かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

帰らない / 清水健太郎

1977_05_帰らない_清水健太郎


今回の1曲セレクトは、「帰らない」清水健太郎です。

まずはデータです。

・タイトル    帰らない
・アーティスト 清水健太郎
・作詞      つのだひろ
・作曲      つのだひろ
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1977年4月1日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 54.9万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年4月18日〜6月13日付

またまた1週間ぶり1曲セレクトですわ。
先週、つのだ☆ひろ氏の「メリージェーン」を書いたんだけども、つのだ☆ひろ氏が提供した楽曲でヒットした曲って、なぜか、「今頃」のヒットが多いんだよね。 うーん、季節感・・・という訳でもないんだけど。。。

でもさ、やっぱ気になるんで、今回はそんな「つのだ☆ひろ」氏が提供し、大ヒットしたこの曲を持って来ましたわ。

清水健太郎「帰らない」。

デビュー曲でいきなりオリコン1位なんていう、超大ヒットとなった、前曲「失恋レストラン」に続くデビュー第2弾のこの曲ですわな。
 「失恋レストラン」が、ああいう形でオリコン5週連続1位、63万枚の大ヒットとなった・・ってことで、前曲に引き続いて、つのだ☆ひろ氏が作詞作曲というわけでさ。

まあ、前作の「続編」ってやつですな。完全に。

兎も角、正直言って「失恋レストラン」に「クリソツ」(そっくり)なんですわ。 イントロ、メロディライン、曲の雰囲気、サウンド。 ややもすれば、どっちがどっち? って感じなんだよね。 うん、BGMとして、流して聴いてたら分かんなくなっちゃっりして。。。

今ならば、リリース時に、これじゃ売れねーよなー・・・なんて思っちゃったりもするんだけど、そこは41年前ですからねぇ。今とは状況が違う。

そんなにそっくりな曲でも、売れちゃったんですねぇ。「失恋レストラン」に続いて、オリコン1位、54万枚も売れたって言うんだから・・・。 うーん、時代が違うといっても、個人的にはちょっと理解しがたい・・・って言う気分になっちゃったりして。。。

いや、かといって、当時の傾向から言えば、この曲に限った事ではないんだよね。 1曲売れると、同じような曲を続けてリリースする・・・ってことはよくあったんだよ、当時は。

よくあった・・というよりかは、当時の業界内の常識だったんだよね、それが。

桑田佳祐氏の「ロックの子」によるとサザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」がああいう形で大ヒットして、「第3弾」シングルまでは、「シンドバッド路線」で行くってことが決まってたらしい。それが当時の常識だったってカミングアウトしてるもんね。
まあ第2弾の「気分次第で責めないで」は、「シンドバッド」路線で出したけど、第3弾は当時の業界常識をやぶり「いとしのエリー」を出した訳なんだけども。

一つ売れれば、次も同じ路線で行っても売れる・・・っていうのが業界内の常識だったって言う訳ですわ。

まあ、それはこの曲を見ても、あながち間違ってない・・って言うのを証明しているようなもんなんだけどさ。
同じような曲が2曲続いても、オリコン1位、50万枚以上の連続大ヒットに繋がった訳なんで。。。

当時、オリコンで2曲連続1位、しかもデビュー曲から2曲連続で50万枚なんて、少なくともアイドル路線じゃ居なかったしね。 これはスゴい事だったんだよね。 

ただし、似たような曲が続くってことは、長い目で見れば、飽きられるのは早いっていうのは、当時から変わらない訳でさ。

実際、この曲までって感じだったもんなぁ、シミケンも。 ま、確かにこの次の「遠慮するなよ」ってシングルもオリコンで最高3位でベスト3入りしたものの、売り上げは20万枚と急降下。以後はベストテン入り出来なかった程で。。。。

トップアイドルって言う座も、デビューから1年足らずの短い間だったわけなんだよねぇ。

今から思えば「人気」の動きの傾向ってそう言うもんだ・・・って当時から分かっていたはずなのに、なんで1発あてると、それを続けるかねぇ・・・なんても思うんだけどさ・・・。

やっぱ、楽に柳の下の2匹目の「どじょう」を狙った方が良い・・・なんていう人間心理なんだろうねぇ。

この曲を聴くと、いつもそんな事を思っちゃったりするワタシだったりしてね。



・・・とはいうものの、個人的には、デビュー曲の「失恋レストラン」よりかは、こっちの「帰らない」の方が、まだしっくり来るんだよな。
それは、今となってはこの「帰らない」の方が、手垢が少ないからなんだろうな。

例えば、未だに昭和の「懐メロ」番組って続いてるけど、シミケンの場合「失恋レストラン」ばっかだもんな流れるの。 この「帰らない」が流れる事なんで、まず、100%ない訳で。。
まあ、恐らくはこの曲のVTRが今ではほとんど残ってないんだろうけど。うん、「失恋レストラン」はレコ大、歌謡大賞などの音楽祭でも歌ってたんで、VTRはかなり残ってるけどさ。

そんなわけで、同じオリコン1位獲得曲というのに、今となっては完全に「死角」に入っちゃってる曲だもんなぁ、この曲は。 まあ、逆に言えばそれだけ「手垢」が少ないって訳で、その分未だに「新鮮味」が残ってたりするんだろうな。


でさ、個人的に「歌謡曲」っていうと、この手の曲って言うイメージなんだよねぇ。 そそ、いまからすると安っぽくてザラついた手触りの野太いサウンドって奴かなぁ。とても洗練されたって言う感じの音楽ではない訳なんだけどさ。

当時、小学2年だったワタシは、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかった訳んだけど、この辺りの曲となると、うっすらと当時も耳に詩してた記憶が残ってるんだよね。 まだ能動的には聴いてなかったけど、受動的に耳に入っていた記憶ってやつかなぁ。
まあ、だからリアルタイムで耳にしてた記憶がある記憶は、この辺からって感じなんだよなぁ。その分「歌謡曲の起源」になっちゃってるんだろうな。



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ジェットコースター・ロマンス / KinKi Kids

1998_05_ジェットコースター・ロマンス_Kinki Kids


今回の1曲セレクトは、「ジェットコースター・ロマンス」KinKi Kidsです。

まずはデータです。

・タイトル    ジェットコースター・ロマンス
・アーティスト  KinKi Kids
・作詞      松本隆
・作曲      山下達郎
・編曲      船山基紀
・リリース日   1998年4月22日
・発売元     ジャニーズエンタテインメント
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  93.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:ANA沖縄キャンペーンCM曲

前回の1曲セレクトはちょこっと時代を遡った曲だったんで、今回は逆に時代を下ってみますか。

KinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんぞ、どうでしょうね。

1998年の今頃の大ヒットっちゅう訳だけど、98年なんてーのは最近だもんね、ワタシの中では。 いや、今まで書いてきた1曲セレクトの中でも、かなり「最近」の部類に入ると思う。

でも、それでも気が付いてみれば、もう20年も経ってるんだよな。 以前も書いたけど98年っちゅうたら、既にインターネット使って、自分のランキングを作ったりして、ほとんど今と変わらないような事をやっていた訳でさ。

そう言う意味でも、ワタシの中では全然、「昔」って言う感覚は無いんだけどさ。

まあ、まだ、自分のサイトは開いてなかったし、仕事も大学から新卒で入った会社に居たりしたし、そう言う意味では、(ワタシ自身の)周辺環境では時間が経ったなぁ・・・っていう感覚でもあるんだけどさ。

なによりも音楽、ヒット曲への向きあい方は、今とは違いましたねぇ、この頃は。

以前も書いたけど、当時は音楽とは全然接点のない会社だったし、仕事だったからさあ、音楽との向き合い方も、普通の一般の方と変わらなかった訳よ。

年も27才だったのかなぁ、この頃。 まあ、既に20代も後半だったし、やっぱアイドルを正面から聴くって言うと歳でもなかったからさ。 

だから、このKinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんてのも、正面から聴く事は無かった。
まあ、「Mステ」は当時も見てたからさ。KinKiがMステに出演した時、聴いてたくらいだったのかなぁ。
あとは、会社の営業車の中で移動の時にラジオで流れてきた時くらいだったのかなぁ。

それでもね、全く無視していた訳じゃない。「理性」としてアイドル聴く年でもないよなぁ・・・と思いながらも、やっぱ、気になったりしてね

いやKinKi Kidsってヒトたちの曲は、キライじゃ無かったんだよ、当時。 むしろ、本当だったらちゃんと聴きたかったんだよね。

このヒトたちの曲って、ヒット曲らしい曲だったしさ。簡単に言えばキャッチー、分かり易い。変な仕掛けがないんだよね。
それでいて音楽志向の人が聴いても受け入れられるっちゅうかさ。

まあ、それはジャニーズの中でも音楽志向が強い2人だったからこそだったのかもしれんけど、KinKi Kidsって。逆に言えば、だからこそ、この曲の作曲である山下達郎氏であったり、この曲の次の「全部だきしめて」の吉田拓郎氏であったり、モノホンのミュージシャンが、このヒトたちの周辺に付いてきたんだろうしさ。

うん、ここまで大物のミュージシャンが周辺に付いてるジャニーズって他には無かったからねぇ。

ビジュアルというよりも「音楽」として聴けたんだよね、このヒトたちの曲って。 

正直言うと、この曲も好きだったんだよ、個人的には。

 この如何にも初夏的な温度感と疾走感。如何にも「達郎」っぽかったしなぁ。

KinKi Kidsと山下達郎っちゅうと、どうしてもデビュー曲の「硝子の少年」なんだけども、この曲は、あくまで仮想「筒美京平」としての曲なんでさ、達郎氏って言う匂いは薄い印象だった。 個人的にも筒美京平氏って思ったしさ初めは。

いや、ジャニーズの場合、たのきん・・・、いや、それ以前にもジャニーズ時代の郷ひろみ氏って頃から、筒美京平って言う看板があった。 あのSMAPにもごく初期にシングルを書いてたしね。

だから、山下達郎氏が筒美京平氏を意識するのも分かる。 

でも、この曲に関して言えば、そう言った「しがらみ」を一切断ち切ったような達郎ワールド的な曲を持ってきたって言うのが、むしろ良かったんだよな。

うん、この手の疾走感、爽快感がある初夏向けの曲っていうのは、筒美氏の曲ではそうそうなかったしね。達郎節ならではなんだよね。 そこが良かったと思う。

ただ、それでもデビュー曲から2作連続で続けたミリオンセラーは、この曲では突破できず。 

うーん、そこは個人的にはちょっと「誤算」だったかなぁ。 この曲こそ、ミリオン行っても全然おかしくない・・・っておもったんだけどなぁ。





この曲、今まで書いてなかった理由が、なんとなく分かったわ。この曲、動画が落ちてないんだよね。
なんで、本当はもっと早く書くつもりだったんだけども、いままで書いて来なかったんだ。
今も、目ぼしい動画落ちてないもんなぁ。
唯一落ちてたのが、コレ。
音も画像も悪いけどさ、まあ、どうぞ・・・ってことで。。


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メリー・ジェーン / つのだ☆ひろ

1972_05_メリー・ジェーン_つのだひろ


今回の1曲セレクトは、「メリー・ジェーン」つのだ☆ひろです。

まずはデータです。

・タイトル      メリー・ジェーン
・アーティスト名  つのだ☆ひろ
・作詞        Christpher Lyn
・作曲        つのだひろ
・編曲        成毛シゲル、葵まさひこ
・リリース日     1972年2月25日
・発売元       フィリップス
・オリコン最高位  93位
・売上げ枚数    0.7万枚

えー、今回の1曲セレクトは、マクラ無しでのっけから本題に行きましょうか。
・・・というのも、今回の曲、書いてるワタシも「謎」な部分が多い曲でして・・・。

その曲は、つのだ☆ひろ「メリー・ジェーン」。

うむ、70年代ディスコをご存じの方には、定番中の定番ですね。 そそそ、ディスコの「チークタイム」の曲としての超定番曲ですな。

っつうか、チークタイムっていうのも説明がいるのかしらん  

ディスコ、まあ、今で言うクラブですな・・・は、言うまでも無くアップチューンがメインな訳だけど、1時間に1〜2回、間を挟んでスウィートなバラードになるんですな。 まあ、その時は男女が、文字通り「頬と頬」を寄せ合って踊る・・ってわけで、「チークタイム」。

この、「メリー・ジェーン」は、そんなチークタイムで流れる曲としては超定番だったわけですわ。 まあ、当時、「サタデーナイトフィーバー」ってた、イカしたBOYS&GIRLSで知らないヒトはモグリじゃね? ってくらいの曲ですわ。(っつか死語のオンパレードですな

BUT、なんで、そんな超有名曲() が謎だらけなのか。

っちゅうと。

まずね、この曲のリリースについてなんですねぇ。

wikipediaを見ると、最初のリリースは1971年6月。 当時つのだ氏が所属していたバンド、ストロベリーパスのアルバム「大鳥が地球にやってきた日」に収録されていた「Mary Jane On My Mind」であり、その直後、タイトルを「メリー・ジェーン」に変更後、つのだ☆ひろ名義でシングルリリースとなっている。

まあ、その時は全くヒットもしなかったんでしょうな。オリコンを見ると、その時は100位にもランクインしていない。

でも、その後、数小節、曲を編集し直して1972年に再リリース・・とある。

オリコンチャートブックを見ると、レコード品番から、この再リリース盤が、チャートイン対象となっているものと思われるけど、オリコンでのリリース日と、wikipediaでのリリース日にずれがあるんだよな。

オリコンでは、上のデータに書いたように、1972年2月25日となっているけど、wikipediaでは、1972年7月とある。

ハテ? どっちが正しいんだろ?

当時、ワタシャ3歳だった訳で、どっちが正しいのかなんて分からんし、46年も前の事なんでさあ、どっちが正しいかなんて、今さら・・・な事なんだけど、どうも、気になっちゃったりしてね。


それよか、↑のデータでの、売り上げ枚数だよなぁ。
ディスコのチークタイムの定番、当時のディスコを知ってるヒトなら知らない人なんていないんじゃない? なんて書いた手前、売り上げ「0.7万枚」なんて嘘だろ って感じなんだけど・・・。

BUT BUT、オリコンチャートで、100位内にランクインした時の売り上げは0.7万枚だった・・・ってことですね。
大体においで、こんな、誰でも知ってるような曲の最高位が93位なんてねぇ・・・・、ウソだろ? って感じなんですけど。。。

まあ、だからシングルリリースされたころのこの曲は、それだけ超マイナーな曲だったってわけですわ。

ちなみにネットで調べると、この曲がディスコのチークタイムに使われるようになったのは1974年頃から・・ということで、シングルリリースから2年は経っていたことになる。

もちろん、以後、散発的に知名度が広がって行ったものの、集中的なヒットにはならず、オリコンで100位内に入る事は無かったんで、未だに、売り上げは0.7万枚で止まっている。

ただ、それ以後も現在までもジワリジワリとは売れているってことで、wikipediaでは公称で200万枚ということになっているが・・・。 まあ、かなり眉唾物・・・って感じはするけど・・・。 でも、リリース元のフィリップス、その後、何回も再リリースされてきたし、レコード会社再編で、その後ユニバーサルに吸収されたりして、今までにどの位売れたかは、正確には分からないとのこと。。。

でもまあ、いわいるオリコン発表と、実売数にこれだけギャップがある曲も珍しいんじゃないですかねぇ。 それだけ長期間ジワリジワリと売れ続けて来ている曲であるって事なんだけどさ。

まあ、これだけ長く売れていると、ヒット時期って決めるのも難しいわけで、ここ見たいにヒット時期に合わせて書くってことも、いつ書いていいか分からなくなるってもんよ。
一応、オリコンで表示されている、リリースが1972年2月って方に則って、恐らく今頃がヒットのピークであったろう・・と仮定して、今回引っ張って来たんだけどさ。




しかしさ、You Tubeって凄いよね。 スペースバンド時代のつのだ☆ひろ氏の「メリー・ジェーン」
一体。だれがこんなVTRもってたんだって感じなんですけど・・・。
恐らく1974年くらい・・・だから44年前くらいのVTRなんですけど・・・。
VTRに写ってるテレビカメラが「TVK」ってなってるから、伝説の音楽番組の「ヤング・インパルス」ですかね。
ギター:芳野藤丸、ベース:四方義朗に、キーボードは今井裕って布陣。

通常レコード音源で聴ける初代の「メリー・ジェーン」は、ギター:成毛滋、ベース:江藤勲にコーラス、伊集加代子。それに比べると、この面々だけによりプログレっぽい匂いがする「メリー・ジェーン」ですな。 初代の音源はもっとジャズってるもんね。

あ、つのだ☆ひろ氏って出身、福島の塙町だったんだ 今知った。 ワタシと同じ福島県人だったのかぁ。
それなら、1974年に郡山の開成山球場で行われた「ワンステップ・フェスティバル」に呼ばれて当然か・・・
・・・っつか時代的に必然だったんだろうけど。。。


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元気なブロークン・ハート / C-C-B

1986_05_元気なブロークンハート_C-C-B


今回の1曲セレクトは、「元気なブロークン・ハート」C-C-Bです。

まずはデータなのら。

・タイトル    元気なブロークン・ハート
・アーティスト  C-C-B 
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      大谷和夫、C-C-B
・リリース日   1986年4月9日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 17.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1986年4月21日〜5月26日付

えー、ここのところのいつものごとく・・・。久っさしぶりーの、1曲セレクトどぇす。。
まあ、ここ10年ばかし毎年の事なんだけども4月は「生業」の繁忙期でもあり、いつものごとく忙しっちゃ、忙しかった訳なんだけどもね。ゴールデンウイーク直前にも、「予期せぬ」程の仕事量が舞い込んで来まして、ゴールデンウイーク前半は、3日間とも家で「持ちかえり」の仕事をこなす・・・という。。。

うん、全部、古巣の某D社が悪い・・・。 なぞと、他人のせいにしたりする。。。やつあたり

 ゴールデンウイーク後半は仕事なし。 と言っても、本当は仕事残ってるんだけども4連休の間は会社の・・というか某Jさんのデータベースが止まってるんで仕事が出来ず・・・ってところの「仕事なし」なんだけどさ。

まあ、そんな訳で、ひっさびさに「1曲セレクト」を書いてたりしまする。

さてさて、久々に書く今回も「80年代」の曲を持って来たい・・・。とは思っていたものの、いつものごとくなかなか曲が浮かばない。
 いや、ホント、もうね80年代のヒット曲って、書いてない曲、あんまり残ってないのよ。・・・といつものごとく昔のオリコン引っ張りだして、あーでもないこーでもない、とやっていたら、ありましたわ、まだ書いてない曲が・・・。

しかもベストテンヒットやないの

C-C-B 「元気なブロークン・ハート」。

C-C-Bかぁ、かなり久々に書くような気がするけど、この曲はねぇ、うーむ、正直、忘れてました。。 
とは言わないものの、当時、あんまり引っかからなかったのよね。なので、ずっと自分の中でも「死角」の中にあった・・って感じなんだよな。

件の「Romanticかとまらない」で大ブレイクから、前曲の「空想KISS」までは、当時レコード買ってたんだけどさ、この曲から買わなかったんだよ。 それ以後ずーーっと、約30年、この曲の音源が手元になかったっていうのも死角に入った一因ではあるんだけどさ。

なぜ、当時、このシングルから買わなくなってたんだろう

まあ、簡単に言えば上で書いたように引っかからなかったんだけど。。。どうもね、新鮮味を感じなかったって言うのもあるんだろうな。

当時C-C-Bって、チェッカーズの2番煎じだの、所詮はアイドルバンドだのって言う見方をされていたところもあるけど、個人的には好きだった。

確かに元々コーラスグループであった割りにはコーラスは上手くなかったし、演奏力よりも、あの強烈な変色ヘアーっていうビジュアルで売っていたところも強かったしな。

それでも、テクノ寄りのバンドとしては、キャッチーだし、なによりめっちゃ分かりやすい曲調だったからねぇ。
そんな点になぜか新鮮味を感じてたところもある。

でもねぇこの曲はねぇ、前曲の「空想KISS」まで感じていた、そんな新鮮味が感じられなかったんだよな。
それは、ビジュアルとして↑の「ジャケ写」でも分かるように、突飛押しも無いようなあのカラーヘアをやめ、全員「黒髪」に戻したってところもそんな要因の一つではあった。

うん、なんかさ、カラーヘアから黒髪に戻したら、まったく普通のジミーな「あんちゃん」集団になっちゃったって感じだったし。。。

でもまあ、それ以前にこの曲の曲調ですねぇ。
リュウ氏のドラムがシモンズ(あの「ビシバシ」ってる電子ドラム)から、通常のドラムセットに変わったってところからも分かるように、テクノ歌謡から、普通のロックベースの歌謡ポップス風に変わったってところがねぇ、どうも個人的にはいただけなかったんだよなぁ。

 あの頃はさ、アイドル全盛期ではあったけど、一方ではバンド系でいえばいわいるニューウエーブ系の台頭もあったわけでさ、間がいなりにも時代は先へ進んでいるような印象は強かった。

そこに来て、時代を逆行したようなこの曲だったんでね、一層新鮮味を感じなかったんだろうな。

いつもは、どこかしらに「ココ」って言うポイントがある筒美氏のメロディラインも、どうも垢抜けない。
この曲を聴いてて浮かんでくる絵ヅラっていうのが、筒美氏自らアレンジも行っていた70年代の〜っていう感じなんだよね。86年当時から見てもアナクロなのよ。

それまでC-C-Bに新しい風を吹き込んできていた筒美氏も、この曲以後は、どこか試行錯誤的なところに陥っちゃったかなぁ、なんて感じちゃったりするんだよな、C-C-Bに対しては。

その辺はもっと端的に感じる別なシングル曲があるんで、またいずれ書こうと思うけど。。。


でもさ、その辺の曲想・・というか空気の変化っていうのは、聴いてるコチラも敏感に感じるもんなんだろうねぇ。

それまでC-C-Bのシングルってランク上位に比較的留まる傾向にあったんだけど、この曲から、いわいる「初動」型に変わっていくんだよね。
つまりさ固定ファンしかレコード買わなくなってくる傾向。 その分売り上げ枚数も減って来る。 前曲「空想KISS」の25.6万枚に対して、この曲では17.3万枚と20万枚割れ。以後20万枚を超えるヒットって出なかったんだよね。

ま、この頃からCDへの移行が顕著になってきてアナログシングルは売れなくなってきている傾向が強くなっては来ていたけどさ。それを差し引いても、それまでのシングルのように、いわいる浮動票は巻き込まなくなって来ていたことは確かなんだよね。

今考えると、ここがこのヒトたちの「人気」の分岐点だった事は間違いないんだけど、併せてグループとしての方向性もちょっと見失ってくるような分岐点だったのかもしれないな。
そう言う意味では、この曲がこのヒトたちにとっての「終わりの始まり」だったのかもなぁ。



ぷぷぷぷぷ・・・ようつべで直リンがブロックされてる。。。。。
動画見たい方は、お手数だけど、直接ようつべに飛んで見てね。


・・・黒髪で、ぶち眼鏡をかけたベースの渡辺英樹氏とドラムのリュウ氏が瓜二つやん。 
初め、この動画のサムネイルを見た時は、リュウかと思ったもの。

しかし、そんな英樹氏も、若くして鬼籍に入られてしまいました。 その後「クスリ」で捕まったキーボードの田口氏を草葉の陰からどう思ったんでしょうねぇ。

このヒトたちも永遠にオリジナルメンバーでの再結成が出来ない、80年代の超人気グループとなってしまいましたね。その辺も「チェッカーズ」と同じなんだよな。数奇の運命とでもいいましょうか。


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憧れのスレンダー・ガール / シャネルズ

1982_04_憧れのスレンダーガール_シャネルズ


今回の1曲セレクトは、「憧れのスレンダー・ガール」シャネルズです。

まずはデータから

・タイトル     憧れのスレンダー・ガール
・アーティスト   シャネルズ
・作詞       田代マサシ
・作曲       鈴木雅之
・編曲       シャネルズ 村松邦男
・リリース日    1982年3月21日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   11.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

あー、サンデーシンドローム。 日曜日の夜はユウウツだよなぁ。
昔は「サザエさん」が始まると、この「日曜日のユウウツ」が始まったもんだけど、「サザエさん」を見なくなった今、大河ドラマが終わるころには、ユウウツになるのよね。
「また、明日から会社か〜」と。。。
考えてみれば、幼稚園に入園して以来、約45年間。ずーーーーっと、この「日曜日のユウウツ」には悩まされてきた訳で。。 あ、大学の時は別だったけど・・・。
これからも定年まではずっと、これに悩まされるんだろうなぁ・・・。

 まあ、これも小学生の頃まではそれほど大したユウウツではなかったけど、中学校に上がるころからか・・・なんかユウウツが大きくなったような気がするな。

いや、振り返ってみれば、中学校に上がったころが、一番、サンデーシンドロームがはっきりしていたような気がする。

やっぱさ、前の年、小学6年の時って、一番上級生ってことで「王様」だったわけじゃん、ある意味。 それが、中学に上がる事で、一番「下っ端」になるってことがねぇ。 しかも中学生に上がると、より「タテ社会」になるわけじゃん。先輩は絶対だったし。。。。 
そんな環境の変化は「ユウウツ」を増大させたんだよな。

 しかも、この時期、うちのオヤジの仕事がうまく行かなくなってきて、家じゅうがギクシャクしてきてたんだよな。そんなことで、千葉に引っ越すの引っ越さないの・・・って言う話が出始めたのが、中学校に上がったばかりの頃だったと思う。

1982年4月。 今から36年前ですわ。

今回の1曲セレクトは、そんな環境の変化で「ユウウツ」が増大していた1982年の今頃のヒット。

シャネルズ「憧れのスレンダー・ガール」なぞ一つ。

いやいや、80年代特に81、82、83年あたりの主要なヒット曲なんぞ、もうほとんど書きつくしたぞい。もう書ける曲がないわい・・・。

なんて思って、当時のオリコンをひっくり返してたら、あったんですねぇ・・・。それが、今回引っ張ってきた「憧れのスレンダー・ガール」。

まあ、今まで書いてなかったって事は・・・。 そうなんですねぇ、当時は、それほど引っかからなかった曲って訳なんですわな・・・。

それまで、湯川れい子、井上大輔による、もろ、ドゥアップ路線で来ていたシャネルズが、始めてメンバーによる作詞、作曲でリリースした曲。 それがこの曲だったんだよね。

そんな事もあってか、それまでの50年代〜60年代前半を彷彿とさせるようなもろドゥアップという、言ってみればある種の泥臭さっていうのが、この曲ではなりを潜めたっていうのかなぁ。よりポップな路線に移行したんだよね。

よく言えば、新たな挑戦・・・って言うところなんだろうけど、個人的には、この路線が、上手く嵌まっているようには思えなかった。

いや、やっぱ、それまでのドゥアップって言う印象が、あまりにも今日連れ立った訳で、いきなりポップな路線で来られても馴染めなかったっていうのが、正解だったのかなぁ。

なんかね、82年って言う時代に染まっていなかったようなというか、カラーではなかったような・・・って言う印象があったんですよ、この曲には。

個人的な当時のヒット曲って、もっとドス黒いようなイメージがあってね。 いや、これはきっと忌野清志郎、坂本龍一の「いけないルージュマジック」の印象があまりにも強かったんだと思うんだけど。 うん、個人的に当時の「いけないルージュマジック」って、どす黒いイメージがあってね、「あー不快だ」って思いながらも、なんか当時、頭の中を支配していたカラーに近かったんだよな。

でもこの「憧れのスレンダー・ガール」ってポップなメジャー系で、より健全な感じがしたんだよなぁ。 その違いが、この曲の方に違和感を感じたんだよね。

だからと言って、この曲、当時あんまり聴いてなかった訳じゃないんですよ。 この頃、既にラジオのランキング番組は聴き始めていたし。 そそそ、TBSラジオの平日の夜毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード〜毎日がベストテン〜」の、特に月曜日の「ニューミュージックベストテン」では、毎週のように流れてたしさ。

それでも、時代のカラーには染まらなかった・・・というか、あんまり引っかからなかったんだよね。個人的には。



オリジナルのシャネルズではなく、後年の「ゴスペラッツ」での動画しかなかったんで、これでメンゴ。
でも、リードボーカルのマーチン、バスの佐藤氏、 トランペットの桑まんは、そのままなんで、オリジナルと全く遜色ないしね。

 上で書いたように82年当時は、時代のカラーに合わなかったって書いたけど、今になって聴けば、もろ82年っていう時代を彷彿させるような曲・・に感じるなぁ。
メロディラインとにしても、コード進行にしても、あの時代だよね・・・っていう印象がねぇ。
やっぱり、環境、立場、時代の違いによって、同じ曲でも全然違うように聴こえるからなぁ。だから、音楽って言うのは不思議というか、奥深いというか・・・切り離せないもんなんだよね。

それにしても、この曲、桑マンのペットは頑張ってるかよなぁ。 それまでのシャネルズの曲って、この曲ほどペットのフレーズって多くなかったしさ。

そうそう、たしか、この曲を聴いて中学では、吹奏楽でペットやりたいと思ったんだったっけ・・・。
結局はトロンボーンに回されちゃったけど。。。



ちなみに、個人的には、「スレンダー」な女の子はちょっとね。。。。。やっぱね女の子は、少しぽっちゃりした子に限りますっ 
もっとも、この曲がヒットしたころは「スレンダー」って意味も知らなかったんだけど。。。。





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9週連続首位独走中!

昨夜のCDTVでちょこっと話題になっていたけど、ネット配信におけるシングルチャートで米津玄師の「Lemon」が初登場以来9週連続で首位を独走中。

https://www.oricon.co.jp/rank/dis/w/2018-04-16/

CDランキングに比べ、比較的チャートアクションが緩やかなネット配信ランキングとは言えども、この長躯首位獲得というのは、「あっぱれ!」を上げてもいい記録だと思うんだけさ。
 音楽ニュースを見てもほとんど取り上げられていないんだよな。昨今のヒットチャートへの関心の「薄さ」が滲み出ていますな。
 ちなみに、ここまでの累積ダウンロードは約88万ダウンロード。オリコンでネット配信チャートを開始以来、初登場から積み上げて初のミリオンまであと少し。

...

AKBグループとジャニーズによって完全にランクを壊された「CDランキング」に比べて、「本来」のヒットチャートの姿を見せているネット配信ランキングは、「今」の音楽の状況をダイレクトに伝える上でも、もう少し注目されてもいいんだけどね〜。

胸さわぎのAfter School / LINDBERG

1993_04_胸さわぎのAfter School_LIND BERG

今回の1曲セレクトは、「胸さわぎのAfter School」LINDBERGです。

まずはデータです。

・タイトル    胸さわぎのAfter School
・アーティスト  LINDBERG
・作詞      渡瀬マキ
・作曲      平川達也
・編曲       LINDBERG 井上龍仁
・リリース日   1993年3月17日
・発売元     徳間ジャパン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  55.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1993年4月12日〜4月26日付
・タイアップ:進研ゼミ「中学講座」CM曲

長年ヒット曲を聴いてくると、ヒト前で聴くと、思わず、こっ恥ずかしくなる曲ってあるんだよね。
大体はヒット当時はそう思わなかったけど、今聴くとヘンな曲なんて思う曲って感じなのかなぁ。
あとは、ヒット当時でも「おめぇ、そんな曲聴く年じゃねぇだろ」とか思われる曲もそうかもな。

まあ、ここでは何回も言ってるように、個人的には「ダサい曲」が好きなもんで、ヒト前で聴くのがコッ恥ずかしくなる曲って結構あったりするんだけどさ。

そう割り切れるようになったのも、実を言えば30過ぎてからかなぁ。うん、自分でヒットチャートサイトを始めてヒット曲談義をするようなオフ会でいろんな方の話を聴くようになってからですね。

それまでは、周りにヒット曲について理解してくれる人も少なかったし、「いい年こいて〜」って思われるのも関の山って感じだったから、そう言う曲を聴いてる事については、あんまり大っぴらにしなかったんだよね。

今回は、ヒット当時、そんな「いい年こいて〜」って思われがちだった曲を一つ。

LINDBERG 「胸さわぎのAfter School」

ビーイング系が超全盛期で、だからバンド系が今以上に隆盛を誇っていた90年代前半。 その中でもトップバンドのLINDBERGだけど、どっちかと言えば軟派なアイドルバンドっていう感じだったんだよね。
大人向けの・・・というよりかは、中高生が聴くバンドって感じだったじゃん。

当時23歳で、もうすぐ社会人なろうかとしていたワタシにとっては、「ターゲット世代」を超えてたんだよね、このヒトは。 ま、たしかに90年に「今すぐKISS ME」でブレイクしてきた時は、こっちも20歳そこそこだったし、もろ世代・・って感じだったけど・・・。
この3年間で、音楽に対しての向きあい方っちゅうか、意識はだいぶ変わってきてたって事なんだよな。

今回引っ張ってきた「胸さわぎのAfter School」は、それに輪をかけて、ちょっと人前で聴くのは恥ずかしいわなぁ・・・って言う感じだったなぁ。
まあ、それは、この曲が進研ゼミの「中学講座」のCM曲だったからってことが大きかったんだけどね。
「中学講座」だもんね。 個人的に見ても一世代下のヒト向けの曲・・・って感じだったからさあ。

でも、まあ、そんなCMの影響力もあってか、この曲、当時の中高生には人気があったんだよな。

「今すぐKISS ME」で大フレイクしたLINDBERGだけど、それ以後ヒットはコンスタントで飛ばしていたものの、売り上げ的には頭打ちで、ジリジリと売り上げが下がって来ていたんだよね。
 そこに来てこの曲、売り上げ55万枚っちゅうのは、LINDBERGにとっては「今すぐKISS ME」の61万枚に次ぐものなんですわ。 

あ、これって意外たったかな   

・・というか、コレ書いてる自分が意外だったりしたんだけど。。。。

オリコンでも最高5位だったし、ワタシのランキングでも最高7位だったし、こんなに売れたっけなぁ・・・なんて実感だったりしたもんだからさ。

今、当時のオリコンをひっくり返した。初登場だった1993年3月29日付 5位で、その時の初動売り上げが18万枚。次の週が11万枚だったんだな。。。

オリコン5位とは言えども、かなりの高レベルだったわけだ。。。 ちなみに、この時の1位がB'z「愛のままにわがままに〜」で初動72万枚。 2位がチャゲアスの「YAH YAH YAH」。登場3週目で週間売り上げ32万枚。(累積148万枚)。今とは、別世界なヒットチャートだったって事もある訳なんだけどね。

そんな最中のヒットだった訳だけども、この売り上げを支えたのも、中高生の力だったわけなんだろうね。



確かに進研ゼミのCMで使われていたし、

♪ 胸さわぎのAfter School  溢れる好奇心 全てが輝いていた〜 ♪ 

ってあるように、輝いていた中高生時代を切り取った内容なわけで、だから、中高校生に受けたって言うのは分かる。

でもさ、実際の曲といえば・・・ ウタの出だしにあるように

♪デスクに山積みのコピーに埋もれてる Everyday〜 ♪

ってあるように、このウタの主人公の「ワタシ」は既に社会人になっている訳なんだよね。 

つまりは、当時の若手社会人 ⇒ モロ、ワタシらの世代だよね。 が輝いていた昔を回想している・・・って曲な訳でさ。

だから 本来だったら、ワタシらの世代から一番支持されるべき内容だった・・とも思えるんだけどなぁ。

まあ、イメージなんだろうねぇ。 インターネットがまだ普及していなかった時代、TVの影響力はCMといえど大きかったですからねぇ。

もしかすると、この曲を支持していた「当時の中高生」が、今聴くと、輝いていた当時を思い出して、思わず「ナミダ」してしまうような曲だったりするかもな。


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Room / チェッカーズ

1989_03_Room_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Room」チェッカーズです。

まずはデータデス。

・タイトル     Room
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1989年3月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   22.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年4月3日〜5月8日付

どんばんわ。またまた1週間ぶりの1曲セレクトです。前回、ここのところマクラで「久しぶり」って言うのが常套句になっている・・・って書いちゃったんで、今回は、ちょっとガムバッて連週で筆を上げてみましたわ。
まあ、これが「本来」なところなんですけどね・・・。 以前は「1日1曲セレクト」って感じで平日も書いてた訳だから。。。

さて、今回引っ張ってきた曲は、チェッカーズ「Room」。

ウーム、チェッカーズなんて書くのいつ以来だ 目ぼしい曲は、すでにほぼ書いたんで、ここのところ書いてなかったんだけど、まだ、「ザ・ベストテン」時代の曲で残ってたのがあったんだな。

いや実際のところ、今回引っ張ってきた「Room」って曲、今まで何回か書こうとして書けなかったんだよな。

この曲、重いんだよね。

実際の曲調として重い。ヘヴィーなロックバラードだったじゃん。春先リリースの曲としては珍しいくらい。 

少なくとも80年代くらいまでは、ヒット曲に季節感があったからな。 春先には「春らしい」ポップな曲が主流だった。この曲がリリースされた89年もご多分にもれなかったしね。 だから、この曲の重さっていうのが、際立ったんだよな。

実際の曲調としても重いんだけども、個人的な気分的にも、この頃ヘヴィーだったんだよな。

まあ、ここでは、いままでも何度となくチラチラと書いてきたんだけども、前年88年に大学受験を失敗したワタシゃ、89年は「2度目」の大学受験だった訳ですわ。

But、それも、また失敗。

いや、実際は1校受かったんだよね。 滑り止めの、そのまた滑り止めに受けた某地方大学のKT大学に。

いや、上では「滑り止め」って書いたんだけども、本心からするとあくまで本命に向けて試験慣れするために受けたようなもので、受かっても行く気は無かった。

でも、そこしか受かんなかったんで・・・。 

都落ちしてその大学へ行くか、はたまた、もう1年浪人して本命大学をもう一度チャレンジするか。親はその受かった大学に行くものだと思っていた様だし、親の負担を考えると行った方が良いんだろうなと思いつつも・・・。
やっぱり納得できない自分が居たりして。そんな2択を迫られていた、1989年3月。

そんな時に、聴いたのが、このチェッカーズの「Room」だったんだよな。 

そんな人生の選択を迫られていた自分にとっては、この重いヘヴィーな曲調が一層堪えたんだよ。一度聴いたら、ずっと頭の中にこびりついて離れなかったんですよ。

でも考えに考えて、出した結論は、受かった大学を蹴って、もう一度本命の大学にチャレンジする事。つまりは2浪する覚悟にしたんだよ。 当然、親にはもう1年浪人させてほしいと土下座しました。

その時、頭の中でぐるぐるとなっていたのも、この「Room」だったな。

だからねぇ、ワタシにとってはこの曲は、あれから29年経っても あの重い日々を甦られせる曲なんだよな。
おそらく、これからもずっとそうなんだろうなぁ。

まあ、基はと言えば自分でまいたタネであり、現役で受験に失敗した時覚悟を持ってちゃんと勉強してれば良かったんけど。。。。どこか慢心してたんだよな、うん、ナメてた部分はある。
ちょうど、1浪し始めた頃に家にビデオデッキが来た事を幸いに、一時はビデオばっか見てたこともあったしな。

 でも、当時は第2次ベビーブームで大学の競争率は今よりもずっと高かったんだよ。
特にワタシは「生物」なんてただでさえ学部設置大学が少ない「学問」を選んじゃったんで。。。しかも折からのバイオテクノロジーブームのときで、それまでもよりも輪をかけて競争率が高かった。 20〜30倍は当たり前だったもの。 ま、実競争率は、それよりは低かったけど、それでも次の年、元からの第1志望だったT大学に受かった時は、820人受けて合格がちょうど80人。実競争率でも10倍強だった。。。
だからね、本来は甘く見ちゃいけなかったんだよ。 まあ、そんな世の中の厳しさを身に持って体験できた、良いけ経験だったけださ、今となって思えば・・・・。





うーむ、この曲、PVなんてあったんだな。 初めてPVの存在を知ったわ。
まあ80年代末になって、PV自体珍しい存在ではなくなっていた訳で、この曲にPVがあっても、全く不思議ではないんだけどね。
あ、そうそう、この当時、フジテレビの月曜深夜から放送していた「マーケティング天国」ではオリコンチャートの時にPV流してたもんね。

しかし、個人的に↑のような事があった、この曲だけども、最近は、ようやっと落ち着いて曲を聴けるようにはなってきたんだよね。

この曲へヴィーではあるけども、チェッカーズの曲としては、結構異例な曲調なんだよな。それまでのイメージとしてチェッカーズってオールディーズ的な曲が多かったわけじゃん。それは自分たちで曲を作るようになってからもそうで。
でも、この曲はジャジーなんだよな。 
だから、最初はビックリもしたし、なんとなく違和感も感じた。 でもやっぱかっこいいんだよな。4ビート気味のベースなんて、それまでのチェッカーズでは馴染みが無かったし。
 曲は鶴久氏だけど、当時のチェッカーズの一連の作品を見ると、鶴久氏のメロディセンスっていうのもなかなかのもんだったと思うんだよね。なんつうのかな、切なさというか泣きのエッセンスがあるってうかさ。いわいるキャッチーなんですよ。 マネージメントがしっかりしていれば後々ヒット曲としてのメロディーメーカーとして、もうちょっと活躍できたかもなぁ。

ただ、バンドとしてのチェッカーズは、この時期かなりメンバー間に亀裂が生じ始めてたみたいなんだよね。 そんなバンド内の確執が、この曲にも表れ始めて来ていた・・・、それがこの曲のようなヘヴィーな曲調に現れたのかも・・・とも勘ぐりたくなっちゃうんだよな。


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愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



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Z・刻をこえて / 鮎川麻弥

1985_03_Z・刻をこえて_鮎川麻弥


今回の1曲セレクトは、「Z・刻をこえて 」鮎川麻弥です。

まずはデータなのだ。

・タイトル    Z・刻をこえて
・アーティスト  鮎川麻弥
・作詞      NEIL SEDAKA
・作曲      NEIL SEDAKA
・日本語詞   井萩麟
・編曲      渡辺博也
・リリース日   1985年2月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  9.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位
・タイアップ:テレビ朝日系アニメ「機動戦士Zガンダム」オープニングテーマ

毎回毎回「マクラ」で書いてるように、「久々」っていうのが、常套句のようになった最近の1曲セレクトですが、今回も2週間ぶり(?)ですな。
 最近は平日の帰宅時間が遅くなってきたんで、ちょっと書くのが難しいんで、少なくとも週末ぐらいは書きたいなぁ・・・と頭では思ってるんだけどねぇ・・・。 何分、もともと「物ぐさ」な性格なもので・・・っていうか、最近、それがだんだんエスカレートしてきて、なかなか筆が上がらないんだよねぇ。

でも・・・と思いつつ、やっとPCに向かいましたわ。

さてさて、今回引っ張ってきた曲は、鮎川麻弥さんの「Z・刻をこえて 」。

そそそそ、あのアニメ「機動戦士Zガンダム」の最初のオープニングテーマだった曲ですわな。

へぇ、アニメの曲を持ってくるとは珍しい・・・なんて思われますかねぇ。 まあ、たしかに、最近のアニメだとかゲーム関係の曲には、とんと触手が伸びないワタシなわけで、ここでもあんまりこのテの曲は書かないんだけどね。

それでも、85年当時は、まだ、今ほど気ぎらしいしてた訳でもないんだよね、アニメ関係の曲も。 ただ、たしかに85年くらいになると、アニメなんてあんまり見なくなってたからなぁ。
当時、、周りで超人気だった、「北斗の拳」だって見てなかったし・・・。 当時中学〜高校だったワタシは、「いい年こいてアニメかよ」って思い始めてたところもある。

うん、個人的には「実写」のドラマの方が好きだったしね。

でもさ、「ガンダム」関係はみてたな、当時も。 84年頃って、「ファースト」ガンダムの再放送を、まだ、たまにやってたんだよね。 もう、再放送を何度も見て、内容もセリフも覚えてるのに、それでも再放送見てたもんなぁ、ガンダムは。

だから、新シリーズとなる「Z・ガンダム」が始まるって言われて時は、楽しみだった。

でもさ、いざ、シリーズが始まって、オープニングテーマとなった、この「Z・刻をこえて」を初めて聴いた時は、違和感たっぷりだったんだよな。

だってさぁ、カッコ良過ぎるんだもの。 ワタシの中のガンダムのオープニングというと、どうしても「翔べガンダム」の、如何にも子供向け戦隊モノアニメのオープニングっていうイメージがこびりついてたからさぁ。

そこからしてみると、この「Z・刻をこえて」はカッコ良過ぎた。 まあ、今にして思えば、その後のアニメ関係の楽曲の礎のような曲ではあるんだけど、エッジが立ちドライブが聴いたサウンドは、ニューウェイブ系のそれを彷彿させるんだよな。
 簡単に言うと、如何にも80年代中盤・・・いや、もっと細かく言えば、如何にも「85年的」な音なんだけどさ。

エッジが立った輪郭がはっきりしたサウンドっていうのは、前年の84年もその傾向はあったんだけど、85年の音って、84年のそれよりももっと輪郭が深いんだよな。でもって84年よりも音が軽い。 

84年の特に邦楽って、「フットルース」っていう一つ命題があって、特にボニータイラーの「HOLDING OUT FOR A HERO」ね、これにインスパイアされたような曲が多かった。
うん、ニューウェイヴ系ではあっても、もっと猥雑なサウンドが流行りだったんだよね。
でも、85年は、そののくびきが取れ、もっと音のエッジが深くなっていく。

個人的には、このテの音が、どうも好きになれなかったんだよなぁ。 まあ、まったく受け付けられなかったって訳じゃないけど、深入りはしたくないって言うか・・・・。 だからねぇ、この85年ぐらいから、個人的な曲の好きキライっていうのかのが、はっきりしだしてきたんだよね。 キライというか生理的に受け付けられないっていうか。。。

まあ、そんなこともあって、この曲も、正直、初めて聴いたイメージが払しょくされずに・・・そのまま「闇」の中に封じ込めてしまった・・というか、全く聴かないままいつしか忘れちゃった・・・って感じだったんだよなぁ。

うん、当初、楽しみにしてた「Z・ガンダム」も、実際にみたのは最初の10回くらいだったし・・・。

・・・っつうかさ、「Z・ガンダム」って本放送は、土曜日の17時30分〜18時だったじゃん。

始まったのが、85年3月で。この時丁度、中学校を卒業したワタシは、最初は見れたんだよ。卒業式が終わって、高校入学式までの1ヶ月は暇だったからさ。

でも、高校入学して部活が始まってからは、土曜日の17時30分なんて、まだ帰宅してなかったもの。

物理的に見れなくなっちゃう訳よ。 で、いつしか忘れちゃったしさ・・・。 だからねぇ「Z・ガンダム」も「ZZ」も今となっては、、全然話が分かんないんだよね



ニューウェイブ然としたサウンドで、ヒットした当時は受け入れづらかったこの曲も、33年経った今では、理解出来るようになったな。 
この曲、若干、ノリがジャズっぽいんだよな。ハネ系のノリから一見するとモータウンって言う感じもするけど、バックのブラスがジャズっぽい。間奏部のギターソロにしてもそう。 おそらく、その辺ノリにも当時はっついて行けなかったんだろうな。

ちなみに、この曲の作詞、作曲者はニールセダカ氏。 そそそ、50〜60年代のオールディーズの立役者の一人ですわな。 だからか、どこかオールディーズの匂いが・・・いいや、そんな匂いは全くしないんだよな、この曲は。
あくまで80年代のニューウエイブなんだよ。

 なんでニールセダカ氏なの? って考えると不思議な気もするけど、この頃、結構オールディーズの立役者が日本の曲を書くのがちょっと流行りだったんだよね。83年のトシちゃんの「さらば・・・夏」も、ポールアンカだったりするしさ。
まあ、この曲は、あくまで「カバー」曲だけどさ。 原題は「BETTER DAYS ARE COMING 」


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