エロ」さが無くなったからなぁ。ある意味健全な世界・・それじゃツマンナイよなぁ。


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2017・夏、北海道の旅その6

2017・夏、北海道の旅その5からのつづき・・・。

猿払村の道の駅で、北海道の雄大な景色を堪能し、再び北へ目指す。
ここまでくれば、日本最北の地「宗谷岬」はすぐそこだ。

猿払村を出て1時間余り。 ついに来ましたexclamation ×2 宗谷岬。  

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今回の旅の最終目的地は、実はここだったのですexclamation

日本の最北端地。海峡を挟んでロシアのサハリンでっせ。わずかにサハリンが見える。

札幌から反時計回りで海岸線沿いを走って1400km 。長いようで短い旅だったな・・・。

空を見上げるとうろこ雲

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もうここは秋ですね。 

ふと、トワ・エ・モアの「誰もいない海」が脳裏をかすめる

♪ 今は、もう秋 誰もいない海〜 ♪

でも、実際は、観光客が多くてねぇ・・・・・あせあせ 写真撮るの結構大変だったんすよ・・・。


さあ、今日のネグラ、稚内へ。 そして明日は札幌へ戻ろう。



(後記)
実はこの後、北海道マジックにひっかったのです。。。
稚内にはセブンイレブンもローソンもない・・・。 ということで、19時を過ぎるとATMで金が下ろせないみたい。。
この日、稚内の港の近くにある日帰り温泉施設に行こうと思ったんだけど・・・、気が付いたら現金が2000円しかないではないか・・・・。 でも気がついた時には19時を回っていた・・・。
しょうがないんで、ねぐらで大人しくしていたワタシです。。。

教訓、東京と同じつもりでいると思わぬ落とし穴があるものですね〜。

ちなみにセブンイレブンとかローソンなど大手コンビニは無い稚内だけど、セイコーマートはいたるところにあります。まあ、道内で石を投げればセイコーマートに当たるってくらい、どこにでもあるんですが・・・
 ただ、セイコーマートは全店にATMが付いている訳じゃないんですよね。稚内では市内の2店のみ。 
ただ、稚内でもATMが使えるコンビニがある事、もっと早く調べておくべきだった。。。


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最後に、グッパイ北海道〜 またくるよ〜

2017・夏、北海道の旅その5

8月23日(水) 北海道ドライブ旅 5日目

前日は網走駅前の「東横INN」に宿泊。
前々日の帯広につづいてホテルチェーンの宿泊だけど、この方が気がるでいい。
なによりチェックインしてからホテル内でコインランドリー使えるし・・・あせあせ それに調食付いてるし・・。なーんも心配いらなっすからねぇ・・・。

・・・っちゅうことで、これまで同様、朝8時30分出発。

昨日は、旅の行程中、一番「楽」だったんだけども、一転、今日は最も運転距離が長い行程なんだよな。

本日は、網走から一気に稚内まで、オホーツク沿いを北上する予定。 直線距離にして320km。
やっぱり北海道はデカい。 地図で見ると近そうに見えるけど・・・。

網走から稚内まで 国道238号線を北上。 この国道1本で稚内まで行ける。 そのおかけで、網走市内から、いきなり稚内まで320kmの「距離看板」が・・・。

うーむ、本州ではなかなかありませんよ。終点まで320kmなんて距離看板が出てる国道は・・・。

改めて北海道のでかさを肌で実感する瞬間。 

320kmっつったら、東京から西に行ったら名古屋の手前、北に行ったら仙台と同じくらい。それを高速なしで全て一般道で行くわけだから。。。

まあ、交通量が少ないのが救いっちゃ救いだけど、結構ヘヴィーでっせ。ふらふらふらふら

だからムリはしませんよ。国道沿いに「道の駅」を見つけては、ほぼ各駅停車。1時間おきくらいの休憩を入れる。

そのため網走から120km地点の紋別到着時には、すでに昼前になっていた。

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あと200km。 でも腰が痛くなってきたわい。
紋別では特に見るところも無いので、先を急ぐ。 この先の道の駅でこまめに休憩をしながら進むことにする。 


オホーツク海沿い、特に網走以北には特に大きな観光地がある訳でもない。なので、本日は淡々としたドライブ旅。
紋別を過ぎると、時折、進行右側にオホーツク海が大きく広がる。 そして道は、どこまでも続く1本道。  

爽快なドライブ旅exclamation 

これですよ、これ、思い描いていた北海道の風景って。 これを体感したくてここまで来たですよ。


とは言っても、そうそうやたらと飛ばした訳でもないんですけどね。
交通量の少ない1本道っ中と、つい飛ばしたくなっちゃうわけでさ。現に一般国道っちゅうのに、90〜100km/h出している車も多いんだけどね。 ワタシは80km/h走行。

「思いもよらぬ所に網張って(スピード取り締まり)ます」・・・ってレンタカー屋のお兄さんにも言われてたからさあ。 でも、どこで網張ってるか、土地勘が無いこっちは分かんないからなぁ。
それに法定速度60km/hの一般国道、90〜100km/hだと捕まったら一発免停だからさ。
80km/hならば、掴まっても1発免停にはならないからさ。っちゅうのは、長い運転歴で得た経験かなぁ。
大体、北海道まで来て一発免停なんてシャレになんないじゃん・・・。

・・・というわけで、他の車に比べたら、少し遅かったかもしれない、ワタシの車。 

だから、バンバン抜かれたけどさ・・・。でも気にしない気にしない。 早く行きたい方はどうぞ・・。こういう長距離どらいぶ旅にゃゆとりが必要なのよ。


網走を出て7時間。 稚内はまだ遠い。 依然どこまでも続く大地。 あー途方もなくどデカイ大地だ。

でっかいど〜!!、北海道

オホーツク側から海を挟んで、延々と広がる牧草地を見て、こー叫びたくなる。。。。

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ここは、稚内の手前、猿払村。 でもいいなあ、この景色。 何もないところがいい。
ここなら移住してもいいかも・・・。 そんな事が頭をよぎる。

まあ、東京の生活に慣れ切ってるワタシなんか移住しても、すぐ生活が経ちいかなくなるだろうけど・・・。
後で調べたら、ここの年の平均気温は7℃弱。冬は−20℃以下になるとのこと・・・ うひゃひゃひゃ・・・これはダメだ・・・。

でも、この厳しい環境下だからこそ、この風景なんだろうな。


その6へつづく。


2017・夏、北海道の旅その4

8月22日(火) 北海道ドライブ旅 4日目

前日は根室市郊外、風連湖畔のコテージに宿泊。
初めは、市内のビジネスホテルに宿泊予定だったんだけど、そこがちょっとみすぼらしかったんで・・・・ふらふら 「じゃらん」を探したらいいとこあったんですわ。

でも前々日、帯広で宿泊の際、余り睡眠がとれなかった(うむ、いつも同様ホテルでチャート集計してたのよ。。。。)のと、前日、変化に富んだロングドライブだったため、前夜は食事の後、パタンキュー。ドラマ「コードブルー」も見ないで寝ちゃってたから・・・。

おかけで朝早く目覚め、周辺の湖畔の景色の写真をパチリ。

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霧雨、肌寒い。
朝何気に湖畔の写真撮ってたら、すぐそばに「タンチョウ鶴」のつがいがエサをついばんでるわーい(嬉しい顔)

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北海道やなあ・・・と思う瞬間だね〜。 まさか、こんなに近くでタンチョウ鶴を見れるとは思わなかった。 まあ、昨日はキタキツネの兄弟とも遭遇したしな。

8時30分出発。

国道44号⇒国道243号⇒国道244号⇒国道335号 と経由し、知床の玄関口、羅臼に向かう。

本日は、霧雨から、時折強い雨が降り、天気があまり良くない。
おかげで晴れていれば、すぐそこに北方領土の「国後島」が見えるはずなのに、何も見えず。
この点はちょっと残念。

羅臼から、国道334号、通称「知床横断道路」に入る。
さあ、念願の知床峠を経由しての知床半島横断ですわ。 ここは北海道に来たら絶対に来たかった。北海道でドライブするなら、絶対に外せないですよ。

知床峠の標高は740m余りと、それほど高い訳じゃない。でも羅臼口から峠までのワインディングは、北海道随一と言われている。

幸い、羅臼から334号に入った頃、雨もやみ天気が回復してきた。 さあ峠越えだ。

まあ、北海道随一のワインディングロードとは言われているものの、磐梯吾妻スカイラインの急坂勾配と果てしないワインティングロードを経験している身にとっては、それほど大変ではない。

それでも札幌からここまでの間では最もなワインディングロード。これぞドライブの醍醐味ですね。

目の前に羅臼岳が大きく迫ってところが、知床峠の頂上。

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また、遠くに目を転じれば、かすかに国後島の島影が・・・

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うーむ、写真ではちょっと見ずらいかなぁ・・・・。

ところでこの峠越え。自転車でやられている方が結構いたんですよね。自転車に「日本1周中」って言う手作りの「旗」を掲げた方がねぇ、結構いらっしゃるんですよ。
これには、ちょっとビックリでしたねぇ。標高740mとはいえ、ここまで来る間の勾配は結構きつかったからなぁ。
そんな「自転車」組の中には外人さんの姿もチラホラ・・・。 これも、さすが北海道・・・っていう光景でしたね。


知床峠を後にオホーツク側のウトロへ。 ここで休憩、道の駅に入る。
ここまでちょくちょく道の駅で休憩は入れてたんだけど、「鹿肉バーガー」「熊肉バーガー」なるものが、どの道の駅でも売られているんですよね。

どうも気になって、「鹿肉バーガー」なるものを一つ試食。

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ウーム、微妙。マズくは無いんだけど、ちょこっとクセがあるな。。。。。
「熊肉バーガー」も試食したかったんだけど、こいつは食べそびれた。。。ちょっと残念。



さて、実はこの日の行程が、旅の間で、一番「楽」だったんですよね。
知床を過ぎたら、後は本日のネグラの網走に行くだけだったんだけど、この時まだ13時前。
でも、さすがに時間が早すぎるんで、急遽、日帰り温泉に行くことに。
ネットで探してチョットよさげだった、斜里町から内陸に入った清里町の「緑の湯」っていう日帰り温泉施設に行くことに決定。

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ネットに出てるんでそれなりの規模なのかと思ったら、地区のコミュニティー施設って雰囲気。
地元のお祖父さん、お祖母さんの憩いの場ですねぇ。
この時も地元の方と見受けられる年配の方が2人。そこに「よそ者」のワタシが入って行ったんでちょっと気まずい空気が・・・。なんか場違いなところに迷い込んだ感じ。

それでもお湯は良かったですよ。少し熱めのお湯。関節痛に効くとの事で、痛風持ちの私にはありがたい。


「緑の湯」を後に国道391号⇒国道244号で網走へ。 
網走の手前、小清水と言うあたりから左手に濤沸湖というラムサール条約に加盟した湿原が広がる。
夏前には様々な花が咲き綺麗なようなんだけど、この日は荒涼とした風景が広がるだけ・・・

写真を撮りにパーキングに車を止めたら、お馬さんを放牧している一角がすぐ脇にあった。

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このウマが人に馴れてるのよ。写真撮ったら向こうから寄ってきた。鼻先をナデナデ、しばしウマさんと戯れる。

気が付いたら、国道のすぐ脇にウマが放牧されていることに気がついた、「ギャラリー」が多数。。。。わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

皆さん考えることは同じですね。


その5へつづく

2017・夏、北海道の旅その3

8月21日(月) 北海道ドライブ旅 3日目

前日宿泊した帯広駅前の「コンフォートホテル」を8時20分出発。

本日は初めに道東道から足寄を経由し国道241号を阿寒湖へ。

ところでこの季節の北海道、絶好のドライブシーズンなのは間違いない・・・・が、めちゃくちゃ「虫」が飛んでくる・・・んだよね。
 特にアブが凄い。山間部や牧草地を走ってると、前方からアブや白い「蛾」が次々とフロントガラスに突っ込んでくる。
帯広⇒足寄に向かう道東道は、まあ、凄かった。あっという間にフロントガラスはアブが突っ込んだ跡で「体液」がべっちょり。

この季節、本州からの観光客の皆さん、覚悟してくださいexclamation ×2 ムシ嫌いなヒトは、ちょっと大変かも・・・よ。


そんな中、足寄に到着。 昨日の「幸福駅」同様、旧池北線時代の旧駅舎が残されている。
写真、どうしようかなぁ・・・と迷ったんだけど、結局撮らず・・・。

まさかねぇ、この日、「松山千春」氏がニュースになってるとはなぁ・・・・。 そそそ、例の飛行機での「神対応」。

それ知ってれば、松山氏の故郷、足寄の風景を撮っていたんだが・・・・。


足寄から約50km進み阿寒湖畔。

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大学の時訪れて以来、26年ぶりの阿寒湖。
それにしても、この日が月曜日だったからか、時間が午前11時前だったからか閑散としている。 前来た時は、めちゃくちゃ賑わっていたんだけどなぁ。 お土産やも前は賑わってた。確か、小さな瓶に入ったマリモを買ったんだっけ。 その後、それを抱えながらの観光が大変だったっけ。
でも、この日は、お土産屋も軒並み閉まってる。。。 なんか侘しい風景。

阿寒湖畔を後に、国道241号を弟子屈方面へ。 途中の景勝地「双岳台」で1枚
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この日もいい天気。 雄阿寒岳が目の前に聳え立つのが綺麗に見えた。


弟子屈の街を抜け、今度は摩周湖へ

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ここも阿寒湖同様、26年ぶりの訪問。
だけどここはいつ来てもいい。摩周ブルーと湖面に映る景色を眺めてると飽きない。
しかも前回来た時は確か「曇天」だったけど、今回はめっちゃいい天気。摩周ブルーが余計映える。しばし、時間を忘れ風景に見とれる。


さて摩周湖を後に、弟子屈から国道243号、通称「パイロット国道 」を一路東へ。
周辺は見渡す限りの牧草地。所々、牛が放牧されている。 北海道やなぁ・・・

そんな中、「道道」123号を浜中方面へ。 この道が凄かった。兎に角、周りが見渡す限りの牧草地。 しかも車量が極端に少ない。 直線のアップダウンが続く1本道。丘の上から遥か先まで道が見える。しかも遥か先まで車が1台も見えない・・・。 普段見慣れない光景に運転してても「唖然」・・・。

浜中からは太平洋岸沿いの、道道142号を根室に向かう。

浜中と言えば「ムツゴロウ王国」だが、その付近を通過。もちろん、どこにあるかははっきりしなかったが・・・。それでも近くのパーキングで休憩。
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この日は変化に富んだロングドライブだったため、ちょっと疲れてた・・・ってのは正直なところ。
休憩したかったんだよね。で、そんな折景色が綺麗なパーキングがあったもんで・・・。

ところで、このパーキングから少し進んだところで、「キタキツネ」の兄弟と遭遇。 

え? まさか・・・って感じだったけど、キタキツネってこんなところまで普通にいるんだねぇ・・。

改めて北海道を実感。


さて、先を進む。 

根室の町を通り抜け、納沙布岬へ。

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ここも26年前に訪れて以来、2回目の訪問。 
背中から冷たい西風が強く肌寒い。念のため持ってきた長袖の上着が役立つ。

前回訪問した時、「花咲ガニ」を買ったお土産屋も存在。 そう言えば、あの時買ったカニ、高い割に中身がスカスカだったっけ・・・・。 完全に「ぼったくられた」んだよな・・・あせあせ

まあ、そんなことはどうでもいい。 ここは日本最東端の地。 これ以上東には進めません・・・。
北方領土の「歯舞諸島」がかすかに見える。

夕方ということもあったためか、荒涼とした景色だった。


その4へつづく

2017・夏、北海道の旅その2

8月20日(日) 北海道ドライブ旅2日目

今日から本格的な「ドライブ」旅開始。

まずはレンタカーを仮に札幌駅北口のレンタカー屋へ

借りた車はSUZUKI「SOLIO」。
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むー、TOYOTAじゃないのか〜。「コンパクトカー」クラスを予約したので、てっきりTOYOTAの「Vitz」辺りが来るものと思っていたけど、外れたな。
でも、目線が高いので運転しやすく、その分長距離運転でも疲れなさそうですね。
今回のドライブ旅は1000km以上の長丁場になりそうなんで助かる。


道央道⇒日高道⇒国道237号に入り、まずは新冠町の「レ・コード館」(レコード・ミュージアムを訪問。
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今回の旅の最大の目的地っつうわけじゃないけど、北海道に来たら一度来たかったのよね。
所蔵レコード100万枚以上は圧巻。そのうち1000枚ほど自由に試聴出来るようになってる。

まあ、邦楽よりも洋楽の方が圧倒的に所蔵枚数が多いんだけど、現在は「夏特集」ということで、邦楽の「夏の曲」の特集コーナーが・・
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実はここのコーナーが一番「ツボ」に嵌ったのは言うまでもない。。。ふらふらふらふら

しかしここは良いなぁ。。。チャート仲間ときたら盛り上がりそう。今度は1泊2日で来たいなぁ。




「レ・コード館」を後に、さらに国道237号を100kmばかり南下。襟裳岬へ。

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ついにやって来ましたよ。♪襟裳の春は 何もない春です〜♪っていう森進一氏の歌で有名な「襟裳岬」へ。

まさかねぇ、あの歌の場所に来るとはなぁ。 まあいつかは「来たい」って言う願望はあったものの・・・。
年中強風が吹いているっていわれ、「風の館」っていう施設もある襟裳岬だけど、訪問した日はめちゃくちゃいい天気。殆ど風も無い、これ以上ない「観光日和」でしたわ。

岬は海面から55mの断崖絶壁の上。どこまでも続く水平線。地球が丸く見えます。


もちろん、森進一氏の「襟裳岬」の歌碑が
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ところで、「襟裳岬」って曲は、もちろん吉田拓郎氏が作曲し、森進一氏が歌った、あの「襟裳岬」が有名なんだけども、実は、同名異曲で島倉千代子さんが歌った「襟裳岬」って曲もあるんですよね。こちらを知ってる方は少ないと思いますが・・・・。
その歌碑も並んでありました。
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後ろ髪引かれる思いで襟裳岬を後に、国道237号を今度は東海岸、通称「「黄金道路」を一転北上、帯広へ。
ちなみに「黄金道路」とは、べつに道路に「金」が引きつめてある訳ではなく、「黄金」を引きつめるほど、道路を通すため「金」と「時間」がかかったから・・・という。
その名の通り、断崖絶壁沿いを縫うように走る。右は太平洋。 ちょっとした波が来ると道路際まで波が被る。まあ、大半はトンネルなんでその絶景見えるのは一部なんだけど・・・。





100kmほど帯広方面に進み、本日の最後の訪問地、旧国鉄広尾線の「幸福駅」。
ここは知ってる方も多いですよね。

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1973年、NHKの「新日本紀行」で、「愛の国から幸福へ」っていうキャッチコピーで紹介され、一躍有名になった驛ですね。広尾線は1987年の国鉄民営化で廃線。
それでも、いまでも駅舎は残され(老朽化のため一度解体され、再建されものだが・・・)、駅舎の中にはいまでも、「愛国駅-幸福駅」間の切符が所せましと貼られています。

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また、駅周辺は「公園」として整備され、駅舎に続くホームには、当時の広尾線、キハ22型の車両が展示されています。

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今や一大観光地・・・って感じだったけど、やっぱ広尾線が廃止される前に一度来たかったな。

ところで、ここに訪れていたまさにその時間、友達もこの場所に居た事が発覚exclamation ×2 

えー、全然分かんなかったよ〜。 写真を撮った後、フェイスブックへの記事投稿を車の中で書いてんだけど、その間にすれ違った? まさにニアミス。
この友達も、レンタカーで訪れていたようだけど、駐車場レンタカーばっかりだったからなぁ。。。

しかし世の中狭いよね〜・・・って言う出来事でした。


その3へつづく

2017・夏、北海道の旅その1

えー、最近1曲セレクトも書かねーで何やっとんじゃ〜・・・なんて言われそうですが・・・。
実は、1週間ばかり北海道を放浪しておりました。。。

以前から密かに計画していた北海道、ドライブの旅。

ちょうどね、会社からJTBの「旅行券」なるものをもらったんで、これはチャンスexclamation ×2とばかり行ってきたんですわ。

当初は9月第1週目のはずだったんだけど、9月から新しいヒトが入社するのが決まり、夏休みを取れなさそうな気配なんで、急遽予定より2週間前倒し。
それでも事前にJTBに相談し、行き帰りの「新幹線&特急」の指定席券と、5日間のレンタカーのレンタルは完了。
しかもレンタカーは「オリックス」のキャンペーン期間を適用してもらい、5日間でなんと19,000円の激安価格で借りられました。

ま、もっと車種は、オリックスにお任せというこで、こちらからのリクエストはできませんでしたが…。


・・・・というこで、8月19日(土)、わたしの48回目の誕生日でしたけど、札幌に向け10:20東京発の「はやぶさ13号」で一路、函館北斗へ。

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ちなみに、「はやぶさ」は盛岡までほぼ満席。相変わらずの人気ですね。
JTBに相談に行った2週間前の段階で、とりあえず指定席は確保できたものの、好みの席は確保できず、しょうがなく3人掛けの窓際席。 本当は2人席窓際が良かったんだけどねぇ。
まあ、この日は土曜日と言う事も災いしていのかもしれない。

函館北斗からは、特急「スーパー北斗15号」で札幌へ。
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件にもれず、「北斗」も満席の盛況ぶり。

流石に北海道はハイシーズンですね。もしこの時期北海道に行くなら、特急の指定席は絶対に早めに抑えるべし。当日では指定席確保はまず無理っぽい。
自由席にあぶれた人が、指定席車両のデッキにまでチラホラ。 
それに、函館北斗⇒森間の大沼公園、駒が岳山麓の山越えで、線路が左右に曲がりくねっているんで、かなり揺れる。

おかげで、函館北斗で買った、名物「かにめし」もゆっくり味わう事が出来ず。。書きこむように食ったわい。
まあ、隣のお姉さんに気を使ったのもあるが・・・。

札幌には18:41分着

うーん、どうなんだろ、飛行機なら羽田⇒新千歳を1時間30分で来れるのに、8時間もかけて札幌まできましたよ。
新幹線出来たからってさあ飛行機じゃなく鉄道利用で北海道っつうのも物好きだよね。。

でも旅は疲れることにありにけり・・・っつうのが持論だったりして。

目的地までに時間がかかればかかるほど、旅情って深まるんじゃないかなぁ・・・・と。


その2へ つづく

俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

1985_08_俺たちのロカビリーナイト_チェッカーズ



今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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