かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

STAR LIGHT / 光GENJI

1987_10_STAR LIGHT_光GENJI





今日の1曲セレクトは、「STAR LIGHT」光GENJIです。

まずは、データから

・タイトル      STAR LIGHT
・アーティスト    光GENJI
・作詞        飛鳥涼
・作曲        チャゲ&飛鳥
・編曲        光GENJI
・リリース日 1987年8月19日
・発売元       キャニオン
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     48.9万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月31日〜11月9日付

 45歳のオヤジが「光GENJI」を語る。いいですねぇ、この構図。

滅多にいないと思いますよ。i-podに光GENJI入れて、通勤電車の中、まわりの迷惑を顧みず結構な音量で聴いてるオヤジって・・。 
 
 え? 私のことです!!


 この間、日曜日にTBS50周年番組見てて、ジャニーズの変遷など流してましたけど、やっぱり、光GENJI、男闘呼組までは、「おお、同年代」って感じで、気持ち許せるって言うかね。
 たしかに、当時は、どうも生理的にくすぐったいところはあったんだけどね。今となっては、そんな感じはないな。

 やっぱさ、永遠のノスタルジーなんだよね。ジャニーズって。 一時期、うざいと思ったこともあったけど、ようやくそんな感じに思えるようになってきたな。

 この曲、STAR LIGHTは、1987年の夏の日、8月19日、奇しくも、私の18回目の誕生日の日にリリースされたんだよね。
しっかし、もう18年前か・・・。私、すでに倍、生きちゃったのね。。。。。

 当時、「スターライトエクスプレス」っつう、やっぱりローラースケート履いて、所狭しと動き回るミュージカルが大人気で、そのキャンペーンの一環なんだよね。光GENJIの結成って。 そもそも、最初は、「光」っていう、年長の2人(大沢 内海)と、「GENJI」5人を別々なところでデビューさせて、ある日突然、「光GENJI」として一体化させるっていう構想があったらしいんだけど、時間がなかったのか、 分かりにくかったのか、いつのまにか、最初から「光GENJI」として、デビューさせるに変わっちゃったらしいね。

 で、デビュー曲の「STAR LIGHT」は、たしかに、「スターライトエクスプレス」に引っ掛けたところもあるんだろうけど、物のホンによると、これは、作詞の飛鳥涼氏がつけたらしいですね。
 なにせ、アイドル、しかもジャニーズの曲なんぞ作るとも思っていなかったらしいので、かなり悩んだ末にひねり出したタイトル、それと、詞だったらしいね。

 曲は、この曲に関しては、チャゲとの共同作業なんだけど、最初は、サビの♪夢はFREEDOM FREEDOM シャボンのように〜♪のところが出来たそう。
 チャゲっていうヒトは、引っかかりがあるサビをつくるのは得意のようで、あの♪ナツ ナツ ナツ ナツ ココナツ♪も、あの部分が最初に浮かんだって言うからね。 天性のヒットメロディメーカーだよね。
 だけんども、そのほかの部分は飛鳥がかなり苦心して作曲したらしい。

 でも、共同作業とは思えないようなまとまった作品に仕上がったと思いますね。

 この曲の命は、なんっても、ジェットコースターに乗っているようなあのスピード感ね。この辺から、アイドルの曲のスピード感って変わってきたように思えるんだよね。
 今は、さらにBPMが速くなっているから、そんな風には感じないけど、カラオケやってて、今の曲やった後に、87年以前の曲をやると、めちゃくちゃノスタルジック、ものすごくゆっくり感じるもんなぁ。
 もちろん、当時は、ぜんぜんそんなふうには感じなかったんだけどね。 この曲が、その先鞭をつけたんだと思いますよ。

 でも、あのスピード感が、当時の「若者」(⇒俺たちのことか。。)のスピード感にマッチしてたんだろうね。
 あの人気は、そこにあるような気がするな。

 それにしても、すんごい人気だったよなぁ。このヒトたちが、当時のレコードセールスを再度底上げをしたって言っても過言じゃないもんねぇ。
 この年、1987年の最高セールスは、公式では、瀬川瑛子「命くれない」の42万枚だったんたけど、「STAR LIGHT」は、最終的には、これを上回ったわけで・・。さらに第2弾の「ガラスの十代」では67万枚。 第3弾の「パラダイス銀河」では88万枚・・・。と、これは、CDの枚数は入ってないからねぇ。
 CDシングルは、「パラダイス銀河」が発売になった、1988年3月から発売されたんだけど、時代はいわば、レコードからCDへの移行期だったんだよね。だから、初期の光GENJIは、CDではなく、レコードだったわけで・・。
 「レコード」を売った、最後のアイドルとも言えるだろうね。

 ともあれ、このときを境に、90年代前半のメガヒット期へと、急激にセールスは拡大傾向に向かうんだよね。
 この当時(87年)には、まさか数年後にそんなことになるとは、夢にも思ってなかったんだけどさ。



この動画、「STAR LIGHT」の「PV」らしいんだけど、この曲にPVが存在してたなんて、今の今まで全く知らなかったわ。
今の時代、PVなんてインディーズのヒトまで当たり前に作るけど、当時は、アイドルにゃPVが存在しないの当たり前だったからねぇ。
いやいや勉強になるね。


※オリジナルは2005年10月に書いたものですが、若干、加筆しました。




アン・ドゥ・トロワ / キャンディーズ

1977_10_アン・ドゥ・トロワ_キャンディーズ







今日の1曲セレクトは、キャンディーズ「アン・ドゥ・トロワ」です。

まずは、データから

・タイトル      アン・ドゥ・トロワ
・アーティスト    キャンディーズ
・作詞        喜多条忠
・作曲        吉田拓郎
・編曲        馬飼野康二
・リリース日     1977年9月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   7位
・売上げ枚数     28.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1977年10月10日〜11月14日付

 月曜8時は、「みごろ たべごろ わらいごろ」(テレビ朝日系)・・と、またまた、唐突に変な入りかたしましたが、覚えるるでしょうかねぇ? 「デンセンマン音頭」と「シラケ鳥」
 ベンジャミン伊東(伊東四郎)の「デンセンマン音頭」⇒♪電線にすずめが3羽止まってた〜♪ってやつですよ。
これ、この当時、大ブームだったですよねぇ。
 俺、小2だったけど、見てないとガッコで仲間はずれだったもん。
 それと、「シラケ鳥」は、前半の親子コント。母親が伊東四郎、息子が小松政夫。 で、なにかあるとすぐ小松政夫が張り倒されて、ちゃぶ台の上で♪シラケ鳥飛んで行く南の空へ みじめ みじめ チャンチャチャンチャン スカラカチャンチャン〜♪とくるやつ。。
 ・・とねぇ、文章で書いてもなかなか雰囲気でないねぇ。 面白かったんだよねぇ、これが。
 「うーん、知らないなぁ」っていう人もいると思うけど、今、コレDVDになってるんで、もし、良かったら見てみ。
ゼッタイ、抱腹絶倒だから。

 ・・で、なんで、「みごろ だべごろ」からキャンディーズなんか・・・っつうと、キャンディーズこの番組のレギュラーだったんだよね。
 前半の親子コントで悪がき三兄弟役でいい味出してたよね。キャンディーズって意外と「お笑いのセンス」があったわけで、もし、75年に「年下の男の子」のヒットがなかったら、元祖「バラドル」になっていただろうといわれてるんだよね。
一部では。 まぁ、それも、これ以前に「8時だよ全員集合」のアシスタントだったって事が大きいようだけどね。

 で、たしかねぇ、「みごろ たべごろ」の後半の一番最後にキャンディーズの歌のコーナーがあって、そこで、初めてこの曲聴いたと思う。

 もちろん、今となっちゃ、うる覚えで、はっきりとは覚えてないけどね。
 でも、不思議な曲だなと思ったなぁ。 例えば、Aメロの♪こきざみにときめく こころ♪でいきなりフラットになったり、それとやっぱり、サビだよね。 
 ♪アン ドゥ トロワ おどりましょうか〜 アン ドゥ トロワ 炎のように〜♪ のハーモニーの響きかなぁ。
なんか、ゾクッとくるような響きなんだよね。 それは、ずっと印象に残ってたね。

 それと、♪ヒトはだれでも 一度だけ すべてを燃やす 夜が来る♪ って部分、当時、全く意味がわかんなかったの、何のことだか。
 いまは、もちろん、なるほどねぇ・・・ですけどね。 ♪今が そのとき ためらわないで〜♪ ですからねぇ

 たんたんとしてるけど、結構内容はストレートでエッチね。

 だけど、この曲、作曲が吉田拓郎氏なんだよね。 吉田拓郎 作曲  喜多条忠 作詞 という、まさにフォークのヒット曲の中心人物って言う感じだけど、この曲に関しては、全くそういう「色」がないんだよね。しかも、独特の拓郎節っぽいところもあんまり感じないしさ。
 この曲の前の前の「やさしい悪魔」も同じ、吉田拓郎 作曲  喜多条忠 作詞なんだけど、こっちは、拓郎節炸裂って感じだもんなぁ。 っていうか、拓郎氏が個人で歌っても違和感ないよね。「やさしい悪魔」は。
 でも、「アン ドゥ トロワ」は、さすがに拓郎氏が歌ってる姿は、なんか想像かつかない。
 拓郎氏って、よくアイドルに曲を提供してるけど、「あ、拓郎だ」って一発で分かるときと、全くわかんないときがあるよねぇ。 例えば、風見慎吾の「僕 笑っちゃいます」とか、全くわかんなかったもん、これ吉田拓郎作曲ってこと。
 なんか、想像つかないよねぇ。 拓郎が♪ぼーくぼーく わらっちゃいます♪って歌ってる姿って。

 あ、それと、「アン ドゥ トロワ」って、アレンジは馬飼野康二氏なんですよね。 これも意外。馬飼野氏のアレンジって、ヒデキなどの「大げさ」なオーケストレーションとか、マッチの「スニーカーぶる〜す」見たいな、チョッとダサメのロック調っていう、どっちにしても派手なアレンジっていうイメージがあるんですけど、この曲はかなりオトナしめなアレンジですもんね。今、クレジットみてて、初めて知ったんだけど、意外ですねぇ。
 そうそう、この曲の3曲前の「哀愁のシンフォニー」も馬飼野氏のアレンジなんだけど、こんな感じの大げさなオーケストレーションは、馬飼野氏だよねって納得しますね。

 などなど、結構意外尽くしの曲なんだけど、 この前の「暑中お見舞い申し上げます」を歌ってるときに電撃引退宣言(by 日比谷野音)、ちょうど、この曲の頃は、その騒ぎも一段落して、引退コンサートに向けて、猛撃にチャージした活動を始めてた頃ですね。
 そういうこともあってか、なんか、この曲以降のラスト3曲って、それ以前に比べると、緊張感があるような気が今になるとするな。 
 やはり、この頃から引退までの臨時マネージャーだった大里氏(現アミューズ会長)が、かなり力入れてたからでしょうかねぇ。
 
 いずれにしろ、キャンディーズのラスト3曲は、個人的に、いつまでも、体に染み付いてるようなきがするなぁ。
 あなたは、ピンクレディー派? キャンディーズ派? っていわれたら、迷わず「キャンディーズ派」の私だからさぁ。 えーと、個人的には「スーちゃん」がすきでした




ライブ映像だけど、ステージ上が紙テープでいっぱいになっているところは、時代を感じますねぇ。 今は紙テープ投げは禁止ですからねぇ。・・・というか、ライブで紙テープを投げる行為さえ、みんな知らないだろうしなぁ。。。


※オリジナルは2005年10月に書いたものに、只今、若干加筆しました。


勇気があれば / 西城秀樹

1979_10_勇気があれば_西城秀樹







今日の1曲セレクトは、「勇気があれば」西城秀樹です。

まずは、いつものようにデータから

・タイトル       勇気があれば
・アーティスト     西城秀樹
・作詞         山川啓介
・作曲         筒美京平
・編曲         萩田光雄
・リリース日      1979年9月5日
・発売元        RVC
・オリコン最高位    3位
・売上げ枚数      30.8万枚
・ザ ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1979年9月26日〜12月6日

 ソングフェスティバル。なんて、かっつけた形で書かなくても良いけど、いわいる「歌謡音楽祭」ですね。
いまじゃ、すっかり、その影も形も薄れてしまった「歌謡音楽祭」ですが、70年代〜80年代中盤頃までの、歌謡曲、ヒット曲の「全盛期」、各テレビ局主催、そのたもろもろの音楽祭が、いまごろから年末にかけて開催されてましたね。
 その、最高峰といわけたのが、いまや、その権威も地に落ちてしまった、「レコード大賞」と、すでに影も形もない「日本歌謡大賞」なわけです。
 それにあわせて・・なのかどうかよくわかんないですけど、夏場がすぎた今頃の季節から、「聴かせる」曲が増え始めるんだよね。
 まぁ、客観的に考えると、「レコード大賞」と「紅白」っていうことを見据えての戦略なんだろうけどね。

 ヒデキの場合が一番、わかりやすかったなぁ・・・っていう印象があるのね。76年は「若き獅子たち」、78年は、このあいだ紹介した「ブルースカイブルー」・・・と、きまって、このじきリリースの曲は、「派手な」・・・というより、「聴かせる」曲中心だったんだよね。

 で、79年は・・・ご多分にもれずというか期待通り、この「勇気があれば」という「聴かせる」曲を持ってきたわけです。
 たしかに、この年はヒデキにとっては、特別な年だったということもありますけどね。なにせ、あの「YOUNGMAN(Y.M.C.A)」の大ヒット。 ヒデキ自身、「歌謡大賞」「レコード大賞」が最も手に届く位置にいたっていえましたしね。
 BUT、レコード大賞は、作曲が「外国人」の曲は、エントリーできんのですよ。ということは、カバー曲の「YOUNG MAN」は、はなから「レコード大賞」の「対象外」にならざるを得ない・・・。
 ということで、是が非でも、この時期にソングフェスティバルに相応しい「聴かせる」曲が必要だったところもあり、この曲ほど、このじきに絶対に必要だった年も無かったわけです。

 そういった事象もあったからか、確かに無難と言ってしまえば、それまでだけど、ソングフェスティバルに相応しい、切々とこちら側に訴えかけるという、山川氏の詞、カンツォーネを意識した当たり前のように完成度が高い筒美氏の曲、ポイントを抑えた萩田氏のアレンジ。
 すべてが、音楽祭に向けてるな・・・と今となっては感じるけど、当時は、そういうことは考えないからね、
素直に感動してましたねぇ。
 まず持って、イントロに含まれる「鐘の音」からして、厳かな印象を受けさせてくれます。

 でも、これで味をしめたわけではないでしょうが、次の年の同じ時期には、「サンタマリアの祈り」っう、やっぱりカンツォーネをモチーフにした曲を、このじきにリリースしましたよね。
 ただ、こっちは、ちょっと曲が重すぎたよね。あんまり売れなかったんだよね。

 あ、個人的には、「サンタマリアの祈り」も好きなんだ。大げさでいいよね。 80年のヒデキって、どうも、いまいちパッとしない曲が多かったなかで、唯一、この曲だけは分かりやすかったな。

 
ちなみに、結果的にこの曲の効果といいますと・・・、歌謡大賞は外国曲カバーの制限は無かったので、予想通り、「YOUNG MAN」で大賞受賞。
 レコード大賞は、多分にもれずこの曲で「エントリー」し、最終的に候補の3曲に残ったものの、ジュディオングの「魅せられて」に大賞をもってかれた・・・という感じでした。
 レコード大賞という具合だから、本来は、より売れた曲に照準を当てるべきで、そういう意味では「魅せられて」を大賞にしたのは、妥当だったんじゃないかなとは思いますけどね。

ちなみに、ちなみに、同じようなケースが、これから3年後にも起こるわけです。
 岩崎宏美「聖母たちのララバイ」。 このときも全く同じような結果となりましたよね





※2005年10月に書いたものの再掲載です。

元気です / 吉田拓郎

1980_10_元気です_吉田拓郎







今日の1曲セレクトは、「元気です」吉田拓郎です。

 まずは、データからです。

・タイトル      元気です
・アーティスト    吉田拓郎
・作詞        吉田拓郎
・作曲        吉田拓郎
・編曲        青山徹 大村雅朗
・リリース日     1980年11月5日
・発売元       フォーライフ
・オリコン最高位  37位
・売上げ枚数    5.6万枚
・タイアップ    TBS系ポーラTV小説「元気です」主題歌


  ここ、2、3日ちょっと湿り気がちな話になってしまいまして・・、それでなくても、ちょっとこのところ、いろいろありましてね。肉体的and精神的もかな。
 で、いろいろな方から、大丈夫? という、ご心配のメッセージをいただいているところでして、ワタシなりに、1曲お送りしようと思いまして、この曲を引っ張り出してきました。

いろいろありましてっていうのは、この曲の歌詞にもあるように


♪誰もこっちを向いてはくれません。1年目の春 たちつくす私〜♪


な状態な訳でして・・・と書いてみても、分かる方には分かると思うんですが、ほとんど皆さんは「?」ですわね

このところ、ちょっと謎めいた暗号みたいな文章で申し訳ないんですが、今日もごく一部の方しかわかんない内容で申し訳ないです。

 でも、何がともあれ、今の私 ♪そうだ 元気ですよと 答えたい ♪ とみなさんに伝えたいがために、この曲引っ張って来たって感じかなぁ。


 この曲、80年10月〜81年3月に放映された、TBS系の朝の連続ドラマ、ポーラテレビ小説「元気です」のテーマソングだったんですが、覚えてらっしゃる方はいますかねぇ。。
 ここのところ、かなりメジャーに曲を持ってきてたわけで、久々にちょっとマニアックな曲を引っ張りだして来たんだけどね。 主演は、このころ、「いまのキミはピカピカに光って」の「宮崎美子」、相手役は、まだまだ好青年だった「石田純一」だったんですけどね。
 当時、私は小5。 当然、ガッコがあったわけで、毎朝見れたわけじゃないのに、なんて、覚えてるんだろ? って感じなんですが、振り返ってみると、多分、「冬休み」に毎日見てたからかなぁ。正直、ドラマの中身は全然おぼてない。
 でも、主題歌だった、この曲だけは鮮明に覚えていたんですよね。

 でね、ずっと、今の今まで、この曲って、同じ「よしだたくろう」のアルバム「元気です」のタイトル曲だと思ってたんですよ。 で、今回、ここに、そんな感じで書こうとおもってたて、改めて調べてたんですが、アルバム「元気です」には、この曲、入ってないのね。。。。
 80年リリースの時が、オリジナルのシングルだったんだ。。。 あわや、この曲は、アルバム「元気です」のリード曲で・・・と書きそうになってましたわ。危ない危ない。。 それでなくても、私の文章の信憑性は薄いので・・

うん、たしかに、吉田拓郎の曲にしては、イントロなんかは「エレキ」がメロディを引っ張ってるし、まあ、俗に言う、「フォークロック」的な曲なわけで、72年のアルバム「元気です」当時にしては、ちょっと時代を先取りしすぎている感はあるんだけどね。

 だから、未だに私の音源ライブラリーの中では、この曲は「1972年」に属しちゃってます。。。早速直さなければ・・。


 ちなみに、アルバムの方の「元気です」のデータは

 ・リリース日    1972年7月21日
 ・発売元      CBSソニー
 ・オリコン最高位  1位(LPチャート)
・売上げ枚数    46.9万枚

1972_07_元気です_よしだたくろう






 収録曲は、「結婚しようよ」「旅の宿」「夏休み」「たどりついたらいつも雨ふり」「春だったね」などなど、よしだたくろう、初期の代表曲集のような内容になってます。
 丁度、シングル「旅の宿」と平行してこのアルバムもヒットしてたって感じなんですよね。
「感じなんですよね」なんて、エラソーに書いてますが、もちろん、当時、私ゃ3歳。リアルタイムでは経験しておりませんっ!(イイキリ!) オリコンのデータからの話ですね。

 ちなみに、このアルバム、CBSソニーからのリリースでして、形上はメジャー第1弾リリースのアルバムとなっています。
実際は、それ以前にシングルは、CBSソニーからリリースされていたんですが・・・。

 で、当時問題になったのは、商業主義に成り下がったという、それ以前のファンからの罵声ですわね。 よしだたくろう
の場合、もともとは、メジャーレーベルのいわいる「ヒット」というところからは遠い存在、エレックレコード、今で言えば、インディーズ界のカリスマのような存在でしたからね。プラス、当時の、反体制、社会派フォークの旗手だったわけじゃないですか。

 「今日まで、そして 明日から」「人間なんて」などのような、哲学的、社会的な内容の曲が多かったわけですね。


 そりがいきなり♪僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったなら結婚しようよ〜♪となっちゃったわけだから、たくろうが「軟弱になった」「商業主義に売名した」などと、それ以前のファンからは、こてんこてんに言われたわけですね。
当時は、まだ、赤軍派など、いわいる「左系」の残党が数多く存在した頃で、社会的に、いわいる「商業主義」に反発する傾向も、見られたわけです。コンサートでの「帰れ」コールを浴びせるなどは、まだ良いほうで、コンサート自体占拠されるってこともあったみたいですからね。いまでは、考えられないけど・・。
 
 そのさなかの、このアルバムのリリースだったわけです。 「元気です」というタイトルもなんとなく頷けるんですよね。そういう、一部のファンからの罵声コールのなかでも、それでもファンであったヒトたちへのメッセージなんですよね。 
 
 でも、結果的には、そのような状況の中、逆に、それ以前とは比べようもないくらいのセールスを記録したわけで・・。
それだけ、当時は、拓郎を欲してたヒトが多かったんだろうな。

 まあ、いいにつけても悪いにつけでも、ここから、日本のヒット動向はガラリと変わるわけです。この直後に井上陽水のブレイク。 陽の「たくろう」、陰の「陽水」と例えたように2大フォークアーティストの活躍から、チューリップの出現による「ニューミュージック」というジャンルの形成・・・という具合に1972年っていうのは、日本の音楽界にとってはひとつのターニングポイントだったんですよね。


 うーん、なんか、タイトルとは、全然違ったないようになっちゃったな。。まあ、たまにはいいか。。


なお、吉田拓郎の表記ですが、エレック、CBSソニー時代は、ひらがなで「よしだたくろう」だったんで、今回の書き込みもそれに習いました。

 っても皆さん知ってるか。。。





※2005年10月に書いたものの再掲載です。

Ya Ya(あの時代を忘れない) / サザンオールスターズ

1982_09_YaYa〜あの時代を忘れない〜







今日の1曲セレクトは、「Ya Ya(あの時代を忘れない)」サザンオールスターズです。

まずは、データから

・タイトル    Ya Ya (あの時代を忘れない)
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳祐
・作曲      桑田佳祐
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1982年10月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   34.0万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年11月22日〜1983年1月17日付

 あー、今日で9月も終わりですねぇ。

 今日も、昨日に引き続き、一部、分かる方には分かるとは思いますが、ちょっとシンミリになっちゃいます。
 昨日も書いたように、個人的に、このタイミングで書いておきたいというところがありまして・・・。
 ちょっと、シトシトした雰囲気になってしまいますが、お付き合いください。

 Ya Ya(あの時代を忘れない)・・・・というタイトルどおり、この曲は、サザンの桑田氏が学生時代の「よき日」を振り返った作品になっているんですが、どうもね、ここ数日は私的にもそんな感じなのね。
 まあ、昨日も書いたように、今の私の「原点」となった会社がなくなっちゃう・・というところがありましてね、その場にいなくても、気持ち的には大きな部分を占めてるんですよね。

 昨日は、その「原点」という所を見て、ZONEの「Secret base」を紹介したんですが、今日は、「今」というところから振り返って見たいと思ったのね。

 たしかに、今考えると、肉体的につらかったところもあったけど、浮かんでくるのは、楽しかったことだよね。
 まさに「あの時代を忘れない」っていうかね。

この曲の歌詞にもあるけど、

♪互いにGuiterならすだけで 分かり合えてた奴もいたよ
戻れるなら In My Life Again ♪

あのころは、まさにそんな感じだったし、今の心境としては、出来ることなら、本当に「In My Life Again」ですね。

そんなことが今の心境のの大部分の大部分を占めてるって感じかなぁ。
 でも、やっぱり現実的には ♪帰らぬ想い出 Time goes by♪なんだよね。

でも、今までの数年は、自分の人生にとっては、本当に「いい時代」だったと思います。だから、タイトルにもあるように、俺にとっては、いつまでも「あの時代を忘れない」なんだよね。
 これからどうなるんだろ? ちょっと不安な今日この頃。
 だから、余計、この曲がいとおしくなってりしてね

最後に、うまくいえないけど、"Thank You Say Good Bye"。


※※ごめんなさい。上の部分は、あくまで、個人的な事情の内容なので、1曲セレクトは今後も続けます。
 これからもよろしくお願いします。



 この曲、23年前の1982年10月のリリースなんだけど、本来なら、春の季節に聴きたくなる曲だよね。
 そう卒業シーズン。そのときに歌うべき曲なんじゃないかなぁと思うわけなんです。内容的にはね。
 実際、私、大学卒業の時の謝恩会の二次会、有志でカラオケに行ったとき、最後の最後でみんなで歌ったのがこの曲なんですよね。そん時の感動が未だに忘れられないって言うかね。

 いまの心境に通ずるところもあるわけです。

 うーん、なんか、ほんとにシンミリしちゃったかなぁ。
 でも、サザンのバラードの中では、「いとしのエリー」は別格としても、最も印象残る最高の曲だと思いますよ。
 そのほか、アルバム「kamakura」に「夕日に別れを告げて」っていう曲があるんだけども、こちらは、「Ya Ya」の大学時代に対して「高校時代」の思い出をつづった曲なんですよね。
 内容的には同じ感じなのですが・・。

 何気に桑田氏の曲も「いい時代」を懐かしむ曲って何曲かあるんですよね。どちらの曲も私的には大好きな曲です。
 優しい気持ちになれるんだよね。・・で、いつも、いい意味でトリ肌が立ってきます。

  最近、このテの曲がとんと少なくなったサザンですが、また良質なバラードを聴かせて欲しいなぁ。
 今年3月末。10年ぶりアルバムがリリースされるサザンだけど、どんな出来なんだろう?
 久々に「CDを買って」みよう。


いつものごとく、サザン関係の動画はYOU TUBEにないんで、探してみました。
とりあえず、音だけは海外のサーバーにあったんでリンク

http://www.meile.com/player?invoking=CrossInvoking.addSongsToTask¶meter=1394444


うまくリンクしているかどうかは微妙だけど。。。


※オリジナルは2005年9月に書いたものです。今回若干加筆しました。

Secret base〜君がくれたもの〜

2001_09_Secret base_ZONE








今日の1曲セレクトは、「Secret base〜君がくれたもの〜」ZONEです。

まずはデータから

・タイトル     Secret base〜君がくれたもの〜
・アーティスト   ZONE
・作詞       町田紀彦
・作曲       町田紀彦
・編曲       虎じろう
・リリース日    2001年8月8日
・発売元      ソニーレコード
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    74.4万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 1位
・ベストテンランクイン期間: 2001/9/13〜11/15
・タイアップ  TBS系ドラマ「キッズ・ウォー3〜ざけんなよ〜」主題歌

 今回は、わずか4年前、2001年にヒットした、ZONE「Secret base〜君がくれたもの〜」を紹介します。

 紹介します・・といっても、既にほとんどの方はご存知でしょうから、特段紹介する必要もないのかもしれないし、今回は敢えて、この曲を選びました。 

 ・・というのもちょっと、個人的・・に事情ありで、この時期に、この曲について書きたがったんですよね。
 
 文読めば、事情をつかめる方も、一部いらっしゃると思いますが、とりあえず、具体的な供述は避けさせてください。


 「初心に帰る」。 この曲を聴くと、いまではそういう気持ちになるなぁ。着メロ屋さんでの曲セレクトを本業にして4年。 ちょうど、この曲がリリースされるちょっと前に関わり始めたんですよね。
 いま思い返すと、あのころはなーんもなかったナ。個人的には、1年間、プー太郎してたから、お金が全然なかったし、 会社は会社で、サイト立ち上げたばかりで、「決まりごと」がなーにんもなかった。
 そのなかで仕事として始めた、曲のセレクト。兎に角、なーんも、決まってなかったんですよね。
 ただ、確実にサイトだけは、立ち上がってた。 で、一番、需要が多い新曲。 これがまた、抜けが多くてね。
 ショウガナイ。それまで、CD屋さんのバイヤー経験がある方がいれば、よかったんだろうけど、そういう方もいなかったからなぁ。

 「これは、コマッタゾ・・・」ということで、自主的にはじめた、リリース情報リスト作り。これは、今でも続けてるんだけど、それよりちょっと前に、自分のサイトの以前からの常連さんに いいリリース情報サイトは教えてもらってたんで、非常に重宝したな。

 それまで、曲のセレクトなんて、仕事でやったことなんてなかったけど、一応こっちも、20年以上、ヒット曲は見続けてるから。。。リリースリストから、売れる売れないの判断するのは、そんじょそこらのCDバイヤー経験者よりはあるつもりだったんだよね。
  兎に角、オリコン「30位に入る(と思われる)曲」は絶対にセレクト時点で外さないってことを一番の指標にはじめたんだ。
なにより、自分の判断に委ねてもらえたのが、一番助かったなぁ。
 まあ、多分、第三者が間に入ってても、↑みたいな妙な自信かあったから、勝手にやらせてもらってただろうど・・・・。

 そんな感じで始めた、曲のセレクトという仕事・・・。そんな中、はじめて「はずした」曲がこの、「Secret base」だったんだよ。
 要は数ある、有力なリリース新曲からのセレクトもれ・・・。

 いや、たしかに、各リリース情報サイトにこの曲が紹介されてた記憶はある。 だけど、正直、ここまで売れるとは全く予想ができなかった・・・。それ以前に、ZONEってだれ? ・・・その時点では、そういう状態だったんですよ。

 そういう意味で、個人的には、めっちゃ、印象深い1曲になったんだよね。兎に角、ベストテン入りの曲をはずしたのがショックだったなぁ、自分を過信していたところもあるかもしれない。
あれ以来、リリース情報で、兎に角きになる曲は「徹底的に調べる」ってクセが付いた気がするな。それがその後の仕事に役立ったんだけどね。

 だからさ、ちょっと行き詰ったら、この曲に戻るようにしてるんですよ。「初心に帰る」っつう意味で。。。


 実際聴いてみると、これが良かったんだよね。 
たしかに、「キッズウォー」っつう、今となっては、強力なタイアップが付いてたこともあった。
 けど、タイアップなしでも、この曲は売れただろうな。そんな感じがするな。
 ZONEということから、ターゲットは、当時の中高生だったんだろうけど、詞の内容は、多くのオトナでも持っているだろう、「普遍的」な内容だもんね。
 この曲ヒットしてたころ、同じ内容で、自分のサイトの「板」にも書いた記憶があるけど、似たような経験って自分もしたことがあるんだよね。福島から千葉に転校してくるときの経験。当時中学1年生。1982年・・だから、この曲の20年前だけどね。なにせ、田舎の学校だったからねー、みんな、ものごごろ付くか付かないかの頃から知ってる奴らばっかりだったし・・。だから、他の友だちと離れるのが淋しかったな。
 
 ♪10年後の8月、また出会えることを信じて〜♪ 

 全く、同じ内容ではないけど、似たような約束をした記憶がある。

 でもさ、こういう経験したことあるヒトって、どの世代でもかなりいるんじゃないかな。
 だから、この曲は普遍なんだよね。この曲、セールスはZONE最高の75万枚近くあったけど、これは、同世代からだけの支持だけではないよね。広い世代からの支持があってからこそだとおもうよ。

 曲ってさ、だから、特別な技術は要らないんだよね。この曲聴いてると、そんな気にもなってくるな。普遍的であれば、特に何にこだわるってことは必要じゃないんじゃないかなぁ。
 もちろん、全部が全部こうなっても、飽きちゃうけどね。

 だけど、この曲といい、去年のオレンジレンジの「花」といい、広い世代に支持されるような「普遍的」内容の作品作るの、ソニーは上手だよね。 いや、いまでは、このテの曲はソニーしか出来ないんじゃないかな・・って感じもするなぁ。 だからこそ、今一番、強いディストリビューションなんじゃないか・・とも思えるけどね。


 そんな感じで、「プロ」として選曲屋をするようになった所ももうすぐ消滅しちゃう・・・。
 今は、別の所にいるとしても、やっぱり淋しいもんです。
 とにかく、今の「俺」が出来上がったところだから・・・。

 いろんな意味で、この曲には教わるところが大きかったな。
個人的に人生のターニングポイントとなった曲といってもいいかもしれないです。
 
 明日は、別の曲で、この続きを書かせてください。





※2005年9月に書いたものの再掲載です。


ジェニーはご機嫌ななめ / シューシーフルーツ

1980_09_ジェニーはご機嫌ななめ_ジューシーフルーツ







今日の1曲セレクトは、「ジェニーはご機嫌ななめ」(ジューシーフルーツ)です。

まずはデータでーす。

・タイトル    ジェニーはご機嫌ななめ
・アーティスト  ジューシー・フルーツ
・作詞      沖山優司
・作曲      近田春夫
・編曲      ジューシー・フルーツ
・リリース日   1980年6月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   36.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1980年9月29日〜11月10日付

 テクノポップ歌謡。80年代初頭YMOがもたらした、「テクノ」というジャンルを利用したポップス、歌謡曲がまずはじめに流行りだったのが、80年の今頃だよね。
 歌謡曲の世界では、実験好きな筒美京平氏が、榊原郁恵の「ロボット」でいち早く実験しているわけですけども、考えてみれば、細野晴臣氏や松本隆氏といった、ティンパン系とのつながりが深かった筒美氏だけに、テクノに関する情報っていうのは、かなり早い段階から伝わっていたんだろうねぇ。
 それとは、また、別個の路線で、テクノというものを押し出していったのが、近田氏のグループといえるかな。 
 まあ、近田氏と細野氏との関係もないことはないけれど、筒美氏よりはパイプは薄いよね。
 あ、それよか近田氏し筒美氏との関係が深いか・・・。 擬似師弟関係ってところもあるし・・。

で、ジューシーフルーツのメンバーは、もともと近田氏と同じグループに所属してたんだよね。で、まあ、流行に敏感な近田氏がテクノ方向に傾倒したため、テクノへの傾向を強めた・・と。

 で、もともとのグループを80年に散開して、あらたに「グループ」として結成したのが「ジューシーフルーツ」というわけです。 まあ、もともと、喧嘩別れの散開ではなかったので、プロデュースはそのまま、近田氏だったわけですね。

 だから、どうも、この曲って、ボーカルのイリヤの「素っ頓狂」な声だけクローズアップされて、安易に「いろもの」曲として扱われることがあるけど、これはこれはで、「テクノ」というジャンルを基盤としていたわけですね。まあ、もちろん、楽曲的には「ヒット狙い」の部分は多様にあったでしょうが・・・。


 最初に紹介したように、このころは「テクノ」といってもいろいろ亜流があっわけで、筒美氏を中心したグループは「テクノ歌謡」っていうグループ、これには、次の年のイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」なんかも入るかな。 それと「テクノポップ」って言うグループ。 これは、ちょうど同じ時期にヒットしてた岡崎友紀が「YUKU OKAZAKI」名義でリリースした「ドゥ ユー リメンバーミー」なんかが入るかな?
 この曲は、2001年にキタキマイがカバーしてヒットしたから、知ってるヒトも多いと思うんだけど、加藤和彦、安井かずみ 夫妻によりかかれた、優しくてわかりやすいテクノ系の一品ですわね。
 
まあ、人によっては、テクノ歌謡もテクノポップスも一つにまとめてらっしゃる方もいますが、ここでは敢えて別に分けてみます。

 で、もうひとつののブループが、ジューシーフルーツを中心とした、テクノロックなんじゃないかなぁ。
まあ、たしかに、テクノポップスに属させる傾向もありますが、この曲・・・というか、グループは、ポップスというよりも、ロックグループだよね。
 「ジェニーはご機嫌ななめ」・・・、うん、たしかに、全体的に無機的なメロディにモノフォリックシンセを絡ませて、テクノっぽい雰囲気をだしてるけど、間奏の柴矢氏の派手なギターソロは、完全にロックだよね。
 うん、人間身あふれる部分は、このソロの部分だけだけど、まあ、それがこの曲のミソね。

 そのほか、ボーカルのイリヤは、もともとガールズなどのバンドでバリバリのロックやってたし、ベースの沖山優司氏は、同じ頃「東京キケン野郎」なんていう、とってもファンキーなエレキサウンドを聴かせてくれたり・・。
 そうそう、この曲のポイントは、沖山氏のベースにもあるんじゃないかなと思うのね。 この曲のジッとしてないうにゃうにゃ動くベースラインが、個人的にはめっちゃ印象に残る。
 イントロは、メロディラインを刻んでるでしょ。それと、やっぱり、間奏での派手な動きだよね。これが、一番印象に残るんだよね。
 テクノらしく、「ドドドドド・・」と無機的なリズムを刻んでるの、Aメロの部分だけだし・・。
だから、トータル的にみると、バンドの根の部分は「テクノ」って言う感じではないんだけどね。
 まあ、最初にメジャーにしたYMOからして、根っこの部分はテクノではないんで、どっちもどっちですが・・。

 なんか、シンセが絡んでると、総称としてテクノに分類されてしまってた・・っていうキライもあるけどね。


 あ、ちなみに、ギターの柴矢俊彦氏は、後に南野陽子の「吐息でネット」とか、記憶に新しいところでは、2002年の「おさかな天国」のヒットで知られる、今では、作曲家に転向してます。




※2005年9月に書いたものの再掲載です。


原色したいね / C-C-B

1987_09_原色したいね_C-C-B







今日の1曲セレクトは、「原色したいね」C-C-Bです。

まずは、データから

・タイトル     原色したいね
・アーティスト   C-C-B
・作詞       松本隆
・作曲       渡辺英樹
・編曲       C-C-B  大谷和夫
・リリース日    1987年9月23日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    9.3万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 7位
・ベストテンランクイン期間: 1987年10月5日〜10月19日付


 いやいや、今日は、東京は本当に気持ちのよい青空でしたわ。こういう、秋晴れの日は、気持ち良い曲が聴きたくなるよね。 ・・・ということで、C-C-B「原色したいね」を引っ張ってきてみました。

 最近、にわかにC-C-Bが再注目を集めているようですねぇ。折からの80年代ブーム(?)にのって、この当時のアーティストが再び注目を集めているって言うのは、当時をよく知る者(世代)にとっては、うれしいことですね。
 まあ、それとともに、それだけ年取ったって言うか、仕掛けるほうも同世代になったって言うことでしょうねぇ。

 でもさぁ、C-C-Bっていうと、「Romanticが止まらない」ばっかクローズアップされるでしょ。まるで、「一発屋」のごときにさぁ。 これはちょっと解せないな。C-C-Bってそのほかにも結構面白い曲持ってるんだよね。
 「Lucky Chanceをもう一度」、「空想Kiss」は、「毎度おさわがせ」Part2の主題歌。ちょっと、中華かがったメロディが面白かったね。「ないものねだりのI Want You」は、ラップ入りだったしね。今をときめく、オレンジレンジなどのミクスチャーの元祖だね。
 「Romantic〜」以降、作曲を担当した、筒美京平、作詞を担当した、松本隆 両氏ともかなり入れ込んでたもんなぁ

 で、今回の「原色したいね」は、筒美氏作品から一旦離れての作品。メンバーの渡辺英樹氏による作品なんだよね。
 でも、これがいいだよね。。はつらつとしているっていうか、のびのび伸しているって言うか。
 「ないものねだり〜」を最後に、メンバーの関口が抜け、4人になったわけだけど、その直後のシングル「2 Much I LoveU」はなんか、ギクシャク感いっぱいだったもんなぁ。
 一部、歌謡曲マニアの間では賞賛が高い、「2 Much I LoveU」だけど、ワシ的には、このギクシュク感がどうもね。。。
 そのギクシャク感が、この「原色したいね」では一掃されているっていうかね。単純に聴いてても気持ち良いんだよね。
 
 特に田口氏の自由に動き回るシンセ、キーボード。笠氏のドラムも多分、シングルの中じゃ一番重くて激しいんぢゃないか
なと思わせたし、それでいてノリは最高だったしね。兎に角、なにか吹っ切れた感じがありあり感じたな。

 たしかに自ら筒美'Sチルドレンといってたくらいのバンドだから、筒美氏に絶大な信頼を置いてたんだろうけど、ここらで、自らの手でという思いもあったんだろうね。(確かに関口氏が在籍中に1曲、関口作曲であったが・・)
 それに相応しい曲に仕上がったと思いますよ。もちろん、筒美’Sチルドレンといってるぐらいだから、ところどころ、「空想Kiss」を思わせる中華風のメロディが出て来たりするけど。
 
 ただ、これが、最後の「粘り」だったのかもしれないな。たしかに、この後「抱きしめたい」とか「恋文」などのベスト
テンヒットを出したものの、なんか勢いがなくなっちゃったもんね。
 個人的には、そんな印象を持ってるんだよね。 だから、この曲はC-C-Bにとって最後の「打ち上げ花火」だっんじゃないかなと思ってるんですよねぇ。

ちなみに、タイトル「原色したいね」だけど、個人的には、「黄緑色のパステル蛍光色」ってイメージなんだよな。この曲。そうそう、透明な容器に入ったバスクリンみたいな・・・。ベストテンかなんかで、そんな感じのセットで歌いませんでしたっけね・・・? それともワシな思い込みかな。

 それにしても、秋の青空の下で聴くと気持ち良いですよ。この曲。






※2005年9月に書いたものの再掲載です。

真夜中のギター / 千賀かほる 

1969_09_真夜中のギター_千賀かおる







今日の1曲セレクトは、「真夜中のギター」千賀かほる です。


まずはデータから

・タイトル     真夜中のギター
・アーティスト   千賀かほる
・作詞       吉岡治
・作曲       河村利夫
・編曲       クレジットなし
・リリース日    1969年8月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    44.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年10月20日〜1970年1月5日付

 今回は、思い切って、時代を遡ってみた。1969年8月リリース。丁度、ワシが生まれた頃の曲で、69年秋から冬にかけてヒットした曲ですね。
 当時のフォークブームを反映した、「歌謡」フォークの代表的な曲です。
 もちろん、リアルタイムで、この曲を聴いた、なんていう記憶は全くない。
 このオリジナルから11年後、1980年に高田みづえが、この曲のカバーを出したのね。それをたまたま、ラジオで聴いたんだよね。
 でも、ガキながらいい曲だと思ったナ。たしか、明星の付録のヤンソンにものっけられてたしね。
で、それから、しばらく忘れてたんだけど、1980年代後半〜1990年代前半は「ナツメロ」ブームだったわけで、そのときにもう一度めぐり合ったわけです。この曲に。そのときは、オリジナルの千賀かほるで。
 高田みづえとイメージが随分違ったのを覚えてるな。高田みづえバージョンは、もっとソフトだった記憶があるんだけど、オリジナルの方は、もっとはっきりしたボーカルなんですよね。千賀かほるさんのボーカルって。
 それに、コブシが結構聴いてるから、フォークというより、「歌謡曲」ってイメージが強いっていうのが、強烈な印象だったな。

 あ、この曲、当時はフォーク、それもフォークギターの入門曲として有名な曲だったんですよね。
Key=C。 もちろん、コードもC、G7、Dm、Amなど、ごく基本的なコードと、コード進行の入門曲としては最適な曲な訳です。
 
 やさしいのは、メロディ、コード進行だけではなく、詞もやさしい曲ですね。 いやこの場合は「優しい」といった方がいいかなぁ。
 
 今回このきょくを引っ張ってきたのは、この曲の詞が、今の自分の心境に似ているってところもあるからなんだよね。
 
 ♪街のどこかに さみしがりやが一人 今にも泣きそうに ギターを弾いている♪

 ♪愛をなくして 何かを求めて さまよう 似たもの同士なのね ♪

 なんかね、今の自分の心境をダイベンしてもらっているようでさ・・。
 本当は、仕事だったら、こういう部分って見せちゃ行けないと思うんだけど、ここは、あくまで個人としての日記なので、こんな心境な部分も見せちゃっていいのかな・・・と思ったわけです。今回、引っ張ってきた訳って、そういう心境が今の時分では大きな部分占めてるからってところが一番大きいですね。

 ダメだねー。夏も終わり、涼しくなってくると、ついつい、シンミリしてしまう私デス。


 ところで、この曲の作詞をされた吉岡治氏は、のちに演歌の作詞家とした、大成された方です。
都はるみの「大阪しぐれ」、大川栄策「さざんかの宿」などが有名ですね。
 このころは、コロムビア専属の若手作詞家で、このようなフォーク調の曲も書かれていたわけですね。
 
 さらに、作曲の河村利夫さんもおなじく、コロムビアの専属作曲家だったんですよね。
 まだ、このころは、レコード会社の専属制度が残っている時分で、こういうみょうちくりんなリリースの仕方しかできなかったわけです。
 
 演歌のイメージが強い、コロムビアなんで、フォーク調の曲を? なんですが、まあ、それだけ、時代はフォークだったわけですね。カレッジフォーク。 当時の大学生を中心となったムーブメントなわけです。
 そうしたカレッジフォークを核としたレコード会社の中心は、東芝EMIだったわけですが、1969年ごろにもなると、コロムビアも手をこまねいている訳にはいかなかったんでしょうねぇ。

 この辺の時代の流行や社会の流れって個人的には大好きなんですよね。高度成長社会と70年安保、なんか混沌としたグツグツと煮えたぎったエネルギーがあたっていうかね。
 ほんど、この時代の空気にじかに触れたかったって思うんだよね。 まあ、実際、じかに触れてるんだけどさ。まだ、「0歳」だったからなぁ。 あと10年早く生まれてたら・・って本気で思いますもんね。


 話を戻しますね。 この「専属制度」、今、音楽(ストリーミング含む)配信の思わぬネックなんだ。
 というのも、これ、各レコード会社が曲の権利を管理しているわけでね。ジャスラー(JASRAC)が「いい」といっても、レコード会社が「ダメ」ならダメなのよ。逆に言うと、これでけっこう、レコード会社、小銭稼いでるんだよね。 あくまで小銭だけどさ。
 でも、これのおかげで、音楽配信業者は、これらの曲を自由に使えないっていうジレンマがあるんだよね。
放送局にはほとんどないでしょ。専属曲だからっていちいち、レコード会社と許諾契約結ぶなんてこと。せいぜい放送倫理規定に触れる曲(いわいる放送禁止曲)が流せないくらいで・・。
 1970年の著作権法改正以前の曲が対象なんだどさ。(1970年の著作権法改正以降は専属制度は廃止)
 まあ、専属曲の多くは、今となっては、需要がほとんどゼロの曲が多いけど、なかには、この「真夜中のギター」のような名曲も多数含まれているわけです。
(そのほか、有名どころでは「六甲おろし」、「自動車ショー唄」などなど。ちなみに、今年はじめにドラマの「ごくせん」で有名になった、北島三郎の「兄弟仁義」もそうです。 それらの曲、JASRACはOKだけど、各所属レコード会社の専属曲なんで、レコード会社の許諾なしには配信できません) 
 これについては、mixiに他にコミュニティが立ってるから、ここでは言及しないけど、いまだに「放送業界」には優しいけど、「ネット業界」には厳しい「音楽業界」の権利関係なんだよねー。 


 えー、曲の年代が年代なんで、多分、コメントないだろうな・・と見越して、いろいろくどくどと、ヤバメのことも含めて書いちゃったかな?

 単なる日記だからして・・まあいいか。





※2005年9月に書いたものの再掲載です。

星屑のステージ / チェッカーズ

1984_09_星屑のステージ_チェッカーズ







今日の1曲セレクトは、「星屑のステージ」チェッカーズです。

まずは、いつものようにデータから

・タイトル     星屑のステージ
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1984年8月23日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数    60.4万枚
・THE HITCHART HOT30 最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月3日〜11月12日付
・タイアップ TBS系ドラマ「うちの子にかぎって」主題歌
 

昨日、別のトピックスも立てたけど、そろそろ、ネタ切れ? とか思ってたんだけどね、ちょっと視野をひろげようと思ったのね。
視野・・といっても、ランキング上の視野ね。 当初は、1位獲得曲はなるべく避けようと思ったの。
だってさ、1位獲得するくらいの曲なら、みんな知ってるよなぁ・・・という気もしてたしね。
 
 で、まあ、もう、そういう「しがらみ」は取っ払おうとおもってね。。。。1位取った曲でも、世代が違えば、知らない方もいるわけで・・。特に、mixiの場合は、自分のサイトと違って、ヒット曲ファンばかりぢゃないですから・・。
と考えれば、まだまだ、紹介してない曲があるなぁ・・と思ったわけですわ。 
 
 チェッカーズ。 1984年当時、超トップアーティストだったのに、未だに1曲も紹介してなかったよねぇ。
 昨日は、若干、マニアック気味だったから、今日は、超定番で行きますよ。

・・・ということで、引っ張ってこようと思ったんだけど、83年にデビュー以来、この時期、9月下旬にヒットしてた曲ってなかなかないんだよね。 チェッカーズって。
 ・・で、92年までの10年間で唯一、9月にヒットしてた曲・・・84年の「星屑のステージ」を引っ張ってきてみました。


 チェッカーズにとって、この曲は第4弾シングルなんだけど、1次的なイメージチェッンジ的な曲だったのかなぁ。
それまでの、アップテンポの軽めのロックから、一転、3連バラードへ。
 まあ、当時のチェッカーズの人気はすごかったからねぇ〜。どんな曲を持ってきても、ある程度のセールスはあったでしょうけどね。 そういう時には、どんどん冒険すべきだよね。
 「夏の終わり」というリリース時期からしても、このの3連バラードはピッタリというところもありましたし、まあ、いつかは、このテのバラードは出して来てたんだろうけど、だから、最初にイメージチェンジとも書いたけど、必然的な流れだったのかもな。
 そう考えると、タイミングはよかったんじゃないかな。

 曲も3連バラードといっても、クセのない、ストレートなバラードだったし、そのクセ、インパクト、掴み、しっかり持ってましたもんね。
 イントロなし、いきなり サビの♪胸にほほをうずめ〜♪だもんね。ノッケから思ってきり掴みですよ。
ターゲットの10代の女の子はたまりませんぜ。これは。

 チェッカーズは、ビートルズ的な売り方をして、日本では一番売れたバンドなんじゃないかな。
ビートルズ的な売り方っていうのは、要は、はじめは「アイドル」的な売り方をして、ティーンの心を掴む。
・・で、ころあいを見て、自分たちのスタイルで売っていくっていう形ですよね。
 もちろん、ビートルズは、ほとんどは自分たちで曲をつくった。チェッカーズは、当初の3年は、作家の曲を歌った・・・という違いはあるけど。
 でも、当初は、ティーン狙いのアイドルバンドだったっていう点では同じですよね。
曲も、どの曲もポイントを抑えた、覚えやすくて、なじみやすい曲ばっかりだったもんね。今考えると。
 初見で覚えちゃうっていうかね、個人的には「消化しやすい」曲が多かったな、チェッカーズは。この曲もそうだったな。
 個人的には、多分、「歌謡選抜」でリリースの1ヶ月くらい前に聴いたんだと思う。 それからは、かなり聴いてたもんなぁ。あのころは、他の曲もそうだったけど、リリース前にすべて覚えちゃってて、リリースの時には食傷気味になってたんだよね。この曲もそうだった気がするな。
 まあ、それだけ、覚えやすかったし、よくラジオでかかってたってのもあるけどね。

 それと、この曲、チェッカーズとしては、初めてのドラマタイアップだったよね。TBS系 金曜20時〜の「うちの子にかぎって」の主題歌。 田村正和がはじめて、「大人向け」のドラマから脱皮した(?)ってことで、話題になったドラマですよ。
 不っ快なドラマだったァ 。個人的に。 
田村正和、小学校の先生役だったけど、ガキがクソ生意気でさ。これほど、不快なドラマはないなと思ってたもんね。
 ・・といいつつ、ついつい見ちゃったりしてね。
金曜20時〜ということで、流れ的には金八先生なんだけど、この頃になると、コメディタッチになんだよね。プロデューサーも違うしさ。
 だけど、クソ生意気なガキと思ってみてた子役たち、考えてみれば、ワシと、5歳も違わなかったんだけどね。
 1世代も違わないのに、ワシたちの頃とは随分違うなぁと、若干カルチャーショックだったな。

 まあ、良いも悪いも、田村正和は、この後TBSのこの手のドラマにいろいろ、引っ張り出されてましたよね。一番は「パパはニュースキャスター」だと思うけど、これについては、あと5ヵ月後に・・(^^;;;

 ドラマの主題歌初見参といえば、今度の10月からのドラマ、同じTBS系ドラマ「ブラザービート」の主題歌は、Def Techだってね。
 うん、これは当時のチェッカーズと同じ立ち位置に立ったってことだけど、初のシングル化ですかね。
果たして売れるかな。





※2005年9月に書いたものの再掲載です。
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