かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

コスモス街道 / 狩人

1977_09_コスモス街道_狩人


今回の1曲セレクトは、「コスモス街道」狩人です。

まずはデータです。

・タイトル     コスモス街道
・アーティスト   狩人
・作詞       竜真知子
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年8月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   42.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月12日〜11月28日付

結局、この3連休はどこへも出かけず、家でグダグダ過ごしちゃいましたね〜。
夏の疲れが出てきたのかなぁ、腰に痛みが出て来てね〜、ちょっと出かける気が起きなかったんだよな。 まあ、天気もピーカンって言う感じでもなかったしな。

 でも、今年は3連休って言うのが多く、さ来週、また3連休なんだよな。 うーむ、今度はどっか出かけたいですねぇ。

最近は家にいる時は、ロードマップとにらめっこなんだよな。 8月山形行った時もそうやってロードマップとにらめっこしててドライブに出かけちゃったし、今度は、国道254号を使って信州に行きたいな〜。

あーら、今回の1曲セレクトで引っ張ってきた曲の前振りですか〜 

そーです、前振りです〜 

狩人「コスモス街道」

最近は、水森かおりさんが、各地名をタイトルにもってくる「ご当地ソング」を毎年リリースしてますが、そんな水森さんに繋がるような、「元祖」ご当地ソング、アーティスト。 それが、狩人ですわなぁ。

デビュー曲の「あずさ2号」が甲州・松本。 それに続く、デビュー第2弾シングルが、今回の「コスモス街道」。

え? 「コスモス街道」って本当にあんの とか聞かれそうだけど、実際にあるんだよね。 長野県佐久市。

この曲の歌詞にもあるじゃん

♪ 右は越後に行く北の道 左は木曽まで続く中山道〜 ♪ ってさ。 これは、歌詞の中のフィクションではなく、実在してるんだよね。 長野県佐久市の国道254号線。ここ、実際に「コスモス街道」って名称がついてるんだよね。
実際に路の両脇にはコスモスが並んでいて、今頃(9月頃)が見ごろだそう。

「あずさ2号」同様、実在する場所、名称がタイトルについてるだけに、曲にリアリティを感じるんだよな、このヒトたちの、特にこの最初の2曲はさ。

ただ、個人的には、コスモス街道って、国道18号の事だと思ってたんだよ、長い事。

曲出だしに ♪ 日よけを下した白いレストラン 〜 秋の避暑地 ♪ ってあるじゃん。 どう考えてもこれって軽井沢の事だよな。 国道254号は軽井沢通ってねぇぞ・・・とか思っちゃったりしてさ 

それ以前に、この曲、今から41年前の1977年(昭和52年)の曲なんだけどさ、果たして41年前の国道254号って、まだ道悪かっちゃんじゃねぇかな・・とかさ。

今でこそ、片側1車線の「舗装道」で路面もいいけど、41年前の「幹線国道」ではない、特に地方の「一般国道」なんて、そりゃ酷いもんだったんよ。離合困難なほど狭かったり、舗装されてなかったり・・・。

41年前の国道254号はどうだったんだろう? さすがに当時の実際の道路状況を知る由もないけど、ネットを検索してみると、コスモス街道と言われている地区の手前、群馬長野県境の旧国道254号、内山峠は、狭くヘアピンカーブ連続の「酷道」だったようだ。

・・とすれば、そんな所をわざわざ、曲のタイトルに持ってくるかなぁ・・・なんてさ。  

でも国道18号は幹線国道だけに、当時もそれなりに整備されていたはず。 それならこの曲のイメージに合ってたんじゃないかなぁ
もっとも、現在の軽井沢バイパスはまだなく、旧碓氷峠越えの片側1車線道だったはずだけど・・・。

・・・・なんてさ、どーも、穿った見方をしちゃうところは、ワタシの悪癖ですわな〜。


ちなみに、狩人って、長野県が好きで、デビュー曲の「あずさ2号」、この「コスモス街道」もそうだけど、80年には「白馬山麓」なんてシングルも出してたりする。
でも、本人たちは長野出身・・と言う訳ではなく愛知県出身だったりするんだよね。 




この曲、都倉俊一氏の作・編曲なんだよね。
それにしては、かなり「和」が入った作風だよなぁ。 はじめは、おおよそ都倉氏の作品とは思えなかったんだよね。 平尾昌晃氏? っても思える様な作風だったし。

 都倉氏の作品って、もっとバタ臭い、洋楽的な作品が多かったからさ。 この曲が77年の8月25日リリースで。その10日後に、ピンク・レディの「ウォンテッド」がリリースされている。

うん、この「ウォンテッドこそが都倉氏らしい作品だと思えるしさ。 プラス、どこかに似たようなフレーズが隠れいたんだよ、都倉氏の作品って。 これで、「あ、これ、都倉氏」って分かるんだけど、この曲は、都倉氏らしいフレーズが出てこないんだよなぁ。 あ、「あずさ2号」もそう。

それは、メリハリって言う部分でもそう。 都倉氏の曲ってリズム体がはっきりしてる分、メロディラインは意外と平坦な曲が多い。 だからなんだろうけど、曲にメリハリが少ないんだよ。

でも、この曲は別。 mpっていう、優しい感じの出だしから始まって、サビに向かって追い込むようにグワッと盛り上がって行く。
カンツォーネ的な手法って言うかさ。 これは、デビュー曲の「あずさ2号」でもそうでしたね。 ただ、この曲は、「あずさ2号」よりも、スピード感があっただけにサビに向かっての追い込みは迫力がありましたね。

そう言う意味でも、狩人の曲って、通常の都倉氏の曲に比べると、かなり特殊な作り方だったんじゃないかなぁ。

で、こういうカンツォーネ型の盛り上がりは、1977年当時のヒット曲の一つの流行りだったんだろうね。 それがもっとも顕著だったのが、この曲と全く同時期に大ヒットしてた、松崎しげる氏の「愛のメモリー」だったしさ。 



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

歌舞伎町の女王 / 椎名林檎

1998_09_歌舞伎町の女王_椎名林檎


今回の1曲セレクトは、「歌舞伎町の女王」椎名林檎です。

まずはデータでする。

・タイトル     歌舞伎町の女王
・アーティスト   椎名林檎
・作詞       椎名林檎
・作曲       椎名林檎
・編曲       亀田誠治
・リリース日    1998年9月9日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 50位
・売上げ枚数   5.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 43位

 天邪鬼なワタシは、基本、ヒトが「いい」って勧めてくれた曲やアーティストも、ワタシの中で納得しないと聴かないヒトなんだよね。
 一人っ子気質って言いましょうかねぇ、自分の考えが絶対・・って言うところがあるのよ。うん、これは否定しない。 

でもさ、「これいい」って勧めてもらって、大分放っておいた曲でも、ある日聴き直してみると、思わず嵌まっちゃう曲もあるんだよな。

今回はそんな1曲を持って来ましょうかね。

椎名林檎「歌舞伎町の女王」。


この曲は、1998年の9月・・・っていうから、丁度、今から20年前だわな・・・にリリースされた1曲。

ここでは、今までも書いてきた事だけど、丸40年ヒット曲を聴き続けてきたワタシだけど、その中でも一番ヒット曲から距離を置いていた時期ですね、1998年の9月って言ったら。

自分に合ったヒット曲が無い。 

そそそ、聴いてて刺さるような曲だよね。 それを感じられなくなってたんですよ、この当時。 だから・・というわけか、自然とヒット曲から距離を置くようになってたんだよな。

ただ、そんな状況下でも相変わらずオリコンだけは買い続けてたんだけどさ。というか、気持ち的にやめられなかったというか。。。

そんな20年前。 この曲、それなりに話題になってた・・・ような気はするんだよ。 なんせ能動的には聴いてなかったん頃なんで、記憶があいまいなんだけど、でも、ラジオでは、それなりに流れてたような気がする。

でも、けったいな曲だな・・・ぐらいしか当時は引っかかんなかったんだよね。

それから、数年後・・・。

ひょんなことから、mixiで知り合った一回り「下」の人たちとバンドを組むことになってさ。 
ワタシ、一応、中学高校の頃、「独学」でドラムやってたりしたんで、ドラムやることになってさ。 

10数年ぶりにドラムの前に座ったんだけど、叩けなくてねぇ。 頭では分かってんだけど体がついてかない。
手首のスナップが効かない。 おまけに次の日は全く体が言う事を効かないほどの筋肉痛。 って具合にさんざんな目にあってねぇ。。。

こりゃ、アカン・・・と、バンドは早々に辞退。。。

そんな時に、初めてスタジオ借りて練習した曲の中の1曲が、この「歌舞伎町の女王」だったんだよな。

この曲、リズム体的には、そんなに難しくないんだよ実際的に。基本の8ビートさえ叩けりゃ・・って感じだし。
なんせ、CDのトラックでは林檎嬢、直直に叩いてんでしょ。森高千里のドラムのような感じで(森高より上手い気がするけど)・・・。 だから、めちゃくちゃ高度な「技」は含まれてないんけどね。

それでも叩けなかったんだからさあ・・・ 。屈辱的だったねぇ。。。。。

でも、そんな事が、改めてこの曲をきちんと聴くようになったキッカケだったりするんだよ。

もろ60年代ガレージ歌謡ロックだよな、この曲は。
もろG.S。いや、「グループ」ではないから、一人G.Sってところか。

だから本来であれば、拒否反応はしない筈なんですよね。 

60年代ガレージ歌謡は、この当時既にG.Sとしてワタシの中にはあったし、 そもそも60年代ガレージロック、いや、サイケ的な音って嫌いじゃ無かったからさ。

たしかに、「歌舞伎町」っていう、夜の匂いと裏世界匂いがプンプンなところ、そんな世界を当時20歳そこそこの女子が、もろ「アバズレ女」風に歌うってところは、引っかかったんだけどさ。
それでも、リリース当時は、この曲には嵌まらなかった。


1998年当時、個人的に引っかかる曲が無い・・って思ったのは、この曲もそうだけど、ヒット曲全体に、なんかヤバい匂いを感じ始めてたんだよ。
裏世界の匂いって言うかなぁ。 実態が無いんでなんとも言い表せないんだけども、ドロドロとした闇世界の匂いっていうのかなぁ。

90年代前半、ワタシらがヒット曲ユーザーの中心に居た頃も、そういう闇世界って言うのはあったんだろうけど、表面上はドロドロとしたものは無かった。無論、「バブル」と言う中でみんな浮かれてたこともあり、そんな闇は見えなかっただけかもしれないけど。

90年代後半、そんな闇世界な部分をヒット曲から感じるようになった。 その象徴的な感じの曲なんだよ、この「歌舞伎町の女王」って曲は。 


でもさ、後年、きちんとこの曲を聴くようになって、「いや、待てよ」・・・って思ったんだよな。

何曲か前にも書いたような気がするんだけど、ワタシのヒット曲との接点の始まりって、いわいるゲ―ノー界の「華やかな世界」に感化された訳ではなく、夜に向かった世界だったはずなんだよ。 酒の匂いとタバコの煙が渦巻いた世界。 真っ黒な闇世界ではないけど、そんな世界に近いような。 それが物心つくか、つかないか・・っていうあの頃に聴いたムード歌謡。それがワタシの中のヒット曲の原点であり、接点だったはずだ。

うん、この「歌舞伎町の女王」に近い世界だったはずだ。 そんな風に感じるようになったんだよな。

違うのは、田舎の場末のスナックと、歌舞伎町っていう日本一の歓楽街っていう場所の違いか。

いや、この違いがワタシにはとてつもなく大きなモノに感じたんだよな。より闇が深いっていうかさ。



この曲に限った事ではないけど、椎名林檎嬢の曲ってどの曲も、絵が浮かぶんだよな。

この曲も出だしの

♪ 蝉の声を聴くたびに 目に浮かぶく九十九里浜 皺皺の祖母の〜 ♪ っところは、九十九里浜の後背の田園風景。(九十九里浜って田舎っていうイメージなんだろうね〜。 実際、田舎だけど・・・)

続く

♪ 一人訪れた歓楽街〜 ♪ で、スパッと画面が変わって、セピアがかった「歌舞伎町」の風景。ジメジメとした床と、打ちっぱなしで色あせたコンクリートのビル。

ワタシ的には、そんなイメージなんだよな。 そそそセピア色なんだよ。 それも、今の歌舞伎町ではなく、60年代の歌舞伎町。 いまよりも、もっと危ない雰囲気だった頃の。

↑の実際のMVとは、全く違うイメージがワタシの中ではあるんだけども、その方が良いだよな。

MVって、今では必須なものだけど、曲のイメージが固定化されてしまうところがある。

本来、音楽って、ヒトそれぞれ違ったイメージを感じると思うんだよね。 その点、この曲は、ワタシが感じたイメージと、実際のMVは全く違うんでさ。その分、個人的にイメージが崩されなれなくって助かるんだよね。



よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美

1982_09_ゆれて湘南_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ゆ・れ・て湘南」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    ゆ・れ・て湘南
・アーティスト  石川秀美
・作詞      松本隆
・作曲      小田裕一郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

一昨日、小田裕一郎氏が逝去されましたね。 享年68歳。
全くの突然の逝去のニュースであったので、ちょっとビックリしてしまったワタシなのですが。。
確かに、昨年刊行された「大村雅朗の軌跡」に掲載された小田氏の写真の風貌が、昔とは全く違っていた事には違和感を感じていましたが、まさかね・・・。こんなに若くしてお亡くなりになるとは。。。

それよりも、先週、石川秀美さんの「バイ・バイサマー」を書いたばっかりなのに・・って言う思いもあったし、ちょっと小田氏を卑下した書き方になっちゃったんで、申し訳なかったような思いが交錯した昨日今日だったり。

・・・ということは、やっぱり、今回の1曲セレクトは、小田裕一郎氏の曲で行きたい。。。

とは思ったものの、今頃のヒットで小田氏の曲って、ほとんど、既に書いちゃってたりするんだよな。

・・と、一度は諦めかけたものの、何気に1曲セレクトでの石川秀美さんのアーカイブを調べてみたら、なんと、この曲をまだ書いて無いではないか。。。。    

「ゆ・れ・て湘南」

ガーン

ワタシの中では82年の晩夏といったら、この曲・・・って言うぐらい、ワタシの中ではスタンダードなこの曲をまだ書いて無かったとは。。。。

これは完全に不覚だったな。

それに本来は連続して、同じアーティストの曲は書かないようにしてたんだけど、今回は小田氏の追悼ということもあり特別・・・と自分に言い聞かせて、引っ張って来ました。


先週の「バイ・バイサマー」でも書いたんだけども、この曲は、もろ82年の今頃"晩夏〜初秋" を象徴しているような曲なんだよね。

パッと聴き、この曲に、夏の太陽、青い空、青い海・・っちゅうもろ「夏の湘南」のイメージを持っている方はいないですよね。 
ポップではあるものの、マイナー調のこの曲は、どうしても、どん曇り、あるいは小雨交じりの〜 っていう、うす暗い夏の午後を連想してしまう。

個人的には、小雨交じりの、鎌倉の七里ガ浜っていうイメージかなぁ。

というか、実際、この曲がヒットしていた82年の8月の終わりか、9月の初めごろに七里ガ浜に行ったんだよね。

当時、まだ福島から千葉に越して来たばかりで、友達も無くて、よく一人電車で放浪してたんですよ。 首都圏内ほとんどの鉄道路線はあのころほとんど制覇したんじゃないかってくらい放浪してたな。 
当時は「乗り鉄」だった事もあるんだけど、電車に乗って放浪してると、友達がいない寂しさを紛らされるっていうかさ。
で、ちょうど、この曲の頃、「江ノ電」で鎌倉から藤沢まで行ったんだよな。 その途中、七里ガ浜に寄ったんだったと思う。

どん曇りの小雨模様だったのを覚えてるわ。

そんな時、脳裏で鳴っていた曲が「ゆ・れ・て湘南」だったんだよね。 

それからというもののこの曲と言ったら、あの時の、海は鈍色、空は薄暗く、かつ肌寒かった、あのときの情景が浮かぶんだよなぁ。

ともかく、この曲から感じた情景と、あの時のリアルの情景がピッタリ一致したんだよな。

でもさ、この時がたまたま、小雨模様だった・・・って言う事でもないんだよね。 

ここでは、もう何回も書いてるけど、82年の夏って冷夏で天候不順な夏でさあ、雨の日が多かったんだよ。

まさにこの曲自体のイメージにぴったり嵌まった・・・と言うような。

そんなこともあって、ワタシの中では、82年の晩夏といったら、この曲って言うイメージが定着しちゃったんだと思う。

まあ、この曲だけじゃ無いけどね、中森明菜の「少女A」とか、サザンの「夏をあきらめて」とか、マイナー調の曲がしっくりきた夏だったんだよ。 だから、82年の夏といったら、全体的に「曇天の雲の下の〜」っていうイメージがいまでもこびりついちゃってたりするんだよね。



うんにゃ、この動画の画像のような「真夏の青い空の下〜」っていう、もろ湘南の夏のイメージぢゃないんだけどなぁ、この曲は。

ただ、いわいる「湘南ソング」って昔から、いっぱいあるけど、大体いつも、夏の太陽、青い海〜・・・っていうイメージだよね。 往年の若大将、加山雄三氏にしても、もちろんサザンにしてもチューブにしても、みんなそうじゃん。

曇天、小雨交じりの湘南・・・なんて曲は、この曲と、↑で書いたサザンの「夏をあきらめて」ぐらいじゃないのかなぁ。 調べればもっと出てくるかもしれないけど、パッとなかなか思い出せない。
湘南ソングからすると、かなり稀有な曲かもしれないな。
まあ両方とも82年の曲ということで、それだけあの年の天候不順さが分かるんじゃないかなぁ。


どうでもいいことだけど、この曲のタイトル「ゆ・れ・て湘南」・・って「ゆれて」の間に「・」が入るんだね〜。 あれから36年。いま頃気が付きましたわ〜



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

ねぇ!気がついてよ / 桜田淳子

1976_09_ねぇ!気がついてよ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「ねぇ!気がついてよ 」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     ねぇ!気がついてよ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       大野克夫
・リリース日    1976年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   28.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月6日〜10月25日付


久々に3日連荘の1曲セレクトです。
こんな書き方すると、なんか偶然に3日連続で書いてるような感じもするけど、結構、計画的だったりしてね。
そそそ、ちょっと前から、今回の3連休は3日連続で書こうか・・・なんて思ってたんだよね。
ま、最近、書く曲数も少なくなってきてるからなぁ。 休みの日くらいは書きたいしね。

ただ、昨日の石川秀美さん、その前の安室奈美恵さんは、この日にこの曲を書こうとは考えてなかったんだけどね。その日その日の雰囲気ですね。 まあ何でも「計画的」に・・・っていうのはニガテなんでね、子供の頃から。

よく、夏休みの宿題は、夏休み最終日にやる・・・っていうヒトいるじゃん。 あれ典型的だったからさ、ワタシ。
毎日日記をつける事・・っていう宿題なんて、8月20日にまとめて1ヶ月分書いてたもん。 
そそそ、小学校まで福島のいわきだったんだけども、夏休みは8月20日までだったんだよな当時は。関東よりも10日ほど短かったんだよ。

小学校4年の時なんて、もう絶対に終わんない・・・って、最後は開き直って宿題やんなかったりしてさ。
今日1日苦しむより、明日、学校で怒られて廊下に立たされた方が良いや・・・とか。 
変な性格なのよ。

兎に角、行き当たりばったりな性格なんだわ。 計画的にやんなくても人生なんとかなるさ〜な精神っちゅうの 
「アリとキリギリス」だったら、完璧な「キリギリス」な性格ってやつでさ。

これは未だに変わらない。 仕事でも計画的に進めるのが超苦手。 サラリーマンにゃ向いて無い性格ですね。


あー、話が脱線した〜。

でね、今回の桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」だけは、前々から書こうと思ってたんだよね。

この曲は、今から42年前、1976年のちょうど、今頃のヒット曲ですわ。

42年前  ワタシゃ7才、小学1年生。 

当然、リアルタイムでは聴いて無い。 っちゅうか、ヒット曲の世界に足を踏み入れてない頃だな。

でも意外な事に洋楽は聴いてたんだよなぁ、この頃。 ここでは何回も書いてるように、ポールモーリアに傾倒してたマセガキだったからさぁ。
オヤジの車のカーステがまだ「8トラック」の頃ですね。ポールモーリアの「グレイテストヒッツ」と、この当時の洋楽ヒットのテープがいつも積んであってさ。 当時、オヤジが仕事終わりに車で行きつけの喫茶店へ毎日のように通ってんだけど、いつも「やべ(行こう)」って連れてかれては、8トラテープを聴いてたからさあ。

この当時、ワタシが邦楽ヒットを聴いて無かったのも、オヤジの影響なんだろうな。兎に角、歌謡曲がキライなヒトだったからさ。テレビもウタ番組になると、チャンネル変えちゃうような。

ぢゃ、そんな頃のこの曲をなんで知ってるの?

まあ、自分がヒット曲にのめりこんだ後付っちゃ、後付なんだけどもね。 結構意外なところから知ったんだよな。

マイナーチューニング・バンドの「ソウルこれっきりですか」

これ知ってるヒトいる? ってか、40万枚以上の大ヒットになったから、当時のヒット曲を聴いてた方なら大抵覚えてますよね。

↓ これ

  
これ1976年のヒット曲をメドレーでつないだだけの曲なんだよね。 もちろん歌ってるのはそれぞれのオリジナルじゃないんだけどさ。
この中に、桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」も含まれているんだよね。
じつは、これで知ったんだよな。大学生の頃だったと思うけど。

「ねぇ!気がついてよ」って言うタイトルは、それ以前からオリコンの「チャートブック」で知ってたし、その前に自分で当時のランキングも作ってたから、桜田淳子さんの曲って事も知ってた。

でも、実際にメロディラインを聴いてみると、「ソウルこれっきりですか」で使われてるサビのメロディが、めっちゃキャッチーだったんでさ、全部聴いてみたい・・・っちゅうことで、音源を手に入れたんだよ。

たださ、実際にオリジナルの桜田淳子さんを聴いてみると、ちょっと印象が違ったんだよなぁ。

確かに、サビの部分は、初聴でも思わず刺さっちゃうようなキャッチーなんだけどさ。 続く、Aメロ、Bメロは、今一つ退屈なんだよなぁ。

そそそ、この曲は、メロディの始まりがいきなりサビっていう、いわいる「前サビ」なメロディ構成なんだよ。

だから、イントロににつづいて、ついつい食いついちゃったりするんだけど、その後が続かない・・っていうかさ、キャッチーのサビと、そのあとのAメロ、Bメロが上手く結び付かないんだよな。 

とりあえず、AメロとBメロをつけました・・・っていう感じもしたりしてさ。

あれ? これって、いつかも全く同じ事を書いた事があるな・・・。

そうそう、斉藤哲夫氏の「いまのキミはピカピカに光って」だわ。 あの曲も、例のCMで使われているサビがまずあって、その後にBメロが続くんだけど、CM部分のサビは超キャッチーだけど、Bメロになると途端にツマンなくなるんだよね。

結局は、CMありきの曲で、その後はむりくりつけ足したメロディって、あの時は書いたんだけども、それと同じような印象をこの曲でも感じたなぁ。

いや、この当時の曲って、意外とこういう感じの曲が多いような気がする。 サビはめっちゃキャッチーなんだけども、Aメロ、Bメロになるとツマン無くなっちゃうような曲。

この当時のヒット曲のフォーマットといっちゃえば、それまでなんだろうけど、その点が、80年代ポップスと大きな違いなんだよね、70年代ポップスの曲って。 なんて言うのかなぁ、1曲のうちの印象の落差があるっちゅうのかなぁ。

ちなみに、この曲、作詞 阿久悠氏 作曲 大野克夫氏 ・・・っちゅう、当時の沢田研二氏な面々なんだよね。




やっぱ、桜田淳子さんは、「メジャー」系の明るい曲に限りますわな。
陽の淳子と陰の百恵。 この曲の頃もそんな構図が浮き彫りになったんじゃないかなぁ。 
桜田淳子さんがこの曲を歌っているウラで、百恵さんは「横須賀ストーリー」でしたからねぇ。

ただ、メジャー系の曲は、裏返せば「コドモ」っぽくも聴こえる訳で、百恵さんが「菩薩」としてこの後、大スターの道を突き進むことになるわけだけど、淳子さんは頭打ち状態になっちゃいましたからね。
この曲ではオリコン2位まで行ったけど、これが最後のオリコン2位だったんだよね。 ここからは人気も下降線気味になって行く訳なんですわ。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

所有音源のハイレゾ化がなかなか進まないっす。。。

所有音源のハイレゾ化プロジェクトがなかなか進まないっす。

ようやっと、
.潺紂璽潺紂璽献奪編(1966年〜1992年)
▲▲ぅ疋詈(1971年〜1992年)
J-POP編vol.2(2013年〜2018年)...
が95%程完了。


まあ、は半ば「新曲」なんで、所有当初からCD音源をハイレゾ化しているんで問題ない・・として。

これから問題になってくるのが、これから対応する、J-POP編vol.1(1992年〜2012年) なんだよね。

J-POPの音源なんてよー、簡単に手に入るじゃん・・・と思われがちなんですが、意外と今となっては、ちょっと探さないと手に入らない曲もあるんだよ、これが。。

・・・というのも、個人的なコダワリとして、所有音源は基本シングルの「オリジナルバージョン」を集めているから。

意外とここの点がネック。

アルバムバージョンやリミックス、リテイクバージョンは簡単に集まっても、オリジナルのシングルバージョンって探さないと無い曲があるんだよね。

例えば、安室だって、去年リリースされたオールタイムベストは、「オリジナル」じゃないじゃん。 
・・・こんな感じの曲が意外と多いのよ。

まあ、リリー化当時のシングル盤が手に入れれば問題ないんだけど、最近CDもそれなりに「金」をかけないと手に入りずらくなってるからなぁ。特に90年代はリリースから20年経過しつつあるんでさ。


これらのを解決しつつ、手持ちの全音源が全てハイレゾ化されるのは、いつの事やら・・・。



ちなみに、ネット配信はダウンロードもサブスクリプションも、シングルオリジナルバージョン音源じゃない曲がかなり多い。
これがワタシ的には許せないところで、だから、ネット配信の音源からは収集せずに、未だに「参考」の域を超えられない根源でもあるんだよね。

バイ・バイ・サマー / 石川秀美

1983_09_バイバイサマー_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「バイ・バイ・サマー」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     バイ・バイ・サマー
・アーティスト  石川秀美
・作詞        竜真知子
・作曲        小田裕一郎
・編曲        入江ジュン
・リリース日       1983年9月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  11.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

昨日に引き続きいての1曲セレクトですが、どうもねぇ、昨日の安室さんの1曲のイメージが残っちゃってましてねぇ。今日は各ワイドショーも、ラジオ放送も昨日に増して「安室引退」の報道が多かったからなぁ。
うーむ、上手く気持ちが変わらないなぁ。 こういう時に安室さん以外の曲を持ってくる来るのも、本音を言えばキツイんだけどね。
でも、そうも言ってらんないんで、今回は安室さんじゃないヒトの曲を引っ張って来ますよ。

今日は、事前の天気予報では、気温が上がるって事だったんだけど、昨日同様、秋めいた1日でしたわ。おまけに秋雨もシトシトと・・・。

これは、本格的に「夏」ともオサラバ・・・ってことでいいでしょうかねぇ。
・・となると、ようやっと「夏の終わりの・・・」って曲を持ってきたくなるもんですわ。

・・ということで、今回はダイレクトに「夏の終わり」を歌ったこの曲を・・・


石川秀美「バイ・バイ・サマー」

うわっ、またマイナーな曲を・・って感じなんだけどさぁ、もうね、80年代の曲ってこの辺しか残ってないのよ。。

この曲は、今から35年前、1983年の今頃のヒット曲ですわ。 

ちょっと前にも稲垣潤一の「夏のクラクション」でも書いたけど、この年1983年はワタシャ14才、中学2年の時ですわ。

 うむ、「最も」ヒット曲を聴き漁っていた頃ですね。 まあ、兎に角、何でもかんでも聴いてたですわ。よく1日中ラジオの前に居られたもんだよなぁ・・・ってくらい、日曜は朝から夕方までラジオの前にかじりついて、明星の歌本「Young Song」を片手に、ベストテン番組の梯子。 日曜だけで3つのベストテン番組聴いてたもんなぁ、この頃は。

今思うと、よく、それだけの体力があったもんだよなぁ・・・なんて感心する。 今は、1つのラジオ番組も最後まで聴いてらんないもん。

ともかく、だからね、この頃吸収した曲が、今のワタシの血肉になっている事は間違いない訳で、それだけ刺さった曲も多かったんだよな。

ただ、そう言う曲って、もうすでに大半は1曲セレクトで書いちゃったわけで、それでも、まだ残っていたってことは・・・。

そうなんですねぇ、この曲、当時、あんまり刺らなかったんだよね。

まずもって、1983年当時からして、ちょっと古臭よなぁ・・っていう印象が強かったんだよな。 

いつかも書いたかもしれないけど、この当時って、ヒット曲も、まだまだ発展途上のところがあって、新しい試みの新曲も次々とリリースされていた。

だからね、新曲がリリースされるたび、新鮮な気分になれたし、なにより、年ごとにカラーがあったんだよね、ヒット曲の。 ヒット曲の色合いって言うのかなぁ。 だから、今も曲を聴けばどのあたりにヒットしたのかっていうのも大体分かるしね。

個人的には、例えば、1982年の夏は「どんよりとした曇り空」、 1983年の夏は、「夏のクラクション」の時も書いたけど、「夏の午後の透明な光」のイメージがある。

大体こんなイメージに沿った曲が多かったって事ですね。

それじゃ、この「バイ・バイ・サマー」はどうだったのか・・・っちゅうと、まあ、タイトルからも想像できるように「夏の午後の透明な光」の・・って言うイメージは到底ない。

どちらかと言うと、前年82年の「曇天の下の・・・」って言うイメージなんだよね。

そんなところから、どうしても「古臭い」イメージが、まず初めてに出て来てしまう。  そそそ前年の秀美さんのシングル、「ゆれて湘南」。 あの延長線のイメージなんだよ。

だからさ、仮にこの曲が、前年の82年にリリースされていたら、もっと刺さったのかもしれない。 

明星歌本の「新曲激評」で近田春夫氏も、「2年前の・・・って言うイメージ」って書いてたりするしさ。


結局さ、作詞の竜真知子女史も、作曲の小田裕一郎氏も、ヒットメーカーとしての旬は過ぎていたのかもなぁ・・・。

80年代でも、82年と83年の間にはヒット曲の傾向に大きく変化が見られたんだよね。 これもちょっと前に書いた事だけど、82年って、まだ70年代の「残像」のような曲が多かったんだよ。

ま、82年の「70年代」のヒット曲のカバー、リメイクブームを見れば顕著なんだけど。 でもね83年には、そういう70年代のくびきは一掃され、本当の意味での80年代的なヒットが始まったって言えるんだよね。

これも時代の流れな訳なんだけども、そんな80年代的な新たな流れにうまく乗れなかった作家の方々も多かった訳ですわ。それが、竜真知子さんであり、小田裕一郎さんだったって事なんだろうね。

まあ、小田裕一郎さんは、この「バイ・バイ・サマー」と同時期に、杏里の「キャッツ・アイ」を大ヒットさせていたわけがら、必ずしもそうも言いきれなかったのかもしれないけど、でも、ヒットメーカーとしては、このころが最後の頃でしたしね。




うーん、聴きようによっては、85年の・・・っていうイメージも感じられたりしてね。
でもね、↑で書いたようなヒット曲のカラーは、85年の夏と、82年の夏って似たようなイメージがあるんだよなねワタシの中では。
どちらの年も「曇天の下の〜」っていう、少し薄暗い、秋の始まりのような肌寒いイメージ。

うん、82年も、85年もどちらの年も夏は冷夏で長雨が続いた年ですわ。実際の天候がヒット曲のカラーも決める。
でもね、酷暑の年は蒸し暑い曲がヒットするし、寒い年は寒々しい曲がヒットする。そう言った実際の天候とヒット曲の傾向ってリンクしてるんだよね。 



よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

SWEET 19 BLUES / 安室奈美恵

1996_09_SWEET 19 BLUES_安室奈美恵



今回の1曲セレクトは、「SWEET 19 BLUES 」安室奈美恵です。

まずはデータです。

・タイトル     SWEET 19 BLUES
・アーティスト   安室奈美恵
・作詞       小室哲哉
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1996年8月21日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  45.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1996年9月2日〜10月14日付
・タイアップ:映画「That's カンニング!史上最大の作戦?」エンディングテーマ

安室奈美恵さん引退前日の夜に何を思う。。。

うわっ、キザ! なんて、書いてる自分でも痒くなる詩人的な書きだしにしてしまいましたが・・・。
ついに明日で引退ですね。 今頃は引退ライブも最後の佳境に入ってるくらい いや、このトピックスをネットにアップするくらいには終了している頃かもしれない。

平成時代最大のディーバが、平成最後の晩夏に引退する。 
激動の平成って言う時代もこれで終わるんだな・・・っていうの感情はいやがおうにもこみ上げてきちゃいますね。

これだけのディーパの引退・・・振り返ってみると、暫くは無かったような気がする。 
美空ひばりさんの逝去という大きな時代の変化から始まった、平成のゲ―ノー史ではあるけど、その間、超大物と呼ばれる歌姫が、まだ余力を残しての引退っていうのは無かったんだよね。

考えてみれば、あの山口百恵さん以来かもしれないな。 松田聖子さんが結婚を機に一度、活動休止とはなった。 あのまま芸能界から完全引退していけば、それ以来と言う事になるだろうけど、すぐに復帰しちゃったしね。だから、山口百恵さん以来と言う事になるだろうね。

引退ライブと言う形で、完全引退・・というのも、山口百恵さんと同じになる。

ただ、あの時、百恵さん引退発言から、ラストコンサートまでの異様な盛り上がりを考えると、今回の安室さんは、ここまで思ったよりは意外にあっさりとこの日を迎えたな・・・という印象が強い。

たしかに今日になってNHKのニュースで取り上げられたり、ワイドショーでも話題になったり。 そうそう、ラストコンサートツアーのDVDの売り上げは、初日でミリオンセラーという前代未聞の記録を作ったというところはあった。

けど通常のヒットチャートでも、例えば旧譜の盛り上がりが思ったほどでもなかったし。。

その辺が百恵さんの時とは、ちょっと違うな・・・って言う印象。

いや、もっと言えば、あのキャンディーズが引退爆弾宣言から後楽園ラストコンサートに向かっての異様とも思えるほどの盛り上がりを間近に見て来ていた世代から見ると、案外にあっさりとこの日を迎えたな・・・っていう感覚になっちゃうんだよね。

この辺りは、やはり昭和って言う時代と、平成って言う時代性の違いが端的に表れて来ているんでしょうか。
熱烈のファンの周辺では、百恵さんやキャンディーズの引退時よりも盛り上がっているのかもしれない。けど、それ以外では、クールに受け止めてるって感じでしょうかね。

その証拠に、アムロ世代よりも1世代上のワタシの周辺の音楽好きの方々からは、安室の引退について言及しているヒトが誰も居ないし・・・。 昭和の時代ではちょっと考えられなかったですからねぇ、こういうことは。



でも、やっぱ、今日と言う日に安室の曲を引っ張ってこないのは、やっぱり「モグリ」だよな・・・って言う思いがありーの、安室の曲を引っ張って来ました。

「SWEET 19 BLUES」


この曲は、今から22年前、1996年のちょうど今頃ヒットのピークだった曲ですわ。

ワイドショーなんか見ると、この曲をBGMとして取り上げられていることも多いし、安室の初期の代表的な曲として扱われることも多い。

・・・だから、さぞかし売り上げも凄かったんだろうな・・・なんて思われがちなんだけど。。。

↑のデータをみて、なんかの間違いなんぢゃない なんて思われることも多いかもしれない。

・・・けど、間違いぢゃ無いのよ〜。 クレーム入れないでね。

この曲の前3曲のシングルは、いずれもミリオンだったし、、逆に後の2枚もミリオン、しかも1枚 「CAN YOU CELEBRATE?」はダブルミリオンだった訳でさ。

だから、この曲だけ、ポツンと売り上げが落ち込んでる訳ですわ。

まあ、普通に見れば、なんかの間違いちゃないか・・と思われるのも当然なんだけど、 この曲は、もともとこの年の7月にリリースされた 「アルバム」の「SWEET 19 BLUES」のリード曲であり、 シングルとしてはあくまで、このアルバムからのシングルカットと言う形でリリースされたんだよね。

・・というわけで、多くの方は、この「シングル」を購入する前にアルバムを購入されていた訳で、わざわざシングルを購入した方は少なかった・・・というわけで、この曲だけ売り上げが落ち込んでいる訳ですわ。

まあ、シングルカットの場合は、殆どのアーティストの殆どの曲では、こういう売り上げになるのは見えてる訳で、この曲だけの傾向と言う訳ではない。

逆に言えば、それでもオリコンで2位、売り上げが45万枚もあったと言う事の方が驚きではあるし、それは、当時のワタシもそう感じてたな。

ちなみにアルバムの「SWEET 19 BLUES」は、売り上げ枚数336万枚。 アホか・・って言うくらい売れましたよね。

 

最初にも書いたように平成最大のディーバと言ってもよい安室さんだけど、これまで「1曲セレクト」で取り上げた安室さんの曲は驚くほど少ない。
まあ、これは、安室さんの曲を書くときに常套句のように書いてる事だけど・・・。 いつも書いてるように、特に「TK化」された96年以降、個人的にヒット当時安室さんの曲を聴いて無かったからに他ならない。

・・・なんて書くとほとんど「非国民」的に映るかもしれない。特にワタシより1世代下の、「アムラー」な世代なヒトにとっては考えられない事かもしれない。

でも、そうだったんだよね。

どうもね、ワタシらの世代の音楽ではないように映ったんだよな。
95年まではさ、音楽のマーケットの中心だったからさ、ワタシらの世代は。 だからワタシらの世代が聴いてて気持ちいい曲が多かったんだよ。

でもさ、96年ともなると、ちょっと音楽マーケットの中心から外れたんだよね、ワタシらの世代は。 27才っていういまでいう「アラサー」な年齢になってきてたし。

そしたら急に、聴いてて「ちょっと違うな」・・・って聴いてて気持ちいいとは思えない曲が急に増えてきたんだよな。それがワタシのとっての1996年って言う年だった。 

この「SWEET 19 BLUES」って曲。 ぱっと聴き、特に新しい音楽じゃ無いんだよ。 もろR&Bじゃん。 しかも60年代の、もろブラックソウル的なサウンドですよね。和田アキ子さんが好きそうな。

だからね、音的にはワタシが聴いも抵抗は無い・・ようなところでもあるんだけど・・・。

でも、ダメだったんだよなぁ、当時。

邦楽というよりも、もろ洋楽的だったっていのうも、生理的にちょっと違ったのかもしれない。 やっぱさ、洋楽的にもどこか和テイストな香りがする方が安心する世代だからさ。

それよりも何よりも、当時「19才」だった彼女が、 ここまで歌えるんだぞ・・・って言う姿勢にちょっと末恐ろしいものを感じてた・・・っていうのが、本音だったかもしれないなぁ。



よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

モンテカルロで乾杯 / 庄野真代

1978_09_モンテカルロで乾杯_庄野真代


今回の1曲セレクトは、「モンテカルロで乾杯」庄野真代です。

まずはデータです。

・タイトル     モンテカルロで乾杯
・アーティスト   庄野真代
・作詞       ちあき哲也
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年8月28日〜9月25日付

昨日も「暑ーね」ってことで、森口さんの「恋はタヒチでアレアレア」なんて引っ張ってきたんだけども、あれは、自分の中では「前座」のつもりだったのね。
で、本来ひっぱって来たかった曲が、別にあって本当は昨日2曲書くつもりだったんだけども・・・。萎えた。

うーむ、最近はダメっすねぇ、1日2曲書くのかなりキツイですわ〜。 以前は湯水のごとく文章が浮かんできてたんだけども、最近は結構、考えながらじゃ無いと文章浮かんでこないんだよな。うん、昔は「右脳」でかいてたけど、今は「左脳」で書いてるようで。。。だからねぇ、疲れるのよね。 ワタシ、考える力が無いんで・・・。

ま、愚痴はこの辺にしといて、本来引っ張ってきたかった曲。

庄野真代「モンテカルロで乾杯」

そそそ、庄野さんのブレイク曲「飛んでイスタンブール」の次なんだけども、連続で大ヒットした曲ですわ。

タイミングが良かったんだよね。 ・・・というか「飛んでイスタンブール」がロングヒットだったんだけどもね。
「〜イスタンブール」は、リリースがこの年の4月1日だったわけだけども、 得てしてブレイクには時間がかかるってことで、ベストテン入りするまで3カ月かかってましたからねぇ。

ベストテン入りまで3カ月かかったってことは、この「モンテカルロで乾杯」がリリースされた頃に、「〜イスタンブール」がベストテン入りした訳なんですわ。

まあ、そんなヒットタイミングだったことで、「〜イスタンブール」のヒットが落ち着いてきた頃に、入れ替えでこの曲がベストテン入りしてきた・・・。

っつうことで、見た目には、まさに「連続ヒット」っていう形になった訳なんだよね。

ま、いずれにしても、庄野さんにとっては、78年の夏っていうのは「大当たり」だったわけだよね。


個人的にも、もちろん「〜イスタンブール」も、ヒット当時から知ってはいた。 けど、なぜか、この「モンテカルロで乾杯」の方が記憶が深いんだよな。

・・というか、長い事音源持って無かったんで、正直言うとずっと忘れてたんだよね、この曲。
でも、いつだったか、おそらくラジオで流れてるのを聴いて、めっちゃ、懐かしい気分になったのを覚えてるなぁ。

まあ、この曲がヒットしてた頃が、ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃の原点って言うこともあるかもしれない。

でも、それ以上に、記憶の奥深くに留まっていたものがあるような気がするんだよなぁ。

恐らくね、当時、この曲を聴いて、その曲調に刺さったんだろうなぁ。 

なんていうんだろうねぇ、なかなかコトバで表すのが難しいんだけど、筒美京平氏独特のバタ臭さっちのうかなぁ、筒美氏ならではのグルーヴ感、独特の温度感なんだよな。 夏場に聴くとかなり湿度が高いよな・・・っていうウェット感。 そうそうそう、常磐ハワイアンセンターの内部の、あの独特のジメッとした湿度感。 それなんだよ。

1曲前の「飛んでイスタンブール」との違いは、そこなんだろうなぁ。 うん、「〜イスタンブール」のアレンジは、船山基紀氏でしたからね。
 ここまでウェットじゃないんだよね。 カラッとしてる。 まあ、そこが地中海性気候の「イスタンブール」っていう地名にフィットしてるんだけどさ。

でも、この独特の湿度感が、意外と日本の夏場のフィットするんだよな。 サウンド的にはバタ臭いんだけども、日本の夏場特有のウェットな感覚もあるっちゅうかさ。

そそそ、同時期に同じような感覚になった曲が、もう1曲。 大橋純子さんの「たそがれマイラブ」。この曲も、筒美京平氏だったじゃん。
しかも、アレンジも筒美氏っていうのがミソなんだよね。

この独特のウェット感は、どこから来るんだろう・・・って思うけど、きっと楽器の使い方が独特なんだよね、筒美氏自身のアレンジって。特に弦楽器の使い方がおおよそ「歌謡曲」って言う感じじゃ無いんだよね。オーケストラに近いっちゅうかさ。

まあ、77〜78年頃の筒美氏は、一方ではフィラデルフィアサウンドに傾倒して居たりね かと思えば一方では、ポールモーリアに傾倒して居たり・・って感じでしたからね。
 ただ、いずれにしてもストリングスの使い方に特徴があった訳でさ、そんな影響も、この辺の曲には出て来てるんだろうな・・・と思うわけでさ。

でも、だからこそ、個人的には刺さったともいえるんだよね。 っちゅうのも、ここでも何度も書いてるけど、当時のワタシャ、ポールモーリアに超ハマリの、マセガキだったからさあ。この曲のようなサウンドには、親和性があったんだよね。

まあ、そういうところが記憶の奥底に未だに深く刺さっているんだろうなぁ。


ところでさ、インタンブールの時もそうだったけど、モンテカルロってのも、一体どこにあるねん・・・なんて、調べたりしませんでした

ワタシは調べたなぁ。 当時はインターネットなんてもちろん無かったし、頼りは、ウチにあったでっかい地球儀。
うん、小学校に入学する時、勉強机は近所の兄ちゃんのお下がりをもらってきたくせに、なぜか地球儀はめっちゃデカイのを買ったのよ。 それで、調べたの覚えてるわぁ。

ちなみに、モンテカルロも、インタンブールと同じく地中海に面してるんだよね。 
・・・ということは、地中海性気候であり、この曲のようなウェットな感じじゃないんだけどなぁ・・・・。

・・・なんて今になって思ったりして。。。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

来年はジャニーズ系も出演!?

テレビ東京の「JAPAN COUNTDOWN」(日曜9時30分〜10時00分)も内容が大分変わったね。

ロッキンオン提供なんで、昔は純粋にJ-ROCKを追及していた番組なのに、最近は半分以上、アイドル、アニメだもんな。
この傾向が、そのままROCK IN JAPANやCOUNT DOWN JAPAN FESに反映し、これらのFESもアイドル系枠が多くなったわ。
 
時に「JAPAN COUNTDOWN」、最近ジャニーズ系に触れる機会も増えてるような気がする。昔は「水と油」のような感じだったけど。。

 この傾向からすると、来年のROCK IN JAPANにはジャニーズ系が出てくる可能もあるような気がするなぁ。...
それでなくても、来年は5日間開催で出演アーティスト枠が増える訳だし。

まあ、ジャニーズ系と言っても、「嵐」とか「Kis-My-Ft2」、新鋭の「King&price」なんて、いわいるイケメンアイドル系は無いだろうけど・・。(万が一出演したら、大変なことになるわ。今でさえ人の波なのに)
でもEND RE CHERI(堂本剛)とかTOKIOぐらいだったら考えられるしな。

ただ、個人的にはこれ以上手をを広げて欲しくないんだよね。今でさえ「ROCK IN〜」っていうネーミングからして、どこがROCKやねん・・・って言う看板だおれの傾向になってきているし。。。

恋はタヒチでアレアレア! / 森口博子

1990_09_恋はタヒチでアレアレア_森口博子

今回の1曲セレクトは、「恋はタヒチでアレアレア!」森口博子です。

まずはデータです。

・タイトル    恋はタヒチでアレアレア!
・アーティスト  森口博子
・作詞      西脇唯
・作曲      西脇唯
・編曲      藤原いくろう
・リリース日   1990年8月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 32位
・売上げ枚数 2.3万枚
・THE HIRCHART HOT30最高位 53位

地方によっては、そろそろ本格的に「秋」めいて来ているところもあるかと思いますが、ここ千葉は、まだまだ夏ですわ。今日も「夏」の日差しが降り注いだ1日となってるしね。
こりは、なかなか「夏の終わりの・・・」って言う感じの曲、まだ引っ張ってこれないわなぁ・・・

っちゅうことで、今回の1曲セレクトも、まだまだ「夏」っぽい1曲を持ってきちゃいました。

森口博子「恋はタヒチでアレアレア!」

うーむ、ちょっとマイナーな曲でしたかねぇ  

一応1990年っちゅう、「90年代」の曲ではあるんだけど、なんせオリコン最高位32位ですからね。

・・というか、これ、今調べて、個人的に意外だったんだけどさ。 オリコン最高位、もう少し上だったよな・・・っていう感覚だったんだよな。
まあ、ベストテン入りしていたとか、そう言うレベルではなく、20位台には居たような感覚なんだけどさ。

それとヒット時期ですねぇ。 前回のミスチルの「シーソーゲーム」も全く同じ事書いたんだけど、ヒット時期ずれて覚えてたんだよな。
リリースは8月21日。 うーむ、8月後半だったか。。。 そう言うイメージが全くないんだよな。

なんせ、ウキウキサンバ調、めっちゃリゾート気分の曲じゃん、この曲。 どうしても、夏の始まりを予感されるような曲だしさぁ。 リリース7月だったよな・・・って言う感覚だったんだよな。

この年、1990年っていうのは、今年同様「酷暑」の夏でさあ。ヒット曲もそれを予感させる様な「夏色」全開っていう色合いの曲が多いんだよな。
アイドル系では、ribbon「あのコによろしく」とか、田村英里子「リバーシブル」、中森明菜「Dear Friend」あたりかなぁ。 とくに明菜「Dear Friend」は、自身のシングルとして初の「メジャー」展開の曲だったしさ。

ただ、「夏色全開」といっても、昨今のような汗まみれの・・・って言うようなイメージではない。 あくまでリゾート感覚な温度感の曲が多かったんだよね。

この辺は、「夏フェス」全盛の今と、「バブル」全盛だった90年当時との夏の「生活感」の違いですかねぇ。

当時は、今のような大規模な夏フェスなんて無かったしさ。逆に夏は海外にリゾートっていうのが、「若者」(っちゅうか、もろ、ワタシら世代だよな)の夏の過ごし方の主流だったからなぁ。
汗のかき方が違うんだよな。 まあ、それ以前に金の使い方が違うんだけど・・・。

そんなリゾート気分な世相をもろ反映したような曲が、今回引っ張ってきた「恋はタヒチでアレアレア!」だったよなぁ。

お、森口さん、鋭いところついてきたなぁ・・・なんて当時思ったもんだけどね。 しかも、曲も「サンバ」調16ビート。 めちゃくちゃリゾートな気分にさせてくれるような1曲。 分かりやすい曲だったんだよな。

だからね、この曲はもしかするといいところまで、ヒットするかもなぁ・・・なんても思ったんだけどね。

おりしも、森口さん自身、例の「バラドル」として人気上昇中の頃だったからなぁ。 うむ、このころテレビに出てない日は無いんじゃない? って感じだったんじゃん。 

それもあったからさデビュー曲の「水の星へ愛をこめて」は抜いてくるんじゃない  とかね。

でも、実際はそこまでは売れなかったんだよなぁ。

やっぱ、リリース時期の間違いぢゃね  なんて思ったりもするな。 



むむむ、またまたリンクを蹴られてしまった・・・。
動画を見たい方は、「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてくだされ。

森口さんってウタ、達者なんだよな。 この曲メロディラインが難しいんだよ。 リズム体が16ビートに加え、メロディラインも16分音符の応酬だしさ。
それでもそつなく歌ってるしさ。まあ、16分のメロディラインに少しコトバが詰まってるところもあるけどさ。
 ただ逆に、アイドルとしては、ちょっと達者すぎるかな・・っていうキライが無かった訳じゃ無いんだよな。 うん、それまでアイドルとして辛酸をなめてきたのは、意外とこの歌唱力があるが故だったから・・とかさ。

アレンジの藤原いくろう氏って、この手のリゾートっぽい曲って言うイメージがあるな、個人的に。この曲もそうだけど、82年の柏原よしえの「渚のシンデレラ」も、こんな南の島的な温度感だったじゃん。
 実際は日芸音楽科出身の、ホンマモノのミュージシャンってことで、南の島のリゾートミュージックだけの方ではないんだけどね。


よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

記事検索
livedoor プロフィール

かじやん

QRコード
QRコード